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偽りの仮面【小説家になろう大賞2014 応募作】 作者: 

推敲前バージョン

第二号 不思議な少年と奇妙な老人

 翌日。晴れ渡った、春の日のもとに、老人は少年のいる部屋に入った。
 老人は手を使って意思疎通を図り始めた。
 しかし、お互いに考えていることが分からない。
 困った老人は、数名の通訳官を連れてきたが、意思疎通は難しかった。

 いまここにいるのは、皇国を専門とする通訳官で、老人の元同僚である。
 やはり会話は難航し、うつむく少年を前にふたりは話ををしていた。
 通訳官は言う。
「彼は皇国出身でしょうな。皇国の言葉に似ています。皇国は狭い国ですが、方言が非常にたくさんあり、標準語のみを学ぶ者には判別できないほどです。私は一度、皇国南部の地方語を聞いたことがありましたが、別の言葉かと思ったほどです。見つかったのが、皇国国境付近ということを考えますと、可能性は高い。地方出身者でしょう……」
「そうじゃろう。おぬしなら、かつてわしが、東や南へ旅行したのは覚えておるな。たくさんの書物を収集したのじゃ。風景画も描いた。皇国に行ったことはないのじゃが、書物をあさるには……、見た目が一番似ておるのは皇国人じゃ」
 通訳刊はうなずく。老人は続けて言った。
「おぬしにはどこの方言か、見当もつかぬのじゃろうな」
「はい、不明です」
 元同僚の顔はどこか笑いを含んでいる。老人の絵心のなさは、同僚時代より有名だ。赤子の絵と変わるまいと評価されたこともあるらしい。通訳官は笑いをこらえながら話す。
「その少年を現地に連れて行ってはどうですか」
「……ふむ。それがの、部屋を出たがらんのじゃよ」
「――それはなぜです?」
「どうやら皇国から逃れてきたらしいのじゃ」
 通訳官が手を打つ。
「ようやく理解できました。外国の子供一人が倒れているなどと、それ以外に考えられませんな。しかし、妙です。我が国から皇国に逃れる者はありますが、その逆はありません。彼は南の王国の言葉を少しばかり知っているようです。それも関係あるのでは?」
「立憲君主制を取っているあの、パクス・ブリタン二カ国か。……ふーむ、今日はすまんかったのぉ。わしが身振り手振りで言葉を教えるしかないようじゃ。本当にまいった子じゃのぉ」

 その後、老人が一対一の学習をしたおかげで、少年は徐々にワカシーカ語を理解し、日常生活に必要な会話ができるようになっていた。
 季節は変わり春である。
 ある日の早朝、老人は少年に問うた。
「――君の名前を教えてくれんか。いったい君はどこで生まれ、何から逃げてきたのか。南の王国の言葉はワカシーカ語と似ておる。そのためか、意外に早くワカシーカ語を習得しおった。じゃが、君の体つき、髪の色、特に母国語は、むしろ南東にある『皇国』のそれに似ておる。平民にしては知識が豊富じゃが……、君は本当に不思議な子じゃ。わしはこれだけ一緒に過ごしてきて、君のことが何ひとつ分からぬのじゃ」

 少年は悩んだ。今までにこのような質問を何度尋ねられても、無言を貫いていた。
 それは秘密を守るためであった。
 が、これ以上老人もも我慢できないかもしれないと、少年は思った。
 偽名を使った。
「アルウィン・ロンメルです」
「ほぉ、西の帝国か? わしの勘違いじゃったかの。皇国から逃れてきたのかと思ったのじゃが……」
「そうです、皇国出身です。詳しいことは話せませんが、皇国から逃げてきたのです。もう少しここにいさせてもらえませんか?」

 かつての鈍い少年はここ半年で急成長した。
 相手の話に合わせておく。
 少年は周りと違っていた。それゆえに周りの目に敏感であった。
 目を見るだけで、相手が自分をどう思っているか、容易にわかるのだ。

「ほほ、それは構わん。じゃが、もっと君のことを教えてもらわねばなるまい。わしは貴族じゃ。君は平民じゃろう。実は王族じゃったりするのかのぅ」
「えーっと、平民です。両親が教師で少し勉強を教えてもらっていたんです」
 少年は話をでっち上げた。
「――ほほう、そういうことか。パクス・ブリタンニカ王国の言葉を第二言語として学んでおったから、ワカシーカ語の習得が早かったんじゃな。おぬしの知識が豊富なのも、ご両親のおかげじゃったのか」
「……ええ、そうです」
 パクス・ブリタンニカ王国は、南の王国の正式名称である。

