- >>38492
>>引用の範疇をこえて転載されるのは少々難があるとおもいますが、ご紹介いただいて
>>ありがとうございます。
>>
>>※天台本覚思想の歯止めのない現状肯定的凡夫本覚論
>>
>>これが沖浦さんの主張される「人本仏迹」の中身です。
>>
なるほど さすが閉鎖性の強い二乗の学者が書いた本でもあるわな
この著者は式を組む際に「連想性の創出」に対する
拡大解釈と言う値を組むのを忘れて計算したわけだ
つまり人本仏迹の種をまいた大元は
その東洋思想哲学研究所・・と言う事になりませんか?
- >>38485
No.38441(http://fboybbs.dip.jp/n2/?38441)で述べていた主張と
まったく正反対の事を述べており矛盾していませんか?
No.38482(http://fboybbs.dip.jp/n2/?38482)にて
福島の壮年さんが出した記事を示したら
態度が一変して あべこべの事を述べているだけじゃないでしょうか
No.38441(http://fboybbs.dip.jp/n2/?38441)は
『何を提言したかった話』だったのでしょうか?
では No.38441(http://fboybbs.dip.jp/n2/?38441)の主張をお浚いしてみましょう
No.38441(http://fboybbs.dip.jp/n2/?38441)の記事の趣旨は概ね
日本人は無気力だと主張して卑下した おかしな嘆きを書いていましたよね
では あなたの脳内では 一部の左勢力を除く日本の勢力が
中国や韓国の振舞いを冷静にみつめ 富士宮掲示板でよくやっている
『愛スル―運動』と同等の事を行っている・・と言う視点がなかったのでしょうか?
その視点がなかったから あなたは
「愛スル―」を無気力だと判断して結論づけたわけですよね
また、マグマグさんは
>>38441(http://fboybbs.dip.jp/n2/?38441)にて述べていた
『世界広布新時代に、日本だけが正しいと思い
時代に逆行するようなことをしていていいはずない。』
・・と なんだか中国の報道を鵜呑みにした断定的な事も書いていましたが
あなたがNo.38441の最後に書いた 時代に逆行している行為・・と言うのは
「何を指して」書いたつもりだったのでしょうか?
この点をきちんと説明していただけませんか?
その事も踏まえ No.38485(http://fboybbs.dip.jp/n2/?38485)の記事を鑑みたら
あなたが述べたNo.38441(http://fboybbs.dip.jp/n2/?38441)の意図は
池田氏の権威性を利用した詭弁であって 内証は挑発的な煽りの書き込み」
或いは 中国政府がいわんとする
「時代の逆行を煽る意図を目的とした記事」となってしまうわけですが
この点を踏まえて No.38441(>>38441)とNo.38485(>>38485)の
整合性を説明してください。
- (発行=14.03.07)
牧口会長は「教育的反戦」に力注ぐ
注目すべき「平和をつくる宗教」が発刊 ㊥
自在な絶対平和主義が日蓮仏法の特筆
画期的な新刊「平和をつくる宗教 日蓮仏法と創価学会」(松岡幹夫著)の論点
を前々号に引き続いて紹介する。
日蓮大聖人が行った「運命を変える法」による反戦を七百年後の第二次世界大戦
の渦中で敢然と実行し、時の軍部政府の迫害を受けて獄死した牧口初代会長の宗教
運動について、殉教者としての評価は定まっているが、反戦運動家だったかどうかは
意見が二分される。
そこで「平和をつくる宗教」では単に字面を追うだけの従来の牧口論には疑問が
残るとして大聖人の仏法の思想に立ち返って問題を捉え直し、牧口会長の国家諌暁の
行動は「日蓮的な反戦の実践」にほかならなかったと断じている。
更に、牧口会長が軍部政府のスローガン「滅私奉公」に反対したのは創価教育学会
が社会道徳の面から戦争に反対したことを意味しており、宗教的信念を貫いたのは
平和を実現するためで、戦争を終結させるための積極的な平和行動だったことなどを
同書は論証している。
そして牧口会長は仏法による運命転換的反戦を行うにあたり、宗教性を表に出さず
に生活法を教える「教育的反戦」に力を注いだことなどが論じられている。
戦後の研究に多い問題点
また、同書は、創価教育学会に関する戦後の研究には問題点が多いことにも言及している。
例えば、昭和三十一年に発刊された「宗教と信仰の心理学」には東大の宗教学者で
ある小口偉一らが戸田第二代会長らについて書いており、これを今でも宗門や売文屋の
ジャーナリストなど反学会の連中が好んで取り上げる。
だが、「平和をつくる宗教」では「宗教と信仰の心理学」は間違いや偏見、思い込みが
多く、参考資料としての値打ちはない、と指弾している。
その初歩的な間違いの実例として「西町尋常小学校」を「下早小学校」と書き、
「時習学館」を「自生学館」、「御書」を「五書」、「価値創造」を「創価教育学」と
誤記している点をあげ、基本的な知識がなかったばかりか、取材・調査内容に正確を期す
姿勢も欠落していたと鋭く指摘している。
そのうえ、新宗教の人々を無教養と見なす偏見や左翼的なイデオロギーによる決めつけ
も多く、到底、客観的な研究とは言えないと切り捨てている。
次に、同書では日蓮大聖人の仏法の「絶対平和主義」とは何かを明らかにしている。
池田SGI会長は今年の平和提言の中で「善悪二元論による悪の決めつけが社会を
むしばむ」と主張。この善悪二元論とは自分たちだけが善で、反対するものは全て悪と
