※質疑応答部分は随時追記中です。
【この記事のヘッドライン】
・障害者手帳について
・身銭を払ってまで交響曲を作った経緯
・新垣氏はすぐにギャラに納得しなかった
・「障害を利用してはいない」
・高橋大輔選手に対して
・バレなければ続けていたのか
・聴覚検査結果について
・ゴーストライターに曲を依頼し始めた経緯
・NHKスペシャルでの少女と家族に対して
・なぜ新垣氏はこのタイミングで暴露したか
・有名になりたかったのか?
・絶対音感はあるのか? 音階はわかるのか?
・「指示書も奥様が書いていた?」という疑惑について
・補聴器をなぜつけないのか? 新垣さんとの会話は?
・新垣氏が要求したギャラの額は?
佐村河内守(以下、佐):まずご迷惑をおかけした皆様に、ひとつひとつ名前を読み上げながら、謝罪をしたいと思います。CDを買ってくださった皆様、音楽を聞いてくださった方々、演奏会に来てくださった皆様、本当に私の嘘によることで、非常にご迷惑をおかけしたことを謝罪いたします。本当に申し訳ございませんでした。
次に、本を出版してくださった講談社の方、および幻冬舎の方々、CDを発売してくださった日本コロムビアの皆様、全国ツアーを開催してくださったサモンプロモーションの皆様、楽譜のレンタルをしてくださった○○○コピー様、本当に申し訳ありませんでした。NHKを始めとした民放各局のテレビ局の皆様、新聞雑誌等の皆様、このたびは本当に申し訳ございませんでした。
髙橋大輔選手にも、深くお詫び申し上げます。また、被災地の皆様、NHKスペシャルでのご家族の皆様、本当に申し訳なく思っております。深くお詫び申し上げます。一旦着席させていただきますが、もう少しだけお話させてください。聴力の検査の結果、ほかにつきまして、お話させていただきます。失礼します。
(着席)
障害者手帳につきまして、検査の結果、返納いたしました。私はこれまで障害者年金は一度も受け取っておりません。近いうちに横浜市からも公表される予定です。私が謝罪文で、3年前くらいから言葉が聞き取れるときもあるまで回復しましたと書いたため、結果的に健常者と同じように聞こえていると多くの方が理解しており、手話通訳者も必要ないのに依頼しているという誤解に繋がりました。「聞き取れるときもある」という状態は非常に説明しにくいのですが、音声はひずんでしまうので、会話は聞き取れないことがほとんどなので、手話通訳も必要としていることに嘘偽りはありません。
世間では、耳が悪いことを示すために手話通訳を派遣させているとか、手話通訳はグルであるとか、儲けを山分けしているとか、悪い噂が流れております。ですが、この噂は完全に間違っています。聴力が回復していることやゴーストライターがいることは誰にも話していませんでした。
ですので、手話通訳も知っていながら通訳していたという人は誰もいません。これまで全国各地で手話通訳をしてくださった方々にも、無関係なのに疑われてしまったすべての関係者にも、改めて深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした。
今回の記者会見でも、質疑応答のときに手話通訳が必要になりますので、今まで同様に依頼いたしました。今お伝えしたことをご理解くださいますよう宜しくお願い致します。なお、手話通訳に関しての質問に関しては一切お控え下さいますよう、重ねてお願い申し上げます。
改めてお詫び申し上げます。このたびはたくさんの方々に多大なご迷惑をおかけしました。そのことを心より深くお詫び申し上げます。今の私には信用が全くないと思います。しかし本日の会見では、天地神明に誓って嘘偽りなく真実をお話いたします。なお私のテレビ出演につきましては、本日をもって最後といたしますので、何卒宜しくお願い致します。
2002年の手帳の交付について、この2月12日の午後14時から横浜市役所内での会見で発表されたことですが、当時の会見に疑わしいことはなく、適切な診断書であったことを横浜市が発表しております。
後はお話ししたいことを一応箇条書きに書いたんですが、ひとつひとつやると長くなってしまいますので、ちょっと質問もあると思いますが……。でも一応、お話します。どうしても伝えておかなければならないことを話します。
私はまるで映画の「コスモス」のときから、まったく音楽をやっていなかったにも関わらず新垣さんに初めて音楽というものを依頼してやらせた、というような報道になっていますが、私はそれ以前にもプロとして音楽をきちっとやっておりました。何年前か覚えておりませんが、NHKのハイビジョンができた当初なんですが、「さんがどうけい」という番組で音楽を担当しております。それを受けての「コスモス」の依頼でした。そのときは打ち込みの音楽というもので曲を完成しております。
