第七号 底なし沼から這い上がる龍之介
深夜。
月明かりがうす暗く店の前を照らしていた。
龍之介が寝返りを打ったその時、爆発が町内を襲った。
飛び起きたが、部屋を出ようとはしなかった。
「んにゃ?」
はす向かいの店が賊に襲われていた。
吹き飛ばされた店主は動かなかった。
彼の愛犬が助けを呼ぶ。
龍之介が異世界に来て三日目の朝。
血色の悪い顔で身支度をしている。
「深夜に、はす向かいの店が怪しい集団に襲われ、店主が傷を負った……」
「――たかが、ひとりが軽傷を負ったぐらいで、警察やら報道陣やらが、たむろするなんて変な世界だよな。こっちは夜中に何度も悪夢で目を覚ましたってんのに」と変なことを言った。
顔を洗って店内に入る。
「おやっさん、おはようございます」
「なんじゃ、その顔は。シャキッとしろ。顔でも洗って来い」
「はい」
龍之介は奥に入り顔を洗う。
だがその動きは遅かった。
「すこしでも暇な時間を楽しまないとな……」
「おやっさん、おはようございます」
龍之介は同じ言葉を再生して作業を始める。
彼のすべきことは、すでに用紙に書かれていて、それをすれば良いだけであった。
店内にあるブラウン管のテレビを見ながら龍之介は老造に尋ねた。
「昨日は、なにがあったんでしょうね?」
「知らんのか。サタンの娘じゃよ。……新聞を読みなさい」
浪造は珍しく優しい言葉で龍之介を諭した。
「――あっ、あっ。それで、なぜ襲われたんでしょうか?」
龍之介は新聞を読むのが嫌い。
「うん? なぜじゃろうな? あいつは、あくどい奴じゃったからな、陰では恨みを買っておったぞ。テレビで店主が恨みを買っていた! なんて言えないか」
浪造は豪快な笑い声をあげながら奥に消えた。
龍之介は天井を見上げる。
「それにしても、ダンボールはいつになったら俺の呼びかけに答えてくれるのであろうか」
「僕は夢の中にいるのだろうか。ハイテンション野郎は、常に僕を監視している気がする。被害妄想ではないよな? 失敗したり、独り言を言うと、手に持つノートに書き書きしているのだから」
彼は激しくうなずいた。
「絶対に監視している」
「……だから、ダンボールは俺と話せないのだろう。間違いない。そうであってほしい。あいつは魔法があると言っていた。そうだとしたら、日本へ、僕の家へ、帰る方法もあるかもしれない」
しばらく無言だった龍之介は、顔を急にあげた。
「平日の休憩時間がチャンスだ!」
この日も龍之介は酷使され、夕方になって陽子と交代した。
月曜日の朝。
太陽がさんさんと地上を暖めている。
南向き二階の部屋。
中央に敷いてある布団のうえで、陽子が毛布に絡まっている。
時刻は五時。
階下で物音がしていて目を覚ましたのだ。
彼女の祖父が店の準備をしている。
朝早くから夜遅くまで仕事をこなす祖父を見る時、陽子の眼差しにはあついものがある。
「朝だねー。三月の太陽はありがたいよぉ。りゅう君を起こさないとね。ひゃっほーい!」
陽子は小走りで階段を駆け下りた。
龍之介は一階の北にある倉庫で寝ている。
陽子は前日と同じように大声で、龍之介の体をゆすった。
彼はなかなか起きなかった。
ようやく身支度を始めたが、それでも陽子と口をきこうとはしなかった。
龍之介はいつものように失敗して、叱られて、殴られて、午前中を過ごした。
しかし、目だけは輝いていた。
舞台は昼休憩間近の厨房。
「おやっさん、ちょっと腹痛いんで、トイレに行ってきてもよろしいでしょうか」
龍之介は普段と変わった言葉遣いをした。
「行って来い、行って来い。戻ったら昼飯だ」
浪造はあっさり許可した。
厨房を抜け出すことに成功した龍之介は、いつもなら左へ曲がるところを、二階へ上がるために右へ曲がった。勢いよく階段を上ろうとしたが――
なにかに衝突して倒れこんでしまった。
「いたたた……」彼は踏んづけていた。そして驚嘆する声。
「――ああっ? なんでこんなところにいるんだっ?」
下敷きになっているのは陽子であった。
いつものように「宇宙人研究ノート」を身に着けている。
「今日は期末が最後だったんだ。午前で放課になったからだよぉ!」
満面の笑みで答えられた。
「階段の影から盗み見している姿が目に浮かぶよ。……まぁ、いいや。今日はダンボールと話そうと思ってな」
龍之介は陽子に打ち明かした。
「おお~? さすが宇宙人だね」
龍之介は肩を落としている。眼前に広がるのは急な階段。
陽子はそれを、りすが木を駆け上がるがごとく軽やかに登って行く。
龍之介にとっては試練である。
一段一段ゆっくりと登る。彼は口をもごもごとさせている。
そうして、龍之介は陽子の部屋に招かれた。彼女の部屋は怪しげな物がたくさん置いてある。目立つのは、本・置物・金魚・モデルガンだ。
龍之介は、そんな足の踏み場もない部屋の中に埋もれているであろうダンボールを探し出すのに三分ばかり時間を掛けてしまった。
目当てのものを見つけた彼は、部屋を出ようとする。
部屋の主がそれをとめる。
「ここでダンボールとお話ししたらいいじゃないか。この部屋にある物が共鳴するかもしれない」
陽子はうれしそうである。
