第九号 夢は終わらない
街灯がきらめく界隈からすこし外れた郊外を、ひとりの青年が歩いていた。
「明日がどうなろうとどうでもいい」青年は吐き捨てた。
「この世界を破壊しないか?」
『また夢を見ているんだ』龍之介は思った。
青年は周囲を見回したが、だれもいない。
そこは市の郊外で、人気がなく暗い区画であった。ふたたび声が木霊する。
「この世界を破壊したくはないか?」
「お前は誰だ?」青年は辺りをきょろきょろと見回した。
「私はサタンだ。君らが言う悪魔の棟梁サタン。君たちが信仰する神にあだなす悪魔だよ、青年。ともに世界を破壊しようではないか」
青年はサタンに答えなかった。
「この腐り切った世界を破壊することに、なんの罪があると言うのか。いや、むしろ腐り切ったこの世界は破壊しなければならないのだ」
悪魔の声がどこから聞こえるのか、探しているかのように青年は通りを見回している。
「悪魔の言うことに耳を傾けるわけがないだろう。そもそも、悪魔だとか、神だとかは存在しない」
「それはおかしいぞ。享楽的な少年よ。私は存在する。そして、私は悪魔ではない。真の悪魔は、神を語る奴らだ。どうして私が悪だと決めつける? 私が悪事を働いているところを見たのか? お前の眼で見ていないだろう。我々は、神を語る悪魔が人類を毒すのを守るために生まれたのだ」
青年は歩き出す。
「――馬鹿馬鹿しい。悪魔はみなそう言うんだろ」
「悪魔は存在しないと言っていたのに、それを認めるのかね?」
「認めない。悪魔だとかの存在は、科学的には証明されていない」
悪魔の笑い声が辺りに響いた。
「科学? 笑わせるじゃないか、愚かな人間よ。君が言う科学とは、西洋科学であろう。しかも、科学的に証明できないものは、その存在自体を否定するなどとは、酷い話じゃないか。人間は自分が思っている以上に、自身について、世界について、知らないのではないかね?」
青年は舌打ちをした。
「面倒な奴だな。とっとと消えろ。二度と俺の前に現れるな。もし現れたら、呪い殺してやる」
しばしの時間。悪魔がささやく。
「面白い。だが、もう遅いぞ。私は君に憑いているのだよ。手遅れだ。呪い殺せるというものなら、呪い殺してみるがいい。がははははは……」
悪魔の高笑い。
青年も笑い出した。
だれもいない路地裏で、青年と悪魔。
「俺に憑いているだって? 笑わせる。嘘だろう。もしそうだとするならば、一度俺の体から離れて、その姿を見せてからにしろ」
「良かろう。疑い深い人間よ。私の姿を見た者は、永遠にその呪縛から逃れられないだろう。その覚悟があるのか、青年」
青年は手で合図した。
「面倒なことはいい。その姿を現してから薀蓄を述べろ」
悪魔の短い笑い声はすぐにやんだ。
「――うむ、青年。貴様の体から離れることができない。君が私を縛っているのではないか?」
にやり。
『うわぁあああ!』
龍之介は目が覚めた。まだ暗い。
「最近変な夢見すぎ」
悪態をついた龍之介はもう一度床についた。
世の中を騒がせている者があった。
人々は、その者を「サタンの娘」と呼んだ。
目下、その正体は謎に包まれている。
太陽が昇り、闇から光が現れる頃、その正体も少なからずわかるであろう――
観察者、海野龍之介。
登場人物二名。
記録なし。初めての登場者。
まぶしい太陽の光が少年に降り注いでいた。
時刻も九時をすこし過ぎたころ。
少年がだるそうに身体を起こした。
医療用と思われる機械が少年のベッドの横に並べられていた。
少年は大きなあくびをする。
「平和だなぁ」
テレビの電源がつけられた。
少年は勉強机に置かれている朝食を手に取った。
「昨日も強盗か……」
午前一時ごろ、盗人は宝石店の正面入り口を爆破。
陳列してあった二百万円相当の宝石を盗んで逃走した。