する思想である。
同書では、そうした硬直した善悪二元論は無慈悲であり、実は暴力的であることに
論及している。
これに対し、日蓮大聖人の仏法では「善悪不二」を説く。暴力の悪を外から責める
だけではなく、悪の内側から暴力を平和化しようとする。
つまり、自在な絶対平和主義こそ日蓮大聖人の仏法の特質であり、そこに善悪二元論
から離れた真の平和の確立があることを明かしている。(つづく)
- 引用の範疇をこえて転載されるのは少々難があるとおもいますが、ご紹介いただいて
ありがとうございます。
※天台本覚思想の歯止めのない現状肯定的凡夫本覚論
これが沖浦さんの主張される「人本仏迹」の中身です。
『凡夫がその身のままで「仏」となれます』 というのと
『凡夫が仏になるので、その身は仏と同じ(または仏より優れている)』と
いうのはまったく違うのです。
「仏」になる条件(修行)が必要になるわけですね。
ダイヤモンドは炭素からできているので、炭素はダイヤモンドとおなじ価値である。
といっているのが「現状肯定的凡夫本覚論」
ダイヤモンドは炭素からできていますが、自然の高温高圧の特定条件下で生成されるので
希少価値がある・・といっているのが、日蓮大聖人の仏法だといえるとおもいます。
- >>38484
>>享年九十一歳。
酒びたりで91歳まで生きたとは長寿ですね。
- 凡夫=体 諸仏=用 凡夫即極論
諸法実相抄
御義口伝
御講御書 などに凡夫即極の思想が見られる。
これらの遺文を偽作説とする研究者は、天台本覚思想の影響を受けて後世の者が作ったとする。
しかし、天台本覚思想の歯止めのない現状肯定的凡夫本覚論と日蓮の凡夫即極ではまったく違う。
大聖人の凡夫観は妙法の当体であることを前提としながらも、唱題によって凡夫自身が本来妙法の当体であることを覚知するという意味での本覚なのである。
上記、※日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 小林正博著から
福島様にお礼を申し上げたい。よいところをご紹介下さった。ブログ主笹川氏だが、弱いながらもずっと好意を抱いていた。私の勝手な分類でおそれ多いが、このかたは右翼(笑)。が、自分とは違う世界の人ながら立派な人物だと思う。
で、問題の中国ブロガー老兵東雷氏は時代の寵児で、つ・ま・り、私がこの板に名前を出しても中国政府からお咎めを受けることのない、官よりながらも(公認?)、民意を代表し、いわば中国の右寄りの知識人なのだ、笑。人気も高い。
笹川氏が紹介された東雷氏の主張「現代日本を怪物化した対日外交は失敗」は、現在前半のみの邦文訳で、それだけを読んだ私を含めて日本の読者に反政府的なニオイを感じさせる。が、後半を読むと、実はそうでないことが分かる。
総じて、中国の一般大衆の言う日本の軍国主義化などと言う事実、可能性はないとするのが主張で、私が書いた「右傾化」と論点は違う。海外で勝手に「怪物」とレッテルを貼っていると、中国外交は失敗するぞと言っているのだ。
――問題提起したいのですが、日本のすべての公式文書には中国人民に対する謝罪が今までまったくなかったのです。1995年に村山首相はひとくくりにアジア人民に対しての遺憾の意を表しましたが、あらゆる公式文書に中国人民への遺憾の表明がないと言っても、そのことで中国はいつまでも日本が謝ることを求めるわけにはいきません。謝るかどうかは(日本の)皆さんの問題で、私たちはこのことを考えて欲しいだけなのです。(2000年10月、朱鎔基総理)――
東雷氏は中々賢明だ。上の談話は朱総理訪日時にテレビ懇談した時の日本の一市民からの質問、中国はいつも日本に謝罪を求めるが、いつになったら終わるのか?の問いに対しての答え。微妙な物言いで、とても意味深だ、笑。
で、氏は主張する――日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。(1972年9月、日中共同声明)――ほら、ここですでに日本が謝っているのじゃ?と。
要するに、はじめに敵視ありき、怪物化ありきの一方的な論調で日本と対立していては、世界に冠たる大中国の名が泣くぞと、中国の知識人もが思っている、考えているわけ。同感だ。結構なことだと思う。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- (発行=14.03.06)
忘恩坊主の尾花泰順が死亡
正信会に接近、不利と見るや日顕に擦り寄る
学会寄進の寺に居座って学会を批判
日顕宗・浄妙寺(大阪市都島区)の尾花泰順が二月二十七日、心臓マッサージを
受けながら病院に救急搬送されたが、午後三時五十五分に死亡した。享年九十一歳。
通夜は三月三日午後六時五十分から、告別式は四日午前十時二十分から同寺で
行われ、いずれも早瀬日如が導師を勤めた。
通夜の会場は同寺の三階になっていたが、僧俗差別の激しい日顕宗のことだから
、法華講員ら一般参列者は会場には入れてもらえず、寒い外気が吹き込む一階に
置かれた焼香台で焼香。その上、日如が退場する際は「コートや防寒着を脱いで
御法主上人猊下様をお見送りするように」と徹底され、参列者は震えながら日如を
見送っていた。
告別式でも、三階に上げてもらえなかった参列者が運営役員に激しくクレームを
つけ、責任者が出てきて対応して途中から葬儀会場に合流することになった。
場内は参列した坊主仲間が冗談を飛ばして談笑するなど尾花の死を悼むような
雰囲気は微塵も感じられなかった。
尾花は大正十二年二月六日に生まれ、学会に入会したのは昭和二十九年四月で
