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偽りの仮面【小説家になろう大賞2014 応募作】 作者: 

推敲前バージョン

第十四号 ヴィープリ陥落

 正午までにヴィープリは北の帝国に占領された。
 書記長は馬に乗って大通りを行進する。将兵は偽りの歓声でもって、これを迎えた。
 午後から戦勝パーティーが行われた。
 主立った将軍たちがそこに招かれる。

「同志諸君よ。私のすばらしい将軍たちは、ヴィープリ占領という難業を達成した。かつて、ここは異民族に支配されていた。しかし、いまは我々の手にある。すべては諸君らのおかげだ。諸君らに私が愛飲するグルジアワインと飛びっきりのご馳走を用意した。楽しんでくれ。以上だ」

 直立不動の将軍たちは、大拍手でこれに応えた。パーティーの参加者は久しぶりに食事を楽しんだ。
 文字通りである。

「ところで我が軍の損害はどれくらいだった?」
 書記長は将軍のひとりにそう尋ねた。
 将軍は直立不動の姿勢をとって答える。
「死者行方不明者は二千人ほどであります。戦傷者は千人くらいです」
「ふん。一割強か。よくやった。敵は何人死んだ?」
「現在調査中でありますが、二千人ほどかと」
「強いな。まぁ、いいさ。三千人くらいすぐに調達できる。これからも頑張りたまえ」
「はっ!」
 書記長はようやくの勝利でご機嫌である。
 すぐに会場を後にする。
 グルジアワインを飲み始めたらしい。
 将軍たちはほっとした。

 この頃、王国軍と市民軍が統一した防衛線を展開し始めた。
 彼らの努力もむなしく敵の攻勢が続き、首都が陥落する恐れさえ発生し、王宮はパニックに陥った。
 その日の夜、王女を始めとした北方方面軍の生き残りが帰ってきた。
 方面軍全体の戦死・行方不明者は二千人、生存者は二百名であった。
 そのほとんどが負傷者であり、消耗率は九割を超えていた。
 北部で第一の都市が陥落し、敵を止めることは不可能と考えられた。
 そしてまた、北方管区の行政都市ヘルシンフォーズが占領されるのも時間の問題であった。
 ヘルシンフォーズは北部最南端にある第二の都市である。ここが陥落すると敵は首都へ流れ込む。
 王女はなんとしても敵を阻止しなければならなかった。

 この世界は終わりですわね。
 悪の帝国の侵攻を止めることができる国は存在しない。
 東も南の国も、大陸中の国々に見捨てられたワカシーカはただ滅亡への坂道を転げ落ちるしかないようですね。

「ヘルシンフォーズに集まった軍はどのくらいですか?」
「現時点で、王国軍は二個連隊三千人であります。他に貴族軍二千人、市民軍千人であります」
 王宮警備隊長、いや、北方方面軍司令官が答える。
 ロンメルは帰還しなかった。戦死したと判断されたためユーティライネンは正式に軍司令官に任命された。
「……王国はいつの間にか疲弊したようですね。王国軍は三千人、貴族も二千人しかいなかったのですか? そういえば、ワカシーカは小国でしたわね」
 王女は皮肉たっぷりで答えた。
「さらに王国軍三個連隊が到着するはずであります。貴族軍もおそらく――」
「そうですか、楽しみですわ。ワカシーカには指揮官はたくさんいますが、戦死した司令官ほど優秀な者はいません。猛将に匹敵する貴族は、もはや書物にのみ存在するようですね。ここにいる指揮官たちは何の役にも立たないでしょう」

 会議に出席する連隊長たちは侮辱された。そんなことお構いなしに王女は言う。

「会議に出席する指揮官に訓示をくだします。北方方面軍司令官はアーネ・エドワルド・ユーティライネンとします。王の命令を聞かぬ指揮官は有無を言わさず、全員処刑します」
 どよめきが走る。
「ユーティライネン! あの問題児が軍司令官だと?」
「昔、わしの部隊もあやつにしてやられた! 女王陛下お考え直しください!」
 王女は、顔をひきつらせながら叱りつけた。
「お黙りなさい! ヴィープリへ来ないだけでなく、私の、王の命令にも逆らうつもりですか!」