宝石店には数千万円もする宝石があったにもかかわらず、盗人は安物の宝石を九つ奪ったに過ぎなかった。
人目につき、防犯が厳重な正面入り口を木っ端微塵に爆破して侵入するという手口は、費用対効果という面でも話にならないと専門家は述べている。
「……おかしな強盗がいるものだ。僕なら全部持っていくけれどね」
「――高いのを取っていったら、足がつくだろ。この強盗は賢い」
突然、横槍が入った。少年は突然の訪問者を歓迎した。
「おはよう、涼君。ノックして入るように、いつも言ってるのに。……そもそも、君は不法侵入だよ。僕の許可なく部屋に入る以前に、不許可で家に入ってるんだもん」
青年は自分の長い髪を束ねていて、少年の挨拶には答えなかった。
「鍵を玄関の植木鉢の下に置いてる方が悪いだろ。強盗に入ってくださいって言ってるようなもんだ」
「それでも、僕の部屋に勝手に入っていいとは言ってないよ」
「はいはい。ひ弱な少年、翔。それに俺のことは涼介って呼べよ」涼介は手をひらひらとさせた。
翔はそっぽを向いた。
小鳥がさえずりをしている。
「『涼君』、髪を染めたんだね。一週間ぶりにあったけど、その間になにかあったの?」
「――いいや。さすがにこの色はまずいか?」
涼介は真っ赤な髪に触れた。
「うんうん。そんなことないけど、意外だなって思って。涼君は――」
翔は口をつぐんだ。
「なんだ?」
「うんうん、何でもない」
「そう言えば、なんで俺を涼って呼ぶんだよ?」
「その方が涼しいんだよ」少年はテレビを見ながらそう答えた。
涼介は口を開いたが、また閉じた。
「ところでさ。涼君、昨日夜更かししたでしょ?」翔は楽しそうな声を出した。
「なんで、わかった?」
「僕は君以上に君のことが分かるんだよ」
「ふっ。……理由を聞いても、答えないんだよな?」
「まあね」翔は甘えた声で返した。
ふたりは宝石店強盗事件のニュースを真剣に見ているようであった。
「物騒だよな」ぼそりと涼介がつぶやくように同意を求めた。
「怪しい集団が、強盗や公共物を壊しているけれど、警察は逮捕できていないね……」
「犯人の特徴や目的もわかってないからな。集団かどうかも」
涼介の声はどこか楽しそうだ。
となりの翔の愛想はよくなかった。
涼介がテレビから目をはなす。
「お前、聖書なんか読んでるんだな」あきれたような声だ。
「興味深いんだ。まだ、創世記の一章しか読んでないけど……」
「……キリスト教徒になるつもりか?」涼介の顔に影が走った。
「まだ、わからない。たぶん、ならないと思う」
「それなら、読んでも無駄だろ」
「――文学として興味深いのさ。特に十一節。『次いで神は言われた、地は草を、種を結ぶ草木を、種が中にある果実をその種類にしたがって産する果実の木を、地の上に生え出させるように。するとそのようになった。』」
「俺にはわからない。……朝っぱらから難しい話をするな」
翔はのんびりと朝食を取りながら、聖書を読んでいたのであった。
「……お前の母ちゃんは、優しいな。いつも朝食を作ってくれるんだからな。夜まで働いて大変だろうに」
翔が反応した。
「――本当に感謝してる。涼君こそ、お母さんに感謝しないといけないよ。家を出たとき、行ってきますを言った?」
「へっ」涼介は顔をそらした。
「社長には、息子に気をかける暇がないんだよ」
「お母さんは?」
「あいつも、お偉いとこ出身だ。俺にはうんざりしてるよ」
涼介の体つきは頑強でもなく、背は高いが細身だった。
対して、翔は小柄で黒髪の病弱そうな少年である。顔色は悪い。
テレビを見ながら、だらだらと話していたふたりであったが、涼介が切り出す。
「じゃ、俺帰るわ」
「お昼ご飯食べていけばいいのに」
ベッドの上でごろねをしていた翔はとんとんとと、たたいた。