次になぜ交響曲を身銭を払ってまで作らなければならなかったかという疑問が多いかと思いますけれども、これはあの、非常に語弊があって申し上げにくいんですが、私は子供のころから音楽が大好きで、クラシック音楽も特に好んで聞いておりました。そのなかで、日本で言えば70年間に渡る現代音楽というものに対して、私自身は肯定的ではありませんで、昔の「調整音楽」というものの復権が、いちファンとして、そういう尖兵が現れて時代が変わればいいなあというような希望を持っておりましたけれども、それを、やり方は間違っておりましたが、新垣さんというゴーストライターを使って。当然この70年間続いたアカデミズムの伝統ですから、絶対に生きているうちにはこの長大な音楽、交響曲は演奏されないと思っておりました。
でもそのことと、それを世に残しておく。いつか尖兵が現れて、時代が変わったときに「今の時代に見合うような音楽がここにもある」と誰かが拾ってくれればそれでいい、というようなことで、何百万もかけて新垣氏にお金を支払って、私が事細かに全体の設計図、内部の事細かな構成図、設計図ですね。作って、新垣氏に音符を書いて(もらい)完成させたのが、交響曲第1番です。
次に、新垣氏と私と音楽の関わりですけれども、これは2人だけの秘密で行われてきた、18年間のものです。私が詳細な設計図を書き、それを新垣氏が音にしていくというものでした。私が疑問に思うのは、なぜあれほど新垣さんは師匠である三善晃先生にバレることを恐れていたにも関わらず、なぜこのタイミングで暴露するに至ったかという、私が言える立場ではありませんが、私個人にとっては、それはとても大きな疑問、疑念でした。
たとえば否定したいひとつのことではありますが、ギャラについてもですね、「もうこんなことは止めにしましょう」と新垣さんは何度も言ったとある雑誌に書いていました。彼はただの一度も、私に「もうこんなことは何度も止めましょう」なんて言ったことはありません。
彼が私に言ったのは、つい最近、新潮45の野口様という方が私に対する批判の記事を書かれたときに、何かがバレるのを恐れたのだか、私の家に来て、もうこんなことは止めましょうと。そのときはハッキリ言われた。18年間のなかのただの一度、そのことを言っただけです。それがつい最近のことです。
それから、新垣さんの心のなかで、「もうこういうことはやめよう」と心のなかで今まで18年間言い続けてきたと言っていますが、私は今ここで、正直なことを言っています。
とても言いにくいことですけれども、いつも私が新しいコンセプトを思いつき、楽曲をつくろうとするときに、新垣氏は新宿のある喫茶店で「次も曲を作りたいので、いついつ待ち合わせしよう」というようなことがありまして、彼は何の問題もなくそこに訪れ、私が曲の内容、意味合い、構成など説明してギャラを提示するんですね。このくらいで、と。すると必ず彼は最初は間違いなく首を横に振ります。次に私が値をつり上げると、おそらく渋い顔して「うーん」とやります。その後にもう少し値段をつり上げると、彼は笑顔で「いいですよ」と。
これがこの18年の真実です。本当に心からこんなことはもう辞めたいと思った人の発言でしょうか? 私は雑誌を見て目を疑いました。
最後に、報道では聴覚障害者や病気を持っている方々を、まるで自分のブランド作りのために利用したというように報じられておりますが、それは真実ではありません。ゴーストライターを使うなどというやり方は本当に間違っていたと思いますし、ですが、闇に沈む方たち。その人たちに光を当てたいという気持ちは、自分で障害を持ってから現在に至るまで、天地神明に誓って本物です。
以上が、本当はここに文春さんの記事が4本ほどあって、そこに、これはまだ1ページですけれども(雑誌のコピーを見せる)、蛍光の線で事実無根であることを言ったものです。ここに線を引っ張っているところは真実ではありません。
ちょっとこれを見ながら、ひとつひとつ「これは間違っています」と言うと時間がなくなってしまいますので、素直にお怒りとかお叱りとか質問がございましたら、質疑応答で受けさせてもらいたいと思いますので、宜しくお願い致します。
<以下、質疑応答部分>
質問者:ニコニコ動画の七尾と申します。高橋(大輔)選手についてお聞かせください。オリンピックの高橋選手の競技を実際そのときテレビなどを通じて実際ご覧になったかということと、改めて影響はあったと思うのですが、高橋選手におっしゃりたいこと。そのとき感じたことを詳しくお聞かせください。
佐:高橋選手とは、一度番組を通して直接お会いしたことがあり、あとは雑誌等で特集を組まれて、高橋選手の滑りに対する、思いに対する、ことに私が発言したことがありますけれども、もう今この時点に及んでですね、それはもう凄いことであり、素晴らしい演技であるというお話は(過去に)しましたけれども、今その感想に触れることは、精神的にちょっと難しいですが。本当にあのような素晴らしい選手がこの曲を選んでいただいたことに感謝は、まず今でも変わりませんし、高橋選手自身がとても精神の強い方なので、もしかしたらこういう事件が影響したのかな、という気持ちはありますが、それを乗り越えていってくださると信じておりましたので。はい。自分の責任は大きく感じておりますけれども。
質問者:演技はご覧になりましたか?
