第十六号 新生王国軍と王女の乱心
王女の執務室で、近衛中隊副官が頭を抱えていた。
彼の目の前には女王がいた。
「女王陛下、本当にススカ連隊の者をバラバラに編入するのでありますか?」
女王はイラッとした表情である。
「あぁ、ワカシーカの王は臣下にさえ約束を破られ続けるのです!」
大げさなしぐさ。
「……さすがにそれは問題になるのであります。私に受け入れることは」
「――それでは、こうしましょう。今度約束を破ったら、ふたりきりでないときでも呼ばせます」
「へい……、いえ。王女!」
「なんですか?」
ほおを少し朱に染めた彼女はうれしそうに答えた。
彼女はアルウィンとふたりきりの時に限って、王女と呼ばせている。
理由は秘密なのだそうだ。
「私こそ申し上げます。『王女』になにかございましたか?」
「ええ、王は多忙の身」
「……説明を始めても?」
「よろしくてよ」
「はっ……、王国軍の人員でありますが、これが五千。予定では八千まで増員できる模様であります」
「よろしい。三千人の増員ね、これで北部は安心ですわね?」
「そうなるとよいのでありますが。ただの寄せ集めに過ぎなかった王国軍を、各兵科ごとにまとめて編成したことが特徴であります。基本的に混成連隊が大陸的にも主流でありますが、より柔軟な指揮を執るためには必要不可欠であります」
「理解しているつもりよ」
「は。新編後は、第一連隊が騎兵。第二連隊が弓兵。第三連隊が槍兵。第四連隊が剣兵となります。剣兵科以外の部隊は、それ単独で千五百人も用意できないので、不足分は剣兵をつけております」
「やむをえません」
「輜重部隊には没落王党派貴族を指揮官につけました。彼らになけなしのほうびであります」
「それは大隊ですか?」
「中隊であります」
「……」
「――これまでの、各部隊にひとりの平民よりは、大幅に増強されたのであります」
アルウィンは必死の弁解を始める。
「その点に関してはまったく問題ありません。よいでしょう。新設第五連隊の方が知りたいわ」
「この連隊は王女のご命令通り、ススカ第三連隊の生き残りを指揮官にする平民主力部隊です。指揮官に至ってもすべて平民であります。連隊長は事情がありますが」
「そうでしたわね」
「信頼できるものを大切になさりたいのは、平々凡々の私であっても恐れ多いことではありますが、考えを巡らせることはできるのであります。しかし、集中して第五連隊に配備するというのは一体全体どのようなわけでございましょうか?」
「時が来れば自然とわかるようになるでしょう」
「首都に配置されることも理由があるのでしょうか?」
アルウィンはいら立ちを隠せなかった。
「――しかたないわね。こういったらわかるかしら。共和派貴族は総統に失望しています」
「いま、なんと?」
「帝国の後ろ盾がある共和派も一枚岩ではありません」
「そういうことでしたら、王女の考えも納得できます」
続けた。
「強さよりも信頼できるもの……、ですか」
「そのとおりよ。さて、総統の邸宅を包囲できても、取り巻きを解散させることはできるかしら?」
「共和派貴族が干渉や反乱を起こしたらどうするつもりでありますか」
「彼が適任でしょう。入りなさい」
王宮警備隊長、ユーティライネンがやって来た。
「――確かに総統は共和派の権化と言っても差し支えない。現在は一部の側近による寡頭的独裁が行なわれている。共和派全体が総統への忠誠を誓っているわけではないから反乱は起こらない。第五連隊が動員できれば問題ない」
「それに関しては問題ないわ。ロンメルの元上官であるフリードリヒ・パウルス連隊長が指揮することになりますもの」
アルウィンは黙り続けている。
「安心だな。あとはすんなり投降すれば万事よろしい」
私的な場では、ユーティライネンは女王には敬語で話さない。
ロンメルは思うところがあった。
「では、失礼させて」
「――待ちなさい、ロンメル。あなたの夢は何ですか?」
「私の夢でありますか」
彼はしばらく考えた後、こう言った。
