第十二号 悪魔祓いの祈祷師
「地球人は朝練か……」龍之介はぽつりとつぶやいた。
十一時の開店と同時に、前日の翔と涼介が入店した。
「いらっしゃいませ」と言う龍之介の顔が途中で曇った。
太陽が雲に隠れた。ふたりは店内の奥に座った。
「ご注文はいかがなさいますか?」
涼介が答える。
「お前さ……」
「――なんでございましょうか」龍之介は満面の笑みで答えた。
「なんか、も――」
無愛想な言葉は突然の轟音で遮られた。爆発が起こったのだ。窓ガラスが割れる。
「いったいなにが起こったんじゃ!」
浪造は出刃包丁を持って外に出ていった。
「おやっさん、いくらなんでも、包丁は置いてからにしてください!」
龍之介が止めに走った。
「貴様! サタンの娘か。店に傷つけやがってなにを考えとる!」
通行人が動揺しているのか悲鳴の声が上がる。店内から一歩外に出ていたふたりは顔を見合わせた。そこにはサタンの娘がいた。
「お前、冗談言えるんだな」涼介が独り言を言った。
翔はびくっとして涼介の顔を見た。彼はどこかを見ているようで焦点があっていないような目をしている。
話題のサタンの娘はローブを羽織っている。
赤い長髪をなびかせながら、通りの中央に突っ立っているのだ。その横には同じようにローブを身にまとっている下僕のような者がいる。頭からすっぽりとかぶっている。サタンの娘は舌打ちをした。
「さすが親子だな。お前たちはいつも我らの邪魔をする」
浪造は顔を赤らめた。
「貴様が娘を殺したんじゃな! 貴様じゃったのかっ!」
龍之介は浪造から距離を取りつつも叫んだ。
「おやっさん、逃げてください! 危険です」
浪造は聞こえていないようだ。ためらう。龍之介に考える時間を与えぬまま、浪造がサタンの娘に向かって突進した。
「年貢の納め時だ! 成敗!」
時代遅れのセリフを吐いて、出刃包丁を振り下ろそうとするが――
悪魔祓いの祈祷師の口が動く。
「お、おやっさん!」
津田浪造は死すと思われた。どうにもできず龍之介が絶望したその時。
「骨も残さぬ業火で焼き尽くせ!」涼介の声が響いた。
たちまち祈祷師に向かって、炎が伸びる。
「うわっ!」龍之介の髪を焦がした。
祈祷師は詠唱をしたようだ。
炎が結界で曲げられ、祈祷師の背のむこうにある住宅街を火の海にした。
祈祷師の結界が解かれる。
暖められた空気が下僕と思われる者の顔をふき上げた。長い金髪があらわになる。
下僕は女の子であった。右手でローブの外に出しているネックレスを握っている。
「おぬしはっ!」浪造が叫んだ。
浪造は駈け出そうとしたが、龍之介に止められる。
祈祷師ふたりが詠唱を始めた。
次なる攻撃が来るに違いない。どこへ逃げようかと龍之介がうろうろしていると、
「おふたりさんは、こちらに」
黒髪の少年、翔が後ろから話しかけてきた。浪造と龍之介は物陰に隠れた。
「意外に、すな……。いや、何でもありません!」
「おやっさんは血が上りやすいけど、冷静になれば……、あばばばばば」
龍之介を縛り上げながら、浪造が尋ねた。
「おぬしの名は?」
黒髪の少年は直立した。
「吉田翔です! おふたりの事情はわかりませんが、ここでまっていてください」
浪造が首を振る。
「ならぬ。あやつはわしの娘を殺したに違いないのだ。娘の指輪とネックレスを持っておった! それに――」
翔は浪造の言葉に三度頭を縦に振った。
「確かに犯人かもしれませんが、いまのおじいさんの力ではとても歯が立たないんです。涼君に任せてください。おじいさんまでもが殺されることを娘さんは望んでいますか?」
浪造は言葉に詰まった。
「そうでしょう? ここで涼君を応援しましょう。僕たちにはそれしかできない。涼君をとめることも……」
翔は遠くの空を仰いだ。
「おやっさんは……」
「ややや!」
振り返った龍之介は天国の地獄に足を踏み入れた。威厳あった浪造は背を丸くし、その顔面は涙と何かでドロドロであった。
「――げほっ!」
三人のむこうでは、悪魔と祈祷師との戦闘が続いていた。涼介は押され気味のようだ。
「業火! 業火! 業火!」
そう叫ぶ青年の指先からは、火山から流れ出るマグマのように、とめどなく炎が放出され続けていた。祈祷師と下僕は結界を駆使し、着実に涼介へと近づく。
「サタン! 助けろよ」
建物の陰に隠れて、祈祷師ふたりの衝撃波を回避した。
「魔力ばかりあっても、お前が助けてくれないと意味がない!」
しばしの沈黙。
「黒魔法には詠唱がいらなかったんじゃなかったのかっ?」
しばし沈黙。
「……高度魔法か、黒魔法も面倒だな」
涼介は翔の隠れているところまで突っ走る。