「いや、そんなことないんで、大丈夫っす。それより、蝋燭《ろうそく》とナイフを恵んでください」
それにつられたのか、陽子も変な口調になった。
「わかった! 外で待っていてくれ給え。陽子は上等な蝋燭を持っているのだ」
気味の悪い口調で笑い声を漏らす彼女を置き去りにして、龍之介は部屋を出た。
「……さて、ダンボール。俺の呼びかけに答えるんだ。まず、俺はどうすれば日本に帰ることができるのか?」
ダンボールに変化はなかった。
そこへ陽子が太い蝋燭を持って来た。
ナイフは持っていなかったらしく、果物用の包丁を用意している。
「ヨーロッパで使いそうな蝋燭だな……」
龍之介は薄暗い廊下で一本の蝋燭に火をつけ、脅迫を始めた。
「ダンボールよ。我が呼びかけに答えよ。帰還するにはどうしたら良いのだ?」
陽子の手が凄まじい勢いで動いている。
ダンボールは微動だにしない。
「……そうか、呼びかけに答えないのか。では、痛がる貴様の全身の皮をむしり取り、その皮を燃やそう」
「その煙をまとったこのナイフで、貴様の全身を切りつけて、火であぶり、生きたまま体を切り刻んで――」
ダンボールがかたかたと動き出した。
「うわあああん!」
隣で記録を取っていた陽子は目を丸くした。
龍之介はうれしくなった。ようやく口を割ったのだ。ゆっくりとダンボールに触れる。
かたかた。
龍之介は意地悪く蝋燭をダンボールへと近づける。
「この人は信用できる人だから安心しろ。正体をあかしても心配ない」
観念したような声が廊下に響いた。
「――降参だよ、ぼっち。蝋燭を向こうにやって、電灯をつけておくれよ」
「だから、その呼び方をやめろ。まぁ、そんなことはどうでもいいんだ。どうしたら、元の世界に帰られるのか。それを教えてほしい」
龍之介は蝋燭を吹き消し、電灯をつけた。
裸電球がふたりとダンボールの上をぼんやりと照らす。
ダンボールはふたを揺らし始めた。
「向こうの世界に魔法が存在しないという確証はないけれど、すくなくともこの世界には魔法が存在する。魔法を使えば日本に帰られると思うよっ」
龍之介はあごに手をやる。
「そうか。だが、だれでも魔法を使えるというわけではないのだろう?」
「うん、この世界で魔法を使う人はほんの一握りだと思うよ。外へ出れば情報収集できるのだけど」
陽子はひたすら手を動かし続けている。その背後から黒い影が迫った。
突然の怒鳴り声で、ふたりと一体は縮み上がった。
「どこで油を売ってるかと思えば――」
鉄拳。
龍之介は派手に吹き飛ばされた。
ふたたび鉄拳。
野獣に襲われた草食動物を、老造が引きずって行く。
龍之介が連れ去られても、陽子の手が止まることはなかった。
五分ばかり正座をしたまま記録を続けていた彼女はふと顔を上げた。陽子の視線の先にはダンボールがある。
「ダンボール君! 我が願いを聞き入れ給え」
ダンボールは一切の変化を見せなかった。
「火をつけるぞお~、いいのかなぁ。丸焦げになっちゃうぞ」
「――わかったよ。話すから、ぼくを大切に扱ってよ」
ダンボールは抵抗しなかった。
「りゅう君は宇宙人なのか?」陽子はすぐに尋ね始めた。
「別の惑星から来た者を宇宙人と定義するなら、ぼっちは宇宙人になるね」
陽子の機嫌は良くなったらしい。
「そうかそうか。やっぱり、りゅう君は宇宙人なのだ。ところでダンボール君は、りゅう君の『使い魔』なのか?」
ダンボールは間髪入れずに答える。
「確かにこの世界には魔法が存在するけれど、ぼっちは魔法を使うことができない。すくなくともいまはね。だから、ぼくは使い魔ではないよ」
陽子は首をかしげた。
「それなら君はいったいなんなんだ? 宇宙人か?」
「ぼくは人間じゃないけれど、人間と同じように話したりすることができる」
合点がいったのか陽子が手を叩く。
「――それなら、人間と同じじゃないか。君は宇宙人第二号だな。君はりゅう君になんと呼ばれているんだぁ?」
「ダンボールって呼ばれているよ」悲しげな声。
「可哀想な名前だなぁ。ダンダンはどうだぁ? いい名前だろう?」
ダンボールは陽子からわずかに体をずらした。
「――ぼくは、ぼっちに名前をつけて欲しいんだ。君につけて欲しくなんかない」
「冷たいこと言うなぁ。直々に陽子がりゅう君に具申してやろう。入りたまえ」
陽子は胸を張って答えた。
不機嫌そうなダンダンを丁重に彼女が自室へ招き入れる。
「別に君の部屋を見ても面白くもなんとも……。あれはなんだい?」
初めは、ご機嫌斜めのダンボールも、彼女の部屋にある様々な置物に興味を示したのか、質問を繰り返していた。
ダンボールは、陽子の部屋のあらゆる物に目を向け、ハイテンションな陽子は解説に熱を上げていた。
そんなふたりとは対照的に龍之介は店主にこき使われ、どやされ、包丁を投げつけられていた。
暗くなり始めた夕方。
浪造がひとこと。
「お前もやれば、できるな」
龍之介の顔がなにかでいっぱいになった。
「なに、ニヤニヤしておる。とっとと、戻って寝るんじゃ!」
龍之介は厨房から走って出て行った。
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