「ワカシーカ王国で、軍人としての人生をまっとうすることであります」
「この国限定なのですね。あなたは、皇国出身でしたのよね。皇国はどうですか?」
「はぁ、皇国でも構いません。この大陸で軍人として過ごせたら、良いのであります。だからといって、ワカシーカを裏切ることはありません、女王陛下」
女王は微笑んだ。
ロンメルは失言をしてしまったことに気がついた。
女王はそれに気がついたのであろうか。
「――もう下がりなさい」
「はっ」
アルウィン・ロンメルはその足で第五連隊の編成準備へと向かう。
王宮内で軍人はロンメルを除けば、貴族しかいない。
威厳があるように思われがちだが今回の件で騒がしい。
「第三連隊の伯爵が王への忠義を誓わされたそうな話を聞いたのだが」
「声が大きいぞ、侯爵。最近の王室にはネズミが出入りするようになったからな」
ふたりの前をロンメルが横切る。
「平民が貴族の前を堂々と歩くとは!」
「否! そもそも平民風情が王宮内を出入りすること自体恐るべき事態だ」
アルウィンはそれでも答えなかった。
問題ない。
いまは王女の護衛部隊の副官だ。
僕をその場で切り殺すことなどできない。
「ええい、腹立たしい……」
共和国の侵攻。
それによって失われた人的資源は甚大だった。
けれど、王女は生き残った貴族に寛大な処置を下した。
王への忠誠。
貴族にとって、言葉とは大切なものだ。
宣言したことを撤回するわけにはいかない。
王女は応援に行かなかった連隊の部隊長には宣誓をさせた。
共和派貴族のほとんどは黙って従った。
それはそうだろう。
命よりも名誉を重んじるのであれば、その時に向かっていたのだから。
僕は天才なのではなかろうか。
さらには、旧連隊の解体。
これで連隊間の派閥が崩れた。
共和派貴族が策を巡らすのに時間がかかるだろう。
『すべては王のために、か……』
彼は王女とは言わなかった。
アルウィンは第五連隊の駐屯地に到着した。
太陽の暖かさは寒風に吹かれてしまっているらしい。
彼は手と手を合わせて息を当てる。
白の後ろになじみの顔が現れた。
「ロンメルっ! 久しぶりじゃないか」パウルス連隊長だ。
「お久しぶりであります。連隊長の姿を拝見するのは、今回が初めてであります」
「いやに他人行儀じゃないか。僕と君の仲だろう? いやぁ、ほんとによかった」
「なにがですか?」
アルウィンは緊張をゆるめた。
「君が連隊参謀に就任したことだよ。北方戦争の話は聞いたぞ、英雄じゃないか」
「すべては陛下のお力です」
「謙遜か、私にはわかる。君には英雄の素質がある」
「……」
「君が参謀についてくれれば、私の仕事も楽になるしな? 連隊長になったのだって、君のおかげだそうじゃないか」
パウルスはいたずらな視線を送った。
「連隊長御自身の努力の結果でありましょう」
「またまた。まぁ、いい。それよりも連隊を視察してくれたまえ。ススカ第三連隊の兵卒が小隊長や隊長補佐をやるなんて、世も末じゃないかね? 私には手がつけられんよ……」
駐屯地では昼間から酒を飲む始末である。
新人の平民とどんちゃん騒ぎである。
「いいか? 俺が山賊の隊長を捕えたんだ。あのときは大乱闘だったなぁ……、いまは俺の相棒だよ」
「なにを言っているんだ、俺がお前をあと一歩まで追い詰めたんだろう?」
ほら吹きもいい加減にしなければならない。
連隊長がいるというのに敬礼のひとつもないのである。
「このままでいいのですか?」
アルウィンは尋ねた。
「しかりつけて、また弓を打たれてでもしたらどうする。次は司令部付きになってしまうよ」
「……」
「それに私は胃が痛い。これ以上悪化させたくないんだ」
「……」
ススカ第三連隊の兵卒、いまは小隊長と共和派貴族の中隊長が殴り合いのけんかをしている。
「放置していてよいのですか? 赤の衣は共和派の象徴」
「――おそらく、忠実なる私の部下のことだから、女王陛下の悪口を言った共和派貴族に厳罰を下しているに違いない」
