2014年3月5日03時00分
ドキュメンタリー映画「ガレキとラジオ」 梅村太郎監督との一問一答は次の通り。
――映画づくりのきっかけは?
僕は神戸が出身で、阪神大震災で実家が全壊しました。その後にオウムみたいな事件が起きて、神戸があっという間に風化したという思いがありました。
「3・11」が起きた時に、(勤務する)博報堂社内で震災復興支援プロジェクトが立ち上がって、東北に行って考えようと思ったんです。南三陸に入って、映画を作ろうとその日に思いました。
映画は比較的長寿命。10年先も記録としての価値があるだろうと思いました。
――常に現場にいた撮影監督とは緊密にやりとりをしていた?
そうですね、毎日話をしていました。
――出演した被災者の女性と監督も話をしたと思います。
女性はリスナーさん候補で、いろんな方に聞いているなかで出会いました。いろんな苦しい方がいらっしゃるけど、ちょっと話すだけでワンワン泣いちゃうというあの人の苦しみも、ちゃんと切り取らないとなと。
――女性がラジオを聴いている形になっている。
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