 指揮官たちは黙った。
 ユーティライネンが会議を再開する。
 王女は始終、機嫌がよくなることはなかった。

「敵はヴィープリを制圧。まもなく進軍を再開すると思われる。我々はヘルシンフォーズを死守。王国軍三個連隊を待ちたいが、ヘルシンフォーズは周りを早しで囲まれた自然要害だ。よって、敵が市内に侵入する前に攻撃を行なう必要がある。三つの街道のどこを通過するかを見極めることが戦いの帰趨を分けるだろう。近郊の平原で会戦する場合は機動戦を行なう。軽装の部隊が敵を引きつけつつ南下。伸びきった敵部隊の弱い側衛を左右から騎兵部隊で挟撃する。重装備の部隊もここで、反撃し敵を包囲殲滅する。その後も敵軍の奥深くまで侵入し、輜重および連絡部隊を粉砕する。ゲリラ戦も考えられるが、国民を苦しめるから却下だ。講和に持っていくためには、敵を少しでも食い止める必要がある。ロンメルが考案したこの作戦を完璧に遂行したい」

 各々が口を開く。
「そんな卑怯な戦い方はせんぞっ」
「貴族は正々堂々と戦う。だまし討ちのような戦いは好まない」
「そうだ。敵正面から突撃をしよう」
「これこれ、まともに戦っても勝てんよ」
 机を叩く音がかき消される。
「だからこそ、突撃し、名誉の戦死を遂げようと言っているのではないか!」
「領民はどうするのじゃ。領民を守るために貴族は存在するのではないのか」
「もはや領民を守ることはできないのだ! まだわからないのか、老いぼれ!」
 若い連隊長が、老貴族を罵倒する。
「落ち着きたまえ」

 最後に摂政が尋ねる。
「ロンメルとは誰かね?」
「平民の一兵士だ」

 会議室が初めて止まった。

 当時の戦争形式は、基本的に方陣を一列に作って、ぶつけ合うという戦争であった。
 複雑な方陣戦術は平民や練度の低い軍隊にはできない。
 方陣や隊列を複雑に編成しないこの戦い方はワカシーカにはぴったりだった。
 同じく練度の低い軍隊である帝国軍は複雑な隊列や方陣を使用し続け、失敗しても戦法を根本的に変えることがなかった。

 十二日早朝、北の帝国軍が一列に並んで進撃を再開した。
 平原は帝国軍の旗で埋まる。
 ワカシーカ軍は打ち合わせどおり、前方の軽装備の市民軍が潰走を始めた。勢いに乗った帝国軍は、快速二個連隊に追撃を行なわせる。十分に帝国軍主力部隊が引き離されたところで、ユーティライネン軍司令官は攻撃を命じた。
 帝国軍の右側面を貴族軍が攻撃し、左側面は王国軍の騎兵部隊が攻撃した。
 敵前方部隊は包囲される、まもなく王国軍二個連隊に粉砕された。
 残存部隊は逃走を開始するも騎兵部隊に駆逐され全滅した。

「帝国軍の練度および士気の低さには驚かされる。むしろ尊敬するのは、上層部の『全滅が必至』となる指示を鵜呑みにし、全滅する下級指揮官と兵士たちだ。包囲されても、降伏せずに戦った彼らにワカシーカの軍人は尊敬の念をもって、丁重に葬らなければならない」

 この日の帝国軍の戦死・行方不明者は四千人を越えた。
 怒り狂った書記長は将軍ら十名を処刑し、一層帝国軍は骨抜きになってしまった。

 十四日の正午。
 粛清を免れたヴォロシーロフは側衛を重装歩兵に任せ、その内側に弓兵を配置し、全軍が一つの陣形をとって進軍した。
 王国軍の騎兵は遅々とした歩みの敵側面を突破できず、また王国軍の主力歩兵部隊は敵前面の攻撃を食い止めることに失敗した。
 騎兵に絶対的優位があるわけではない。
 王国軍は壊走した。

