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「力なき正義は無効」・わが国の防衛政策に思う(佐藤守)

“絵に描いた餅”だった防衛政策

 「わが国が憲法のもとで進めている防衛政策は、57(昭和32)年に国防会議と閣議で決定された『国防の基本方針』にその基礎をおいている。この『国防の基本方針』においては、国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行われるときはこれを排除し、もって民主主義を基調とする我が国の独立と平和を守ることにある」とし、目的を達成するための基本方針として、(1)国連の活動を支持し、国際間の協調を図り、世界平和の実現を期する。(2)民政を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する。(3)国力国情に応じ自衛のために必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。(4)外部からの侵略に対しては、将来国連が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する、とされている(防衛白書)。

 この「基本方針」が策定されたのは昭和32年5月20日だが、自衛隊は既に3年前の昭和29年7月1日に創設されており、当時は国防会議のメンバーさえも未定で、昭和32年2月25日に成立した岸内閣が初めて「国防の基本方針」を制定したのだから、「自衛隊」には本来あるべき「建軍の本義」はなかった。

 この様な“慌ただしい生い立ち”だったからか、内容は矛盾に満ちた“官僚の作文”に過ぎず、岸総理の初訪米時の“手土産”として急ぎ制定されたものだったとさえ言われていて、「基本方針」の存在さえ知らない国民も多かった。

 その後、(1)国連が頼りにならないこと、(2)民政が安定しても愛国心は高揚されず、(3)“効率的”というよりも“必要最小限度”の自衛力しか整備されず、(4)沖縄に見られるような“反米活動”は放置されたまま年が経過したが、憲法同様手つかずのままで、誰も“猫の首に鈴”をつけようとはしなかった。

 更に白書には、(1)専守防衛(2)軍事大国とならないこと(3)非核3原則(4)文民統制の確保という4項目の「基本政策」が挙げられているが、大過なく過ごして来れたのはバックに「強力な米軍」の存在があったからにすぎない。

 しかしこれからはそうはいくまい。その実態を熟知した中華人民共和国政府は、バブル景気に酔いしれている“キリギリス”に狙いを定めて着々と力をつけ、“親中派”という日本国内に植え付けた“反日”細胞を活用して日本侵略に乗り出した。そしてもっとも重要な“細胞”の一つである反日メディアを動かして、マインドコントロールされて中共政権の危険性に気が付かない日本国民に、平成21年9月16日、遂に鳩山“亡国”政権を誕生させた。中国政府と日本の“反日メディア”の合作が成功したのである。

 更に日本の防衛政策は“絵に描いた餅だ”と見た中国政府は、2008年の北京五輪“大成功”で自信をつけて牙をむき出し、翌22年4月10日、中国艦艇10隻を沖縄本島・宮古島間を通過させて太平洋に進出、9月7日には漁船を尖閣領海に侵入させて日本の巡視船に体当たりを敢行させるに至った。

 この時、民主党政権が取った行動は中国政府を大いに喜ばせた。そしてこれに危機感を覚えた海上保安官が、現場のVTR映像を公開した事の方を問題視した菅政権が「情報保全に関する検討委員会」を設置したから、中国政府はますます日本侵略に自信を持った。

 ところが翌年第2次菅内閣が発足するや、遂に“極楽とんぼ”の日本人に対して天が警告を発するに至る。1月27日の霧島連山新燃岳の噴火と3月11日の大震災である。

 あと一歩で日本を征服出来ると読んでいた中国政府は、甚大な大災害にもかかわらず、天皇を中心に一致団結して国難に立ち向かう日本人の姿を見て、意外なことの成り行きに戸惑った。中国共産党には理解できない事態だったからである。その上、世界は日本人の行動を絶賛し、続々と日本支援の輪が広がったから彼らは慌てた。そこで、“子飼いの”民主党政権が存在するうちに尖閣を占領すべく軍事力による威嚇行動に出た。

