ネットの海の渚にて

古池や蛙飛び込む水の音 ドボン

「釣り」や「煽り」の記事に辛辣なコメントが書き込まれるのは当然だと思っている

煽りとか釣りだとか騒ぐ人たち - HYLEにっき
読んだ。

まあ、なんつうか、私的にいろいろ思うのは、煽りとか釣りだとか騒ぐ人たちって…
釣られなきゃいいのに。

「あ、釣りっぽいな」ってタイトルに食いつかないでスルーすればいいのに。
釣られといて
「釣るな!」
って、自分バカですって公言してるようなもんかと。

この記事を書かれたHYLE(id:HYLE)さんはこのような考え方らしい。


確かにこの世の中にはネットに限らず様々な悪意がそこかしこにある。それを各個人はそれまでの人生経験から真贋を見極めたり自分で判断がつかない場合は身近な人の意見を聞いたりして判断する。
文字にすると大仰になるが至って普通に行われていることだ。

オレオレ詐欺が一時期隆盛を極めたように世の中には騙されてしまう人達が一定数存在する。
もちろんこのニュースを見聞きしてなんでこんな手に引っかかってしまうのかと被害者に責任があるのではないかという意見も当然出てくる。
世の中が相互互助の関係で出来上がっているのならば騙されやすい層にたいして啓蒙することも必要だと考える。

オレオレ詐欺にだまされないように各自治体やNPO団体などが頻繁にメインターゲットである高齢者に向けて啓蒙活動をしている。
それでも未だに被害に合う人達は無くならない。
この啓蒙活動がどれだけ被害を押さえることができたのか数字にするのは難しいと思うが、何もしなかった場合に比べたら被害は減っているのだろうと思う。


話を戻す。
ブログの書き手は自分の記事に誠実であるべきだと思っている。
書いた記事に対しては法律上どうであろうがそれなりの責任は持たなくてはならない。
間違った情報を書いてしまったのならそれを速やかに訂正する。
そもそも嘘は書いてはいけない。(創作物は除く)
思想に関しては自由に書けばいいと思うが特定の個人にたいして根拠の無い誹謗中傷は自分を貶めるだけだ。


「煽り」というのは読者に内容以上の情報を期待させておきながらそれを満足させられなかった場合に成立する。
当然ながら読者は不満を持つ。
多くの読者は何もアクションせずそのままブラウザバックするのだが一部はコメント欄だったりブコメに辛辣なメッセージを残す。
この数が50なのか100なのか1000なのかわからないが一定数を超えると「炎上」と呼ばれる。
もちろん記事を書く段階で自分の無知さ故に結果として「煽り」になってしまう場合もある。

但し「炎上」には副作用がある。
一旦炎上を起こすとその記事は拡散され今までとは比べ物にならないほどのPVを稼いでしまう。
これに味をしめて意図的に「炎上」を繰り返すことを「炎上商法」と呼ぶ。


同様に「釣り」とはしばしば「炎上」を引き起こす。
このタイトル、この内容であればおそらく「炎上」するだろうなぁとわかっていながら記事にする。
目の超えた読者はそれが透けて見えてしまうからやはり辛辣なコメントを残す。
必ずしも釣られてしまった悔しさから辛辣なコメントを残しているわけではなくて、同じくこの記事を読むだろう人に注意を促すためにコメントを残している人のほうが多いような気がしている。

釣りや煽りと言うのは記事を読んでそれを見破らなければ事実と誤認してしまう。

f:id:dobonkai:20140305120351j:plain
https://twitter.com/onodekita/status/440676943747239937/photo/1
先日ツイッターで流れてきた奇形のイチゴが仮に原発問題に絡めた情報として記事にした場合、明らかに事実誤認であるにも関わらずそのまま信じてしまう層は確実に存在してしまう。
そういった層にたいしてこれは事実では無い、所謂「釣り」であり「煽り」であると知らしめるためにコメントを残すのはそれこそオレオレ詐欺を予防するための地道な活動と基本的な部分は似ている。


物事の大小はあるにせよ「煽り」や「釣り」のタイトルや記事内容を書けばそれを諌めるあるいは批判するコメントは必ず書き込まれる。
それをわざわざ指摘するのは自分が「バカ」だと公言するものだとHYLEさんは書いている。
釣りであると見破った者はそれをスルーすればいいという意見には納得出来ない。


度を超えた個人攻撃のような下劣な批判コメントは必要ないし無くなってしまえばいいと思っているが、多少辛口であったとしてもその記事に則したものであれば他の読者の読み方だったり受け止め方に一石を投じる意味があるものだと考えている。

特に真贋が疑わしいものや意見が大きく分かれるものに対して記事をまるごと信じてしまわないようにするためにもそのようなコメントには意味がある。


個人の書くブログであるから間違いや勘違いがあるのは当然だ。
それを指摘したり批判することで記事はコメントを含んで完成度が上がるものと捉えている。
釣りや煽りの記事にカウンターのコメントが書き込まれるのはあたりまえだと考えているし、仮にそういったことが無くなった方がむしろ怖いとすら思っている。

ネットリテラシー診断ドリル

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子どもと親と教師のためのサイバーリテラシー―ネット社会で身につける正しい判断力

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