入会の動機は酒乱だった
深酒して真夜中、トイレと間違って二階の窓から転落して大怪我をしたり、
酔っ払って寝タバコからボヤ騒ぎを起こしたこともあった。数寄屋橋の際(きわ)
をホロ酔い気分で歩いて川に落ち、警察官に助けられたことなど、この種の話は
数多い。
学会男子部では水滸会の二期生に選ばれ、戸田第二代会長からも薫陶をうけ、
その頃は酒を控えていた。
また、昭和三十一年四月に出家する際も戸田会長から厳しくも慈愛に満ちた激励
をうけたが、出家してからは再び酒に溺れるようになった。奥番の時代にも酒を
飲みすぎて丑寅勤行にも出なかったり、日淳上人が通る廊下に大の字になって
寝ていたこともあり、酒癖の悪さは宗内随一と言われていた。
昭和三十八年四月、浄妙寺の住職に就任。この浄妙寺は戸田会長の発願により、
昭和三十年四月に関西で初の学会寄進の寺として誕生した。それだけに関西の
学会員が大事に守り、支えて御供養を続けてきた。
ところが、尾花は浄妙寺に入ってからは酒乱が一段と激しくなり、一流料亭や
高級クラブの常連になって「びばな」と名乗って飲み歩き、近くにいる人を
見境なく抱き寄せて耳を噛むなど常軌を逸した酒乱ぶりで「奇人」と呼ばれ、
寺に帰るのを忘れて店の人に送ってもらうことも度々だった。
尾花は酒癖の悪さに加えて変節漢としても有名だ。第一次宗門事件では渡辺広済
に接近し学会批判。正信会に行きかけ、不利とみるやUターン。日顕に擦り寄り、
学会員から搾り取った供養の金で、関西で最高額を日顕に貢いで取り入っていた
許し難い忘恩坊主だ。
尾花の死相は悪く、長年の闘病を物語るかのように痩せ細り、参列者の一人は
「遂に〝枯れ尾花〟になったな」と呟いていた。
(参照リンク)
http://userimg.teacup.com/userimg/6239.teacup.com/574744/img/bbs/0000135.jpg
- (発行=14.03.03)
「日蓮仏法」の反戦思想を論考
注目すべき「平和をつくる宗教」が発刊 ㊤
創価学会三代会長の平和論を忠実に説明
日蓮大聖人の仏法に説かれた宿命転換の平和主義を解説した書として注目される
松岡幹夫著「平和をつくる宗教 日蓮仏法と創価学会」(写真)が、このほど
第三文明社から発刊された。
内容は第一章「日蓮仏法は好戦的にあらず」、第二章「日蓮にみる反戦平和の思想
と実践」、第三章「牧口常三郎の戦争観とその実践的展開」、第四章「戸田城聖の
『見えない反戦』」、第五章「池田大作の平和アプローチ」、第六章「創価学会の
平和主義とは何か」の六章から構成されている。
まず、第一章では創価学会の反戦思想史を略述し、第二章では学会が信奉する
日蓮大聖人について考察。大聖人の仏法は、これまで「排他的、好戦的」と評され
てきたが、こうした偏見を打ち破って仏教的な反戦思想の本質に迫っており、
画期的な論考の書と言える。
第三章以降で初代から三代に至る歴代会長の反戦平和思想を詳述すると共に
三代会長の平和論を忠実に説明している。
本紙は「平和をつくる宗教 日蓮仏法と創価学会」の主要な論点を㊤㊥㊦の
三回に分けて紹介する。
同書では、まず、戦前の創価教育学会は反戦団体ではなかった、という宗門側の
難癖を真正面から論破している。
例えば、低劣な「慧妙」ごときは、戦前の創価教育学会は顧問に貴族院議員や官僚
の他、軍人も名を連ねていたとか、第二回総会を九段の軍人会館(後の九段会館)
で開催したことなどを理由に挙げて、牧口初代会長は反戦論者ではなかった等と
中傷している。
また、戦後、会員の士気を鼓舞するための学会歌は、軍歌に若干、手を加えたもの
だったから、戸田第二代会長は積極的な戦争論者であったことが明確である等と
低レベルの戯言を繰り返している。
「平和をつくる宗教」は、こんな「慧妙」の幼稚な難癖は歯牙にもかけず、
学術的に深く掘り下げた論を展開して、牧口初代会長が提唱した国家諌暁こそ
最高の反戦運動で、日蓮大聖人の「立正安国」の実践であり、戦争のない世界の
確立を目指したことを意味すると論考。結果的に「慧妙」の難癖や宗門の愚かな
主張が、いかに低劣なものであるかが浮き彫りになり、宗門側を鋭く一刀両断
する内容になっている。
更に、同書では①牧口会長は仏法者として、教育者として反体制的な反戦運動
よりも軍国主義者に対する教育の道を選んだ②創価教育学会は軍国主義に従った
わけではなく、軍国主義の国家を平和の方向へ教え導こうとしたのである
③創価教育学会幹部の軍国主義的な発言は個人の見解である④牧口会長と戸田
理事長は一貫して平和主義者であり、戦時下の時局に配慮しながら幹部たちに
仏法の平和主義(大善生活)を教えようとしていた、等々を具体的な事例を示し
ながら論述している。(つづく)
- >>38437 >>マグマグさんへ
中国には、こういう論を堂々と公表する人物もいますね。
http://blogos.com/article/81501/
『「現代日本を怪物化した対日外交は失敗」その1
―論議呼ぶ中国の識者ブログ』
元人民解放軍中佐なる人物のようですが。
- はじめまして阿部日ケ~ンさん、マグマグさん、名無しのecoさん。
私は宗教のことはあまり詳しく存じません。
変なことを書くかもしれませんが、ご辛抱ください。
皆様に伺いたいことがあります。
「永遠の生命」たどか「過去世」などという言葉は
生命は繰り返されるという意味でしょうか。
簡単に言うと「生まれ変わる」
肉体は朽ち果てても、生命は永遠に終わることがないということでしょうか?
