第十八号 護衛の意味
内政改革の一歩を踏み出し、ユーティライネンとロンメルは近衛中隊の訓練に励む。
白戦争――先の北の帝国による戦争をワカシーカでは、そう呼称している――で創設した近衛大隊は、解隊さ
れ、ロンメル以外は勲章を授与のうえ、北方方面軍に戻っていた。
現在ロンメル副官を務める、新設の近衛中隊は女王への忠誠心が高い者の集まりであるとされている。
アルウィンは、部隊をさらに拡大させたいと考えていた。
訓練を終えたアルウィンは、女王の執務室へ向かう。
女王のお気に入りなのですぐに通される。
「女王陛下。ご機嫌はいかがでありますか?」
「上々ですよ」
「近衛を中隊規模から大隊規模にしたく参上したのであります。加えて、新たな部隊の創設を計画しています」
「構いませんよ。お好きになさい。ところで、新たな部隊とは?」
「は。国内の治安維持、災害救助、奉仕、新兵訓練等を担当する『国内予備軍』を創設したいのであります。も
ちろん、すぐにとはいきませんが」
「なにが目的なのかしら?」
「俸給を払わない代わりに、装備や寝泊りする場所をすべて王宮が提供します。つまり、純粋に王国に尽くした
いという者を引き込もうというわけです」
「そんなひどい仕打ちをして、果たしてどうして人が来るかしら?」
「必ず来ます。食べる物がないために、苦しんでいる者が大勢いるのです。彼らの保護をする代わりに国に尽く
してもらいます。国内予備軍にて下準備をして、希望する者を王国軍に編入します。また、王国軍に入隊希望の
者も、初めに国内予備軍に入ることを義務付けていただきたいと考えています」
「あなたという人は、血も涙もない人間ではないでしょうね。まぁ、議会は通ると思いますけれど」
「ありがとうございます。早速、計画を詰め、再来年以降に募集いたします」
国を救った女王の人気は、上がりつつある。
ようやく存在感が出てきたものである。
王が脱走農奴をかくまう時代が来るのだ。
ロンメルは知っている。
彼らが忠誠を誓うのは女王ではなく、毎日三度の飯を作る厨房員になることを。
国内予備軍兵士に俸給を払うことはない。。
そんな部隊の募集に集まるのが、どんな者であるかは、想像に難くない。
女王でさえも気づいているかもしれない。
低費用で大量の兵士を用意するための国内予備軍は、徴兵制度の前身とまでは言えないが、下準備になりえる
のではなかろうか。
国内予備軍兵士は、資金不足で放置された農地で作物を作ったり、荒地を開墾したりする予定だ。
軍事訓練は行わないだろう。
災害が発生すれば、救援のため出動したり貧困にあえぐ国民に食事を配る。
小隊長以上になると俸給を与えられるので、一部の兵士は国内軍に住み着くかもしれない。
本来は訓練部隊として創設する国内予備軍は、慈善団体のような体質を持っていた。
というのは、脱走農奴が部隊の過半数を占めるであろうからだ。
そのことを知った王国最高議会は、国内予備軍責任官のアルウィンを議会に召還した。
議長リュティとの再会であった。
彼は共和派の新リーダー。
「ロンメル君。君が脱走農奴を国内予備軍にかくまおうとしているとの情報があるのだが、弁明するかね?」
「国内予備軍の部隊は女王陛下の直接の指揮下にあり、その責任者は私であります」
「では、質問をしよう。君は脱走農奴をかくまうつもりかね?」
「いいえ、そして、はい。結果的に脱走農奴を保護していたとしても、女王陛下の部隊に王国最高議会議員であ
ても、口出しをすることは認められておりません」
議員の野次が飛ぶ。議長が続けた。
「脱走農奴であることを知りながら、彼らをかくまう。貴族の荘園活動に反対するということかね?」
「いいえ。しかしながら、農奴制度を維持することには反対であります。あくまで一軍人としての意見でありま