佐:辛くて見れませんでした。
質問者:読売新聞の松本です。今まで佐村河内守さんの名前で発表された楽曲の著作権、今は佐村河内さんが持っていると思うんですが、それは今後どうする、新垣さんは著作権を主張しないとおっっしゃっていますけれども。それについてお伺いしたいです。
佐:これから、今新垣さんが何を思われている、ということがちょっと今わからない状態です。記者会見では新垣さんは著作権を放棄するとおっしゃったというのは、知人から聞いただけの情報で知っていましたけれども、今後弁護士さんを通じてどのような回答が来るのかということは、まだわかっておりません。
質問者:ということは、今後も弁護士との話し合い次第では、佐村河内さんが著作権を主張し続ける可能性はありうる、という理解でよろしいですか?
佐:とても難しいです。例えば先程のソナチネに関して言いますと、新垣さんは私がまず一番最初に設計図を立てるのに、とても心を砕いて作った交響曲第一番について、あれは実験的な音楽なのであったとか、宇宙戦艦ヤマトなんだとか、まるで私の意にそぐわぬような……。私は新垣さんをコスモスのときから新垣さんを信じて、悪いことではありますが、ゴーストとして信用していたのですが、あのようなことを言われて大変ショックを受けましたし。
その反面ですね、「ソナチネ」のような高橋選手が滑って有名になったような曲に関しては、完全に自分のものだというような主張をされていますが、あの曲に関しても、まあもちろん彼は証拠を持っていても出さないと思いますけれども、きちんとした私の設計図というものに基づいて書かれているのにも関わらずず、彼は、自分で言うのもなんですけれども「あれは私の傑作です」みたいなことをおっしゃっているのがとても疑問です。ですので、今後どの曲がどれほど、著作権が、あるいはすべての曲が著作者と著作権者に分かれていくのかというのは、まだわからないところです。松本さん。
質問者:中京テレビ「キャッチ」の安倍と申します。18年間、どういう思いでこのお仕事を続けてきたのか。今回、新垣さんが会見したことによっていろいろなことが明らかになりましたが、これがなければ、このまま続けていったのですか?
佐:まず思いですけれども、新垣さん自身は、なんていうんですか、私を甘く見ていたのか、絶対に佐村河内は、私(新垣氏)はバラサないだろうと思っていたに違いないとおっしゃっていましたが、そんなことはなくてですね、とてもずっと、私自身が、あるテレビ局さんで大きく取り上げられてから、どんどんどんどん、自分で制御できないくらい大きな存在になってしまって、自分自身はもうすごく恐怖は覚えていました。やっぱり、いつかバレるんじゃないかという気持ちはすごくあって……。すみません、後半の質問、なんでしたっけ?
質問者:18年間、あなたはどういう思いで仕事を続けてきたんですか? いろいろあったわけですよね。バレなかったということが良かったと思ったのか。バレなければこれからも続けていったのか。
佐:10年後に、新垣さんはお話したんですけれども、ま彼から本当のことを言ってもらえるかわかりませんけれども、10年後にやめようという引退しようという思いでおりましたけれども、新垣さん自身から、「文春」にも正しい事が書いてあってですね、「『新潮45』を読んで怖くなったからもうこんなことはやめましょうということを言われたときにですね、やはりもう少し、恥ずかしい話ですけれども、日本コロムビアさんから「次の作品、次の作品」という要望がありましたので、なんとかそれを必要最小限におさめるために、「じゃあまあ、あと2つの曲だけお付き合い願えないか」ということでお話をしたところ、それが3年に1曲というような形で、あと2曲で引退しようというような気持ちでおりました。
質問者:罪の意識とか、皆さんを騙しているというような意識はなかったんですか?
