第十九号 秘薬と理性
寒さが残る冬の終わり。
総統を自称する者が没した評議会。
女王は評議会と妥協するため、国内予備軍に訓練として、荘園での農作業を義務付けることとした。
それでは、かくまっている意味がないではないか、という疑問があるかもしれない。
心配はない。彼らは、短時間の作業で酷使されることもない予定である。
貴族にとっては無料の労働力が手に入るわけで妥協したのであった。
ロンメルは作業時間を決めるのではなく、作業の完了具合で訓練を終了するという手法を提案した。
作業効率の改善をもくろんだのだ。
ただし、対象農地は首都付近のものに限られた。
ちなみに国内予備軍の分類は、王宮の下級使用人とされた。
正式には官吏ではなく、宮廷費で賄われることになった。
ボック評議長が評議の本題に入った。
「空席となった総統のあとを誰に任命するか、それが問題だな」
現在の勢力は以下となっている。
中央
王党派一名。
騎士道派一名。
一名空席。
地方。
共和派三名。
王党派一名。
「その心配はありません。小隊長、例の者を」
「はっ、呼んでまいります」
ロンメルが消える。
赤の評議員が思い出したように発言する。
「いつから評議会に平民を入れるようになったのか?」
「彼は私の護衛です。片時も離れるわけにはいきません。不可抗力というものでしょう」
「単なる護衛であればよろしいが」
「どういう意味ですか? 公爵?」
「言葉のとおりだ」
扉が開く。
「連れてまいりました……」
「その者は――」
「リュティ子爵ですわ。彼を九十九人目の評議員にすることを決議されたい」
ボック公爵が立ち上がる。
「票を!」
「しかし、子爵ごときを評議員にするなどと」
「同じ赤の貴族団ではないか。騎士道派には内紛と見える」
「ボック公爵、リュティ子爵は共和派でも左派、右派の対極に位置する者」
「女王陛下、そうでありましたか。吾輩には貴族どもの小難しい勢力争いは理解できませぬ」
「一番共和派らしいではありませんか」
女王が平然と共和派という言葉を使い、赤の貴族団はどぎまぎ。
「右派を締め出すおつもりか?」
「そのような考えはありませんわよ。総統を自称する者が自害したのは悲劇でしたわね。悲劇が続くことは望ん
ではいないけれど、続かないという保証はなくってよ?」
「それは我々を脅しておられるのかっ?」声を荒らげた。
「言葉のとおりよ」
してやったりである。
しばらく、話し合っていた共和派であったが、
「我々に異論はない」
全員が緑の票を投げた。
これにて、王国最高議会議長リュティは評議員にもなった。
ボックが告げる。
「新しき評議者を歓迎する」
「評議会が赤に染まらんといいがな」
廊下を走る音。
王室で走る者があるか、とアルウィンがしかりつけるために扉を開けようとしたが――
彼の者は自分で開けたらしい。ユーティライネンであった。
「――女王陛下。西の帝国が北に攻め入りました」
「なんですって?」
王女はアルウィンを見たが、彼のはかりごとではない。
「寝耳に水とはこのことじゃな。詳しく話せ」
伝令が不機嫌な顔をした。
ユーティライネンは平民の血が多く流れている。
貴族を嫌っているのだ。
「一週間前より、西の帝国が共和国に侵攻を開始。猛烈な勢いで北の帝国の領土に浸食しているらしい」
「西は我が国に、旧領奪還共同作戦を提案していただろう。その回答を受ける前にか?」
「軽く見られたもんじゃな」ボックが答えた。
「小隊長、王国軍の再建は?」王女が尋ねた。
「王国軍の大部分は、その途上であります」
「かつての敵ではあるが、西の帝国と同盟を結び、北に奪われた領土を奪還すべきだ」
評議員のひとりが発言した。
「西の帝国が連戦連勝を重ねれば、国民も女王に参戦を望むだろう」
「国防のためにも、旧領を取り返すことは重要ではありますが、兵力が足りません」
アルウィンが具申したが――
「平民は黙っておれっ!」一喝される。
「確かにススカ地方を含む旧領は重要ですわね」
王女にとっては特別な思い入れがあるようであった。
会議が参戦へと傾きつつあったそのとき、ひとりの声が評議場に響いた。
「みなさん、参戦はできないでしょう」
リィティであった。
「子爵ごときがなにを言うか」