す」
「平民の君が貴族に口を出すのかね?」
「軍人としての意見を言ったまでであります。農奴制度は軍を強化するのを邪魔する『足かせ』となりましょう
」
ロンメルへの野次が続く。
議長は休憩を入れるべきかためらったようだ。上げようとした腕を下げた。
「議長、国内予備軍の仕事のひとつに、無償で農作業を行なうという項があります。貴族の荘園も含まれます。
女王陛下はここ最近の不作を憂慮なさっておいでで、貴族が国に納める租税を一割減らすことも検討なさってお
られます」
「貴族議会と交渉するということか! 脱走農奴の件を不問にすれば、一定の無料労働力を提供すると。女王陛
下は貴族を馬鹿にしておられるのか?」
「いいえ。提案であります。荘園制は、もはや限界に達しています。農奴が反乱を起こせば、それこそ荘園制の
崩壊を招きます。良い決断を下すことを祈ります。では、私は自分の職務をまっとうすべく失礼します」
アルウィンは退場した。
彼は深く考えを巡らせながら、王女の命により寝起きすることとなった、カスミのはずれへと向かった。
共和派貴族たちは、今後の対策をどうするべきかという深刻な問題に直面した。
王女の穏便な改革の中で唯一の大改革だ。
王宮への納入分の一割免除と国内予備軍の維持費は、王宮に大きな負担を強いる。
この改革が吉と出るか、凶と出るか。
王女は一体どうするつもりなのか。
一寸先も闇とはこのことじゃないかな。
「ただぁあん!」
「何者っ?」
アルウィンは後ろから来た不意の襲撃者に向けて声を張り上げる。
振り返った先に見えたのは――
王女であった。
いつの間にか、カスミのはずれの前にまで来ていたのであった。
「王女、どうしたのですか」
「どうしたとはなんですか! どうしたとは!」
「いかがなされましたか、陛下?」
「違いますぅ!」
王女はむくれている。
どうしたのだろう、幼げな口調をしている。
「まったく、私に大声を浴びせるなどと、ひどすぎはしませんか?」
「失礼しました」
「べつに怒ってなどいません」
それなら、なぜ指摘したのでありましょうか、陛下。
「それより、召喚されたらしいけれど」
「はい」
「はいじゃないでしょう。どうだったのですか? 乗り切りましたか?」
「乗り切りました」
王女はアルウィンの前をうろうろ。
「ったく、気の利かない平民ね」
平民だと?
それのなにが悪いんだ。
王女はそのような考えを率先して改めていく人物だと思っていたのに。
あからさまに不快を示したアルウィンに気づいたのか。
「乗り切ったのならいいのですよ。大変よろしい。大隊副官になっても期待していますよ」
「……ありがたき幸せ、です」
「ふふふ」王女はうれしそうだ。そして。
「外は寒いですし、中に入りましょうか。さぁ、どうぞ」
「王女、普通招きの言葉は私の――」
「ちいさなことを気にしないのが優秀な部下の特徴でしたね」
「はっ!」
王女はカスミのはずれにさっそうと入り込んだ。
「あら、暖かい。だれが暖炉に火を入れたのでしょうか? 私でしたわね」
「王女、お気を確かに?」
「うふふふ……」
常軌を逸しているとしか考えられない。
突然の震え声だった。
「――私は初めて人を殺しました」
「……総統を自称する者ですか?」
王女は右手を挙げた。
名前さえ聞くのも忌々しいのだろう。
「彼がどんな者であったかが問題ではないのです。私はあるひとりの人間を殺したのです」
王女が自分に意見を求めるまで、アルウィンはだんまりを決め込んだ。
「己を敵視するの者であっても、王が臣下を殺すわけにはいきません。まして、死に値する罪でもないのに射殺
すなど、前例がありません」
王女は一息ついた。
少し考えがまとまったのか、