 会戦後、王国軍は退却の準備を開始していた。もちろん王女の許可なしにである。
 作戦室に入る者がいた。

「敵の戦力は現在、一万人程度と思われます。我が軍は紛争開始以来、六千人近くが戦死しました。他にも脱走兵が多数です。残るは負傷した部隊一千です。女王陛下、退却許可を」
 扉が開く。
「負傷兵を連れてただいま帰還しました!」

 扉を開けて入って来たのはロンメルであった。

「平民が会議室に入るとは何事だ。無礼者!」
「うん……? 死んだのではなかったのか、死神」
「そうか、死神か……」
「ロンメル! 生きていたのね」

 王女は立ち上がるとロンメルのところまで走った。
 抱きつこうとしたのかもしれない。
 途中で止まった王女は、それでも何かしたかったのか。
 ロンメルの袖をつかんだ。

「私がどれだけ心配したのかわかっているのですか?」

 ロンメルの袖をつかんだ王女は、彼の耳元にそっとささやいた。
 会議に出席する貴族たちも、なにが起きているのか分からないようだ。

 ロンメルは王女の手をほどこうとしたが――
 王女の強く握られた指を見て諦めたようだ。

「女王陛下。そのように驚かれることもないでしょう。私はヴィープリで死ぬと申し上げましたか?」
 一部の貴族は、怪訝そうな顔をする。
「帰還しなかったもの。てっきり、死んだのかと……」
「死ぬつもりはなかったのであります。負傷兵を連れて大回りをして退却していたら、到着が遅れたのでありまして……、ところで、戦況はどうでありますか?」
「――王国軍三個連隊が援軍に向かっていますが、他に助けはないようです。敵一万以上に対し、手勢は千人足らずよ」
 ロンメルは空を仰ごうとした。
 しかしそこには、汚れた天井があるだけであった。
「この際……、北方方面管区の全てを敵に割譲してでも、戦争を終結させなければなりません。私は退却途中で、地方豪族や領主たちが殺されているのを見ました。兵士がいても、それぞれで防衛戦を展開する共和派貴族は、うまく連携せずに各個撃破されて戦力にはなりえません。援軍が間に合っても我が軍は六千人程度です。現在、北部以外の国境はがら空きでしょう。このままでは他国が参戦するかもしれません。ご決断を」
「確かに『死神』の言うとおりだ」
「わかりました、休戦を申し込みましょう」
 ロンメルはすすけた天井を見上げたままであった。

 休戦なんてありえない。
 敵を知り己を知れば、百戦危うからず。
 しかし、私にはわからないし、ワカシーカの貴族も情報を集めようとしない。
 帝国にとって戦争を休む理由などはないのだ。
 しかし――

 もしも、あるとすれば。
 可能性としては。

 犬猿の仲のあの国であれば。
 万にひとつの可能性かもしれないが、私には理解できないのだが――

 西の帝国が北の共和国を倒したいと願っている、それが西の総統の個人的願望であるとするならば。
 政治家ではない私には理解はできなのだが、いましかないだろう。
 主力をワカシーカ中央へと進めようとしているいまなら、防御は手薄のはずだ。

 私が西の帝国の総統であれば、ワカシーカを攻める。
 しかし、西にとっては北の征服が目標なのだろう。
 そうであるならば、時間を稼ぐことが最良の方法だ。

 書記長を疑心暗鬼に陥らせるしかない。


 王女は司令部員の反対を押し切って、休戦を提案することに決定した。
 議会にも通さなかった。
 ワカシーカ北部の大部分の領地を投げ出すことに貴族は反対したが、これ以上戦争をすることは不可能であった。


 十二月十七日。
 ロンメルはヴィープリへと馬を走らせていた。
 休戦条約締結の全権大使として、派遣されたのだ。
 寒い大陸風を背に受けながらロンメルは片手に、「ワカシーカ王国北方方面軍第三連隊旗」を掲げていた。
 パウルスが授けてくれた者であった。
 ロンメルの意地が感じられた。
「わからない……」

 ロンメルが休戦条約締結会議に行くことは既に使者が送られ書記長には伝えられていたはずであった。
 その日のうちに帝国軍の使者がなにやら大きな木製の箱を前線に置いて、去って行ったそうだ。
 そこには使者の生首があった。
 つまり、交渉の余地なし。
 ロンメルは死ぬことを覚悟で使者を買って出たのであった。