佐:ありました……。すみません。
質問者:中京テレビ△△と申します。先ほど診断書が配られたのですが、こちらには「聴覚障害に該当しないと診断します」と書かれています。聴覚障害ではないというふうに見受けられるんですが、手話の方が同席されているという現状、どういう今、耳の状態なのかを教えていただきたいのですが。
佐:はい。該当しないというのは、一番上の「身体障害者手帳を交付するかしないか」に係っている、それには値しないということです。ですので、裏に書かれているこちら側が……感音性難聴だとか、ABRの構造、4つ目の、4行目の、そこを一番皆さんが検査を受けろっておっしゃられたところだと思いますけれども、自分で操作ができない、脳波の、V波というらしいんですけれども、いわゆるその、ごまかしの効かない、自分では何もしない、脳波が音を感じたときに、V波が何デシベルで感じるかという、科学的な検査の結果です。
右が40デシベルで感知した。左が60デシベルで感知した。普通の人は10デシベルで聞こえるそうなので、まあきっと、足して2で割るとまあ、50デシベル、半分ということになります。
で、裏側に書かれている、右40.8デシベル、左51.3デシベルというのは、あの自分で挙手で聞こえたぞ、という検査で。これも先生からは、全くこちらのものと矛盾していない結果であるということでした。
質問者:今、私の声は聞こえないですか?
佐:音ですか? 声? 音は聞こえます。かすかに聞こえますけれども。そこが感音性難聴というところなんですね。伝音性難聴というのは、耳がつまった感じで、発せられた言葉とかは正しく耳に伝わっているんだけども、耳に栓をしているような感じで、いわゆる耳が遠い状態の障害で。
感音性難聴というのは、部分でいうと、外耳、中耳、内耳とありまして、中耳は中耳炎とかの……。私の障害は内耳、だから他牛という部分です。で、そこの部分に障害があって、音が歪んで聞こえるという障害です。耳元で、60デシベル以上の音で何かを言われても、音はわかるんですけれども、言葉がちょっと曲がって聞こえるとか、ねじれて聞こえるといった状態なので、非常に言葉としては聞きとれないので、このように手話通訳者の方がついているというのは、天地神明に誓って、今までも、今も、今からも、私には大切で必要な存在です。
質問者:新垣さんは会見で「ずっと聞こえていたように思う」といった発言をされましたが、そのことに関しては、どういうふうにお考えですか?
佐:それはこちらの、皆さんが受けろとおっしゃった、ABR検査ですべて否定されることであってですね。だからそのことに対してはたくさん質問いただきたいと思うんですが、耳に関すること、新垣さんはすべて嘘を言っている。まったくの嘘です。ありえません、科学的に。私が電話をしたとか。本を読んだんですけれども、電話をしてこういうことを喋ったとか。まったく馬鹿馬鹿しい話だとは私思うんですけれども、後ろから名前を呼びかけたら振り向いたとかですね。各局の皆さんが、佐村河内守が耳を聞こえていたのは周知の事実だなんてことは、信じられない言葉です。私は2年、約1年半で各局とFAXだけでずっとやりとりをしてきましたけれども、そのような疑いとか、誰かと電話をしたようなこともありえませんし。
質問者:TBSの蓮見と申します。シンプルな質問なんですけれども、そもそも何故新垣さんに曲を依頼することになったのか。そして何故ゴーストライターに、自分で曲を作らずに、曲を依頼しようという思いに至ったか、そもそもの原点について、動機について教えてください。
佐:はい。私自身はまず新垣さんとの出会いについて、覚えていませんでした。で、週刊文春さんを見させていただいて、あるバイオリニストの新垣さんの後輩の方からの紹介で、「オケをアレンジしている方がいらっしゃないか」ということを僕がお願いしたそうで、その女性も覚えていませんけれども、ま、ある喫茶店で、新垣さんとお会いしたのが最初のきっかけで。
最初はですね、「コスモス」という映画は第2の主役としてオルゴールというのが、とても重要なポイントを占めていたので。そのオルゴールのメロディーはもちろん自分のシンセサイザーで、打ち込みで、何パターンか作って。その中の楽曲も5-6曲は作ったと思います。それを当時のMDを持ちまして、彼と会って。それで、まず主題がオルゴールのメロディだったので、それを主題を元に、オケを使って、オーケストレーションしてもらえないかという。
本当に正直なこと言います。オーケストラにすごい憧れがありました。で、自分では書けないので、なんとか自分の主題を……。あとは先ほど申しました、なんとか言葉で、もうそういう雑学的なクラシックの知恵だけはあったもんですから、それらを駆使して、なんとかここはイ短調でどうので、っていうような。ここはブリッチをかけて次につないでくれ、ここは転調してほしいとか、事細かなのはありましたけれども、概ね新垣さんにアレンジをお願いしたり、編曲をお願いしたりしたことは間違いございません。それで、正直に言って、それがお金で始まったものですから、もうそれで習慣化してしまったというのが正直なところです。
質問者:これ、一部の声として、ご自身を「耳の聞こえない作曲家」ではなく「プロデューサー」あるいは「企画を立てた人」という風に名乗って、新垣さんに「作曲者」として名前を連ねてもらうという方法も、選択肢もあったと思うんですが。なぜ新垣さんは影の存在で、ご本人だけが表舞台に立つことになったのでしょうか。それは佐村河内さんのお考えでしょうか?
