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甘く優しい世界で生きるには 作者:

第五十四話

 先ほどまでと同じように、ジンを先頭にグレイ様バラド、リェチ先輩とサナ先輩にレオ先輩と続く隊列の最後尾についた俺は、辺りの気配を探りながら前方を歩くグレイ様達を見る。

 …………これはいいんだろうか?

 グレイ様の空気にのまれたバラド達は、これから危ない橋を渡るというのにしっかりとした足取りで進んでいた。彼らの表情に疲れは見えるものの不安や不満はなく、むしろ希望や安堵を感じる。俺とグレイ様の会話、勢いのまま下された命令が影響しているのだろうが、一連の流れといい雰囲気の誘導の仕方といい流石グレイ様である。
 帝王学や統率学を学んだ成果なのだろうが、場の空気と勢いだけで大丈夫だと思わせたこの状況は、使いどころが違えば一種の催眠状態というか詐欺だと思う。

 俺とグレイ様のやり取りに呆気にとられるバラド達に命を下し、その勢いのまま有無を言わせず出発させたグレイ様にはちょっとどうかと思ったが、冷静に話し合って嫌がられてもどうしようも無いので結果としては良かったのだろう。
 俺に非難の言葉を浴びせつつ、宣言するところまで誘導していったグレイ様は統率者として一枚も二枚も上手である。

 …………戦ったら絶対に負けないのに。

 手合わせしてもグレイ様に負け無い自信がある。それも百戦したら百戦全て勝てるくらいの自信が。勿論ジンもグレイ様に負けることはないだろう。
 戦闘能力では圧倒的に劣るというのに何故か敵わないというか、掌で転がされている感があるから不思議である。現王も御爺様を筆頭に癖のある四英傑の方々や父上、その他にも一癖も二癖もある臣下を抱えているし、やはり王族とは特別な生き物だと思う。

 あのバラドも、素直に従ったしなぁ。

 リュートの一件では無く、バラドとブランをグレイ様にお願いしても大丈夫だったかもしれないなどと考えながら、森の中を進んで行く。グレイ様の言葉に気合が入ったのか、快調に魔獣を蹴散らし進むジンは活き活きとしている。
 そんなジンを視界に収めた後、ジンがつけた火を消し忘れないよう辺りを凍らせていく。俺達が通った跡はわかり易く氷の道が出来ているので、たまに横道を作りながら進んで行く。その間、勿論周囲の気配を探ることも怠らない。「家に帰るまでが遠足です」という言葉があるくらいだ、何事も終わり間際に事故や問題がおきるものだ。

 先生達との距離が縮まることによって緩みそうな気を引き締めながら、黙々と森の中を進む。昨日と同じようにただ黙々と森の中を歩いているというのに、その空気は何処か軽かった。
 先ほどから掠りもしないスコル達の気配に嵐の前の静けさを感じながら、気を抜くことなくいつでもエスパーダを抜けるように手をかけておく。

 …………ついでに亜空間からいくつか武器を出しておくか。

 念には念を入れて、亜空間からナイフを数本取出し身に付けているとふと手に引っかかる武器があり、何となく取り出した。見覚えのある緑色の柄にしばし考え込んだ後、俺はその武器も身に付けておいた。





「――――あと500メートルほどで先生方の元にたどり着きます」

 黙々と森の中を進んでいると、バラドが皆にそう告げる声が聞こえた。バラドのその言葉に先輩方は安堵の息を吐き、振り返ったグレイ様やジンも表情を緩める。しかし、即座に表情を引き締めたグレイ様は、依然として緊張を漂わせたままの声で、緩みかけた空気を締め直した。

「まだ到着した訳では無い。気を抜くな。このまま駆け抜けるぞ!」
「「「「「「はい!」」」」」

 下された命に気を取り直し、いい返事をしたバラド達を一瞥したグレイ様は次いで俺を見たので、頷き返す。
 そして駆け出そうと足に力を込めた瞬間、ビリッと己のスキル圏内に引っ掛かる禍々しい気配に足を止めた。徐々に大きくなるその気配に足を止めた俺に気が付いた先輩達も足を止め、さらにグレイ様やバラドも足を止める。

「…………ドイル?」
「ーー全員、伏せろ!」

 引っ掛かったと思った瞬間、あり得ない速さで近づいてくる気配に大声で叫ぶ。手近にいたレオ先輩を力づくで地面に伏せさせれば、俺の行動を見たジンやグレイ様も同様に手近にいた人間を地面に押し付けて身を伏せたのが視界の隅に映る。