「いいよ、面倒だし」
「そういうのは、涼しいじゃなくて、冷たいって言うんだよ」
「へいへい」そう言い残し涼介は家を出た。
赤い夕日が涼介の背中を朱に染め上げる。
彼の口元がゆがむ。
「今日も」
人通りがすくない商店街。
赤い長髪をなびかせる涼介は一軒の衣料品店の前にたどり着いた。
つぶやく。
「破壊……」
たちまち、店のシャッターが吹き飛ぶ。
涼介はゆっくりと店内に侵入した。
涼介はなにかを見つけたらしい。
靴下を三足。
それを持って店を出ようとしたが――
「待て、どろぼう!」
この店の主か。
掴みかかろうとした。
涼介はひらりとその手をかわし、聞こえるか聞こえないかくらいの声でささやいた。
「吹き飛べ」
言葉通り店主は店の奥まで吹き飛ばされた。
少女がそれを見ている。
「ひどいよ。どうして、お父さんを殺しちゃったの?」か細い声。
「死んでない。手加減した」ボソッと涼介が言う。
「『おねえさん』、だれ?」
「サタンの娘」
暖かな日光が翔を包み込んでいる。
彼の目はテレビを注視している。
『翌朝?』
早朝のニュース番組は、龍之介も見たテレビで見た商店街の事件で持ちきりであった。
『ここは過去?』
テレビ。
「……靴下三足を盗むために店のシャッターを破壊し、強盗を止めようとした店主を五メートルばかり投げ飛ばしたそうです。幸いなことに店主は軽症で済みましたが、投げ飛ばされたときの記憶はないと証言しているそうです」
コメンテーターが首をかしげて言った。
「問題なのはね、なぜ靴下を盗むためにシャッターを破壊したのか。なぜその店を選んだかですよ。犯行目的や爆薬の種類も特定されず捜査は難航しているらしいじゃないですか」
「近隣の方々によると店主さんは恨まれるような人物ではなかったそうですが……」
「というと、怨恨ではないのか!」
「そのようですねぇ」
捜査本部は、一週間前より活動している怪しい集団の犯行と断定した。
グループの名前は、非公式に「サタン」と呼ばれた。
犯人の特徴は、長身・長髪でその色は赤色。肌は白色。女性――
「事件当時はなにをしていましたか? なにか気づいたことはありましたか?」
はす向かいの居酒屋のアルバイト(僕じゃん!)がインタビューを求められている。
だが、勢いよく拒絶した。
「知らないものは知らない!」
『我ながらあっぱれ』
このニュースを見ていた翔は疑問を抱いたようだ。
「おかしな強盗がいるものだね。わざわざ足がつくようなことして。女性が、おじさんを五メートルも吹き飛ばせるのかな? 世の中は複雑奇怪だね」
涼介が登場。帽子を深く被っている。
それに気がついた翔があいさつをする。
「おはよう、涼君。……今日は玄関の鍵を持って来て置いたのだけれど」
「窓の鍵が掛かってなかった。俺への歓迎のしるしだと判断した」
「そうかい、僕と君との仲だ。帽子取りなよ、部屋の中なのに……」
翔は目を丸くした。
「――って、どうして帽子を被るようになったの? あれだけ嫌がっていたのに。しかも、髪を全部中に入れ込むなんて、せっかくの長い髪が泣いてるよっ!」
「目立つからだよ、それに髪は泣かない」涼介は翔から目をそらした。
前回と同じように午前中を過ごした涼介は翔の家を出た。
日曜日にひとりで歩く涼介の周りは混んでいてにぎやかである。
彼だけが不愉快な顔をしているが。
「平和だな」
誰に言ったのかはわからない。
「破壊してやる。くそくらえだ――」
歩きながら涼介は独り言を繰り返す。
「そうだな。確かに、お前の言うとおりだ」
「……わかってる。少し黙れ。おしゃべりな奴だな」
『だれに話しているんだろう……?』
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