「あなたはどう思いますか」と尋ねた。
「私は、王女の行いが最善のそれだったと思います。我々は命を刈り取って生きているのです。それが動物か人
であったか。そう考えることはできませんか?」
「というと?」
「畑に悪さする動物は殺してしまわねばなりません。そうしないと収穫物が取れずに我々が死んでしまうのです
から」
「そうとも言えるわね。それでもその命が人であったら?」
「王女の考え方次第であります。そして、彼の者を射殺した件ですが。正当な判断に基づいた行動であったと確
信しております」
「そうかしら? 私がもっとしっかりしていれば……」
「包囲された邸宅。投降した側近。彼らの後についてくるほど総統を自称する者に誇りがないわけではないでし
ょう。間違いなく投降しなかったと思います」
「そうね」
「そして、投降しないとすれば、自害でしょう」
「なぜ自害しなかったのかしら?」
「彼が実は王党派であったからではありませんか? 王女は彼からの文によってそれを悟った」
王女のほおに一筋の流れができた。
「彼は自分の死をより効果的に、王国のために、より意味あるものとして扱って欲しかったのでしょう。もしく
は……」
「もしくはの方でしょうね。我が国は惜しい人を失いましたわ。いままでの愚行はすべて演技だったのです。そ
んなことが信じられますか?」
「信じられませんとも。人は死して初めて、成果を残すこともあるのです。神が、もしそんなものが存在すると
したならば、それでも、王女が責められようはずもございません」
「だまされているような気持ちもします」
「ときにはだまされたふりをするのもいいものです」
「――そうかもしれないわね」
王女はそういうとアルウィンの正面にまで来て、アルウィンの両肩に自分の両手を置いた。
「王女?」
「そのまま……」
アルウィンは王女に導かれ、いすに座った。
王女はというと、アルウィンのひざにしがみつくようにしている。
「王女?」
「いますこし、私が王ではないとだまされてはくれませんか? こころにきずを負った王女を癒してはくれませ
んか、騎士殿?」
いすに座るアルウィンとそのひざに顔をのせる王女。
そんなふたりを冬のよわよわしい月明かりが幻想的に照らす。
王女がアルウィンの服を濡らしたが、そんなことは気にならなかった。
自分を頼る女の子がいる。そう意識したとき、アルウィンは彼女を守らなければと思ったのだ。
自分にだけは明かしてくれた苦悩。
それに報いることは義務でさえあると。
月明かりがふたりではなく、ベッドを照らすようになったとき、王女が不意に起き上った。
しかし、両手でかくしてアルウィンには顔を見せない。
「王女?」
「顔を、見ないで、ください」
「話しにくいのであれば、反対を向いてはどうですか?」
「そ、そうね」
王女はアルウィンから一歩遠ざかると華麗に反転した。
貴族らしい、しなやかな動き。
ふわりと浮き上がった御服のスカート。
それらがゆっくりと、王女の華奢な足をのぞかしながら見えた。
アルウィンには貴族の服の種類などわからない。
平民の女の子でさえ危ういのだ。
「なにか言わないのですか?」王女がすねたように言った。
「きれいです」
「ななな、なにを言っているのですか、このようなときに!」
「あまりにも幻想的でつい……」
「そうですか。それではそれでは。罰として、しばらく目をつぶっていなさい」
「え?」
「つぶっていなさい! 目を開けたら斬首に処します!」
「ははは、はっ!」
死に値する罪らしい。
ごそごそと、布擦れする音がした。
王女はいったいなにをしてるんだ。
アルウィンはとても不安になったが目を開けるわけにはいかない。
なにしろ王命なのである。
といっても、だまされてくれと言ってなかったか?