「騒ぎが大きくなれば、司令部から」
「止めに入ったら、私が殴られる。止めに入らなかったら、彼が名誉の戦死になる。どちらがいいと思う?」
「……」
と思えば、昼間から転寝をしている大隊長がいるではないか。
「あの方は……」
「かの有名な、耳が遠い大隊長だよ」
「名誉ですか?」
「まさか、第一大隊長だよ。あれで軍務が務まるのかなぁ」
のんきなものである。
しばらくして、宿舎にたどり着いた。
連隊長の部屋に入る。
ふかふかのじゅうたんがそこには敷かれていた。
「楽にしたまえ……」
パウルスは笑う。
「一度言ってみたかったんだ。その椅子に座ればいい」
「それでは……、最高の座りごごちですね」
「名ばかり連隊長の司令部付はだるかったよ。奴らは雑用を僕に押し付けてくるのだから」
「今度は私ですね」
「まぁまぁ、そう嫌がらないでくれたまえ。私だって真面目な時もあるんだ」
パウルスは立ち上がると、窓の外を見た。
「そう、私がこの連隊を任された。さらにはススカ第三連隊の連中が集まっている。例の山賊たちも入っている。あいつらは忠誠心だけは高い。そこを鑑みるに……」
「かんがみるに?」
「さっぱりだよ」
「そうですか」
「私はね、命令だけは忠実に守る。軍司令官を殺せと命じられたら、総統を暗殺しろと言われたら、それがもし、陛下の命令だったならば、司令部の命令だったら……、私は実行するだろう」
「そうでしょうね」
「そこを買われたんだろう」
「そのとおりです」
「情勢不安。北は北で、西の帝国に攻められている。おそらく、なにかが起こるだろう」
「共和派の反乱ですか?」
「いや。王党派の暗躍だよ。共和国の後ろ盾が弱っている今しか機会はないのだから」
「名推理であります」
「あまりおだてないでくれ。これでも生き残って来たんだ。自分を守る術がないとやってられないよ」
「やっていられませんね……」
「いつ、どこに、なにを、どのようにすればいいのか。口頭にて命令があるのかな?」
「そうです、そのために私が参りました。十二月三十日、総統の邸宅を包囲します」
「嫌に早いな」
「亡国に時間はないのです」
「わかった。それまでに連隊の指揮を固める。背命行為でも起こっては大変だ。私の頭と胴体が別々に動かなければならなくなる」
パウルスは愉快そうに身振りを加えて言った。
「関心はそこですか?」
「君こそ、それまではどう過ごすんだい?」
「王室にて陛下の身辺を警護いたします」
「当日に急に来て……、というわけにはいかないだろう。わけは?」
「私にもわかりかねます。陛下の気まぐれかもしれません」
「気まぐれ? 慎重な方だろう?」
「陛下は、恐れ多いことですが。話しながら考える方です。話が終わった時にはまったく反対の結論を下すこともあります」
「大逆罪だな、うん。『陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅうございますが。王の近衛副官、アルウィン・ロンメルが良からぬことを申しておりますのを耳に入れました。陛下! 決して事実無根ではございませぬ! 彼の者は確かに』。……!」
すでにロンメルはパウルスの部屋を出ていた。
「連隊参謀よ。そこまでしなくてもいいじゃないか。私は傷ついたぞ」
パウルスは肩を落とすのであった。
アルウィンは腑抜け連隊長を放置し、王室へと向かっていた。
平民出の武官に対する風当たりは物理的かつ心理的に冷たかった。
しかし、彼は独り言をするだけで、一向に貴族をかまうことはなかった。
「作戦決行まで残り一週間もない。本来なら連隊視察にすべての時間を注ぎ込むべきなのに……、王女は何を考えているのだろうか」
暗くて長い廊下に貴族が現れた。
「死神か、死せる者が王宮に何の用だ?」
「陛下に。……ユーティライネン中隊長殿はその理由をご存じでありますか?」
「エレオノーラ王女か。私も知らない」
どうやら、女王はユーティライネンにも王女と呼ばせているらしい。
しかし、いまなんと言った?
