能面ヅラ美

30代半ばの未婚女、内向的なヅラ美です。マイペースです。1人が好きです。クールです。能面顔です。

私は「友達や仲間がいる人」を羨ましいと感じるものの…

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上記の記事は、中高生時代から続く女性7人のアラサー仲間の話。結婚や仕事などそれぞれ環境が変わり、話題も変わってきた中で、様々な思いが交差している様子が書かれている。この年代によくある話だけれど、職業や環境、ブログ主の思いなどが具体的だったので興味深く読ませていただいた。

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記事の主旨とは違うのだけれど、私はこれを読んでなんとなく複雑な自分の気持ちが湧き上がってきたので、心を整理する為に備忘録的に書きたい。

私には彼女達のような女性グループというか、所謂"仲間"というものに対して「羨ましい」と「嫌だな」という2つの気持ちがある。

私は、このブログ主のような"学生時代の仲間"がいない。地元で通っていた高校は女子高で、それなりに仲良しグループに所属はしていた(昼ごはんをみんなで食べたり)。

"それなりに"というのは、その中に仲良くしている子がいたからグループの中に存在していただけで、他のメンバーとはそれほど親しくしておらず、2人きりになったら気まずいレベルだったから。

私は子供の頃から友達関係は1対1が多く、多分集団が苦手だったのだけれど、当時は今ほど自分のそういった性格について意識はしていなかった。学校という集団の中では普通に誰とでも会話が出来たし、誰かと仲良くしていたから。

ただ高校生の時、みんな(女子7人くらい)で男子高生と遊びに行くという企画が持ち上がった時「私、団体行動が苦手だから」と言わなくてもいい理由をわざわざ口にして断ったら、次の日から誰にも話しかけられなくなった事はある。

そんなこんなで地元の友達とは徐々に疎遠になったり私を嫌いになった子もいて(理由は分からないが多分私のわがまま)、今は10代の頃の友達は一人もいない。

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私は個人行動が多く強調性が無い為に人に合わせられず、友達を維持できないのだろうと自己分析している。別にこれは自分を卑下しているわけではない。今は「これが私の個性だ」と思っている。

ただ20代の頃はそんな自分に劣等感を感じ、駄目な人間だと責めてばかりいた。何故なら"仲間"や"友達"というものはとても美しく、世間的に称賛されるものだから。いつの時代も、どこの国でも、どんな世界でも"友達・仲間"は正義だ。

そんな想いを長年抱えていたから、今"個人主義は私の個性"と分かっていても、何かのきっかけで心の奥から"友達・仲間を作れない自分"という劣等感が少しだけ湧いてくる事がある。

今回あの記事を読んで、冒頭に書かれていた"仲間の誕生日に集まる"という関係を「楽しそうだな」と羨ましく思い、そして劣等感がほんの少し湧いてきた。


しかし、読み進めていくうちに「私にはやっぱり無理だ」と感じた。それはやはり個人主義な私の性格では、仲間との距離の近さに耐えられないと思ったのだ。要するにお互いの事をよく知っているという関係。

劣等感を抱えていた私は今でも時々、自分と他人を比べてしまう事がある。そういう面があるので、もし私にこのような"お互いに何でも知っている仲間"がいたら、友達への嫉妬心に疲れて自ら距離を置くようになったんじゃないかと思う。

また逆に、私が嫉妬される立場になったとしても「面倒くさい!」と感じて、やはり距離を置いたに違いない。


こんな感じで自分の性格や思いなどを再確認したのだけれど、やはり"友達・仲間"という正義は眩しく見える。ただ、今の私はそういう劣等感が湧いてきても「あぁ、またか」と客観的に冷静に自分を見つめて分析する余裕もあるので少しは成長したのだと思う。

読んでいただきありがとうございました。

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