March 4, 2014
報道によれば日本政府は先週、野党議員からの質問に対し、日本のイルカ漁について「わが国の伝統的な漁業の一つであり、法令に基づき適切に実施されている」とする答弁書を決定した。1月のキャロライン・ケネディ駐日大使の発言に関し、和歌山県知事は記者会見で「われわれは牛や豚の命を奪って生きている。イルカだけ残虐だとするのは違うのではないか」と述べた。
ケネディ大使はじめ海外の環境保護団体などのイルカ漁に対する批判の主要な論点は、知性の高いイルカを殺すことは残虐で非人道的だというものだ。
動物の意識や心理について近年多数の研究があり、人間の思考や感情に近い脳の働きを多くの動物種が持つことが報告されている。その最右翼のひとつがイルカで、昨年5月にインドの環境森林相は、イルカは「人類ではない人(non-human persons)」と見なされるべきで、固有の権利を有し、娯楽目的で飼育下に置くことは倫理的に認められないとして、イルカのショーなどを行う展示施設での飼育を禁じると発表した。
これまで人間・・・
ケネディ大使はじめ海外の環境保護団体などのイルカ漁に対する批判の主要な論点は、知性の高いイルカを殺すことは残虐で非人道的だというものだ。
動物の意識や心理について近年多数の研究があり、人間の思考や感情に近い脳の働きを多くの動物種が持つことが報告されている。その最右翼のひとつがイルカで、昨年5月にインドの環境森林相は、イルカは「人類ではない人(non-human persons)」と見なされるべきで、固有の権利を有し、娯楽目的で飼育下に置くことは倫理的に認められないとして、イルカのショーなどを行う展示施設での飼育を禁じると発表した。
これまで人間に固有と思われていた脳の働きが動物の中にも見られることは非常に興味深いものだし、そのような動物を殺して食べることは忍びないという思いも心情的に理解はできる。それにしても、「なぜイルカだけ?」というのが多くの日本人の感想だろう。
その問いに答えてくれるものではないが、反イルカ漁の代表的な主張として、「Science」誌にも寄稿しているサイエンスライター、バージニア・モレル氏がナショジオ グラフィックWebサイトへ寄稿した「Opinion: Real Tragedy of Taiji Is Our Inhumanity Toward Animals(直訳:太地の現実の悲劇はわれわれ人間の動物に対する非人道的行為である)」を掲載する(米サイトでの掲載は2月2日)。記事の一部は省略しているが、主要な論点はすべて収めている。
なお、ヨーロッパメディアや同記事の読者コメントに、少数ではあるが「イルカだけでなく、牛や羊も同様だ」とする意見があることを付け加えておく。
また、動物の思考や情動に関する研究を追ったモレル氏の新著『Animal Wise(動物の賢さ)』についての同氏へのインタビュー記事「動物は何を考えているのか?」も、あらためて他の動物を食べることについて考える材料のひとつとしてお読みいただければと思う。
- ナショナルジオグラフィック公式日本語サイト編集部 -
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Virginia Morell
for National Geographic News
太地町でイルカの捕獲と大量虐殺が続いている。1月のハンドウイルカ漁から数えると、すでに6回のイルカ漁が行われた。この行為が残酷であるのはもちろんだが、ここから見えてくる我々人間の本質を思うと実に悩ましい。
1980年代に世界中で商業捕鯨が禁止されて以来、海生哺乳類をはじめとするさまざまな動物の知性について多くが明らかとなった。これまで研究されてきたクジラ、イルカを含む多くの他の種が、思考し、情動および自己認識を有した生き物であるらしいことがわかってきたのだ。
これを示す一つの例が、「Marine Mammal Science」誌に先日掲載されたスコットランドの海洋生物学者の論文だ。著者はオスのイルカが生まれたばかりのイルカを母親から奪い、激しく連打する様子を観察。ケガを負ったイルカは数ヶ月後に死亡した。
このような乱暴な行為が目撃されることは稀だが、オスのイルカの生殖本能によるものであることはわかっており、かなり一般的だという。彼らは交尾したことのないメスが生んだ幼い子供を標的にし、場合によっては集団で攻撃する。子供が死亡するとメスは再び妊娠できるようになるため、オスが次の子供の父親になる機会ができるのだ。進化生物学的に言えば、これは飼い猫からハイイログマまでさまざまな哺乳類に見られるオスの“繁殖戦略”である。
しかし私が最も感動したのは、子供を守ろうとする母イルカのところへ、体の大きい別のオスが複数かけつける様子が同時に観察されていた点だ。
彼らは母イルカと子供を囲み、脱出を手助けした。進化論の観点から見れば、人間以外の動物が見せるこのような利他行動は、かつて交尾したことがあるか、血縁関係があることによるものと解釈されるのが一般的だ。
◆動物と共感
ところが、ネズミから象に至るまで、動物も血縁関係のない他者の痛みや苦しみを認識し、共感することを示す証拠は増えつつある。
霊長類学者のフランス・ドゥ・ヴァール(Frans de Waal)氏によれば、イルカやチンパンジーなどのように複雑な社会に生きる動物たちも「協力や調和への欲求」を持っている。このような欲求がときに英雄的行為や思いやりとして表れてもおかしくはない。
そうでなければ、胸ビレが麻痺して弱った様子の大人のメスのハセイルカ(学名:Delphinus capensis)に力を貸すイルカ12頭近くの行動を、どう説明できるだろうか?