 ーーーーーーゴオォォォォ!!ーーーーーー

 そして全員が地面に身を伏せるとほぼ同時に、風の精霊が起こした風など目ではないほどの強風が俺達を襲う。
 上空からねじ伏せるように吹き寄せた風は、バキバキバキバキッと盛大な音を鳴らしながら辺りの木々を折り、吹き飛ばす。枯れ木や小石が舞い上がりビシビシ体に当たるのを感じながら、息も出来ないほどの強風を耐える。

 息を殺し、数秒ないし数十秒の間じっと耐え忍べば、上から押し付けるように吹き周囲を破壊した風は徐々におさまっていった。しかし風が弱まると同時に、先ほどギリギリスキル圏内に引っ掛かった気配がすぐそこの上空まできており、こちらに向かって駆け降りてくるのを感じた。
 友好的とは程遠い殺気を撒き散らしながら、一直線に降りてくる気配に俺もエスパーダを抜きながら身を起こす。そして、【凍てつく刃】を使いエスパーダに氷を纏わせた。

「【飛刀】!」

 氷を纏わせたエスパーダで【飛刀】を使えば、氷の小さい刃達が俺の意思を汲み取り目標に向かって飛んでいく。

「ガァウッ!」
「走れ!」 

 俺が放った氷の刃達が魔獣の咆哮ひとつで粉々に砕け散りパラパラと降り注ぐ中、俺はグレイ様達に叫ぶ。
 叫んだ瞬間ちらりと確認した背後には、まだ距離はあるが先生らしき二人組の姿が見えた。突然吹き抜けた強風と空に浮かぶ魔獣に呆気にとられているようだったが、すぐにこちらに気がついたのか、こちらを指さしながら武器を持ち、立ち上がる姿が見えた。
 幸か不幸か、魔獣が辺り一面の木々を吹き飛ばし見通しが良くなったお陰で向こうもこちらの存在に気が付いたようで、一安心である。

「っ行くぞ!」

 そう叫んだグレイ様の声と共に走り出す複数の足音を背中で聞きながら、俺は上空からビシビシと殺気を飛ばす魔獣と対峙する。
 真っ黒な毛皮には不釣り合いな青空を背負いながら、金と銀の瞳を爛々と輝かせるマーナガルムは、対峙する俺と目が合うと怒りに満ちた咆哮をあげた。

 ーーーーーガアアァァァア!!ーーーーーー

 …………随分と、お怒りのようで。

 怒り心頭といった様子で雄叫びをあげるマーナガルムを見てそんな感想を抱く。恐らくテントに仕掛けてきた腐肉のトラップと、俺とジンが偵察部隊を一つ倒したことにたいそうお怒りなのだろう。しかしその一方で、一思いに息の根を止めにこなかったマーナガルムの不遜ともとれる余裕に経験の浅さを感じる。
 確実に俺達の息の根を止めたかったのならば、初撃で仕掛けるべきだったのだ。身を隠したまま攻撃しておけば反撃される心配はなかったというに、敢えてそうはせずに木々を吹き飛ばし俺達の前に姿を見せたマーナガムルの目的は不明だ。

 それだけ俺達に負けない自信があるのか、ただの考え無しの馬鹿か…………。
 さて、こいつはどっちかな?

 唸り声をあげながら俺を睨むマーナガルムから視線をそらさずに、相手を観察する。
 先ほどの強風は決して命を奪うような攻撃ではなかった。その目的は恐らく、森に紛れて移動する俺達を捕捉する為と威嚇だろう。大した怪我も無く、視界を遮っていた木々を退かすように吹いた風は直径100メートルほどの広場をつくるに留まっている。

 しかし、先程からビシビシ飛んでくる殺気とグルグルと唸りながら不機嫌さを主張している姿から察するに、あのマーナガルムは俺達に半端ではない怒りを感じているのは分かる。
 まぁ、時間稼ぎにテント内に大量生産してきた腐肉に毒をぶちまけてきたし、先程は偵察部隊を一つ倒している。あのマーナガルムが俺達を敵と認識するのは当然といえば当然の流れである。