佐村:はい。当時すずきじゅんいちさんという監督さんに、「マリリンに逢いたい」とかいう映画を撮られた監督さんなんですが、依頼を受けまして。で、当時工事現場で働いているときに、突然の依頼を受けたものですから、それはもう私自身が依頼されたものだということで、本当にいけないことだとは思ったんですけど、自分だけの名前でやりました。すいません。
質問者:それを悔い改めようと思ったきっかけはないですか?
佐:何度もありましたけれども、どうしても、自分が巨大化していくたびに、それが言い出せなくて。そういう思いはありました。すいませんでした。
質問者:ありがとうございます。
質問者:関西テレビの○○と申します。NHKスペシャルの番組と平行するような形で、あなたが当初、冒頭で名前を出された少女とご家族の取材をしてきた者です。そもそも冒頭でお名前を出されたこと自体も信じられません。ご本人のちゃんと了解はいただいているのでしょうか。その上で、今彼女が今どのような辛い思いをしているのかとか、あなた本当に本当に感じているんでしょうか。彼女は周りからいろんな手を差し伸べてくれようとする人に対しても、おばあちゃんに対して「あんまり信じないほうがいいよ」と言っています。実際に、11歳の少女の人生を損ないかねないことを、あなたはしました。彼女やおばあちゃんに、なぜ騙したのか。なぜ亡くなったお母さんを利用したのか。そのことに対してしっかり答えてください。
佐:繰り返しになりますけれども、被災地に対しても……。まずお詫びしなければいけないのは、しっかりと文春の記事を読んでおりませんでしたので、(そのご家族)さんの。
質問者:名前を出すのは個人に許可をいただいているんですか? できれば匿名でお願いします。
佐:失礼しました。ごめんなさい。まず被災地の、NHKスペシャルに出演してくださったご家族ですけれども、最初の部分でお名前を出してしまった部分については、カットのほう、ご協力をお願いします。すみません。申し訳ありません。
質問者:なぜ騙したのか、なぜ利用したのかという声に、本当に真摯に答えてください。
佐:繰り返しになりますけど、そのご家族を最終的にはこのような形で騙したというような形になって、本当に心から詫びております。彼女の苦しみを思うと、今すごく、他の誰よりもですね、申し訳ない気持ちでいっぱいです。その他の学校の先生たちや、あとお婆様もやらせのグルだったんではないかと疑われていると聞いて、とてもショックを受けたし、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
基本的には、繰り返しになりますけれども、本当にゴーストライターというやり方を使った、それを黙っていて進めていた、ということは、まず大きな過ちであり間違いであり、私が一生償っていかなければならない罪だと思っていますけれども。これだけは申し上げたいんですが、あの子やおばあちゃま、本当に大好きで、本当に心から、やり方は間違っていましたけども、亡くなったお母さんに対しても、本当にこのことで小さな光が届けばなという思いでやったことは、本当に真摯な気持ちでやっていました。ただそのことは結果的に、とても恥ずかしいけれど、バレたという形で傷つけてしまったことに対して、ものすごく反省しております。
一点だけ言わせてもらいますと、これは非難ではないんですけれども、誤っていることがあの雑誌にはたくさんありますので、正直に言わせてください。「私が彼女にパパと呼べ」と言ったことは全くありません。
質問者:本当ですか?