「彼我の戦力比を鑑みるに。そこにいる小隊長の言うように兵力差が圧倒的だ」
「ワカシーカは神が作りし御国。負けるわけがない!」
「次なる戦争は先の戦争の継続である」
「そうだ、継続戦争だ」
リュティは澄ましたもので、
「評議会は全会一致のはず。私は賛成する気はない。つまり参戦もしないということになると思うが」
「いかにも」ボックが同意を示した。
「王国最高議会ではリュティ子爵がまとめるでしょう。今回の評議はここまで」
お開きとなった。
王女がさっそうと退室する。
同じ共和派でも右派と左派の対立は、共和派と王党派のそれをこえるのかもしれない。
アルウィンはそんなことを考えながら、あとについて行く。
今日は王女に認めてもらいことがあった。
先の戦争の直前まで北方方面軍司令官で、北の帝国の書記長にも恐れられていた前軍司令官の現役復帰の許可
だ。
はじめは更迭されたに過ぎなかったのだが、前軍司令官はその先でも問題を起こし退役していた。
平民出身であるために、貴族が集まる王宮の様な場所を嫌っていたが、王女の後ろである。
虎の威を借る狐とはこのことかもしれない。
執務室に入るとさっそく交渉に入る。
部屋にはユーティライネンがいた。
彼はいつから王女の護衛を解任されたのだろうか。
アルウィンは単刀直入に、
「女王陛下。お願いがあります」と言った。
「なんですか、急に?」
「北の帝国への侵攻の件でも……」
「先ほどの話は旧領奪還に関するものでしたでしょう。ところで、紅茶でもいかが?」
アルウィンは、王女を尊敬していないわけではない。
しかし、この楽観的で頑固なところに困っていた。
「例の前軍司令官を現役復帰していただきたいのですが、許可していただけますか? 北方方面の名誉参謀をし
ていただきたいのです」
「王党派、騎士道派、共和派のいずれにも属さない貴族でしたね」
女王の代わりにユーティライネンが書類を読む。
「ガルト・フォン・ルントシュテット。保守的で典型的な貴族。平民登用などの柔軟な考えを持っていた。総統
を自称する者には反抗的で、北方方面軍司令官を更迭されてからも、各司令部を転々とし軍司令官で退役した。
優秀だが、反抗的」
「そうであります。よろしいでしょうか? 女王陛下の命ならば、総司令部も許可すると思います」
「いいでしょう。出しましょう」
「感謝します、女王陛下。次に王国軍再建計画ですが、かなり厳しいかと」
「なぜです?」
「我が軍は完膚なきまでに崩壊しました。資金がなければ、維持すら難しいのであります」
「国内予備軍どころではありませんか。諸外国が大陸十字軍を北の共和国に送りたがっているらしいのだけれど
、どうかしら? 国内の通過を認めるべきかしら?」
「認めれば、西の帝国の反感を買います」
「では、失礼します」
王女の部屋にいるのさえ時間に惜しいとでもいうかのように急いで部屋を出ようとするが、
「中隊長昇進おめでとう。北部新国境を死守しなさい」王女は言った。
ふりかえる。
「ありがたき幸せにございます。すべては陛下の計らいのため。国境を一歩も抜かせないように心がけます」
「それでこそ忠臣ね。もういいわ、時間を取ったわね」
「失礼します」
ロンメルは退室した。
「……私は彼を直感的に信用していますが、あなたはどう思うかしら?」
ユーティライネンは答える。
「軍事的にも、人間的にも信用に足るかと」
「そっけないのね。やきもちかしら?」
「私は公私混同するように愚かな貴族ではない。常に女王陛下の忠臣であり続ける」
「ありがとう。でも、それって、やきもちしているってことよね?」
ユーティライネンはわざとらしく窓の外を眺めたままであった。
一方のアルウィンは廊下を歩いていた。
新国境を維持するのは難しい。
兵站がなってない我が軍で激しい移動は無理だ。
おまけに、将兵は帝国の軍旗を見ただけで浮き足立ってしまう。
しかし。
攻勢に出ないと信じきっている帝国軍になら、刺客を送ることができるかもしれない。
優秀な指揮官を皆殺しに――
「無理か」
アルウィンの言葉がみなしく廊下に響いた。
北の書記長は将校の大粛清を何度も実施しており、帝国軍の作戦・防衛計画は杜撰であり、国境には防衛線を
構築していなかった。
