銀座のマチ弁から勝どきの宅弁へ(弁護士遠藤きみのブログ) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2014-01-27

[][][] 1月28日(お返しのお礼の電話、午後は別宅へ) 18:22

 10時から、次々電話。

 最初は、三越の○○さんから、追加のお返しをお願いした5件の品物が、無くなってしまったので、すぐ送れないかもという連絡。

 30分ほどしてから、なんとか手配できたので、すぐ送りますという連絡。

 その後、お返しの品物が届いたというお礼の電話。

 義妹からも。

 12時過ぎに自宅を出て、勝どき交差点の郵便局で、受任事件関係の郵便3通を出してから、バスで別宅へ。

 2時40分頃、3時からの打合せの約束だった方が、別件の依頼者と一緒に見えた。

 ご親戚だそう。

 1時間ほど、お話を伺ってから、当面のアドバイス。

 また適当な時期に連絡していただいて、この次は、勝どきでということに。

 玄関に入って来られた時は、とても不安そうなお顔だったが、お帰りの際は、笑顔。

 お役に立てそうで、良かった。

 6時過ぎに帰宅。

 電話が鳴ったので、お返しのお礼の方からかと思ったら、明日の午前中に見えるマンション管理会社の◎◎さんと同じ会社の方から。

 別のマンションの件で相談したいことがあるので、明後日の夕方、2人で行きたいという連絡。

 おいでいただくことに。

(追記)

 別宅について

 本日、ある方から、別宅について質問を受けたので、誤解のないようにしていただきたく、説明させていただきます。

 私達夫婦は、結婚当初は、夫が住んでいた6畳1間だけのアパート(家賃680円)で、1年余り、「神田川」の歌詞のような暮らしをしましたが、その後、高島平団地の賃貸住宅(2DK、家賃は1万数千円)に入居させていただけるようになって、夫が弁護士1年目、私が司法修習2年目の昭和47年の春から昭和54年までこの住宅に住んでおりました。

 ところが、私が法務省訟務局の民事訟務課に勤務して、国や地方公共団体、公社・公団が当事者となる訴訟事件の指定代理人になったり、各所管庁からの各種相談を受ける仕事をしていた時、住宅公団の賃貸住宅について賃料の値上げという方針が発表されて、間もなく、全国各地で、家賃値上げ阻止を目的とした訴訟が提起されるようになったことから、公団の賃貸住宅に住んでいるのは適当でない(私自身が賃料値上げに反対という気持ちになってしまっていたので)と考えるようになって、新聞の折込広告から、約1年後に完成予定という「木場ハイツ」の分譲の広告を見つけて、その申込みの日に駆け付け、長い行列の後ろの方に並んで、希望していた一番大きな4DKの部屋でたった1つ残っていた2階の212号室の申込みができました。

 この部屋の分譲価格は、1750万円で、頭金は2割、残りの1400万円は、住宅金融公庫三菱信託銀行の各住宅ローンを利用することになって、その資金は、夫婦半額ずつ負担ということにして、2分の1ずつの共有名義で登記という内容で契約し、昭和54年に高島平団地から木場ハイツに移転しました。

 その後、昭和60年4月に私が裁判官に転官となり、初任が仙台で、官舎に入居ということになったので、仙台に単身で赴任、転居したのですが、その際、カワイ音楽教室でピアノのレッスンを受けていた関係で、転居後は、仙台の音楽教室に通うことにしようと考えて、ピアノを防音室ごと、仙台の官舎に運ぶという大変な引越しになってしまいました。

 その後、後1年くらいしたら、東京の自宅に戻れるようになるのではないかと考えるようになった頃、自宅に戻ると言っても、自宅には、私の転勤後に夫が購入した箪笥のセットその他大きな家具で空きスペースが無くなり、私の荷物、特にピアノの防音室を設置する場所が無くなってしまったことなどから、どうしたものかと考えていた時、1軒置いた214号室3DKの売却の広告が目に留まり、売買代金の額は、3200万円と随分高額でしたが、住宅ローンを利用すれば、なんとか買えそうと考えて、購入することにしました。