そうであったなら、
「どうして人口はどんどん増え続けているのでしょうか。」
世界の人口は、1分に137人、1日で20万人、1年で7千万人、増えています。
世界中で、1年に6千万人が亡くなり、1億3千万人が産まれます。
現在71.68億人です。
毎年死ぬ人より7千万人も生まれる人が多いのです。
何が人間に生まれ変わっているのでしょうか。
- 今日のラジオ(昼の憩い)で『うれしい・ひなまつり』ながれちょった。
歌い手は「みわ・あきひろ」さん。
なんか…スゴク良かった。 ジンときたわい。
…ところで…。
もう随分昔になるが、ワシも『うれしい・ひなまつり』の替え歌を「当掲示板」に書いた。
あれは我ながら、佳作じゃった。
( 今ならサシズメ 著作権とやらで 五月蠅い事じゃろう )
実は、あの歌は。
ワシの心の奥底に、別の意味で刻印されておる「三曲」の中の一曲じゃ。
それは、今から三十四年も昔の事じゃった。
ん?
残りの二曲かね。
それは『厚田村』と『熱原の三烈士』じゃよ。
いつもご迷惑をおかけするが管理人様にお願いがある。昨夜(3月3日)の名無しの三つの連投(№38438~38440)を削除願いたい。思考法として当板富士宮に合わないのと、とんでもない錯誤がある。こんなのは雑学としても無用の長物だ。
更に削除の最大の理由は、投稿者のオツムがまともじゃないこと。使っていい語彙や表現と言った基本事項、常識を弁えない論者に、ここはいつも門戸を開いているわけじゃない。まあ、自由よりも言論の責任を噛みしめるべきだろう。
俗に「己の欲せざるところ、人に施すこと勿れ」と言うが、投稿者からすると、欲するものと欲せざるものが、普通の人と違うのだろう。で、我々がその違いに合せるべきかは自明のこと。よそへ行って書けと言ってから時間も久しく経った。
ともかくも、歓迎されていないのに執拗に投稿する、その神経とは?単なる寂しがり屋じゃなかろう。で、他人に合わせろとは言わない。が、自分の言いたいことを本当に伝えたいのならば、先ずは普通の言葉、表現で書けばいい。
とまれ常識や良識がなく、価値観を共有出来ない人は、この板ではお断り。いや、この板だけでない。多くの板やブログに向いていない。意見や趣味が合うところへ行けと言うのみだ。また自分で持っているならばそこで頑張れヨ。マグマグo(*^▽^*)o~♪
抗日戦勝記念、南京大虐殺追悼の日が制定された。一部報道で、これは安倍さんの靖国参拝に対抗するものとされているが、本当にそうだろうか。戦勝の誇示と犠牲者追悼がどう結びつくかを考える方が、先決だろう。
――国破山河在、城春草木深。感時花濺涙、恨別鳥驚心。烽火連三月、家書抵万金。白頭掻更短、渾欲不勝簪。(杜甫「春望」)――
読み下しや解釈を書く必要はあるまい。中国でも教科書に出て来る名詩だ。松尾芭蕉はこの詩から想像をふくらませ、夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡と詠み、季節こそ違うが、俳人、世捨て人の感慨を淡々と述べている。
戦(いくさ)は首都を壊滅させるものだった。しかもそこに杜甫の栄耀の人生の頂点があり、その後、彼は荒廃した国土や政治、民心に疲れてか官を辞し、漂泊の旅に出る。芭蕉の感性、感慨はそれに連なっていたとも思われる。
日本は敗戦国、これを認めるかどうかは自由で、但し歴史は、後世の人々の認識の差異で変わらない。逆に、何を事実とするかで歴史認識に違いが出るのだろう。かつての日系移民の勝ち組、負け組みのような話しでも決してなくて。
この十年、中国や韓国は日本が右傾化していると主張する。矛盾するが、個人的にうなづく一方、実は違うと思う。右傾化でなく「無力化」ではないか、現代的な諦観(ていかん)なのではないかと、私は想像する。
先日の都知事選にも現われていて、神母田さんは落選したが、若い世代からの集票が多かったと聞く。彼らにとって、現代の軍人の存在感が大きいのも何となく分かるが、一票を投じる魅力や価値があったかどうかはとても疑問だ。
強いおとながいて、無気力ながら言うことを聞く若者が増えているのではないか。思想信条なんかでなく、生き甲斐のない社会が若者を悪循環へいざない、諦めから生まれる空虚な観念だけがあるんじゃないかと、思えて仕方ない。
――つまり、本人が前進しやすいようにしてあげることであって、あくまでも進むのは本人次第です。本人が乗り越えなければならないことを肩代わりしたりするのでもありません。/略/仏法も同じです。その人自身が、自分の力で運命を切り開いていく。強い人間を築くための宗教です。/宿命転換の原理も同じです。宿命には、どこまでも本人が自らの力で立ち向かっていかなければならない。自身の中に、あらゆる宿命を転換する力があると気づけば、直面している逆境に意味を見いだしていくことができます。「宿命」を「使命」に変えていくことができるのです。(大白2013年12月号34~35頁)――