西の侵攻後、有能な司令官・指揮官は西方へ回されたため、アルウィンに匹敵する戦略家は存在しないと思わ
れた。
新国境死守計画のために再会したアルウィンとルントシュテットは総司令部、名誉参謀の部屋へと向かった。
空席ができれば、軍司令官に復帰できることになったルントシュテットはうれしそうである。
彼は良い意味でも悪い意味でも、感情を豊かに表現する。
「久しぶりだな、ロンメル大隊長」
「中隊長であります」
「すぐに連隊長になるのであろう。貴様が、部隊を率いることになるとはな!」
ルントシュテットは机をたたいた。
「文民という印象を受けていたが」
「確かに私は、文民であります」
「そうだろうな」
ルントシュテットは水をふたつのグラスに入れるとアルウィンにすすめた。
ありがたく受け取った。
「……本題だが、一個連隊で広大な国境線を防衛するとは、狂気の沙汰だと思わんか。平民混じりの役立たずだ
」
彼は平民の前でも平気で言う。
アルウィンは、遠慮をせず自分の道を貫くルントシュテットを尊敬していた。
確かに不愉快ではあるが、ルントシュテットは平民と貴族を無駄に意識していない。
していたとしても、それが無意味であることに気づいている。
アルウィンは彼を信頼していた。
「今日立つのでありますか?」アルウィンは尋ねた。
「もちろんだ。馬で半日の距離だ、女王陛下は貴様の護衛の任務を解かれたか?」
「はい、すべてはユーティライネンに託されました」
「ふん、なんだその言い方は。まぁ、いい。行くぞ」
「はっ」
ふたりは散歩に出かけるとでもいう感じに馬小屋へと向かい、馬を二頭引っ張ってきた。
「行くか」
「はっ」
あうんの呼吸であった。
そのまま北へと旅立った。
そんなロンメルとルントシュテットを、やぐらの上から見送る者があった。
王女とユーティライネンである。
「行かせてよかったのか?」
「止める理由がありません」
「話はしているのか?」
「……真実を言うには勇気がいるというものです」
「――軍人としてではない。ひとりの男として見ているのだろう? ロンメルを」
王女はほおが熱くなるのを感じた。
「そのようなことはありません」
「相変わらず嘘をつくのが下手だな、王には向かん」
「それでもあなたが拾ったのでしょう」
「俺のせいにするのかっ? それはまいったな」
「どちらにしろ、いまは王なのですよ」
「あまり口うるさくは言いたくないのだ」
「そうしてください」
「しかしだな。エレオノーラはこの危機を感じ取っているのか? 女でも引き連れてきたらどうする」
「そんな虫をつけて帰るとは思いません」
「散々のアプローチも無駄に終わったのだろう?」
「そもそも、その年になって結婚すらできていない人には言われたくありません」
「……エレオノーラ、俺はな。これでも昔はもてたんだよ。選ぶのに迷い続けていまに至る」
「――まぁ! 王の前で平然と嘘をつく騎士がいます! だれか捕縛してください」
「とにかく。ロンメルが帰ってきたら、ちゃんと口説き落とせ。今回はこの秘薬を用意した」
王女に青いびんが差し出された
「それはいったい?」
「我が国の王たちはむやみやたらに子を産まなかった。それにもかかわらず長い間血脈が途絶えなかったのはただただ、これがあったからに違いない」
「それでいったい、どういった代物なのですか」
「理性を取り払ってしまう秘薬だ。これさえあれば、ロンメルもイチコロに違いない」
「そそそ、そんなもの受け取られませんわ!」
すっと手を出した。
「それでは、なぜ手を差し出しているのだ。王に虚言はないはず」
「王女です!」
「たしかにノーラには女性的魅力が乏しい。しかし、魅力がないわけではない。もっと、肉体美を前面に打ち出して、ロンメルの煩悩を引き出すのだ。そして、既成事実でも作ってしまえば、ノーラの望みは――」
「ひどいです! ひどいです! 卑猥なことを言う方がいます!」
王女はユーティライネンをポカスカと叩く。
これはかなわんと、彼はやぐらを下りて行った。
王女の手には秘薬が握られている。
「アルウィンは私を裏切りませんわよね……?」
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