「中隊長殿、いまなんと?」
「エレオノーラ王女だ。彼女の本名だよ、聞かされていないのか」
「本名……?」
「ノーラは貴様には言っていないのか。ふむ、一安心といったところか、いやいや、私はなにを言っているのだ? 私は一塊の軍人。彼女のなにかでもないのだ」
ユーティライネンはそんな独り言を漏らした。
アルウィンにはそんな彼が酷く老いて見えた。
娘を気遣う父親のように見えたのだった。
ユーティライネンと王女は口外できない秘密を共有している。
しかし、ロンメル自身が伝えられていないということは、知る必要がないということなのだろう。
「中隊長殿、失礼します」
「うむ、陛下をお待たせするでない。……そうか、だからか。うーむ、おせっかいは嫌われるしな……」
ユーティライネンは影に消えた。
アルウィンだけが残った。
王女の執務室はすぐそこである。
「一国の主ともあろう者が、こんなところでひとりとは」
ロンメルはその言葉を残して、扉を叩いた。
「近衛中隊副官、アルウィン・ロンメル! 陛下に謁見願おう!」
古びた扉が開かれる。
ワカシーカの情勢を象徴しているように感じられた。
そこに現れたのは王女。
てずからであった。
顔だけを出して、身体の方は扉の後ろに隠している。
「陛下! これはいったい……」
女王はなぜだか、そわそわしている。
駐屯地からここまで来るのに時間が掛かった。
夕日をシルエットにした王女はその表情も相まって幻想的であった。
髪が。
キラキラと光っているように見える。
「王女と呼びなさいと言ったはずです」
「では、王女。侍従たちが逃げなさったのでありますか?」
ワカシーカでは十分にあり得るとアルウィンが思うのもまた、もっともなことであった。
彼女はたいそううれしそうだ。
「残念ながら、彼女たちには暇を出したのです。国庫は枯渇しているのです」
その言葉とは裏腹の表情だ。
「私のようないっかいの兵士が申し上げるには恐れ多いことではありますが」
「なんですか?」
「王女、御身になにかございましたか?」
「――粛清を楽しみにしているのです」
「……ほう、そうですか」
粛清。
そんなに楽しいことなのか。
そうか。
共和派、言葉に出すのさえ忌々しいけれど。
その首長を捕える計画を実行するのだから、王としてはうれしくてたまらないのかもしれない。
しかし、それによって血が流れるのもまた事実。
王女はなにを考えているのかさっぱり理解できない。
「そんなわけがないでしょう。多くの者に苦しみを与えることに喜びを感じるなど暴君」
え?
僕は幻聴でも聞こえるのだろうか。
「?」
「!」
王女のほおが朱に染まる。
「……入りなさい」
「はっ!」
ロンメルは女王の執務室に入った。
彼女は愛用の机へと向かう。
アルウィンの鼻こうを何かの香りがくすぐった。
「――座りなさい!」
いきなりの命令である。
王女は仁王立ちをしている。
「はっ」
ロンメルは長机の一番端に座ろうとするが、
「あなたは愚か者です」
王女は腰に手を当てて、反対の指を彼女のすぐ近くにある椅子に向けて言うのである。
「大陸一です!」
「……否定はしませんが」
「否定しなさい!」
僕はなにか悪いことをしてしまったのだろうか。
ひどく王女はご立腹のようだ。
「罰として、十二月三十日までの間、私の護衛をしてもらいます」
「私はいかような罪を行ったのでありますか?」
「それよ」
「と言いますと?」
「わからないのであれば、一生護衛をしていなさい。ふた呼吸の間待ってあげましょう」
二呼吸だと?