先生は続けて、指導とは、相手の幸せのために弱い心、臆病の心を誡めて行くことと教えられている。戦争がいい悪いでなく、人々の弱い心の総和、臆病者の最後の逃げ道と定義すると、断固それと徹底して戦うべきだと思う。
世界広布新時代に、日本だけが正しいと思い、時代に逆行するようなことをしていていいはずない。真っ直ぐで明るく、勤勉で豊かな感性を誇る国民性はどこへ行ったのか。現在の虚無が右傾化だと海外から誤解される今の日本は、本当の日本なんだろうか。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 大勝利氏の代弁など要りません。
反論はご本人がすべき事。
仮に討論相手に矛盾点があっても、
そこをどう気づいてどう反論するか?
そこも含め閲覧者は興味津々に見ています。
あなたの横槍など、ゲーム観戦の邪魔でしかありません。
引っ込んでなさいませ。
- また論点ずらしですね。
※貴方は大聖人が曼荼羅御本尊を拝んでいたとする文証に
「今一乗妙法蓮華経の御宝前に備へ奉りて南無妙法蓮華経と只一遍唱えまいらせ
候い畢んぬ」を出し、「法蓮華経の御宝前」は曼荼羅御本尊の前であると主張
されましたね
その通りです。
この新池殿御消息が書かれた時期は「弘安二年五月」熱原の法難のある直前です。
そして大勝利さんの提示された御文は文永・・つまり佐渡流罪前の御文です。
そし妙・法・蓮・華・経の・・つまり「五字」の宝前に・・とあるのですから
御本尊様ではないのでしょうか。
大勝利さんの提示した御文には 「法華経の御宝前」 とあります。
学会版御書の「妙法蓮華経の御宝前」との表記は二箇所。
提示させていただいた「新池殿御消息」(弘安二年五月)と
「中興入道消息」(弘安二年十一月)です。
対して大勝利さんの提示された御書を含めて八箇所。
年代が不明なものもありますが、「大豆御書」以外はおおむね弘安元年~三年
ほぼ身延での御執筆のようです。
繰り返しになりますが、文永の頃の「法華経の御宝前」をもって佐渡における
曼荼羅御図顕以後の「法華経の御宝前」または「妙法蓮華経の御宝前」は意味合い
が異なります。
松葉が谷つまり初期鎌倉滞在期には日蓮大聖人も経巻(または釈尊像)をもって
御宝前とされていたことは否定はしませんが、それがそのまま、御本尊様を顕されて以後
御入滅まででそうであったとは、とうてい私には考えられません。
大勝利さん。詭弁を弄するのはやめましょう。
- 下記38432は秋晴れです。
投稿者の欄を書くのを忘れて投稿してしまいましたら、
投稿者が名無しのボーイとなってました。
- ecoだけにエコエコアザラク
し、失礼しました〜
- はて? およびでないのは、あなたのほうだと思ったのですが。
少なくともROMした立場の感想です。
いわば、customer-voiceです。
悦に浸るKYはあなた。
- 黙って大勝利氏と阿部日氏のやりとりを見届けなさいませない。
- はじめまして皆様。
私は宗教のことはあまり詳しく存じません。
変なことを書くかもしれませんが、ご辛抱ください。
皆様に伺いたいことがあります。
「永遠の生命」たどか「過去世」などという言葉は
生命は繰り返されるという意味でしょうか。
簡単に言うと「生まれ変わる」
肉体は朽ち果てても、生命は永遠に終わることがないということでしょうか?
そうであったなら、
「どうして人口はどんどん増え続けているのでしょうか。」
世界の人口は、1分に137人、1日で20万人、1年で7千万人、増えています。
世界中で、1年に6千万人が亡くなり、1億3千万人が産まれます。
現在71.68億人です。
毎年死ぬ人より7千万人も生まれる人が多いのです。
何が人間に生まれ変わっているのでしょうか。
大勝利さん。もうすこし丁寧に返答ねがえませんか?
※文永七年って言ってるんですよ!
相貌とか関係ないでしょ
(大勝利さん 談 2014/3/1)
再度、大勝利さん論を聞き直しますね。
-----------------
問い
文永七年以前に、現在創価学会員さんが「御本尊」としている曼荼羅を
日蓮大聖人が顕されていないからといって
「大聖人は御自分で書かれた御本尊を拝んでいたとは考えられません」(大勝利談)
という 結論になるのですか?
