« せどり男爵数奇譚 | トップページ | なつかしく謎めいて »

2012年8月 7日 (火)

アラミスと呼ばれた女

アラミスと呼ばれた女/宇江佐真理(講談社文庫,2009)
 箱館戦争に幕府軍の一員として参加したフランス軍人ブリュネが、一人のフランス語通詞のスケッチを残しているという。女性的な風貌のその通詞は、通称「アラミス」と呼ばれていた。
 本作は、このスケッチに描かれた人物を巡る、大河歴史ドラマ風物語。

 時は幕末、長崎の町で通詞の娘として暮らす活発な少女、お柳が主人公。父親の平兵衛は元々は江戸の錺[かざり]職人だったが、語学の才があり、幕府に召し抱えられて長崎で通詞として働くことになった。娘のお柳も父親譲りの語学の才能の持ち主で、お使いに行った店の番頭にフランス語で挨拶をしたりする。
 そんなお柳の家に、江戸で知り合いだった一人の若い侍がやってくる。海軍伝習生、榎本釜次郎、後の榎本武揚。
 榎本の登場が波乱の予感を感じさせるものの、この小説、最初のうちはフランス語や英語の単語が会話にたびたび出てくる以外は、江戸時代の長崎の日常を描いて、どちらかというと穏やかに進んでいく。
 物語が急展開するのは、お柳の父親が攘夷派に殺されるという事件があってから。大黒柱を失った一家は故郷の江戸に戻り、お柳は生活のために芸者として働くことになる。
 そして3年ほどがたったある日、勝海舟の宴席に呼ばれたお柳は、オランダ留学から帰国した榎本と再会する。榎本に請われてお柳はフランス軍事顧問代のための通詞として働くことになり、幕末動乱の中に投げ込まれることになる。
 女性は通詞になれないため、男と偽って通詞を勤めるお柳にフランス人がつけた呼び名は、「アラミス」。
 この後、物語は函館戦争を中心に、お柳と榎本の恋をからめて、それぞれの運命の変転を描いて行くことになる――。

 著者が解説で書いているが、実はお柳には男装の通詞「田島勝[かつ]」という実在のモデルがいるのだそうだ。ブリュネの「アラミス」のスケッチも実在するらしい。が、田島勝と「アラミス」を結びつけ、さらに彼女を榎本武揚の恋人にしたこの物語は、作者の創作。
 こうして創造された主人公お柳の人生の波乱ぶりは、彼女が名乗ることになる数々の名前が象徴している。
 江戸の職人の娘「お柳」として生まれ、長崎では「田所柳」、榎本釜次郎には「ミミー」とあだ名をつけられ、「柳太郎」の名で芸者になり、通詞としては「田所柳太郎」と名乗り、フランス人には「アラミス」と呼ばれ、明治維新後は再び、「田所柳」として市井に暮らす――。
 いろいろ盛り込みすぎてちょっと「ありそうにない話」になっている傾向もあるが、それはあまり気にならない。時代小説や歴史小説はその方がおもしろいと思うからだ。
 ただ、ちょっと残念なのは、お柳がどっちかというと状況に流されるばかりで、あまり自分から動くことがなく、並外れた語学の才能も今ひとつ生かされてない点。せっかく三銃士の名をもらいながら、それにふさわしい活躍をしていない。とはいえ――。
 本書で箱館戦争が終わるのは全体の3分の1くらいで、明治維新後の話がまだ100ページほどある。東京に戻ったお柳は英語教師をしたりしながら、榎本との間に生まれた一人娘を育てる。娘の成長物語と合わせて、母との死別や榎本との再会、岩崎財閥の令嬢たちとの交流などが描かれる。
 再びゆっくりとした時間が流れるこの明治のエピソードの数々はなかなか味があって、実は本書で一番好みの部分だったりする。宇江佐真理の本領は、波乱の歴史ドラマよりも、やはりこういうところにあるのだろう。

|

« せどり男爵数奇譚 | トップページ | なつかしく謎めいて »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« せどり男爵数奇譚 | トップページ | なつかしく謎めいて »