よもちかブログ

「私の世界」の話をしよう。

「生きていること」を基準に物事を考える

私は、生きていることに疑問を持ったりすることが、よくあります。

そういうときは「生きていないほうが楽なんじゃないか」って考えるんです。

 

でも、「生きている」のに「生きていない」を基準に物事を考えるのは

なんだか変じゃないか?って、気付きました。

生きていないことを基準にして、もし生きてなかったらこうだった、とか

生きるのをやめればこうなるんじゃないか、とか考えるのって不毛なのではと

思いました。それは例えば、私が日本じゃなくてヨーロッパに生まれていたら

と考えるようなものです。それを考えて現状に不満を持っている暇があったら

目の前の現実をどうにかする努力をしたほうがいいんじゃないか。

 

存在しなければよかった、といっても私は現に存在してしまっている。

存在してしまっている以上、「生きている」ことを基準に物事を考えるほうが

理にかなっているんじゃないだろうか。

私は生きている。だから生きていることに喜びを見出そうとする。

私は生きている。だから快適に生きられるよう奮闘する。

私は生きている。だから死を怖れて、自殺を阻止しようとしてしまう。

 

これが例えば、「生きていない」を基準にするとどうなるか。

私は生きていない。だから生きていることなんて無意味なんだ。

私は生きていない。だから快適に生きるための努力なんて無駄だ。

私は生きていない。だから死は怖くないし、誰が自殺したって構わない。

 

生きていることが無意味だとか、無駄だとか思ってしまうのは、

その人が無意識に「生きていない」を基準に

物事を判断してしまっているからなのでは、と想像します。

 

以上、個人的な新発見でした。

考えが整理されていないので、言いたいことが伝わっているか、

あまり自信がありません。頭のなかのモヤモヤを言葉にするのって難しいです。

 

そんな感じです。

 

よもちかでした。