第五号 弟子入り
明るいひとすじのひが龍之介の睡眠を邪魔した。
あたりを見回す。
太陽の光が、部屋に舞っている埃に反射し、幻想的な雰囲気を演出していた。
「きれいだな」彼はせき込みながら言った。
ぼろぼろの布団がコンクリートの上に無造作に敷かれていた。
「ここはどこだ?」目をこする。
「――ようやく、目を覚ましたのかぁ!」
体を起こした背後から、明るい声を掛ける者。
龍之介が振り返ると、茶髪の女の子がいた。
セーラー服を見ていた龍之介は。決して、スカートを見ないようにしながら辟易とした声で尋ねた。
「ここはどこだ?」
「ここは日本だぞ! 君は宇宙人か! 近くのごみ集積所で寝ている宇宙人を捕獲したぞー。やったあああ!」
太陽のような声が、龍之介の耳元を震わせる。
こめかみを押さる。
「道端で寝ている学生を宇宙人と間違える人間がどこにいるんだよ。俺は茅原龍之介。ちょっと、複雑な事情が絡み合って」
「なにが絡み合っているんだぁ?」
セーラー服はすっと龍之介に近寄ってくる。
「あっ! ダンボールを知らないか? 俺が抱いていたダンボールだ」
女の子は飛び上がった。
「ちゃんと、置いてあるぞぉ。宇宙人が大事にしているダンボールを奪うほど、陽子もひどい人間じゃない!」
「やれやれ」
龍之介は一息ついた。
部屋は物置として使われているようで、食材が置いてある。
北側の部屋だからだろうか。
暗い。東にある窓から、わずかに光が入っている。
「なにか、この部屋ってさ……。いや、なんでもない」
龍之介は首を振った。影に隠れた龍之介の表情はわからない。
暗い部屋の中にいる文字通り暗い龍之介とは対照的に、陽子は元気溌剌である。
「うちはさ、一階の南側が居酒屋、北側が食材置き場。二階が家になってるんだ。マイ・グランドファーザーは店主をしていて、浪造って、言うんだよ」
「ダンボールを持って来てくれないか」龍之介が話をさえぎる。
「わ、わかった!」
お願いを聞いた陽子は瞬く間に駆け出した。
「わざわざ話すなんて、親切なんだか、ばかなのか。それにしても……」
彼はふたたび部屋を見回した。
目を細めた。光が部屋を二分している。
なにかを隠すかのように、むき出しのコンクリートを光が覆っている。
すぐに戻ってきた。
「はい。これでしょ?」
「感謝する」龍之介はダンボールを確認した。
「確かにあのダンボールだ」彼はさらにぶつぶつと続ける。
「俺を安全な世界から引きずり出した悪魔。いわば、いまだ生まれぬ胎児が眠る妊婦の腹を切り裂き、産声を上げることなく胎児を外気に触れさせたようなものだ。俺を殺したダンボール」
「しかし……、まだ死んでいないかもしれない。故郷に帰られるかもしれない」
陽子はノートになにかを書き込んでいる。
「あぁ、ダンボールよ。俺はどうすればいい?」
陽子が体を震わせている。
「……ダンボールと話してる! やっぱり、宇宙人だ。陽子はすごい発見をしたぞ」
「――ッ、違うんだ。このダンボールが勝手に話し出して」
「陽子、さいっこう!」
事態はさらに悪化した。
飛行機の真似事をして部屋を駆け回っている中学生。
龍之介はどんよりとした気分で陽子を見つめた。
「ところで、新聞をここ一か月分読ませてもらってもいいかな?」
「もちろんだぁ!」
陽子はセーラー服を揺らす。
ふわりと浮きあがったスカートの下には、適度に――
女子中学生は部屋を出た。
龍之介は目をそらす。
「まったく、宇宙人は男ですよ。そういうとこ意識しとかないと」
「おお、神よ……、いまの神聖なる聖域を見たかね?」
つっこまれなかった。
「ダンボール。宇宙人を日本に返してくれないか」
ダンボールに変化はない。
龍之介は舌打ちをした。
「裏切り者め」
「――りゅう君は、どうしてここにいるの?」
いつのまにか陽子が両手で新聞を抱えながら龍之介の前にいた
「俺にもよくわからん」
「帰るところはあるのかぁ?」
「ない」断言した。
「それなら、ここにいるといいよ! ここで居候すればいい。マイ・グランドファーザーにお願いするから。弟子が来たって。喜ぶぞぉ」
龍之介は顔をゆがめた。
こんな孫をもつ爺さんだぞ、絶対やばい!