 今朝、出発の支度を整えるロンメルに話しかける者がいた――

「ロンメル、あなたは死ぬと知っていて、悪の帝国へと赴くのですか?」
 王族の彼女はそう言った。
 ロンメルは慌ただしく敬礼をした。
「――陛下! このように下賤な場所に。恐れ多いことであります!」
「まあ! あれほど慇懃無礼であったロンメルさんはどうしたことなのでしょうか。私は一生貴族としかお話しできないのね……」

「――先ほどの話でありますが。死ぬかもしれませんが、平民の私は適任であると思います」
「ひどい人ね」
「生きて戻ればいいのでありますか?」
「もっとひどい人だとわかりましたわ」
「凡人の私には陛下の崇高なる考えはわかりかねます」
「結局、私は月だということよ」
「月?」
「そう、孤独に輝いている月。共には地上を照らせないのよ」
「?」
「あなたにはわからないようね。行きなさい。私、王女エレオノーラはあなたを評議会による社会主義共和国連邦との交渉全権大使にあなたを命じます」
「ありがたき幸せ」
「……王とはそんなもの」
「?」
「なんでもありませんわ、はやく行きなさい」
「はっ!」

 回想していたロンメルは帝国軍の兵士が前方にいるのを発見した。

「――我はワカシーカ王国北方方面軍第三連隊連隊長副官、パウルス! 指揮官を出せっ!」
 ロンメルは声を張り上げた。
 帝国軍兵士は束の間の休暇を楽しんでいたようだった。
 前線の部隊がこんなものでいいのだろうかと、敵国のことながら不安になる。
 北の言葉を口早に話す彼らは武器を握り、ロンメルを取り囲んだ。
「愚か者どもめ、ワカシーカ語を話せる者はないのか」
 ロンメルが西の言葉を話そうか迷っていたとき――

「何者ッ?」
 はたしてそれはワカシーカ語であった。
 ロンメルの前に女性の兵士がいた。
「貴様はワカシーカ語を話せるのか?」
 それを聞いた女性は顔を赤くして怒りを表した。
「私はここの部隊の長です。それなりの敬意を示してもらわなければ話すことはできません。連隊長副官ともあろう者がそのようなこともできないのか?」
 ロンメルは北の帝国では女性の兵士がいることに驚いただけではなく、女性の中隊長がいることにも驚いた。
「それは失礼した。共和国中隊長、貴官の所属する連隊長にお目通りいただきたい」
「それはできません」
「なぜか」
「私は偉大なる書記長閣下同志直属の部隊の一士官。この連隊には所属していません」

 変なことがあるものだ。
 連隊に所属していないのなら、なぜここにいるのだろうか。
 視察か?
 まぁ、いい。
 直属の部隊なら話が早い。

「我が国は共和国との交渉を申し入れる。そのためにやって来た」
 一瞬の間もなく。
「それもできません」
 女性士官は次に何かを兵士に命じたようだ。
 兵士たちは剣をロンメルに向ける。
 ロンメルは手綱を引く。
「何事か。我は全権大使なりっ!」
「書記長同志閣下は王国との交渉に応じないと仰せです。速やかにあなたを捕縛します」