 上空からこちらを見下ろすマーナガルムを見上げれば、怒り心頭ではあるもののこちらの隙を窺っている。どうやら奴は怒りのまま突っ込んでくるほど短絡的では無いようだ。魔王の中には人語を解するものもいるらしいし、本能のまま行動するスコルやハティよりも知能は高いのだろう。
 ただ伝承に記述されているマーナガルムよりもやや小さいその体躯を見る限り、この魔王へと成長したこの個体はまだ若そうな気がする。長年人間から逃げおおせている老獪な魔獣は人と対峙したりせず、まず間違いなく初撃で息の根を止めに来る。
 間違ってもこのマーナガルムのようにわざわざ姿を現し、自己主張するような真似はしない。

 ………………こいつは、人間と対峙するのが初めてなのかもしれないな。

 確実に仕留める気で俺を見ているが、攻撃してくるでもなく何処か警戒しながら此方を観察するマーナガルムからは強い好奇心と戸惑いを感じる。
 偵察部隊を仕留めた場にはハティ2匹を消し炭にし、丸々1匹のスコルを凍らせた魔法の形跡が残っている。そしてあの場から此処に至るまでの道にはジンが切り開き、俺が凍らせた道が幾多もあった。

 もし仮に、こいつの住みかが深淵の森の深部付近であれば、己の種族以外に魔法を操る者などいなかったはずだ。最深部ともなれば話はまた別だが、スコルもハティも森では支配階級に入る。そこから誕生した目の前のマーナガルムは、言うなれば支配階級から生まれるべくして生まれたエリート魔王なのかもしれない。
 大した命の危険もなく幼児期からゆっくりと、確実に力を蓄え進化した魔王様が初めて出会った己の種族では見ない種類の、それもかなりの威力を予想される魔法の痕跡は、まだ見ぬ敵への好奇心と若干の焦りを生んだのではなかろうか。

 でも今はまだ、恐怖よりも己の強さへの自信が勝っているってところだな。

 己の強さに絶対の自信があり、その自信通り彼奴は魔王へと進化した。俺達に負ける気はさらさら無く、初めて見る生物を屈服させる高揚感を抱いた。しかし同時に、色濃く残っていた魔力に本能が鳴らした警鐘に戸惑っているのだろう。

 空から俺を見下ろすマーナガルムを余すところなく観察し、そう結論づける。
 魔王になりたてのマーナガルムがスコルとハティの両種族を完全に支配できているとは思えない。現にバラドは最初に50匹程度の群れだと言っていた。魔王が率いているにしては少ない数の群れはまだ目の前のマーナガルムが群れの長になって間もない証だ。

 こいつは、これ以上力を付ける前にここで倒す。

 背後で使われた大きな魔法の気配に、グレイ様達が無事に先生方と合流し結界に入ったことを感じた俺は、改めてエスパーダに魔力を込め直す。
 目の前のマーナガルムからは確かに禍々しい気配を感じるが、お爺様や父上と対峙した時のような、肌が粟立つほどの危険は感じない。

 今のこいつなら、俺一人でも十分倒せる。

 全力で戦える状況に高揚しながらそう確信した俺は、殺すつもりでマーナガルムを睨み殺気を飛ばす。そんな俺の殺気に反応したのか、一瞬唸り声を止めたマーナガルムの姿と『【威圧】を取得しました』と流れる文字を感じながら、俺は込めた魔力に比例してキンッと温度を下げたエスパーダを鞘に収めた。
 勿論、その間マーナガルムから視線を外すような愚かな真似はしない。金と銀の両眼を射ぬくつもりで見据えながら、身を屈めて居合い斬りの体勢に入る。
 先ほど【飛刀】を使って攻撃してしまったので【初撃の一閃】が使えないのが残念だが、経験の浅そうな此奴なら【居合い斬り】で十分だろう。

 初撃で決める気で神経を研ぎ澄ます。俺の気配の変化を察知したマーナガルムも、再び唸り声をあげながら臨戦態勢に入った。
 そのまま睨み合う俺とマーナガルムの間には、ピリピリと肌に感じるほどの緊張感が漂っている。しばしの間そうやって互いに威圧しあっていた俺達であったが、先に焦れたのはマーナガルムの方だった。

 草木をビリビリと揺らし、森中に響いたのではないかと思わせるほど大きな咆哮をあげたマーナガルムは、空から落ちる勢いのままに俺に向かって駆け降りてきた。
 そんなマーナガルムに、この程度で焦れるなどやはり経験が浅いなと思いながら待つ。そしてマーナガルムが牙を剥いて迫りくる光景をしっかりと目で捉えながら、相手がのこのこと俺の間合いに入ってきた瞬間。俺は【居合い斬り】を発動させながら、エスパーダを抜いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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