 頭金は、財形貯蓄の一部解約で賄い、残金は、全額住宅ローンにして、無事購入でき、平成2年4月に千葉家裁への転勤で、自宅に戻った際の私の引越し荷物は、全部この214号室に入れることができました。

 上記のような経過で購入した214号室でしたので、登記名義は、夫の希望に従って、2分の1ずつの共有ということにしたものの、購入のための頭金を含めた諸費用、ローンの返済、管理費・修繕積立金はすべて私が負担することになってしまい、214号室購入の前は、半額を夫が負担してくれていた固定資産税も、214号室の分が加わった後は、私が全部負担(私の預金口座からの自働引落)するようになって、夫に負担金の請求をするというようなことはしなくなってしまいました。

 なお、212号室の住宅ローンについては、214号室の購入前に残債務全額の繰上げ返済を何回かして、完済となっていました(返済資金は、いずれも、私の財形貯蓄の一部解約金と夫からの半額の負担金から)。

 その後、新聞の折込広告から、花火の見える勝どきのマンションを購入したい(入居後何年かは、木場ハイツからも東京湾花火が見えたのですが、道路を挟んだ斜めお向かいにライオンズマンションができて、2階の我が家からは、花火が全く見えなくなってしまい、とても残念に思っていました。)と考えるようになって、モデルルームの見学に出掛け、担当の女性の方(息子さんが司法試験の受験生、その後合格)からいろいろ親切な説明も受けて、花火を見るのに最適と考えた16階の南側の角部屋を確保していただけそうということになって、現在の自宅である1607号室の購入手続を進めることになりました。

 夫は、「お前がそうしたいのなら、それでもよいが、単独名義にはするな」と言われ、購入価格の1割相当額の頭金の半額は、木場ハイツの212号室の売却代金(約2500万円で売れた)のうちの夫分2分の1の中から夫が負担してくれることになり、夫の持分100分の5、私の持分100分の95(頭金の半額と住宅ローン全額)として、共有名義で取得ということになりました。

 木場ハイツの2部屋は、当初、どちらも売却する予定でしたが、2階という余り良くない位置関係ということで、212号室の方は、他のお部屋に住んでいた方に買っていただけたものの、214号室の方は、なかなか売れず、最後に売却の手続を依頼していた業者から、「1000万円で当社が買い取らせていただきます」と言われたものの、いくらバブルの時代だったとはいえ、代金3200万円で購入し、売却準備として行なったリフォームにも数百万円の支出をした214号室を僅か1000万円で売却というのは、どう考えても残念ということで、この部屋の売却は、断念することにして、勝どきの自宅に運んだ引越し荷物の中から、海外旅行のアルバムとお土産類だけ、木場ハイツの214号室に戻すことにし、洋間にアルバム入れを新設、お土産用には、高島屋の家具のバーゲンを利用して、その都度、特別価格10万円の飾り棚の購入をする方法(費用は全額私の負担)で、合計4本の飾り棚を4畳半の和室に設置して、運んだお土産全部を飾り棚に飾り、アルバム入れには、その後の海外旅行の都度出来上がるアルバムも追加して行って、洋間両側の壁一杯に設置したアルバム入れが、やがて、満杯になってしまいました(国内旅行のアルバムは、勝どきの自宅のリビングルームのアルバム入れに)。

 勝どきの自宅の住宅ローンの残金は、私が平成17年の春、退官した際いただいた退職金の中から、残債務を数百万円残すだけ(ローン債務控除との関係で、10年前に完済にするわけにはいかなかったので)にして、繰上げ返済してしまいました。

 