 速やかにあなたを殺します、ではないのか。
 どのみち、この人数では勝てない。
 いさぎよくお縄に掛かるしかないみたいだ。

 あっさり捕まったロンメルは、階級章をはがれた。
 と言っても、一兵士のそれにすぎない。

「あなたは副官ではない。あなたは私に嘘をついた」
「あいにく、そちらの国とは軍制が違う。我々の副官への認識は一兵士のそれとあまり変わらないのだ」
 嘘をつくなら大きくである。
「さすが後進国ですね」
「先進国の共和国の中隊長であるなら、この縄を少し緩めるくらいの慈悲があってもいいと思うのだが?」
「私は中隊長ではありません、中尉です」
「中尉?」
「我々の国では同じ中隊長や司令官でも階級が違います。ワカシーカのように指揮権問題は起こりません」
 ロンメルは中尉の髪留めを見て驚いた。
 それは彼がよく知る――
「よく御存じのようで。しかし、私にとっては、王族のあなたがここにいる方が皮肉でしかありませんが」
 中尉は一瞬間動きが止まった。
 しかし次の瞬間帯剣を振りかざして、ロンメルのあごを持ち上げた。
「ななな、いったい何を言うつもりだッ!」
 ロンメルは相手が動揺したのを確認して面白くなった。
 いや、確信を得られたからだ。
「かつて、北の農奴たちが王朝を滅ぼした。その王族たちはある髪留めをしていたとか。私の勘違いだったようだな」
「――そんなことか。お前の勘違いだ。この国にはそんなしきたりはない」

(そう、この大陸の国にはね……)

 それでも中尉はロンメルを疑っているようだ。
 監視役をつけて野営用テントの柱に縛りつけた。
 中尉は伝令を飛ばした後、ロンメルのもとへやって来た。

「そこの捕虜、命乞いをしないのか?」
「して助かるのかな?」
 ロンメルは少し砕けた言葉を使った。
 相手は二十代にもいかないのだから。
 記憶が確かならば、十八だ。自分よりひとつ上だったはずだ。
「わ、私に対して敬意を払えと言っているだろう! 馬鹿者ッ!」
 ロンメルは殴られた。
 しかし、それは明らかに手加減されていたものだった。
「お、お前は……」
 中尉はためらいながら話す。
「私のことに関してなにか知っているのか?」
 一呼吸。
「――私は共和国に来て初めて貴官に出会った。知るはずもないだろう」
 中尉はロンメルの顔をじっと見ている。
(勘づかれたのか?)
「そうだろうな、そんなはずはないのだ。私を知る者がいるわけがない。だが、お前はなかなか面白い奴だ。有用な捕虜だから特別に、直々に、書記長同志閣下に具申しよう」
「なにを?」
「全権大使としてだ、馬鹿者。私はお前が『死神連隊』を指揮していたロンメルだということは、とうに知っている。また、嘘をついたな」
 ほおをぶたれた。
 先ほどよりも手が抜かれている。

『――ッ! どうして、どうして、こんなに似ている人間がここにいるのだ。神は私をさらに苦しめるのか……』

 中尉が放ったその言葉はワカシーカ語でもなく、北の言葉でもない。
 しかし、ロンメルには理解できる言葉であった。 

 ロンメルはすぐに馬車に乗せられた。
 そして、中尉に伴われて野営地を後にした。

 もと、ワカシーカの都市ヴィープリ郊外。
 そこは豊かな農地であったはずであった。
 しかし、いまそこにあるのは累々たる死体の山。
 軍馬と人間が分けられることなく一緒に積まれていた。
 焼き払われた家々。
 女、子ども、老人関係なく殺され、身ぐるみをはがれ、皮でさえはがれ、内臓をえぐり出され、女性は年齢に関係なく犯された。
 六歳にもならないであろう少女が巨漢の男根を素早く出し入れされている。
「殺して、誰か私を殺して……」
 ワカシーカ語を理解しない帝国軍の兵士はわき目を振らず、少女の口にも出し入れを始めた。
 ロンメルは思わず顔をそらした。
 圧政に苦しんでいた農奴たちは自分たちがされていたことをワカシーカの民にしていたのである。
「これが後進国ではないと自称する国のすることなのか、中尉っ!」
 女性士官はロンメルの方を見なかった。
「お前も知っているはずだ、ロンメル。戦争とはいつの世でも同じだ。それこそ、どこの国であっても」
「こんなことが許されるのか! 中尉は書記長の直属の部隊だと聞いた、お前ならあれを止められるはずだ!」
「確かに止められる。だからといって、どうなる?」
 ロンメルは黙った。
「どうなるだとっ!」
 暴れる。
「たったこの地域のあのひとりを救ったところで、占領地域では同じような蛮行が繰り返されている。私が止めることによって救われる命と、それによって引き起こされるリスクを考えると釣り合わないとは思わないか?」
「見損なったぞっ!」
 そのような言葉にも中尉は動じなかった。
「もとから自覚はある、心配には及ばない。……そうこう言ううちに司令部に着いたようだ」