韓国の海洋生物学者らによれば、イルカたちが30分以上にわたって交代でメスイルカの下に潜り、海面まで持ち上げる様子が見られたという。メスイルカの状態が悪化すると彼らは別の方法を試みる。体同士を密着させて泳いでいかだを作り、メスイルカを背中に乗せて運んだのである。この行動は、メスイルカの呼吸が止まるまで続けられた。イルカが死んだ後も、沈んでいくまで彼女のそばに寄り添い、体に触れるものもいた。
動物の利他性を示す例はこれにとどまらず、自分とは別の種を助けるものも観察されている。
◆動物の知性:パラダイムシフト
20世紀の大部分において、私たちは人間以外の動物は基本的にロボットと変わらないと教えられてきた。
また、研究者が動物の(怒り以外の)情動的行為や利他性に関するデータや観察記録を収集することもほとんどなかった。擬人観的なセンチメンタリストというレッテルを貼られる危険性が高いからだ。
しかし動物の知性に関する我々の理解は、ここ20年の間に大きく変化した。現在では、人間とその他の動物の間に認知の面で大きな隔たりはないと考える科学者が、進化生物学者を中心に増えている。
◆イルカ殺し
話を太地町に戻そう。そこで働く漁師たちのあまりに残酷な行為には当惑させられる。イルカたちは力ずくで包囲された狭い場所に何日間も拘束され、子供は母イルカから引き離され、多くが殺される。
これには必要性などない。イルカの肉を食べるのは日本人のほんの一部であり、生存のために必要なものではないのだ。
日本政府が主張するように、野生のイルカを殺すのは太地町の伝統なのかもしれないが、伝統は破ってはならないものではない。社会のニーズに合わなくなるか、モラルに反するとみなされるようになれば、変化してしかるべきだ。
◆「ひと」の範囲は?
最近では動物との関係を見直そうとする動きがあり、権利を有する「ひと」としてクジラやイルカ、象、チンパンジーといった動物をみなすよう求める声もあがっている。
非現実的と思われるかもしれないが、チンパンジーに侵襲的研究を行うことを禁じる国の数は増えつつあり、そこには日本も名を連ねている。
◆太地町のイルカ漁から見えること
太地町のイルカ漁は、我々人間の本質について何を物語っているのだろうか?
それは、これまでに判明した事実にも関わらず、人間は故意に、容赦なく残酷であり続けることができるということだ。しかもその無情な残酷さは、他の動物が有しているものと我々がかつて考えていたものにほかならない。
しかし、太地町の海岸をもう一度見てほしい。そこには漁師だけでなく、自ら証人となって恐怖を記録し、イルカ殺しに抗議しようと集まった日本人を含む人々の姿もある。
彼らの行動をイルカたちが知ることはできない。しかし彼らはそこにいて、イルカたち(人間とは別の種!)のために行動を起こしている。なぜなら、それが正しく、思いやりのある、人間的な行動だからだ。
PHOTOGRAPH BY OCEAN/CORBIS