「凝り固まった既得権益の垣根を突き破る」。中国の李克強(リーコーチアン)首相が、そう意気込んだ。

 北京で開かれている全国人民代表大会の主題は「改革」だ。 市場と政府の関係を見直し、市場の役割を強めるという。

 だが、中国指導部が迫られている改革は、経済運営や行政の仕組みだけで済むのか。一党支配の権威主義体制そのものを変革する覚悟を持たない限り、いずれ矛盾の拡大は抑えきれなくなるのではないか。

 李首相は「背水の陣で一戦を交える気概」を強調した。改革の方向性は正しいにせよ、中身は遅ればせながらの民間活力の再導入にすぎない。

 わかりやすい例が銀行業だ。「民間資本による銀行の設立を着実に進める」と語った。

 確かにこれまで民間銀行の新設は認められていなかった。効率的な金融市場が育たず、規制の外でシャドーバンキング(影の銀行)が肥大化した。

 民間銀行設立案は10年前からあった。前政権が何もできなかったのは、国有銀行を中心とする既得権益層の抵抗が大きかったからだ。

 一党支配体制は意思決定と実行力で自由民主主義体制より優れているという説がある。だが現実には、共産党政権も、大きくかじを切る難しさは変わらない。党を分裂させるわけにいかない力学が強く働くからだ。

 習近平(シーチンピン)政権下では、前政権まで首相に任せていた経済改革の責任を習氏自身が背負い、指導チームのトップに就いた。

 その手法は強権的だ。公務員のぜいたくな宴会を禁じ、「反腐敗闘争」で多くの党・政府幹部を追い落としている。

 各政府部門の予算公開も進めるという。行政の透明化は一歩前進だが、それは納税者の見地よりも、むしろ、上から役人を監視するためだ。

 根底にある発想は、あくまで一党支配を延命させるねらいだ。メディアの統制と政治活動家への弾圧を厳しくしているのはその証左だろう。

 市場経済化とともに思想の幅も広がっている国民が、そんな党優先の政治にいつまで黙っているだろうか。

 昨年、市民の権利を主張する「新公民運動」の主導者の一人として弾圧された王功権氏は、投資家として名をはせていた。国民の願いはもはや小手先の制度変更ではなく、政治改革だ。

 李首相は「我々は人民の政府だ」とも語った。ならば、国民の自由な発言と政治参加を本気で考えたらどうか。それこそ、改革の名にふさわしい。