第三号 忘れ去られた王女、世界を知る少年
暗殺未遂事件以来、王女はふたたび部屋に引きこもるようになったため、国民はその存在を忘れつつあった。
王女は毎日自室で書物を読みふけり、執務をしなかった。
そして、いつも変わらず彼女の横に王宮警備隊長がいた。彼の名は、アーネ・エドワルド・ユーティライネン。
感情を表に出さない冷たく若い貴族が、王女に気に入られている。理由は分からない。もしかしたら、彼の方が王女を気に入っているのかもしれない。
大きな満月が王女の部屋を照らし続ける。王女が読んでいる本のページをめくる。彼女のしとやかな動きは、一朝一夕に習得できるような代物ではなく、王族と言うにふさわしい。
警備隊長は警戒を続ける。王宮は平和そのものに見えた。
翌朝のマンネルヘイム家。舞台は、また朝食である。この日、少年は外に出ることを決意していた。
「えーと、マンナーハイムさん、少しお願いがあるのですが」
「『マンネルヘイム』じゃ。それで、なんじゃ?」
「すみません、マンネルヘイムさん。そろそろ、外に出てみたいなと思って」
「ほほぅ。それでは、昼から町を案内しようかの。わしの出身はもっと北じゃが、ここもなかなかいいところなのじゃよ。きっとおぬしも気にいるじゃろう」
老人はご機嫌である。
「ありがとうございます」
状況を確認しないと、どこにいるのかも分からないのである。
少年とマンネルヘイムは、近くの町に出かけた。
荷馬車に乗ること一時間、ようやく町の中心に来た。
正午を少し過ぎた頃である。
ロンメルの一声。
「うわー。田舎ですね」
「そうか? ここは南部でも一番の都市なのじゃが。おぬしの住んでおった町はもっと発展しておったのかのぉ」
「えっ? ええ、首都に住んでいたことがあったんですよ」
「そうかそうか。ところでおぬしの歳はいくつじゃ?」
「十八です」
少年は二歳かさ上げした。
「ほほぅ。ということは、すぐにでも入隊できるのぅ。がっはっはっはっはっは」
老人は上機嫌で、年齢を怪しむことはなかった。
この町の住人は、美しすぎる。自分が悲しくなってくるよ。
少年は初めてこの国に来た時から不思議に思っていた。
ワカシーカの国民の全てが美しいというわけではないが、いくらなんでも多すぎた。ゆえに、二歳かさ上げしたのであった。
早く大人になって、自分の身を守れるようにならなければならないとも思っていた。少年は自分の風貌に複雑な気持ちを持っていた。
「それにしても広くて、にぎやかな町ですね」
手のひらを返したような評価である。
「ほっほっほ。そうじゃろう。ここも良い町なのじゃ。食べ物から日用品まで、なんでも売っておるぞ」
「すごいですね」
「それでは、帰るとするかの」
「もう帰るのですか?」
来たばかりである。
「することがたくさんあるからの」
「すること?」
「おぬしは十八じゃろ。もう王国軍に入隊できる。これからみっちり訓練してやるわい。がっはっはっはっはっは……」
「はぁ」
野原に花が咲き乱れている。暖かな天気だが、少年は少し悪寒がした。
ふたりが帰宅すると、老人はさっそく話し出した。
「残念ながら、ワカシーカには軍事教本なるものはない。わしが知っておることを教えてやろう」
「まず、体力を上げるとかをしないんですか?」
「そんなものは軍でやってくれるわい。しかし、小隊長になるための訓練は平民には教えてくれぬ。わしは処分された身、わしの息子にしても無駄じゃ。結局、自分で学んでいくしか方法がないのじゃ。ワカシーカの基本的知識は教えたから、軍について話そうかの。正式な軍隊はふたつある。王国軍と貴族軍じゃ」
「……ふたつ? ひとつにまとめたらいいのに……」
「そうはゆかぬ。軍は縄張り意識の強い組織なのじゃ。貴族の話はしたじゃろう。共和派が貴族軍で、王党派と騎士道派が王国軍を構成しておる」
「僕は王国軍に入るんですよね」
「そうじゃ。王国軍は貴族軍より平民の任官を進めておる。小隊長には、なれるじゃろう。さらに才能を認められたら……、中隊長や大隊長の補佐……、これは特になったからといって昇給したりせんがの。正式なものではないし、どの部隊にも補佐がいるわけではない。小隊長になってから、補佐を兼任すると俸給を多くもらえるが、時間が掛かるのう。二、三年かの」
「小隊長にはならず、補佐をやっていくことにします」
「ほぅ。それはなぜじゃ?」
「一気に補佐をしていって、司令部に認めさせます」
少年は本来、楽観的な人間なのである。
強い独占欲があるが行動に移すというわけでもない。
ワカシーカへ来る前に事件を起こしていた彼は、全てが嫌になり逃げてきた。彼の複雑な性格はトラウマのためであった。素直になれていないので、本来の力も発揮できていない。