その間も祈祷師からの攻撃が続けられる。
涼介の展開する煉獄の壁を貫いたものはなかった。
「翔、離れるなよ?」
「どうしたの、涼君」
「そいつらはなんだ? このくそ忙しいときに」
「おいて行ったら、殺されるかもしれない」
「そんなの俺らに関係……、わかったよ。連れてきゃーいいんだろ!」
翔は満面の笑み。
「うんっ!」
「さぁ、行くぞ……」
涼介が片言の外国語で詠唱を行う。
詠唱は激しさを増し、涼介が作っている煉獄の壁も速さを増した。
そして、その間も祈祷師は攻撃を加えていたが効果はなかった。
「そろそろじゃな……」浪造が言った。
涼介の最後の言葉が消えいるかと思われたころ――
「わたしを置いていくなっ!」
陽子が煉獄の壁をすり抜けて入ってきた。
「――ッ!」
その瞬間五人は消えた。
さっきまで彼らがいた場所に氷の刃が襲った。
最後の攻撃は衝撃波ではなかったのであった――
「危なかったね」翔がみんなに言った。
涼介は沈黙を貫いている。サタンという悪魔と会話しているのだろう。
「おさんがた、もうだいじょうぶ。涼君は強いんです」
「その『リョウ君』は何語を話していたんだぁああ?」
突然の訪問者は悪びれずに尋ねた。
「ラテン語だと思います。……それより、きみはいったい何者なのかな? 炎の壁を無傷ですり抜けるとは、なみの人間じゃ無理だと思うのだけど――」
「私は地球人だっ!」
翔が口をつむぐ。手を額にやり黙り込んだ。
龍之介が辺りを見回すと、辺り一面野原だった。小高い丘の上の頂上にいるらしい。
「一面を見渡せる丘じゃのぉ」
「あっ! ダンボールがひとりぼっちだ……」
龍之介は恐怖さえ感じた。どうしてほって行ったのさ! とせめまれるかもしれない。
と、そこに龍之介の肩を叩くものがある。
「うんのりゅうのすけ、りょうすけ。名前が似ているではないか!」
陽子である。
龍之介はだれかこの中学生を黙らせろと思って浪造を見た。
彼はだんまりである。
「ここは東部かな? 東京であることは確かだと思うけれど、どうやって戻ればいいんだろうね」
黙り込んでいた涼介が口を開いた。
「奴らの目的は俺たちふたりだ。迷惑掛けたな。お前たちは歩いて帰ってくれ。関係ないからな」
「――関係はある」
低い声で否定した浪造があった。
「わしの娘は、奴に殺されたに違いない。あいつを縛り上げて」
涼介は遮った。
「素人には手出しできないよ、じいさん」
「――歳上に向かって、じいさんとはなんじゃ!」
突進しそうな勢いの浪造を見た涼介は、手をひらひらとさせた。
浪造の目には炎があふれている。涼介は復讐に燃える浪造を気にいったのか、
「まぁ、関係あるか。俺は涼介だ。よろしく、おやっさん」と認めた。
うんざりしたような声だった。
「ところでさぁ~、リュウ君のあだ名変えようよ! 龍之介でどうだ?」
「あだ名じゃないことないか? 単に呼び捨てにしただけじゃ――」
「陽子のセンスは世界一!」
陽子はどこから持ってきたのか、ダンボールを頭に乗せている――
「それ、僕のダンボールだ!」
陽子は振り向いた。
「そうなのだ! 龍之介の大事な大事なダンボールなのだ! 忘れずに持ってきたのである」
「ありがと!」龍之介は陽子をぎゅっと抱きしめた。
陽子はなにやら訳のわからないことを言っている。
「地球人と宇宙人は結婚できないぞ……、その子どもはハーフになってしまうではないか! 陽子大ピンチ!」
陽子ののろけを無視して、
「ありがと、ありがと、これは大事なダンボールなんだ。よくぞ持って来てくれた」と言った。
「礼などいらぬ、当然のことをしたまでだ」
空は一面雲に覆われている。風が龍之介の首をなでた。
涼介は、浪造の娘を殺害した者を見つけ出し連行するかわりに、隠れ場所を提供してもらった。
「わざわざ、祈祷師に殺されに行くようなもんだからな……」
翔は自宅の母の心配したが、サタンは杞憂だと言った。
涼介が翔の耳元でささやく。
「サタンの目は、山ふたつ分の障害物を見透かす。祈祷師達がなにをしているかは、すべて把握してるよ。俺らの家の周りで待ち伏せをしているだけで、家族に手を出すことはない」
「でも、さっきのは」
「確かに、気づかなかった。サタンが祈祷師の気配を感じなかったのは嫌な予感がするよな……」
龍之介は空を見上げた。
どこまでも広がる雲。日本では空を仰ぐということをしなかった気がした。
だからこの空の美しさが日本に劣るのか勝るのかもわからない。
「それでも……、いい景色だ」
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