オバマ米大統領とプーチン・ロシア大統領は、スタイルにも実体にも多くの相違がある。だが、ウクライナ危機は、最も重要な違いを浮き彫りにした。それは、オバマ氏が「世界は冷戦を越えた」と思っているのに対し、プーチン氏は冷戦時代に戻ることを喜んでいるようにも見えることだ。
実は、この相違は両氏の間だけのものではなく、おそらく両氏が率いるそれぞれの国にも当てはまりそうだ。米国民は冷戦を、正義、すなわち民主的な資本主義の完全勝利で終わったイデオロギー闘争の時代として、バックミラー越しに見ているようなところがある。これに対しロシアは、同国が巨大かつ明確な勢力圏を持ち、世界のあらゆる問題に大きな発言権を行使する超大国として君臨し、正義を実現する役割を演じていた時期と思いがちだ。
この違いが、ウクライナの将来をめぐり相手の出方を見極めようとしている両国間の亀裂の深さを説明する。米国は、21世紀の国際社会において超大国の行動を正当化するには、新しい基準が適用されるべきだと考える。また対抗する勢力との厳しい闘争という理由によって容認されていた超大国の行為を正当化する根拠はほぼ消滅したと考えている。一方、ロシアは、大国は依然として地域への影響力や国益を守るための権利を有しているとみなしている。
このように、米ロ間の溝は手段をめぐる対立を越え、ソ連崩壊以降の20年間の歴史の潮流の変化をめぐる大きな食い違いとなっている。現在の危機を単にウクライナの行方をめぐる闘いととられることもできれば、超大国の一方の影響力が強まれば、もう一方の影響力が否応なく弱まるゼロ・サム・ゲームと受け止めることもできる。
米国は、経済のグローバル化に伴い伝統的な国境は消滅に向かい、グローバル化された経済が伝統的な同盟よりも力を持ち、世界の人々が国境を越えて移動することが避けられないなかで民族間の相違はあいまいになっていくと考える。だがロシアは、経済的な勢力圏は依然として重要性を保っており、確固たる国家のアイデンティティーが守られているとの見方をとっている。
その食い違いは、オバマ、プーチンの両氏が先週末行った1時間半にわたる電話会談で明確になった。ホワイトハウスによれば、会談ではオバマ大統領はウクライナの政変を、ウクライナ人が民族自決権を行使していると考えていた。一方、プーチン氏はロシアの「国益を守る権利」を主張した。
プーチン氏は、ウクライナへの干渉をまさに冷戦の時と非常によく似た表現で何度も説明している。すなわち、右翼、それにとどまらずネオファシズム勢力による政権転覆に対抗するために、権力をはく奪されたウクライナの政権を支援していると理由を付けている。1980年代に中米の親米政権の台頭に対抗するため、ソ連が使っていたレトリックがよみがえる。
2人の文字通り対照的な経歴の違いをみれば、その違いは驚くに値しない。プーチン氏は、冷戦の象徴的機関だったソ連国家保安委員会(KGB)の若手職員として成長し、しかも1985年から90年まで冷戦のるつぼだった東ドイツに駐在した経験を持つ。彼がそこで成功したことは疑いないだろう。彼の個人的なウェブサイトで、「海外勤務での昇進は普通一回だが、私は2回昇格した」と書いているほどだ。そのわずか2、3年前、若きバラク・オバマ氏は、コロンビア大の学生として米ソの冷戦期の核兵器の大幅削減交渉についての論文を執筆した。
冷戦時代に北大西洋条約機構(NATO)に対してワルシャワ条約機構があったように、プーチン氏は対抗する機構を創設することを考えているようだ。欧州連合(EU)と対峙するユーラシア経済同盟(EEU)だ。それは冷戦の思考であり、EEUの中心にウクライナが置かれているのは偶然の一致ではない。
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