 そこはかつてのヴィープリ領領主の邸宅であった。
 共和派の貴族であったはずだが、つるし上げられた死体にはワカシーカ語で、

「人民の敵、王党派貴族の末路」

 と書かれていた。

(よく考えると共和派貴族も農奴たちにとっては敵なのかもしれないな……)

 ロンメルは縄をほどかれた。
「どうして?」中尉に尋ねた。
「私はお前を大使として連れて行くと言ったはずだ、馬鹿者」

 扉を入ると赤々とした垂れ幕。
 どうやら、一兵士にすぎないロンメルにはわからない主義が北の帝国にはあるようだ。

「ふん、それが全権大使か。貴族にしては汚らしいんだな」

 横一列に集まっている交換の中の中央に位置する人物。
 傷ついた顔を動かしながら、ワカシーカ語を操る者がいた。
 中尉はワカシーカ語で続ける。
「書記長同志閣下! 共和国万歳!」
「うむ、そやつが全権大使なんだな?」
「そうでありますッ!」
 書記長は椅子に座る。机の上で指を重ねる。
「して、全権大使とやら。貴族で、人民を圧制する者が我が共和国に何の用があるんだ?」
「私は平民だ」
「――馬鹿者ッ! 貴様は憎き貴族だ」
 中尉はロンメルの頭を地に打ちつけた。
「同志アドロヴァ、君の私への忠誠はよくわかるんだな。それこそ、アリの上に犬が逆立ちをするくらいの現象だと思っている」
「恐れ多いことでありますッ」
「それで話を戻すんだな。貴族の騎士はわしになんの用だ?」
「休戦条約を結んでいただきたく」
「それはできん相談なんだな。我が共和国は百戦百勝。休戦するいわれがない」
「休戦していただけるのであれば、我が国はいかなる提案も受け入れる用意があります」
「それでも無理なんだな」
「書記長、貴君は西の帝国の動きを把握しているのですか?」
 書記長は立ち上がった。
「そそそ、その名前を言うな!」

 西の帝国と北の帝国は犬猿の仲である。
 つい最近に和解したところである。
 書記長は譲歩に譲歩を重ねて、不可侵条約を締結していた。

 アドロヴァ中尉はロンメルを地面に押さえつけた。しかし、ロンメルは――

「西の帝国のワカシーカ国境への配備が一個連隊を切っていると思われます。残りの連隊はどこに行ったのでしょうか?」
「黙れッ! 封建制の犬ッ!」
「ありえない、ありえない。総統君同志はわしを裏切らないはずなんだがな……」
「北の共和国がワカシーカを攻めているいま、西の帝国が考えることは」
 ロンメルの言葉の続きは中尉によってかき消される。
「いかんな、いかんな。……将軍たちよ!」
「はっ!」
 その場にいる将軍五名が直立不動の姿勢で返事をする。
「西の動きはどうなってるんだ?」
 将軍は話に合わせてワカシーカ語で答えた。
「確かに西の連隊の数が増えております」
「そうか、そうか。同志チモシェンコ。貴様はそれに気がついていながらわしに伝えなかったのだな」
「書記長同志閣下。私は何度も――」
「ええい、言い訳は聞きたくないんだな。中尉!」
「はッ!」
「殺せ」
 アドロヴァ中尉はためらっているようだ。
「書記長同志閣下……、彼は我が祖国に尽くしてきた軍人――」
「軍人は人民の敵である。殺せ」
「まっ、待ってください。私は閣下に忠誠を誓」
 中尉は一瞬の間も与えずにチモシェンコ将軍に近づくと斬撃を加えた。
 アドロヴァは返り血をべっとりと浴びる。
 カーペットにぽたぽたと血がしたたり落ちた。
 書記長は窓の外を眺めている。
「今日はいい天気だとは思わんか、諸君?」
 高官たちは薄ら笑いを浮かべた。恐怖が込められてもいた。
 軍服を真っ赤に染めたアドロヴァ中尉は書記長に振り返る。
「これでよろしかったのですか?」
 書記長は窓の外を見るのをやめた。
「もちろんだ。同志アドロヴァ、お前はいい奴だ」
「私は閣下の卑しき下僕にすぎません」
「お前は本当にいい奴だ。わしはお前のような部下をもっと増やすべきだと思っている」
 そうつぶやくと書記長は部屋を出た。
 高官たちは後に続く。
 結局、西の帝国が攻めてくるのではないかという話はなかったことになった。
 一切、少しも。
 書記長はそもそもロンメルがいることさえ忘れようとしたのかもしれない。