佐:はい。逆で私の妻に電話がかかってきて、「これだけは内緒にしてね、実は守ちゃんのことを最近、あの子はパパと呼び始めているんですよ」というのを聞かされたのが最初です。もう一点あります。「娘をくれ」と私が言った。まったくの嘘です。逆です。
質問者:嘘ではないと思います。逆というのはどういうことですか?
佐:これはたくさんの証人がいると思いますけれども、名前を出していいのか……。あるテレビ局のスタッフさんとお宅にお邪魔しているときに、隣のうどん屋さんにご飯を食べに行こうということになりまして、みんなで行ったときに、おばあちゃまが私の席の前に座って、突然私の手を握りしめて、「守さん、お願いね、私が死んだら、あの子をお願いね」という風にお願いされました。
質問者:この話をこれ以上続けても、謝罪すると、お詫びをすると言っているご家族の方のほうの信頼というか名誉を失うことになると思うのでやめます。最後にひとつだけ聞かせてください。あなた先ほど、結果的に裏切ったとか、結果的に嘘をついてたと言いましたが、あなた最初から嘘をついていたし、最初から利用してたと思われても当然だと思います。そして、お母様だけでなく、被災者の目の前でコンサートを開いたときに、お母さんのことや、あるいは他の被災者の方々のことを指して、「降りてこなかった曲が女川の海を見たら降りてきた」と。それは亡くなられた彼女のお母さんへの非常なる冒涜だと思います。なぜそんなことを言ったのか、そのときどんな心境だったのか、教えてください。
佐:その点につきましては反省しております。申し訳ありません。
質問者:なぜ言ったのかということに答えてください! 被災者や亡くなられた方々を利用してたんじゃないですか!?
佐:断じて違います。
質問者:どう違うんですか? じゃあなぜ嘘をついたんですか? 答えてください!
佐:嘘?
質問者:最初から嘘をついて近づいて、曲を作って、もともとCDにしないと言ってた曲をCDにして。何がしたかったんですか?
佐:あの、CDにはしておりません。
質問者:その件はいいです。なぜ騙したんですか? そこにまったく答えていません!
佐:「結果的に」という言葉を使ってはいけないということですから、使いません。騙したことになると思います。申し訳ありませんでした。
質問者:テレビ朝日の報道ステーションサンデー矢島と申します。福島県本宮市の「みずいろのまち」という曲を作ったという話がありましたが、新垣さんはこれに関して私は作っていないと言っているそうですが、あの曲は佐村河内さんご本人が作ったものなのでしょうか。それとも、他の方が作ったものと考えられるんでしょうか? 真相をお聞かせください。
佐:本宮の市歌は、私が作りました。
質問者:ご自身で作ったということでよろしいんですね? もう一つ伺いたいんですけれども、先ほど佐村河内さんは、新垣さんがなぜこのタイミングで暴露をしたのか理解できないということがありましたが、なにか二人の間にトラブルがあったんじゃないですか?
佐:トラブル……。トラブルはありません。
質問者:ご自身の思うところで、今このタイミングで暴露されてしまったという、思い当たるところはないということですか?
佐:ありますが……。ちょっと今は避けようと思います。
質問者:どうして今は避けるんでしょうか?