 亡夫は、木場ハイツが好きで、よく私に「俺が死んで、お前が一人になったら、勝どきのマンションは売って、木場ハイツに戻るようにしろ。」と言っていました。

 勝どきのマンションは、同じ階にどんな方がお住まいなのかも全くわからないような1戸1戸独立した構造になっていて、部屋の中で倒れても、誰にも気付かれず、そのままになってしまう恐れのあるマンションなので、一人暮らしになったら,まるで昔の長屋のような状態で、居住者間の交流がある木場ハイツの方で暮らすようにした方がよいという優しい配慮によるもので、木場ハイツで親しくさせていただいてきている皆さんにも、転居当時から度々その話をしてきたので、皆さんは、いずれ私が木場ハイツに戻ってくると考えていてくださって、転居してからも、仲良くお付き合いさせていただきながら、今日に至ったもので、一昨年の春には、当時枝川三丁目の老健に入所中だった亡夫を管理組合の役員の方々が大勢で、木場ハイツのお花見の会場まで連れて行ってくださり、帰りも老健まで送っていただいて、楽しいひと時(亡夫の闘病生活の中での、通院以外の外出はこの時だけ)を過ごさせていただくという有り難いことまでしていただきました。

 この度、事務所を自宅にということを考えるようになったのは、昨年9月半ば頃で、9月末に、大家さんに文書でその意思表示をさせていただき、12月末明渡しの予定ということになったのですが、そのようにした方がよいと考えた理由は、受任事件の依頼者の皆さんの経済状態が余り良くない中で、しっかりとした主張立証を続けて、最後まで頑張れるようにするためには、審級ごとに所定の着手金の支払を請求する遣り方では、「お金がないので、控訴は無理」などということになってしまうことから、やむをえず、着手金はゼロにして、「勝ったら報酬金のお支払いをいただくことにしますから」というような遣り方で処理する事件が次第に増えてきて、仕事は忙しいが、収入がたいしてないという状態になる中で、更に頑張り続けるには、多額の経費(一番多いのは事務所の家賃)の支出をせずに済むようにする方法としての自宅兼事務所にするほかないと考えるに至り、12月末で銀座の事務所を畳んでしまおうという決意をして、当時、特養入所後の7月の虎の門病院への入院から17日後に退院して、まだ元気な状態にあった亡夫にも面会の都度、その話を何度もして、了解を得た後、引越しに向けての準備をとその段取りについて検討していた過程で、亡夫の健康状態が日を追うごとに心配な状態となり、遂に緊急入院という事態にまでなってしまったわけですが、退院後は、暫くの間、鶴巻温泉病院の療養病棟に入院して、健康状態についての心配がなくなってから特養に戻るようにさせたいという私の希望に病院の先生方も賛成してくださって、鶴巻病院への転院についての調整が開始された後、僅かな期間で、亡夫の死亡という残念なことになってしまいましたが、この転院の話が出た時、鶴巻温泉病院の入院費用は、1ヶ月約30万円という高額であることから、12月末で事務所移転ということにしておいて本当に良かったと思いました(前家賃なので、12月下旬の家賃の支払は必要なくなるので)。

 この度の、事務所からの引越し荷物の搬出に際して、亡夫の既済事件の記録や亡夫の使用していた書籍などは木場ハイツに、亡夫の事件記録のうち、依頼者からの照会などがまだあるかもしれないような事件の記録と私の事件記録の全部は勝どきにという分け方で運んだのは、当面保管さえしておけば済むものは木場ハイツに運び、そのほかは、これから事務所として使用する勝どきに運ぶのが適当と考えたからであって、決して、亡夫の死亡の機会に、私と亡夫の財産を、木場ハイツと勝どきに分けて、木場ハイツの方をその中にある、アルバムやお土産、虎の玩具なども含めた動産類まで、すべて亡夫の兄弟に相続させるための準備をしたなどというものでは、決してありません。

 木場ハイツは、先に説明したとおり、私が自分の資金だけで購入し、そのリフォーム代も支払って、大切に維持管理してきた、弁護士の仕事を辞めたら、亡夫から言われたとおり、そこに引越しして、親切な皆さんと一緒に、亡夫との思い出が一杯に詰まったアルバムやお土産なども眺めながら、楽しく老後の生活をしていきたいと考えて、老後の終の棲家として確保しておかなければならない大切な財産なのです。