 しかし日本国民は、口先だけでワイドショー的パフォーマンスしかできず、有事に国民の生命財産を守る意思も能力もない民主党政府に愛想を尽かして政権交代を断行したため、計画に狂いが生じた。尖閣周辺海域に公船を侵入させ、世界に“自国領”だとアピールしようと試み、6月には艦艇11隻を宮古海峡を通過させて威圧し、空母「遼寧」を試験航行させるなど、軍事力を誇示して威嚇してきた中国政府は、逆に日本人を“眠り”から覚ましてしまい、反日宣伝をやればやるほどアジア諸国や日本人から反発を招くなど打つ手がなくなった。しかもそれに合わせるかのように内政上の問題が危険度を増して、習政権は四面楚歌に陥っている。

防衛力整備を急げ

 しかしながら前述したように、我が国の防衛政策は長らく「絵に描いた餅」状態であったから、中国共産党は「魚釣島問題で日本軍が挑発を続けている今こそ、突発的武力衝突をせよ」と軍に要請しているという。その理由は「今なら日本軍の戦闘能力は強くなく、米軍に頼っている」からチャンスだが、「時期が遅れると日本は軍事力を高める危険性がある」。「今なら中国国内の“反日気運”は高いから、日中戦争に反対する者はいない」というもので、早く解放軍の実力を世界に見せておけば「日本の世論は中国を恐れてひれ伏すだろう」と、特に“タカ派軍人”たちに叫ばせている。“民間人”の中にも、上海で逮捕された2重スパイの朱建栄教授と親しかった韓暁清・人民日報日本版社長が失踪した後、「人民日報」の使用権を譲られた蒋豊・日本新華僑報新社長が、中国の大学で「尖閣は中国固有の領土であり、日本を駆逐しなければならない。解放軍は全軍が自衛隊殲滅のために一日も早く開戦せよ」と学生らを扇動しているという。

 このような中国政府の息がかかった人物らが過激な扇動をする裏には「専守防衛に徹すると公言している自衛隊は絶対攻めてこない」と中国政府が分析しているからに他ならない。「攻めてこない敵軍ほど怖くないものはない」から、わが国の「専守防衛」政策が、むしろ戦争を誘発しているのだということに日本政府は気が付かないのである。「抑止」とは「反撃力」を伴って初めて成り立つものであり、自衛隊に事実上その能力があっても、政府が決心しなければそれは「張子の虎」に過ぎないのだ。

 私の愛読書である「統帥綱領」の第7章「会戦」の項には、「会戦の目的を達成する唯一の要道は攻勢にあり。従って敵のため一時機先を制せられたるが如き場合といえども、なおかつ卓越せる統帥をもって主導権を奪還し、機に投ずる攻勢により、よく戦勢を挽回し、進んでこれを勝利に導くべく、また、戦略上の必要にもとづき一時守勢に立つの已むを得ざる場合にありても、適時攻勢を断行せざるべからず」とある。

 つまり、戦に勝つためには「攻勢」を維持すべきだというのである。この当たり前の理屈が、軍事忌避の戦後日本人には理解できていない。

 更に同書は、「古来、名将は攻勢を尊重し、特に戦術的にはほとんど常に攻勢を断行している。また、殲滅戦というものが、兵数の劣った軍によって実行されている例が比較的多い事実は、注目に値する」と解説している。

 英国の名提督・ネルソンは、「思案に迷った艦長は、敵の旗艦に向かって突進せよ!」と指導した。つまり、攻撃を受けた敵側は、それを回避しようとして、行動におのずと隙が生じるからである。ところが「戦争論」を著したクラウゼヴィッツは「攻撃と防御」の項で「防御は攻撃よりも有力な戦闘方式である」と言っている。我が国の「国防の基本方針」の様に、待ち受け態勢の方が“楽で安全”なのだから誰が考えてもそういう結論になるが、古来「防御」だけで戦いに勝ったためしはない。そこで統帥綱領では、クラウゼヴィッツが言った理論と結果が異なるのは、「心の問題」が原因で、防者には「精神的に委縮し、消極策に陥って自滅する」「遊兵(役に立たない兵力)を生じやすく、決勝点に戦力を集中することが出来ない」という二大精神的不利があるからだ、と説いている。つまり、攻者は戦いの場所、時期、方法を自主的に決定できるから、自分の希望する場所と時に、主戦力を集中発揮できるが、防者は逆にこれらのことを相手から強要されるばかりでなく、常にどこを攻めて来るかと不安に襲われて、いたるところに常時配兵することになり、遊兵と労兵(疲れた軍隊)を作ってしまう、というのだが、わが国の「国防の基本方針」も、戦には相手があることを忘れて、自己中心的に自分に好都合な“念仏”を列挙しているにすぎないというべきだろう。