そんな短い間でなにを考えるのだ。
僕が犯した罪って――
「時間です。あなたを護衛任務に命じます。片時も私のもとを離れないこと。いいですか?」
「……はっ!」
女王の命令である。背くことはできない。
つぶやき声。
「うふふ、これで第一段階を踏みましたわね」
明らかに危ないことを考えている。
間違いない。
そして、また命にかかわる危険なことではないということがアルウィンには理解された。
恐ろしい企みなのだろうが、口走る程度なのである。
それに、王女とは生死を共にした身。
自分を殺すとは思えない。
そんなアルウィンの思考が中断される。
「あなたは私の護衛任務に就くのね」
「はい、陛下が御命じになったのでありますから」
「陛下は命じてなくってよ」
「王女が御命じになったのでありまして」
「そうね。王女の護衛をする者が執務室に来るまでに半時も掛かるようでは問題ね」
「……なぜそのようなことを知っておられるのか」
「王女は国のすべてを知っている必要があります」
「ごもっともで」
「西の塔のはずれに『カスミのはずれ』があるわ。そこで寝起きしなさい」
「……」
「なにをのんびりとしているのですか。すぐに荷物を持っていらっしゃい」
「はっ!」
ロンメルは回れ右をしたが――
「駆け足!」
急かされた。
ロンメルはワカシーカの王宮にて、初めて王の命によって走ることになった軍人となった。
これは他国においてもあり得ないことのように思われた。
そもそも王たる者が西の塔で寝起きすることも大陸ではありえないのだが、もともとは王女であったし、やはり王の権力が弱まったために、王の居所は評議会場となっていた。
王宮の中心地から外れ、さらには西の方に女王がいるのはそういう事情があったためであった。
西の塔には人気もなく、人気がないのはだれに聞く必要もなかった。
そんな西の塔の従属的建物――カスミのはずれ――にはだれも住んではいなかった。
老朽化した石造りの二階建は、西の塔に出入りする召使いが寝起きする場所であり、暇を出されたために管理する者がいなかった。
走るロンメルはつぶやいた。
「管理人に命じられただけなのかもしれない……」
白い息がアルウィンの後ろを流れる。
長い夕日がついに地に没した。
辺りは静寂に包まれる。
ロンメルは近衛の宿舎から自分の荷物をすべて集めた。
多忙のユーティライネンには置手紙をした。
そして、息もつかずに「カスミのはずれ」へと向かう。
向かうと言っても、西の塔の光を目指してである。
カスミのはずれにはだれもいないのだから――
と思ったのだが、カスミのはずれに火がともっているではないか。
いったいだれがいるのだろう。
もしや、暗殺された先代陛下の御霊……?