彼が悲観主義者であるのは、初めから失敗することを想定していれば、実際に失敗しても辛くないからである。彼はすべてから逃げていた。 しかし、彼は変わろうとしていた。
副官はれっきとした官吏だが、補佐は単に事務の雑用係である。昇給もしなければ兵士を指揮することもない。
それでも彼が目指すのは一番になりたいという強い思いからかもしれない。
いまの彼は、彼が思っている以上に、混乱している。
「ほっほっほ。司令部を認めさせる。そんなことできるかの。前代未聞じゃよ。確かにおぬしは他の平民より知識があるかも知れんが、貴族の子弟は手ごわいぞ」
「いまのワカシーカは苦しいのでしょう? それなら、今後平民をもっと軍に取り入れることもあるのではないですか?」
ほほぅ。わしが長年考えておったことをいとも簡単に思いつくとは。
あの時は失敗したが、確実に平民が軍の主力となる日は来る。それをたった五ヶ月間ワカシーカにいただけで、予想するとは。
この落ち着いて物を見る、いや、ただ落ち着いて見ておるだけではない。的確に物事を見ておる。
おぬしはいったい何奴じゃ……。外国から来たからこそ、そのように客観的に物を見ることができるのじゃろうか……。
違うじゃろう。ふーん、不思議な子じゃ。
「あの、マンネルヘイムさん?」
「おお、そうじゃった。おぬしの言う通りかもしれん。それもよいのじゃぞ。王国軍の説明の続きじゃが、平民は兵士として入隊する。おぬしも初めは、ただの一兵士じゃ。小隊長の補佐から始めて行くのじゃな。補佐から行けば、すぐに大隊長補佐になるじゃろう。それ以上は平民のおぬしには無理じゃろうが――、いや、待て。……確か、北方方面軍の参謀連隊長は……、あの若造ならば……」
「連隊長が若造なんですか?」
「いや、『若造であった』のじゃ。あやつはわしが首になった時、近衛の中隊長をしておった。いつもわしの命令を聞かぬ奴じゃった」
「くっく、反抗的な人だったんですね」
「――こっちはいい迷惑じゃよ。あんなのが中隊長とは、まいるわい。あやつは、王国軍の中で平民の任官に一定の理解を持っておる唯一の連隊長じゃ。周りを気にせず、己の道を行く奴じゃからな。おぬしは、北方方面軍に入隊すると良い。友人に掛け合ったら、それくらい認められるじゃろう」
老人は水を豪快に飲んで一息ついた。
「……王国軍の編成について教えよう。時代によって変化はあるが、だいたい変わらん。首都、東西南北にそれぞれ一個軍、合計五個方面軍があり、それはいくつかの連隊から編成されておる。ここまではよいかの?」
「はい。連隊から『方面軍』ができているんですよね」
「物分かりが早いのう。それで、最大の戦術単位が連隊なのじゃ。一個連隊千五百人じゃ。連隊は、三つの大隊と連隊本部に一つの護衛中隊がある。大隊は三個中隊。中隊は三個小隊。小隊は二個の分隊からなっておる。あくまでワカシーカ王国軍の話じゃ。ここまでもよいかの?」
「はい。ところで王国軍の規模はどれくらいですか」
「いまは一万人を切っておる。全人口の一パーセントを軽く下回っておる」
「いまは?」
「ふむ。貴族軍に人員が流れておるようじゃ。王位は空位じゃからの。『総統』とやらは、貴族軍を重視しておるから、みな貴族軍に入りたがる」
総統という役職は、王国最高議会議長と摂政を束ねる意図で、十年前に設置された。二人が権力をめぐって、政治が迷走していたことに対する措置であった。うまく政治を行なうための処置であったが、まもなく、総統は摂政と議長の権限を少しずつ取り上げていた。軍事基盤を作るために、貴族議会軍の制限もなくしていった。こうして、非正規であった貴族の私兵が正規軍として認められた挙句、数では王国軍を上回るようになった。
しかし、それは個々の領主に忠誠を誓う連帯の取れない軍隊であった。
現在では、総統の方が王女より権力を持っているというのは疑いようもない事実である。
「おお、そうじゃった。これは話さねばなるまい。王国軍の最高階級は連隊長なのじゃ。つまり、軍司令官と連隊長の権限は変わらぬのじゃ。じゃから、基本的に上の言うことを聞かん。総統大本営以外の命令はの。ワカシーカの軍隊は本当にだめだめじゃよ」
「僕が総司令官になったら、軍を変えてみます」
「ほっほっほ。そうか、頑張るのじゃぞ。期待しておるわい」
老人は内心不安であった。
そんなことをしようというものならば、たちまち退役させられるぞ、わしのようにな。
しかし、どこまで本気なのか分からんのぅ――
「今日はここまでじゃ。わしも疲れたわい」
その後、少年は退役軍人の知識を大量に取り入れ、貴族には到底受け入れられないような戦術・戦略を思いつくことになる。
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