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実験屋の論文って何の意味があるの?
1 2005/02/27(日) 04:09:26
いくら論文読んだって、実際の実験を見なきゃ確認できないではないか。
↑ 2005/02/27(日) 09:35:29
丁寧にやり方を書く。以上。
http://www.kyoto-u.com/lounge/hokubu/html/200502/05020029.html
目新しい論文はジャーナルから過大評価を受けるか? | Editage Insights
ニューヨークタイムズの記事によると、科学界を苦しめている大きな問題として、ジャーナルが追試(replication studies)に重きを置いていないことが挙げられます。追試は科学における基本です。つまり、根本的な仮説が受け入れられれば、その結果は再現可能なはずです。科学とは自己修正プロセスを意味しています。研究者は先行研究にもとづいて研究をし、もとの研究結果は実証されるか、あるいは反証されるのです。科学そのものの進化に、このプロセスは欠かせません。けれども、追試はもとの研究に比べ新奇性に乏しく、刺激的でもありませんから、掲載されるのはまれです。ニューヨークタイムズは次のように述べています。「科学者が実験をもう一度行った時、もとの結果に欠陥があることがわかった時でさえ、その論文を掲載するのに苦労するかもしれない。理由は驚くほどありふれている。ジャーナルの編集者は一般に、忠実な追試ではなく、新しく画期的な研究を好むからだ」
最近の研究者に「疑似科学」もしくは擬陽性でやり過ごしてしまう人がいるのは、このためかもしれません。(中略)どんな仮説でも、それを支持する統計的に有意な結果を発見することは、非常に簡単です。(中略)無意識のうちに実験に対し、自分たちが欲する結果を得るようなバイアスをかけてしまう恐れがあります。あるいは、新しく刺激的な結果が現れたとしたら、それが本当に妥当なのか疑いもせず、急いで発表してしまうかもしれません。(中略)問題が後に明るみに出たら、発表した論文は撤回されることになるからです。さらに一層悪いことに、その問題が気づかれないままだと、間違った科学が広がってしまう結果になるのです。
再現性の無い研究論文を減らすにはどうすべきか - むしブロ 2013-10-26 堀川大樹ことクマムシ博士
再現性の無い論文が多く生産される背景には、同じ分野における研究グループどうしの激しい競争がある。新規発見のプライオリティが認められるためには、最初に論文で発表するか、特許を申請しなくてはならない。二番目ではだめなのだ。勝者は名誉を勝ち取り、さらに多くの研究費を得ることができる。(中略)
このようなプレッシャーの中、研究室主催者は、自分の想い描く科学ストーリーに沿った綺麗なデータを信じたがるのも無理もない。そのようなデータをポスドクなどから見せられれば、それが条件設定ミスのため偶然得られたものであれ、あるいはデータに意図的に修飾がされたものであれ、すぐに論文にして発表したいと思うボスもいるだろう*1。
*1:再現性がとれない、といってもすべてが捏造というわけではない。微妙な実験条件の違いや、論文の記述には現れない実験の勘所など、結果を左右する要因はさまざま。
いずれにしても、再現性の無い論文が氾濫することは、研究者どうしでお互いの首を絞め合っているようなものだ。正直者が馬鹿を見るようなゲームの中では、嘘つきが増える方向にバイアスがかかっていく。そうでもしなければ、予算もとれないし、研究者として生きていくこともできなくなってしまうからだ。
http://horikawad.hatenadiary.com/entry/20131026/1382738827
2006/12/18 新しい創傷治療
『背信の科学者たち -論文捏造,データ改ざんはなぜ繰り返されるのか-』
(ウィリアム・ブロード & ニコラス・ウェイド,講談社ブルーバックス)
それに加えて,インチキ論文がこれまた簡単に雑誌に載ってしまうのだ。なぜかというと,インチキなデータ,インチキ論文を排除するシステムがないからだと,本書は看破する。その根本の理由は,現代科学の仕組みそのものにあるのだ。
現代において,科学者というのは職業の一つに過ぎない。職業だから,そこで出世したくなるし,収入も増やしたい。車のセールスマンなら売った車の数が出世の評価となるが,科学の業界では科学文献として公表された論文が評価基準になる。そして,政府からの研究助成金獲得競争とか,教授昇進に必要なのが,自分の名前が載った論文の長いリストである。それも,長ければ長いほど威力を発揮する。なぜかというと,管理者側・評価側はそれらの論文を読む時間的余裕が無いため,「質より量」で評価するしかないからだ。
http://www.wound-treatment.jp/next/dokusho241.htm
「科学実験では常に追試が行われているから,追試できない発見は排除されているはずだ」という反論があると思う。しかし,本書によれば,追試というシステムは全く機能していないという。追試をしても何の特にもならないからだ。科学において栄誉を勝ち得るのは最初の一人だけで,二番手には何も与えられない。だから,最初に発表した人の実験を追試したところで,それは栄誉でもなければ価値ある仕事でもない。追試した人には何も与えられないわけで,追試するだけ時間の無駄である。そんなことをする暇があったら,その報告が正しいことを前提にしてさらに発展させる方向で新たな実験を始めるのがマトモな考えであり,そうしなければ研究者同士の競争には勝てない。要するに,追試・検証という確認作業は誰もしないことになる。
このような事情から,大多数の論文は引用されることもないし,チェックされることもないし,追試されることもない。もちろん,読まれることもない。
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