 更に防御は「勝ってもともと」でしかなく、「戦争の最終目的である勝利は得られない」のだ。そこでクラウゼヴィッツも前項にこう付け加えている。「しかし、その(防御)目的は現状維持で消極的である。攻撃は防御よりも敗れやすい戦闘方式だからであるが、それだけに大きな成功を収めることが出来る。敗れやすいという危険があるにもかかわらず、攻撃が行われるのは、より大なる犠牲を払っても、より大なる目的を達成したいと思うからである」

 中国共産党による「攻撃扇動行為」は、正にこれであって「危機に瀕している共産党の態勢」を立て直すべく、どうせ血を流すのは人民解放軍兵士たちであって自分ら共産党員ではない。兵の補充はいくらでも可能だとばかりに「尖閣有事」を自己保身に利用しようとしている節がある。

 クラウゼヴィッツはこうも言っている。「戦争の最終目的は防御では達成できない。攻撃のないところには勝利はないからだ。防者が滅亡を免れようと思えば、防御によって得た勝利を活用して、反攻に出なくてはならない」

新防衛大綱の目指すべきもの

 新安倍政権は、国家安全保障会議(NSC)の創設と特定秘密保護法の制定に続いて、国家安全保障戦略(NSS)を矢継ぎ早に決定したから、長らく“放置”されてきた我が国の防衛政策の欠陥を改めようと動き出したかのように思われる。

NSS文書は公表され、国民に防衛力整備の必要性とその根拠について解説を試みたから、「国防の基本方針」決定時とは雲泥の差があるというべきだろう。同時にこれは、世界に対して我が国の立場を明確に示す意義もあるが、そのきっかけが中国政府の軍事的恐喝によるというのが皮肉である。

 更に1976年以降5回目に当たる「新防衛大綱」を策定したが、76年の大綱決定時の背景には、75年12月の米ソ間のSALTII共同声明発表、翌年4月のベトナム戦争終結宣言という「軍縮ムード」があり、95年も、93年のSTARTII、米国防総省の核体制見直し、STARTII発効などという同じ“軍縮ムード”が背景にあった。04年は、テロ対策特措法などによる自衛隊の海外派遣が続いたが、前年の米ロ首脳会談で「米ロ戦略攻撃能力削減条約」が発効、リビアの大量破壊兵器破棄表明など、これまたデタントムード漂う中で策定されたもので、2010年は政権交代のために十分検討されたものではなかった。

 このように、「大綱」策定の背景には不思議なことに「軍縮ムード」があったのである。その証拠に“美辞麗句”が並ぶ文章とは裏腹に「大綱別表」では3自衛隊とも、例えば51大綱で18万人であった陸自定数は16万⇒15万5千⇒15万4千に、海自護衛艦数は60隻⇒50隻⇒47隻⇒48隻に、空自の作戦用航空機数は430機⇒400機⇒350機⇒340機と戦力がどんどん削減され続けてきたのである。そのような中で今回の25大綱では、連綿と継続されてきた「防衛費の削減がストップした」と歓迎する向きがあるが、単なる「対前回比アップ」に過ぎないことを銘記すべきだろう。

 クラウゼヴィッツが言ったように抑止上、「敵基地攻撃能力の保有」は必須である。政府はそのあり方を検討中らしいが、中国政府が破壊を恐れる三峡ダムか中南海に反撃できる力を整備することは、25大綱を「絵に描いた餅」にしない有効な施策であるといえる。(元航空自衛隊空将)

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