この大勝利さんの主張では終生、日蓮大聖人が曼荼羅には唱題行をおこなって
いないことになってしまいます。
大勝利さんの主張は佐渡流罪後の頃までの、限定的なお話だったのでしょうか。
----------------
ご自分の主張を肯定すべく極力「御書」を引用して、丁寧に反論して
いただけませんか。
- 日蓮「曼荼羅非唱題説」を掲げておられる大勝利さんが
こういった反論をされていました。
※私は「大聖人が御自分で書かれた御本尊を拝んでいたとは考えられません。」
と言ったのですよ
※「新池殿御消息」が文証にならない理由として、私は文永七年十月の大豆御書を
挙げましたね。
「大豆一石かしこまつて拝領し畢んぬ法華経の御宝前に申し上候」文永七年十月
法華経の御宝前とは曼荼羅本尊ではないですよね?なぜなら文永七年にはまだ
曼荼羅御本尊は顕されてないですから
(大勝利さん談 2014年2月28日)
///////////////////////////
大勝利さんは再度「日蓮は書写された曼荼羅には唱題していない」と念を押して
おられます。
その論去は「勧心本尊抄」以前(佐渡流罪以前)に、現在私たちが唱題している
相貌をもった御本尊が顕されていないから・・という理由のようです。
しかしこれは完全にミスリードです。
創価学会員が下付している形の相貌になった御本尊でないから、佐渡流罪以前の
鎌倉期には曼荼羅を本尊とされていなかったかどうかといった「期限的」本尊論を
論点にしているのではないことは明白なのです。
この主張は、日顕宗が「創価学会はかつて法主を尊んでいたではないか」という
強弁と同じです。
外交問題においても、韓国が「河野談話」を用いて、慰安婦問題を事実として
いるようなもので歴史問題は常に「あたらしい発見」があれば、その解釈も変遷
していくものです。
日蓮大聖人とて、「基本理念」はもたれていましたが、それを曼荼羅に顕される
まで試行錯誤をされていたであろうことは、残存している真筆本尊の変遷をみれば
理解出来るでしょう。
ロム男さんも指摘されていましたが、明らかにそれまでとは違う相貌の曼荼羅を顕し
、弟子に「本尊」として下付されているのですから、それ以前がどうだったという
理由で否定をするのは詭弁です。
いわゆる「伝統論証」
http://ronri2.web.fc2.com/kiben02.html
しかし反論している我々もまた、伝統論証に陥ってしまう傾向があるので
要注意です。
(例:今、創価学会が曼荼羅を拝んでいるのだから、日蓮大聖人もそうであった)
宿坊殿やロム男さんも指摘されているように、「これが本尊だから“唱題”しましょう」
といった教導的表現をされている御文はありません。
日蓮大聖人自らが「末法の本仏」と宣言されていないのと同じです。
両論併記状態ですが、共通しているのは「本尊に対して唱題(拝する)」をするという
形は何れの方も否定されていないのですから、じゃぁどんな形が「一尊四士」であり、
具体的にどのようなものが「末法に流布すべき本尊」として拝されていたのかを
言及せねばならないでしょう。
大勝利さんは私の
『ど・の・よ・う・な・形が一尊四士なのか、具体的にご教授願えませんか?』
の問いには答えられていません。
曼荼羅ではない、随身仏ではない・・・といったような謎かけで終始すれば
言葉遊びの範疇を超えられません。
現在の創価学会においては、日寛上人書写の御本尊を下付していますが、それ以前の
日達書写、もっと前の日淳書写のものを本尊とされている方もおられるでしょう。
もちろん日顕書写の御本尊を拝されていた方もおられますが、今はまずお見かけしません。
日寛書写の御本尊を創価学会が下付しはじめたころ、取り替えは「本人の意志」でされた
ものです。
全国の学会員さんに対して一斉に強要した訳ではありません。
どの法主が書写した御曼荼羅を本尊とするか、会員さんの自らが選択したのです。
当時の創価学会が「大聖人様が書写されたもの」を選択していない事からも、御本尊様
は師弟の儀と「信心」とを両立して「受ける」ものだといえるでしょう。
- 全く主義主張の違う沖浦さん、阿部日けーんさん、大勝利さん、
マグマグさん、太ちゃんさん、河内平野さん、ecoさん。
斧さんに、京都の鬼さんに、んっ?さんや その他大勢。
全く意見が合わない。バラバラ。
でも全員に功徳がある。
何故かわかりますか????
わかっているのは斧不一さんだけだろうな。
- 会員の主張に統一性が全くない。
本仏も定まらない。
本尊も定まらない。
遺文の真偽の認定も出来ていない。
富士総本山として本尊を敬っていたのに
破門されたら富士は悪の寺だという。
二代目の会長の思想を現在では完全否定しているのに
二代会長を師と敬う。
他にも山ほどの矛盾がある。
どうして信者が離れないのか不思議でしょうがない。
- >>38408
>>
>>和歌山の田辺市でネット通販業も営んでいる、桐本氏がこんなツブヤキをされていました。
>>
>>※創価学会は昭和になって出来た宗教団体であるのに、大聖人直結の信心をしている
>> という。鎌倉時代からの空白期間がある。これについての説明もない。学会が出来た
>> 当時、富士大石寺の信徒がいて、信心の仕方を教えていただいた。
>> 例えば勤行唱題や折伏、教学を教えてもらっている。
>> それを現在、日蓮正宗でないのに真似ているのが学会なのだ。。
>> 厳しく対応して行きたい。
>>(正宗をまねる創価)
>>
私は創価学会や日蓮正宗の関係者ではありませんが、世間一般の意見は桐本さんと同じだと思います。
破門したほうが悪なのだという理論はお笑いです。
会社を首になった社員が恨みつらみを吐き出しているに等しい行為です。
日蓮直結???