「……なんか危なそうな気がするから、やっぱ、いい」
陽子は新聞の束を龍之介に押しつけると、耳を貸すことなく走っていってしまった。
龍之介は陽子の持つノートを目に捕らえた。
『宇宙人研究ノート』
部屋に注いでいた光が消えた。
「――わしの弟子になりたいという若造はお前か!」
白髪混じりの老年。
厳格そうな顔は龍之介に異論を言わせなかった。
「はい、そうです。弟子になりたいんです、はい。よろしくお願いします!」
「そうかそうか、がっはっはっはっは」
龍之介は強制労働につかされたのであった。
掃き掃除。
拭き掃除。
皿洗い。
次々と仕事が与えられる。
「――消費期限は一週間だ。今日の日付に『七』足して書き込んどけ」
「今日は何日でしたっけ?」龍之介がとぼけた声で尋ねた。
「馬鹿もんっ! そんなのも知らんのか」
龍之介は平手打ちを受けた。
仕込みの作業をしながら、龍之介が独り言を続ける。
「ダンボールは死神の化身ではないのか……?」
浪造が厨房に戻ってきた。
「手が止まっておるぞ! だれが休んでいいって言ったんじゃ!」
「すいません!」
「だれが言ったんじゃ?」
「だれも言っていません」
「そうじゃ、だれも言っておらん。だから仕事をせいっ!」
浪造に聞こえないくらいの小さな声で龍之介は愚痴を漏らしていた。
「すくなくとも、これで二十五回目の謝罪だ」
「絶望……、あるのはそれだけだ。だれが好んでこんな仕事をしていると思ってるんだ。本当なら、すぐにやめて家に帰るところだが、ダンボールに話しかけても答えないから、こうして働いてやがってるんだろうが」
龍之介はふとガラスに映った自分の顔を見た。
両の目には闇が潜んでいた。
そんな愚痴を繰り返すうちに龍之介の背を夕日が照らすようになった。
接客を教えられていない龍之介は陽子と交代になり、こき使われた身体を布団に横たえた。
「眠れない、眠れない、眠れない、眠れない」-
そうつぶやいていた龍之介は、ものの五分で寝息を立て始めた――
荒波が前甲板を叩きつける。
「予備少将、敵さんは現れませんな」
「出会わないことを祈るだけだよ。私は津田でいい」
「しかし、司令官!」
「私も君のことを山城さんと呼ばせてもらうよ」
「護衛艦より入電! 右舷前方に潜水艦発見!」
「海軍さんの護衛ですかね?」船長がのろけた調子で話しかける。
「進路は?」落ち着いた様子で予備少将津田司令官は尋ねた。
「方位六〇、進路三〇〇! 護衛艦対潜戦闘に入ります」
「よろしい、船団体形維持、新進路三三〇!」
船長が答える。
「船団体形そのまま、新進路三三〇!」
「第三戦闘配置!」
「消えるんですね、司令官」
「そうだ、船団は全滅する」
「――いつまで寝とるんじゃ!」
翌朝。
龍之介はおやっさんに叩き起こされた。
寝起きの龍之介を散々に叱るのであった。
「おぬしは、コウモリか? とっとと、起きんか! もう、七時じゃ。わしは下に行っとるから、はよう来い」
おやっさんの背中をぎらぎらとした龍之介の眼が睨みつけていた。
「すこしくらい寝させろよ。ばーか、ばーか」
階下に来た龍之介は作業を始めたが、口をパクパクとさせている。
浪造がいなくなるとそれに音がつく。
「ばーか、ばーか」
作業の合間、龍之介がダンボールに話しかけても、なんら変化がなかった。
普段はゆっくりしていた土曜の朝、龍之介は労働に汗を流していた。
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