 その夜、会議が開かれたが、北の帝国とワカシーカ王国は休戦条約を結ばなかった。
 一方で北の帝国軍は侵攻を停止し、新たな国境線設けることを決定。
 帝国は実に一万人以上の死者・行方不明者が出ており、書記長もこれ以上戦力を消耗したくなかったようだった。
 帝国軍内では疫病も流行っていた。
 書記長はロンメルにワカシーカ王国が少なくとも共和制を取り入れるように指示した書簡を渡しただけで解放した。
 ロンメルは即刻、帰国することになった。
 それを見送りに来た者がひとりだけあった。
 アドロヴァである。

「ロンメル副官、満足か?」
「アドロヴァ中尉、私には何のことだかわかりません」
「とぼけないで。閣下を不安にさせて、またひとり将軍を粛清させてしまった」
「君が斬ったんだろう」
「お前がさせたんだッ! ……ただで済むと思わないことだな」
「全権大使になにかあれば、それこそただで済まないよ」
「チモシェンコ将軍は偉大な方だったのに。共和国は偉大な人物をなくしてしまった」
 アドロヴァはうっすらと涙を浮かべた。
「知ってるよ、君のこともね……」消え入るようにつぶやいた。

 ロンメルはそっとヴィープリを出発した。

 旧ワカシーカ領貴族らは粛清され、在住ワカシーカ国民は奴隷とされた。
 救うことができなかった。のちに彼らは反乱を起こしたが、帝国軍に駆逐された。ワカシーカには、早急に旧領奪還をすることが求められることになる。

 一連の戦いで王女は有能な指揮官や一部の部隊に信頼を持つようになった。
 のちに行うであろう王権強化と体制改革を強行する際に、このことは有利に働くだろう。
 王女は、先の戦争で北方方面の軍司令官よりもロンメルの方が、王国軍の現状と敵軍の弱点をよく理解していると悟った。

 急ぐようにして、一週間後。
 王宮では戴冠式が行なわれた。
 式にはロンメルをはじめ、北方方面軍の生き残りが特別に出席を許可された。
 彼らは、狐につままれたような顔をしている。王女は王国軍の最高指揮権を有しない。笑うしかないのだ。
「いやはや、女王陛下にはだまされましたな。我らと心中するつもりだったのか」
「しかし、王の器を持っていることは確かだな」
「そりゃそうだ。軍事に関しては、悲しくなるほどの知識しか兼ね備えていないがね」
 存在感のない王女は、地方ならだませると思ったのであろうか。
 それとも単なる思い付きで、王を名乗ったのか。
 摂政にもユーティライネンにもわからない。

 その頃、一軍人が戦勝パーティーをしていた。
 彼は子どもみたいに、はしゃいでいた。いつ粛清されるかもわからないのだ。
 はしゃがずにはいられない。
「いまを楽しもう」
 彼は、ウォッカを一気飲みした。常に死と隣り合わせの軍人たちにとって、未来の心配をしている余裕はないのだ。
「パーティーだぁ。食べ物も飲み物も用意した。夕食も豪勢に作ったのに、夜食まで作っちまった。懐かしいけど、寂しいなぁ。ひとりでパーティーだ。部下は全員死んじまったよ。もう戦争のない世界では生きていかれない。戦争は全部奪いやがるんだ」
 しかし、そんな彼が食事を楽しむ時間は残されていなかった。
「西の帝国と戦争だ! 明朝出発! 西部戦線に行くぞ」

 ロンメルの予言が的中した。
 ワカシーカには書記長が将軍たちを粛清したとの情報が入った。
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