直結を証明できるような書面があるんですか?
鎌倉の時代に、昭和に創価学会が発生すると予言した書面でもあるんですか?
和歌山の田辺市でネット通販業も営んでいる、桐本氏がこんなツブヤキをされていました。
※創価学会は昭和になって出来た宗教団体であるのに、大聖人直結の信心をしている
という。鎌倉時代からの空白期間がある。これについての説明もない。学会が出来た
当時、富士大石寺の信徒がいて、信心の仕方を教えていただいた。
例えば勤行唱題や折伏、教学を教えてもらっている。
それを現在、日蓮正宗でないのに真似ているのが学会なのだ。。
厳しく対応して行きたい。
(正宗をまねる創価)
http://white.ap.teacup.com/kirimoto/1833.html
日顕宗門徒のドロリとした高慢な心を感じざるをえませんね。
かつて日本を含めた帝国主義(列強国とも言います)が、アジアの
各地域を支配(植民地化)する際に、政治的、宗教的、経済的価値観を押しつけ、
「後進地域に文化と近代化をもたらしたのだ」と自画自賛し、支配する側を「恩人」だと
格付けする事で宗主国となる事を第一の目的としました。
大月天管理人にしても桐本氏にしても、その呪詛めいた破折の文言には、創価学会に
たいする“宗主国”日蓮正宗という発想がよくあらわれていると思います。
彼等は、日蓮正宗が創価学会によって、針金宗と揶揄された地方の一門派から、
日本国内のみならず、世界に知れ渡るまでになった「報恩」の広宣流布を貶めんがために
「だれが教えてやったんだ」と帰属意識を問うことしかできません。
一度没落した“宗主国”は近隣からも迷惑がられるだけです。
無謀な戦争を行い負けた日本が、どれだけ朝鮮・中国に対して
「日本が戦争しなくても、ロシアや他の列強が支配者になったんだ」と自己弁護しても
、直接被害を被った人々からみれば、「何様だ?」となることが理解できないのでしょう。
だからこそ、彼等の政治的な発想も折伏も、腹を割った対話ではなく「無批判の従属」を
求めることが第一義となってきます。
逆にいえば、彼等日顕宗の末端門徒はナチスドイツの「アイヒマン」のごとく、
大量殺人を指揮しても「そうするようにいわれたから」という他人まかせの思考原理
でしか、物事を処理できないのです。
これは顕正会の連中にも同じ事がいえるでしょう。
彼等の折伏は、だれかに与えられた「ノルマ」をこなす為にするものであり、苦痛で
しかなくやればやるほど、その身に増上慢の姿を顕してきます。
身内がみれば「有能な闘士」でしょうが、よそから見れば「哀れな下僕」でしかありません。
彼等は小さなプライドを日蓮大聖人の大慈悲をもって偽装することで、哀れさを自分で
慰める術を与えられているだけです。
そんな姿をみて「よかりけり」と思う人間は、ごく一部の右寄りな門徒。
みずから「権威」の奴隷となることを志願した、仏法を知らない無智の俗衆。
そして、門徒を支配し、楽して禄を食むことしか考えていない僭聖の坊主だけです。
そういった人が多くなればなるほど、自国を滅亡に追いやることになる。
歴史から学ぶことは大切だとおもいますね。
- (発行=14.02.27)
顕正会の会員二人を書類送検
暴力や暴言で強引に勧誘する危険な邪教
「入信を断れば罰」と強要の容疑 警視庁
顕正会(本部・さいたま市大宮区)への入信を強引に迫るなどしたとして警視庁
公安部は二十六日、強要と暴力行為処罰法違反容疑で、同会の会員(二十四歳、
横浜市在住)と元会員(二十五歳、川崎市在住)の男二人を書類送検した。
これはテレビニュースや一般紙で報じられ、特に、TBSは「六時間にわたって
執拗に勧誘」「強引に入信申込書を書かせた」と報道(写真)、顕正会の悪辣な
体質が広く知れ渡った。
時事通信、産経新聞などによると、元会員の男は容疑を認めているが、会員の男は
「勧誘はしたが、強要はしていない」と容疑を否認しているということだ。
送検容疑は、昨年三月二十日、東京・秋葉原のカードショップで二十代の男性に声を
掛けたうえ、板橋区内のファミリーレストランで「入会しなければ罰が当たるぞ。
五体満足ではいられなくなることもある」等と約六時間にもわたって脅迫し、執拗に
入信を迫って同会の東京会館に同行。入会の書類を作成させ、お祈りをさせるなど
したとしている。
また、同日深夜の帰り際には、東京メトロ池袋駅で「家族や友達に話したら、顕正会
の関係者が自宅に押しかけるぞ」等と脅して口止めしていたという。
警視庁公安部によると、顕正会員の二人は「カードゲームを一緒にしよう」と
アルバイトの男性に声を掛け、騙して呼び出した。公安部は顕正会のノルマが
あり、二人の会員が強引な勧誘をしたと判断したのだ。