佐:新垣さんは現代音楽の楽壇の方ですけれども、楽壇の中心にいらっしゃる方で、その一番の先生がですね、現代音楽の巨星でおられる三善晃先生だったということは、もともと前々から存じておりましたけれども……。ちょっとお話しにくいんですけれども、なぜこのタイミングなんだろうとずっと疑念に思っていたときに、ある方に、その時期に先生が亡くなられたということを聞きまして。で、彼はもともと映画音楽を作りたいというような話も聞いておりましたし。
また私の楽曲が、お金でとはいえ、このように私自身もですね、大きくなるなんて、彼は全く信じてなかったみたいで、本人も、雑誌にも書いておりましたけれども。それが急に怪物のようになったのは佐村河内守の営業力だろう、と書いておりましたけれども。私はそのへんのところはよくわからず。もう、みるみるうちに巨大化してしまって、自分も翻弄されていましたし、彼はそうなるとは信じてなく、今までゴーストとして付き合ってくれたと思います。
それが今このようになって、佐村河内自身がこのようになって、そこへ持っていって、先生がこのようなタイミングでお亡くなりになられたということは、おそらく(新垣氏が)自分に対する鎖のような縛りがとれたんじゃないかと思いました。これ以上はちょっと言えません。
(佐村河内氏、立ち上がる)
軽部:フジテレビの軽部です。以前インタビューして、広島の演奏会でお会いして(一部不明)、まさかこういう場所でこういう形で、あなたと対峙すると相対すると、私は思っていませんでした。非常に残念です。今日の会見をずっと聞いていて思うことは、あなたが一番望んでいたことは、ご自分が有名になること、名声を得ること、それだったんじゃないかなというふうにどうしても思えます。たくさんの人を騙しても、たくさんの人を傷つけても、自分が有名になることを選んだんではないですか? そして、そのことが一番の目的であって。
結局、この騒動があったことで、今まで以上にあなたの名前は知られるようになりました。今では子供も佐村河内という名前を知っているようになっています。その意味では、より一層有名になったといえるわけですけど、「現代のベートーヴェン」ではなく、「稀代のペテン師」として名を残すことになるかもしれません。その状況に満足をしていらっしゃいますでしょうか。本当に今思っている、あなたの心底にあるものを、あなたと関わりを持った人間の一人として確認したいと思います。
(佐村河内氏、着席)
佐:まず1点目ですけれども、自分が有名になるために人を利用したという気持ちはまったくありません。ただここまで大きくなってしまって、何も言い出せなくなってしまった自分、これがここまで巨大化してしまって、私の意図するようなところではない、バレたという形でこのような大騒動を起こしてしまって。
妻に言われました。妻も全く知りませんでした。「まだ日本で、とどまって、みんなにバレてよかったね」と言われました。これが世界にいって、もっと大変なことになったら、たくさんの人に迷惑をかけていたので。はい。
軽部:有名にはなりたかった、名声を得たかったという気持ちはおありになったんですか?
佐:信じてもらえるかわかりませんけれども、さほどありませんでした。
軽部:あなたが愛している、ベートーヴェンやブラームスやマーラーに対する、これは大きな冒涜になると考えませんでしたか?
佐:思います。すいません。申し訳ありません。
質問者:フジテレビ「とくダネ!」の木下と申します。先ほど、佐村河内さん、声は聞き分けられないが音は聞こえるとおっしゃっていましたが、例えばですけれども、ピアノなどのドレミファソラシドというような、そういった音というのは、今でもなんとなくでも聞き分けられることができるんですか?
佐:キーの高さのことでしょうか?
質問者:例えばこれがドとか、これがレとか、これがミとかいうのは?
佐:絶対音感はありませんので、相対音感といって、これに対して、これはもう少し高いとかもう少し低いとか、聴覚で感じることはできます。ですから3~4年、なんとなくノックするような音が、昔聞こえなかったものが聞こえるようになって。ガタン、とかいう音ですよね。それから、少しいいのかなと思って、結局テレビなんかで実験して、耳をこうテレビに出ている方が喋っている声を確認して、近づいてみても音がねじれているので、聞き取れないということはわかったので……。
なぜもっと早く、少し聞こえるようになったのかとおっしゃられるかもしれませんけれども、結局自分としては手話通訳は相変わらず必要で、口話を読み取ることで必要で、何も変わらない状況だったので、再検査を自分から受けようという気持ちには正直なりませんでした。
音階の問題ですけれども、例えばオケなんかの和声の複雑なものはまったくわかりません。
質問者:絶対音感はないということでよろしいですか?
佐:はい。
質問者:あともうひとつ、佐村河内さんが書かれた指示書なんですが、奥様が書かれたんじゃないかという情報もあるんですが、その点についてはいかがでしょうか。
佐:あれはあの、馬鹿げた話で、うちの妻の母親から出た話だそうですけれども、外から聞いた話ですけど、どこかの番組で「筆跡は佐村河内のものであるという検証がされた」というのは聞いておりますけれども。義理のお母さんが言ってることは全くの嘘で、そういったことに妻に関与するということはありませんので。今でも自分で書いても構いませんけれども。私の筆跡です。
質問者:色紙とペンを持っていますので、何か文字を書いていただくことは可能ですか? ペンとマジックどちらがよろしいですか?
佐:はい。いつもハイテックという細いペンを使っていますのでペンのほうが。
質問者:それでは「後世に残る芸術的価値」あと「前例のないほどの宗教性」と書いたあとに「佐村河内守」と……。もうちょっと大きめに書いてもらっていいですか? 日付も書いてもらっていいですか?
