「ゴムはつけたりつけなかったり…」産んでは捨てるを繰り返す夫婦


(更新 2014/3/ 4 11:30)

 裁判傍聴が趣味というフリーライターの北尾トロ氏。北尾氏は過去にとある夫婦が我が子を死体遺棄した事件の法廷に足を運んだ。長男、次男を次々に捨て続けた夫婦は、ついに3人目も遺棄してしまう。

*  *  *
 子どもを作っては捨てることを繰り返した夫婦の裁判。3人目の子ども(2010年、長女)は出生届さえ提出されなかった。育てる気がなかったのである。長男出生時には20歳前後だったふたりも30歳近い大人になっている。それなのに、無責任さに拍車がかかっているのが驚きだ。

 計画では出産後、病院に置き去りにするつもりだったが、自宅トイレで出産したため方針変更。公園に捨てることにした。理由を尋ねる弁護人に、夫はゴミでも出すように言い放つ。「長男のことが発覚するのが怖くて、捨ててしまいました」

 妻の月収は約25万円。とりたてて貧乏だったわけではないし、ヒモ状態の夫が働けばさらに収入アップが見込める。経済的なことが要因ではないのだ。弁護人としては、せめて反省の弁を引き出しておきたい。そこで、そもそも妊娠しないようにすべきだったのではないかと問いかけた。なぜ懲りずに作るのか。法廷にいる全員が聞きたいことである。

 が、返ってきたのは気が抜けるような答えだった。

「ゴムをつけたりつけなかったり、まあ、それが良くなかったのかと。膣外射精はしていました」

 してないからできるんだよ! この男の辞書に計画性という言葉はないのか。ふたりは生後数時間の長女を民家の玄関前に捨て、あっさりと逃げ帰る。家に電気がついていたから、すぐ気づいてくれると思ったという。確信犯だ。運よく発見されて病院に搬送、命に別状がなかったのがせめてもの救いだった。

 まだ終わらない。4人目も作ってしまう。妊娠がわかったときに考えたことは中絶ではなく、流産するか捨てるかの二者択一。水風呂に入ったり腹を叩いたりしたが流産はせず、11年、自宅で次女を出産すると、わずか1時間後の午後9時、母乳もミルクも与えない状態で夫が妻を促す。

「そろそろ行くよ」

鬼畜か。長女を捨ててから、1年1カ月しか経ってないのだ。

 新生児をショルダーバッグに入れ、自転車で外出。選んだ場所は公園のベンチだった。近所のスーパーが開いていて、帰りの客が気づくと思ったのだそうだ。気づいたのは公園内を歩いていたホームレス男性だったという。何かの事情で帰る家を失った人が、生まれた途端にホームレスにさせられた赤ん坊を助けたのだ。おかげで命を取りとめたが、少し遅れたら死亡してもおかしくなかった。

 すんでのところで命拾いした長女や次女について、感情のこもった言葉を何ひとつ口に出せない夫を見て、弁護人はかばう気力を失ったらしい。

「えー、つまりあなたとしては、死ぬなんてことは頭になかったわけね?」

 違うね。死のうが生きようがどうでもよかったのだ。頭にあるのは保身だけ。長男殺害の容疑で自分が捕まることを避けるために、その後に生まれた3人を見捨てた。今回、長男の件は罪に問われていないけれど、泣き声がうるさくてうつぶせにし、呼吸ができなくなったために死なせてしまったという自覚があるのだろう。

 奇跡的に生き残り、施設で育てられている3人の子どもに関しても、ふたりは醒めたセリフで突き放す。

「父親の資格はないと思うんで、関わらないつもりです」(夫)

「将来のことを考えると、誰かに引き取られ、幸せになってほしい」(妻)

 これ、ぼくなりに翻訳するとこうなります。

「興味ないんで、どうでもいいっす!」

 夫はヒモで冷血漢、妻は無気力。ふたりの関係は今後どうなるのか。

「妻への愛情は変わっていません。一緒にやり直していきたい」

 夫はここでも勝手なことを言う。自分に逆らわず、よく働き、ヒモでいられる都合のいい女を手放したくないのだ。自分はこの先も心を入れ替えるつもりはないし、そんな人生はまっぴらゴメンだと言い切っているようなものだ。妻は自分といて幸せなのか、なんて考えたこともない。まあそうだろうな。この身勝手さがなきゃ今回のような事件、あり得ないのだ。

 でも、妻には妻の考えがあるだろう。風俗嬢の仕事で月収25万円は売れっ子ではない。今後も増えることは考えにくい。夫といたら母親にもなれない。切り替えるならいまなのだ。ここは法廷。しっかり自分の意志で物を言ってくれ。

「(夫は)一緒にいて安心できる人です」

 だめだ。好きなのか。ヒモだけど、子ども捨てちゃうけど、愛しているのか。

「今後も○○さんと生活していくつもりなんですね」

 検察官の確認に頷く妻を見て、裁判長が質問を引き継いだ。

「あなたとしては、夫と子どもとどちらと訊かれたら、夫が大切なんですか」「はい」

 また子どもができたらどうするつもりなのか。

「そこまで考えていませんが、もし妊娠したら産んで育てたいです。子育てする自信はあります」

 世の中には人の数だけ愛の形がある。夫を嫌いにならなくても、結婚後も恋人同士のように暮らしたいと思うことも自由。でも、反省の気持ちが本物なら、ひとつだけ約束してほしかった。何があっても、もう子どもは作らない。万一できたら中絶すると。でも、そんなことは考えないんだなあ。償いについてどう考えているかと尋ねられると前言を覆し、生活が安定したら子どもを引き取りたいなんて言うのだ。頼むからそれだけはやめてくれ。

 判決は両者とも懲役3年。実刑になって安心したが、刑期が同じなのはどうかと思う。夫のほうが罪が重いと考えるからじゃない。出所したらすぐ子どもができそうだからだ。

※ 週刊朝日 2014年3月7日号

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