 亡夫の遺産と言っても、金額的に僅かなものですが、その4分の1の相続分がある兄弟姉妹の方々へは、代償金のお支払いという方法で、きちんと計算させていただいた額のお金を支払わせていただきたいと考えております。


 

 

 

 

 

 

[][][][]1月26日(消火器の交換、インド料理店、花瓶を返却) 02:12

 今朝も、午前5時に起床。

 備品が揃った仏壇にお線香。

 

 8時半頃、三越の○○さん宛に、お返しの追加注文5名分のFAX送信。

 昨日の法要の際、(葬儀の際の連絡ができず),今回、初めてお見えになって、お香料をいただいた方(葬儀の際お香典をいただいた方からは、今回お香料をいただかないことにした。)のうち、会食前にお帰りになった方々と会食にも出席されたが、頂戴した額が大きかった方。

 10時に、FAX受領の電話が、女性の方から。

 その後、2階の集会室へ行って、消火器の交換。

 「何軒から申込みがあったのですか」と尋ねてみたら、「9軒です」というお答え。戸数217戸のマンションで、9軒しか申込みがなかったというのは、他のお宅は、消火器の交換を、近年、既に済ませているからということなのだろうか。それとも、管理組合からのお知らせをきちんと読んでいないなどの理由で、本日の交換のことを知らないまま、申込みの手続をとらなかったお宅が多かったということなのだろうか。

 11時少し前に自宅を出て、バスで、東京駅丸の内南口まで。

 八重洲口への通路から八重洲口へ。

 大丸に寄って、夕方伺う予定の左隣のおばあさんへ、葬儀の日からずっとお借りしていた花瓶のお礼としてお渡しする予定のお菓子(鈴屋の甘納豆の詰め合わせ)を購入。

 大丸の前のインド料理店「スーリヤ」の前に行ったら、既に二弟が来ていた。間もなく長弟一家も到着して、お店の中に。

 まず、お料理の注文。

 本当においしいビジャイさんのお店のインド料理。

 40分ほどして、ビジャイさんが見えて、2時間近く、歓談。

 「パパ、亡くなったんでしゅってね。ご愁傷しゃまでしゅ。」とご丁寧なお言葉をいただいた後、前に、魔除けになると考えて、私の名刺をお店の中の柱に貼っておいでと伺ったことがあるので、「事務所を銀座から勝どきの自宅に移しました。新しい名刺を作りましたので。」と言って、新しい名刺を3枚お渡しした(ビジャイさんのお店は、現在3つ(東麻布(本店)、日本橋小伝馬町、東京駅八重洲口)。

 http://r.gnavi.co.jp/a883100/

 http://r.gnavi.co.jp/e031600/

 http://r.gnavi.co.jp/a883102/

 3時10分頃、お店の前で、弟達と別れて、別宅へ。

 花瓶2つからお花を出して、綺麗に洗って、テーブルへ。

 ポットのお湯を沸かしてから、お隣の奥様に声を掛けて、おいでいただいて、お茶を飲みながら、昨日のお礼など。

 二弟から「とてもおいしいよ。」と説明されて、お土産にもらった、鳴門の鯛焼きをレンジで温めて、1匹ずついただいた。説明のとおり、おいしい鯛焼きだった。

 奥様からは、前に相談を受けた問題について、これからどうしたらよいかというご相談もあって、1時間くらいしてから、左隣のおばあさん(右隣の奥様のお母様)のお宅にお借りしていた花瓶のお返しとお礼。

 枯れた花などの生ゴミをゴミ置場に捨てに行ってから、別宅を出て、バスと地下鉄を乗り継いで、帰宅。

 帰りは、とても寒かった。

 別宅から持参したまだ活き活きしていたお花を、少し短く切って、仏壇の花瓶へ。

 夕食後、引越し荷物の整理。