(佐村河内氏、報道陣に色紙を見せる)
佐:あの、雑誌媒体で、もしお答えすることがあれば、妻の字を見てもらえばわかると思いますが、とてもきれいな字なので、私はすごく下手なんですけど、まったく違うのわかると思います。
質問者:日本テレビ、ニュースエブリーの加藤と申します。よろしくお願いします。私の祖母も耳がとても悪い人間でした。ただ彼女は、あなたが言っているのと同じように、耳元で大きな声を出せばわかる、それくらいのレベルでした。祖母は補聴器をつけて、そうすれば日常生活に支障はありませんでした。もし少しずつ聞こえているぞということであれば、50デシベルくらいなら聞こえるというのであれば、補聴器を使うという選択はあると思うんですが、試したことはあるのでしょうか? もしないならば、どうして試さないんでしょうか? 耳が悪いままの自分というほうが都合がいいんでしょうか?
佐:そういうことはありません。補聴器は3つもっております。自分で聴覚障害者認定を受ける前に東京で買った、シーメンスというドイツのメーカーの補聴器が1台、横浜の綱島というところで買ったものが一台、それも認定を受ければタダ同然といいますか、4000円くらいで買えるんですが、隠していたので、12万くらい、高かったと思いますけれども、妻にお願いして、髪を伸ばして補聴器を隠してつけていた時期もあります。
質問者:今はどうして補聴器はつけずにこちらに臨んでいるんですか? 補聴器はあったほうが?
佐:ちょっと理解してもらいにくいと思うんですけども、伝音性難聴ではなくて、音を倍増しても中で聞こえて曲がっている音は同じなので、つけない、つけている意味がないというような判断で、つけておりません。
質問者:これまでも、今の状態であれば……。今日来たような手話通訳者の方は必須で、それがないとコミュニケーションはまったく取れないということですか?
佐:あと口話というのがあります。口話術というんですが、横浜のある2つのサークルに通い詰めていた時期がありますけれどそのときの、ある年配の厳しい先生に「手話だけでなく口話も覚えなさい」と言われて……(一部聞き取り不明)。
新垣さんとの会話はすべて口話でした。彼とはもう18年ですかね。やっぱり慣れれば慣れるほど、慣れている人の口話っていうのは、どんどん読みやすくなりますし。皆さんご存知ないと思いますけれども、新垣さんはほとんど喋らない方で、とてもゆっくり喋る方なので、その時点でも、付き合いが長いことを含めてとても読みやすかったというのもありますし。正直に申しまして、一方的に熱をこめて、今みたいにですね、私が自分から話すことのほうが多くて、彼は、言葉は悪いですけどイエスマンだったので、ほとんど「ここをこうしてこうして、こうしてほしいんだよ」と言ってみても、「あーん」って言ってみたり、「わかりました」って言ってみたりですね。
すみません、ちょっと話から遠ざかってよろしいでしょうか。どうしても申し上げたかったのは、今回の騒動に至ったのはもちろん根源は私ですし、一番悪いのは自分で、今日は謝罪に来ましたけれども、どうしても違うことは違うと訴えたいので、お話しますけれども。新垣さんが私と普通のように会話するとか、そういうことは全くありません。そのことに対して質問がある方いらっしゃれば……。
質問者:1点だけ追加でよろしいでしょうか。先ほど最初の説明のなかで、新垣さんが、お話のなかでギャラをつり上げる場面があった、いつもそうだったとおっしゃいましたが、最初に提示した額と最終的に折り合ったギャラ、どのくらいの開きがあるんでしょうか? 何倍くらいまでギャラをつり上げてきたんでしょうか?
佐:ケースバイケースなんですけれども。たとえば通常、楽曲の長さとか編成の大きさとかそのようなことに関わらず、それを委嘱(いしょく)と考えれば、誰かに委嘱されてと考えると、委嘱料金というのは、30万円から最も高くて100万円なんですね。
で、今日はお持ちしませんでしたけれども、一度新垣さんに、「もう本当にやめよう」と言われて、このままでは急に才能も何も枯渇して、コロンビアさんが望んでいるものができなくなる、まずいと思って、そのときにまず通常80万とか100万とか。次の交響曲ということで、お願いしたんですけれども。そのときの2人で交わしたサインと母印と、お互いに交わした契約書みたいなものは残っています。それが、彼の納得した金額は、1曲300万でした。2曲で6年間で、先ほどお話しましたが。その1曲が300万円で彼がOKしたということです。
質問者:ありがとうございます。
(※質疑応答部分の続きは随時追記中です)