慰め申し上げねばならないか。
憑りつかれてでもしたらどうしよう。
どうやら御霊はゆらゆらと動いているらしい。
「武人たる者、引くわけにはいかない。マンネルヘイムさんなら言いそうだな」
アルウィンは身をていして、中に転がり込んだ。
すかさず剣を抜く。
はたしてそこにあったのは。
「――王女! ここでなにをなさっておられるっ?」
女王であった。
どこかそわそわしている。
「意外に早かったですね!」
うれしそうである。
「駆け足でありましたので」
「そうね、私が命令したのですから。居心地はどうかしら。不便していませんか?」
「恐れながら、いまだ住んでおりませんのでわかりかねます」
「?」
女王は顔を真っ赤にした。
「そうね、わかりようがありませんわね」
心ここに非ずのようだ。
「それに、私のような卑しき下僕に気を使う必要はございません」
「!」
機嫌が悪くなる。
「臣下を大切にするのは王の務め。あなたも例外ではないのです!」
「いえ、例外なのだけれど……」ぽつり。
女王はひどく悩んでいるようだ。
「このような下賤な場所へなにゆえに?」
「あなたは私の護衛任務に就いているのでは?」
「そうでありますが、なにゆえ、ここにいらしたのですか?」
「おおお」
「おおお?」おうむ返し。
一呼吸おいてようやく女王は語った。
「愚かな平民ねっ」
「!」
「わわわ、私がひとりでいたら護衛の意味がないのではないですか?」
「そうであります」
「あっ、あなたは罪を犯しました! 王女を放置したのです!」
「申し訳ありませぬ、王女」
「罰として、『エレオノーラ王女』と呼びなさい」
「おっしゃっている意味が」
「間諜への対策です。偽名を使うのです」
「はぁ……」
どうやら様子がおかしい。
しかも尋常ではなく、混乱しているようだ。
「――いえ、やはり『王女』と呼びなさい!」
「はっきりしていただかないと私には」
「王女です、これ、絶対! 変更なしっ!」
「は!」
王女はツンと向こうを向いているが、そわそわしているということは何かを求めているということであろう。
「王女、どのようにしてここにいらしたのか。失礼ながら、陛下の御服には煤がついております。煙突は非常時の逃げ道となっているのですね」
アルウィンは王女がふたりきりの時は堅苦しい言葉遣いを避けるように言っていたことを思い出した。
「珍しく頭が回るじゃない」
「……」
「執務室の暖炉は抜け道になっていて、カスミのはずれにつながっているのです!」
うれしそうである。
「ところで、王女。これからどうなさいますか? 執務室までお供いたしましょうか?」
「それでこそ、護衛。私は武道に秀でていますが、多数を同時に相手するのは難しいでしょう」
「それは初耳でした」
「秘密にしておくとよいこともあるのよ」
王女は十年以上引きこもっていたはず。そんな状態では武道ができるとは思えない。
アルウィンは初めて王女の言葉をいぶかしんだ。
「浴場」
「は?」
「いまから浴場に行きます」うれしそうな恥ずかしそうな声。
「わかりました、浴場まで護衛いたしましょう」
「!」
王女はすでに浴場に着替えを用意しているらしく、手ぶらで廊下を向かう。
ガラスの向こうにずんぐりとした石造りの建物。
そこが浴場のようだった。
廊下を曲がってすぐに扉があり、ワカシーカ語で王の浴場と書いてあった。
そこを入ると脱衣場がある。
「中を見せて差し上げましょう」
王女が扉を空けるとそこには規模は小さいが、それでも繊細でいて荘厳な造りの風呂場。
平民のそれとは大違いだ。アルウィンは驚嘆した。
「これは……」
「すばらしいでしょう?」
「はい」
「一緒に入ってもいいのよ、うふふ……」
「!」
「すこし……」
「?」
「外に出なさいと言っているのです」
王女は重そうな御服を脱ぎ始めた。ろうそくの明かりでも王女の清らかな肌がアルウィンの目に入った。
「顔が赤くなっていますよ、どうしたのですか?」王女がいたずらな声で言った。
「いえ。退出いたします」
「よろしい」
ロンメルは後ろ手に扉を閉めてしまった。
「はぁ、王族というのは平民にはあんなふうに振る舞うのだろうか。わけがわからない」
アルウィンはだれかの視線を感じて周りを見渡した。
が、なにもない。
「気のせいだろうか……」
王女のハナウタ。
水の流れる音。
王女の香り。
「十年以上もユーティライネンがひとりでこの役目についていたのか。たったひとりで……」
それからは、あっという間に過ぎて、十二月三十日が来る。
執筆時間がないの! という言い訳を使わせていただきたく。
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