 少年は大嘘をつき、老人は勝手に納得している。少年は申し訳ない気持ちになった。

 あとで、神様に謝っておこう。少年は思った。
 少年には宗教への信仰心はないが、神の存在は信じており、毎日祈りをささげている。
 あくまで宗教を学びたいだけで、入信しようとは思っていないのである。

「じゃあ、朝食をとろうかの。がっはっはっはっはっは」
 少年が自分の名前を言ったので、老人はご機嫌である。
 朝食の準備を終えた老人は、スープにガチガチの乾燥したパンを浸しながら質問を続けた。
「ところで、おぬしは皇国出身じゃのに、名前は西の帝国風じゃ。両親のどちらかが西の出身かの?」
「ええ、母が西の出身です」
 また嘘をついた。
「ほうほう。そういうことか、話が読めてきたわい。ふむふむ……」

 老人はスープにパンをひたしたまま両手を組んで、何やらつぶやいている。
「平民にしては知識が豊富じゃ。他の者が持たない知識や思想、世界観を持っておる。計算力や、発想力は低いが、鍛えれば優秀になるじゃろう」
 少年が自分の前にいることに気がついていないかのような話しぶりだった。
 ガチガチのパンはスープを吸収し、ふにゃふにゃになった。
 少年はそんな老人を見ながら、黙って歯が折れそうになるパンを食べた。
 ガチガチのパンは、少年に辛い経験を思い出させる。
 少年は考えていた。

 この人は何者なんだろう。
 どうして、僕の世話をしてくれるんだろう。軍服が置いてあるから、退役軍人なのかな。暇そうだし。
 でも、聞かない方がいいな。
 黙っておいた方がいい。

 老人が思考の沼から帰ってくる。
「……おぬしのことを考えておったのじゃが、これからどうするつもりかの。ご両親は心配しておらぬか? ここにずっといても、問題はないのじゃがの」
 少年は食事の手をとめた。
「――ここにいてもいいんですか? 心配いりません、安全なところにいますから。何でもします。ここにいさせてください!」
 老人は先ほどから、少年の方を向いたり、天井を仰いだりしていた。
 彼は皿にスプーンを入れて、カチャカチャと回している。先ほどパンを浸したことは忘れているようだ。
 今や「ふにゃふにゃ」のパンは、端の方から分裂している。
 老人は何を考えているのであろうか、少年は思った。
「ほうほう、うふふ、そうか。おぬしがこの国をどれほど知っておるか知らぬが、軍人になる気はないか?」
 一瞬の空白。
「軍人ですか」
「いや、その……、平民じゃからて、遠慮することはない。王国軍の小隊長は、ほとんどが平民じゃよ。中隊長以上の指揮官になる平民は僅かじゃが……」
「軍人を目指すのならば、ここにいて良いということですか?」
 少年の言葉を聞いて老人はうれしそうな顔をする。
「そういうことじゃ。実を言うと、わしの子供はみな女での。息子がおらんのじゃ。ワカシーカに来たばかりのおぬしは知らんじゃろう。わしは、ちょうど十年前に大きな失敗を犯しての。その……、分かりやすく言うと暇をもらったんじゃ。それで、男の跡取りがおらぬ。分かるじゃろ、貴族どもはそんな家の婿にはなりたがらん。平民でさえもなりたがらんのじゃ」
 少年は話についていけなかった。老人は、少しずつ話していく。
「別に嫌なら、構わんのじゃ。ただ、わしの家系は代々軍人を輩出しておったんじゃ。それがわしの代で終わるかと思うと、悲しいのじゃよ。娘たちは軍人嫌いでの……、息子を軍人にしようとは思わん。『平民にしては』優秀じゃから、軍人になって家をついでくれたら……、養子になってくれたら、うれしいのぉと思ったのじゃよ。……いや、ただの年寄りのたわごとじゃ」
 褒められているのか、けなされているのか、分からなくなってきた。少年は即答する。
「もちろん、おじいさんが望むなら、そうします。おじいさんは親切にしてくださいました。断る理由がありません」
 老人の顔が輝く。
「そうかそうか。わしゃぁ、優秀な子を見つけたのぅ。がっはっはっはっはっは。がっ……? パンがばらばらになっとるじゃないか! いったいどういうことじゃ」
 老人はスープの中のパンの惨状に気づいた。少年は笑いを堪えながらも尋ねる。
「ところで、おじいさん。おじいさんの名前はなんと言うんですか?」
「名乗るほどでもないのじゃが、わしの名は、マンネルヘイム。カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムじゃ」
 老人は、年齢のわりに背筋がしっかりしている。先ほどまでは、弱々しく感じられた老人だが、かつての猛将なのである。もちろん、ワカシーカにやって来たばかりの少年は知る由もなかった。
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