私は人の好き嫌いがハッキリしている。相手を「無理!」と思ったら一瞬で心のシャッターを閉じてしまうし、目も合わせられなくなり、必要以上には話しかけなくなる。そして好きな人に対してはどんどん話しかける。ワガママで子供みたいな性格というやつだ。
そんな分かりやすい性格なので、職場のような集団に属する事は不向き。平等な態度が取れない。とは言っても生きる為には働かなければいけないので、嫌いな人に対してなるべく露骨な態度は取らず、なるべく目も見て話すようにはしている。
けれど、嫌いという気持ちを好きに変えようという努力はしない。合わないものは合わないのだ。
人に対して好き嫌いが無く、誰とでも上手くやっていける人というのは、人間関係に悩まずに済むので楽だ。会社に勤めるのなら、そういう性格の方が都合がいい。それになんだか「人を嫌いにならない」というのは優しい人に見えるので得でもあるかもしれない。
人間関係に悩み「嫌いな人を好きになりたい」「嫌いな人を無くしたい」と思っている人は多くいるし、そういったタイトルの本も色々ある。そのくらい「嫌い」という負の感情はストレスになる。
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そんな「好き・嫌い」という感情は、方向は違えど「心を動かされた」という意味では同類。嫌いな有名人がテレビに出ていたりtwitterで呟いたりしていると、ついつい見ては文句を言う…というのもその人に関心があるという事だ。
好き・嫌いという感情の反対は"無関心"。なので「人に対して好き嫌いが無い」という理由で周りと上手くやっていける人は、そもそも関心が無いから誰にも心が動かないんだろうなぁと思う。
人に関心が無く心が動かなければストレスフリーで過ごせるから、それはそれで良いとも思うのだけれど、逆を返せば「好き」という感情も乏しくなるという事。好きも嫌いも「心が動く」という意味では仲間なのだから、共存するのが当たり前。
だから私は"無関心"によるストレスフリーよりも、"好き嫌いが激しくても心が動く人"でいたいと思っているし、そういう人の方が好きだ。
若い頃、気の強い女友達が「悪口を言わない人とは友達になれない」と言った事がある。「なんつー、発言だよ^^;」と思ったのだけれど、それって私が"悪口を言う人間"と認定されたという事(汗)
彼女の言いたかった事は「好き・嫌いの感情を持っている人とじゃなきゃ、楽しい友達付き合いが出来ない」という意味だったのだろうと、勝手に自分の都合よく解釈している。まぁ確かにちょっとだけ同僚の悪口は言ったけど。そう、あれは若気の至りだ(汗)
悪口はもう大人なのでやめておくとして、それでも"好き"という感情も"嫌い"という感情も「心を動かす大事な要素」として大切にしようと思う。先日「悲しくなるのも素敵な要素」や「嫌いになるのも自然なこと」というコメントを貰って、ふとそんな事を考えた。
友達が少ない私はそもそも好き・嫌いになる人の数も少ない。なので、好きになる相手は直接の知人ではない場合(有名人など)が多いのだけれど、それでも"好き"に心を動かされたい。
読んでいただきありがとうございました。