それなら王命でもないのか。
「王女、目を開けてもよろしいですか?」
「まっ、まだ待ちなさい!」
「は」
「ふたりきりのときは、その口調をやめなさい。鳥肌が立ちます」
鳥肌って、鳥肌って、僕はそんなふうに思われているのか。
そうかそうか、そうだよね。
ワカシーカでは外国人扱いで、平民扱いで、北の帝国には幽霊扱いされてたもんな。
そうだよね、そうだよね――
アルウィンは急速に地の底に埋もれてしまった。
「目をひらいていいですよ」
「へ?」
アルウィンはつり上げられた。
目をひらいた先には――
「王女……?」
「私以外にだれがいるというのですか」
「あんまりに印象が変わっていたので」
「――どのように?」
「え?」
「どのように変わっているのですか?」
「えっと、なんというか。いつもは王たり、で遠い存在に感じられますが、今日の王女は親近感を感じます!」
「ふむ。そのほかには?」
「えっと、えっと、僕と年齢が近いのですか?」
「まぁ! 王の年齢を知らない者がいるとは! さらには女性に年齢を尋ねる者があろうとはっ!」
「も、申し訳ありません」
「いいのよ、『私も』年齢を偽っていますしね」
「偽っている?」
「――っと、口を滑らしてしまいましたわ。秘密は一度にすべてを知ってしまうと毒になるのですよ?」
「そうかもしれません」
「それでは寝るとしましょうか」
「そうですね、僕も眠たくなってきました。マンネルヘイムさんへの定期報告は明日にしよう……、え?」
「どうかしたのですか?」
「王女、どこでお眠りになるつもりで?」
「ここよ。護衛をいつも私の部屋の前で寒風のもとにさらすのはどうかしら。王として問題があるのではないか
しら?」
「……」
「まあ、ベッドがひとつしかない。どうしましょう!」
「私が床に寝ますので、陛下は」
「――だめですよっ! 忠実なる下僕を床に寝かせるわけにはっ!」
「……しかし」
「うふふ、アルウィンを信用していますからね」
いま初めて、名で呼んだのかしら?
「さて、明かりを落としますよ」
王女はろうそくに息を吹きかけた。
部屋が月明かりに包まれる。
「王女?」
「明日は早いのでは?」
そう言いながら、王女はベッドにもぐりこむ。
「うふふ……」
「粛清の残務と王国軍の編成は遅々として進みません」
「私はもう眠たいのです。そんな話はやめましょう」
「はい」
ロンメルがベッドにすべり込んできたが――
「寒くはありませんか?」
「はい」
「はい、じゃぁないでしょう。毛布を掛けないで寝るのですか、あなたは!」
「一枚しかありません」
「では、分け合いましょう」
王女が半分譲る。
ロンメルは応じない。
「風邪をひきますよ、わがままはやめましょうね?」
王女はロンメルに毛布を掛けた。
アルはそっぽを向いているから、なにを考えているのかわからない。
こっちみなさいよ。
それと、月よ。
ふたりをもっと照らしなさい。
「あたたかいです」
「よかったわね」
ふたりの会話は続かない。
月明かりがふたりではなく、壁を照らすようになったころ。
「中隊長? ……まだ、小隊長でしたか」
ロンメルは答えない。
「小隊長さん?」
ロンメルは応えない。
「もぅ~~、私とふたりきりだというのにひどい仕打ちじゃありませんこと?」
王女は毛布にもぐり込んで、ロンメルにさらなる接近を試みた。
ぽこっと顔を出した。
「あららら、あどけない顔だこと。かわいらしい寝息を!」
王女はロンメルのほおをつつく。
つねる。
ひっぱる。
「ぐぃ~~!」
両手でひっぱった。
そのとき、ロンメルの瞳がパチッと開いた。
「……王女、いったいなにをしているのですか?」
「――こここ、これはですね」
「これは?」
「訓練です」
「訓練?」
「敵が襲ってきたときに素早く反応できるか試していたのですよ。あなたは落第です」
「落第ではないでしょう。私は一睡もしていないのですから」
王女は一瞬の――
「寝ていない?」
「それが護衛の務めですから」
「そそそ、もう朝ですわね。私準備をしませんと!」
「まだ夜が明けていないというのにですか?」
「……」
「朝までいればいいでしょう」
「!」
「どうしますか? 王女?」
「仕方ありませんわね、それでは、ご一緒しましょう」
「王女。これは、ちょっと……」
「ロンメルさんが認めたのですよ! 護衛の務めでしょう? うふふふ……」
王女はロンメルの背にすがりついている。
静かなふたりの時は夜が明けるまで、なにごともなくゆったりと続いた。
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