趣味などを口実にして言葉巧みに近づいて入会を迫るなど顕正会の悪質な勧誘事件
が多発している。
警視庁には被害者からトラブルの相談が相次ぎ、昨年一年間に計百六十二件の被害相談
が寄せられたということである。公安部は昨年九月、顕正会本部や東京会館、神奈川
会館など計七ヶ所を家宅捜索していた。書類送検された元会員は捜索後に脱会したという。
根も葉もない妄言で会員を騙し続ける会長の浅井昭衛
(参照画像)
http://userimg.teacup.com/userimg/6239.teacup.com/574744/img/bbs/0000133.jpg
会長の浅井昭衛(写真)は家宅捜索の後、厚顔無恥にも「不当捜索だ」など
と〝不当発言〟を繰り返し、某日蓮系教団の陰謀という根も葉もない妄言を吐
いたうえ顕正新聞の「不当捜索特集号」まで出して無知な会員を騙すため躍起
になっている。愚かな会員が脅迫、監禁、強要、暴行など手段を選ばず、勧誘
に狂奔する元凶は浅井昭衛なのである。
- ※他人の本尊観をあげつらう阿部日け〜んさんへ
「妙法蓮華経」の一尊に四士が書き表されています。
書き表されてるというなら、
先に貴方が、観心本尊抄の執筆以前で四士が書かれた本尊を提示すれば
いいのではないでしょうか
(大勝利さん 談 2014/2/28)
また論点をずらされていますね。
勧心本尊抄以前の「曼荼羅」の存在を云々しているのではありません。
どこの本尊に唱題をされたとか、いつの書写本尊になどといった話題は
大勝利さんの
「曼荼羅本尊非唱題説」の条件には入っていません。
というか、大勝利さんも他人の本尊観や日蓮仏法観をあげつらっていたのでは
ないのですか?
御本尊様の相貌の変遷に興味があるのでしたら下記サイトをおすすめします。
http://homepage3.nifty.com/juhoukai/mandara/mandaraitiran.html
佐渡以前は南無妙法蓮華経に釈迦・多宝、そして梵字のシンプルな相貌ですね。
一尊四士の基本型になるのは「阿仏房」に与えられたもののようです。
佐渡から赦免されて(文永11年)以後、弟子や門徒に与えられたものが
多くなる事からも、日蓮大聖人が唱題の対象となる「本尊」を顕されていたこと
が証明されているようなものでしょう。
逆にお聞きしますが、大勝利さんは「一体仏」そのものを拝むことはされていない
と主張はされていましたが、「釈迦立像(仏像)に四士」の形であれば
久遠実成の釈尊・・つまりインドの釈迦を教化された「無始の古仏」になるという
お考えですか?
曼荼羅では「本尊」の用をなさず、立像で一尊四士のほうが「本尊」だとおっしゃる
なら、実際に配置するとこういう形になります。
(参考リンク 仏像彫刻お店のサイト)
http://www.butuzo.jp/category/%E6%97%A5%E8%93%AE%E5%AE%97%E6%A7%98-%E6%B3%95%E8%8F%AF%E5%AE%97%E6%A7%98/%E4%B8%80%E5%B0%8A%E5%9B%9B%E5%A3%AB
もし「これは違う」とおっしゃるのでしたら、
ど・の・よ・う・な・形が一尊四士なのか、具体的にご教授願えませんか?
- 1.「住職解任」「日顕の体調不良」「建物が損傷」…止まらぬ凶事
山形・天童市の能成寺住職・鈴木雄遍が解任され、還俗することになった。
理由は不明だが、50歳で独り身の鈴木には、かねてより「女性問題」が囁かれ
ていた。
また、シンガポールの開妙院主管・野村信導もその任を解かれ、帰国して末寺の
在勤者になるという。野村はまだ43歳と若い。しかも赴任から3年足らずで解任
され、後釜には実弟の正通が充てられるとあって、宗内には「不祥事のもみ消しの
ために弟が送られるのではないか」との声も出ている。
明年に「日興上人御生誕770年」の慶事を控える日顕宗だが、おめでたくない
話題が続いている。昨年暮れ以降、折伏・登山のノルマ地獄に嫌気がさした坊主
たちが次々と隠居(札幌・高橋廣旭、宮城・下堀義行、熊本・佐久間法敬)。
一方、存在感を示そうと正月から連日、本山での唱題行等に顔を出していた日顕は、
今月中旬以降、急に姿を見せなくなった。「張り切り過ぎがたたって、体調を崩した」
という。さらには、過日の大雪で、奉安堂の屋根瓦や改修したばかりの御影堂の
装飾が損傷してしまった。供養をしぼり取られた信者たちは「雪ごときで壊れる
モノを作るな」と、担当した建設会社への恨み節を口にしている。
法主の日如は先日、最近の世情について「人心は極度に悪化し、騒然として喧噪
を極めるばかりであります」(1月29日、唱題行)と言っていたが、それはまさに
日顕宗の現状そのものである。