最近、マスコミを賑わせている、ロシアによるクリミア半島への派兵の経緯を簡単に振り返れば、次のようになります。

ウクライナは欧州とロシアの中間に位置し、欧州的要素とロシア的要素の両方を内包した国です。

お隣のポーランドは、欧州連合(EU)に加盟することで経済的に発展し、目覚ましい近代化を遂げています。中流(ミドルクラス)が出現し、欧米流の消費文化も出現しています。

一方、ウクライナは腐敗がはびこり、一部の特権的な地位にある人達はロンドンのパークレーンにマンションを買うなど、贅沢を謳歌していますが、庶民の暮らしは一向に良くなっていません。

親露派のヤヌコビッチ大統領は、「しぶちん」で、うるさく注文を付けるEUとの経済連携合意を止め、ロシアに接近すると発表しました。

これにいままで我慢を重ねて来た国民が怒り、首都キエフがデモ隊に包まれたのです。ヤヌコビッチ大統領は首都から逃げ、ロシアへ亡命しました。

【クリミア半島の位置付け】
ウクライナのクリミア半島のセバストポリはロシアの黒海艦隊の母港となっています。クリミア半島は1950年代にロシアからウクライナに委譲されていますが、当時ウクライナは独立国というよりソ連のひとつの「県」のような感覚が強く、軽い気持ちで統治の管轄が移されたことに注意する必要があります。いまは従って、セバストポリ港をウクライナから「借りている」格好になっているのです。

1950年代のクリミアの管轄の委譲が軽い気持ちでなされたのとは対照的に、クリミア半島におけるロシアの足場の確保は、ピョートル大帝の悲願でした。当時、この地域にはタタール人が住んでいました。タタール人の祖先はモンゴル人で、戦争にとても強かったです。ロシア人は「タタールのくびき」と言って、そんなモンゴル人にアゴで使われる屈辱の時代が長かったのです。

ロシアの近代化を目指すピョートル大帝は、「アゾフの戦い」でタタール人を打ち破り、初めて黒海へのアクセスを確保するわけです。ピョートル大帝は後に北のスウェーデンを打ち破り、バルト海の沼沢地に新都、サンクト・ペテルブルグを建設します。つまりピョートル大帝はロシア海軍をスタートさせた人であり、近代化を促進したリーダーなのです。ロシアが海軍を持った理由は、ピョートル大帝の時代の欧州のイギリス、オランダなどの強国は、いずれも貿易で栄えており、自国の商船を守るためには強力な海軍が必要だったからです。

ロシアがクリミア半島から中近東へと勢力を伸ばそうとすることを「南下政策」と言います。ロシアの南下政策はしばしば地域の緊張の原因を作ってきたし、「グレート・ゲーム」と呼ばれる、大国同士の覇権争いに発展しました。

つまりクリミア半島には一杯、歴史が詰まっているのです。

ロシアがクリミア半島を失うということは、南への橋頭保を失うことを意味し、しかも住民の過半数を占めるロシア系の人々が、ウクライナの親欧政権の下で、歴史的に仲の悪いタタール人たちと仲良くやっていかないといけないことを意味します。最近の日本と韓国の国民感情をイメージして頂ければ、これがどんなに大変なことかわかっていただけると思います。

また自分のイメージをピョートル大帝とダブらせることで国民の人気を維持しているプーチン大統領としては、ピョートル大帝「ゆかりの地」であるアゾフ地方を失うと、シャレにならないし、自分の政治生命を絶ちかねない大問題なのです。

【沖縄にも、重い歴史の代償が詰まっている】
ある意味、ロシアにとってのセバストポリの黒海艦隊基地はアメリカが沖縄に米軍基地を借りているのに似ています。両方とも、重い歴史の代償の上になりたつアレンジであり、こんちにでも不都合なことは、いろいろあるわけです。もっと踏み込んだ言い方をすれば「当事者全員がハッピーでない」妥協の産物なのです。

しかし……

今回のクリミア半島の事態が如実に示しているように、力のバランスが、ほんの少しでも崩れそうになると、あれよあれよという間に、とんでもない方向へ事態が転がってゆくリスクも大きいのです。

そしてそのコストは、必ずしも軍事的、ないしは政治的なものとは限りません。週末の緊張の後、マーケットが開いて、僅か1日でロシアが慌てて示威の為の軍事演習の兵隊に帰投命令を出したのは、為替市場や株式市場でロシアが「撃沈」されたからです。

現実問題として、ロシアを兵糧攻めにするには、大砲や城壁は要りません。イタリアやドイツに来ているロシアのパイプラインのバルブを「きゅっ、きゅっ」と締めるだけで、ロシア経済は大恐慌をきたします。

つまりロシアの軍事パワーは、経済的パワーの裏付けを欠いているのです。最大の貿易相手を敵に回すような、冷戦時代を彷彿とさせる世界観は、経済の現実に照らして、いちじるしく「上滑り」した骨董品的な考え方なのです。

その意味では、沖縄の米軍基地も、実際には牙の無い骨董品なのかも知れません。ただその骨董品の位置をちょっとズラそうとすると、今回のクリミア半島のように俄然、緊張が高まる危険性もあるわけです。置き場所をちょっとズラすと、たちまちアメリカはロジスティクスの再考を迫られ、「Tyranny of geography(地理上の過酷)」と呼ばれる、長い補給線に苦しまなければいけなくなります。その場合、「前線」は尖閣では無くなり、パールハーバーまで後退するかも知れません。

「前線」をどう定義するか? この問題を考える上で示唆に富む本として、デビッド・ハルバースタムの『The Coldest Winter』という、朝鮮戦争を振り返るノンフィクションがあります。

これを読めば、戦争のきっかけが、時としてどんなに些細なコトを発端とするか、驚かされます。

第二次世界大戦が終わって未だ傷も癒えてない1950年、アメリカの国務長官、ディーン・アチソンがワシントンDCのナショナル・プレス・クラブでスピーチしたとき、アメリカの防衛範囲を説明している際に、うっかり韓国の名前に言及するのを忘れてしまいます

このスピーチを読んだスターリンは(そうか、韓国は、アメリカにとって別にどうでもいいんだな)と解釈します。別の言い方をすれば、韓国と北朝鮮を分断している38度線は「前線」では無いという理解です。

強硬派、かつ理論家として知られるアチソンが、とんでもないシグナルを共産圏側に送ってしまったのです。

これに加えて当時の極東の情勢も、各国のリーダーの判断に大きな影響を与えました。中国では毛沢東の共産党が草の根の支持を集めて、全国統一しようとしつつありました。

アメリカがあれほど熱心にサポートした蒋介石は、第二次世界大戦が終わると、もう支援してもらえず、台湾に落ちのびました。

デビッド・ハルバースタムによると、北朝鮮の金日成はその様子を見て(若し毛沢東がこんなに庶民からの支持を得て、勢力を拡張できるのなら、俺だって韓国に攻め込めば庶民は自分を支持するに違いない)と思ったわけです。

また金日成は(アメリカが蒋介石をサポートしないなら、同様に韓国みたいな小国を守るために、わざわざアメリカが出て来ることは無いだろう)とも判断したそうです。

北朝鮮が38度線を破って突然、韓国に攻め込んだのは、そういう「ケアレスミス」や「勘違い」の積み重ねの結果というわけです。

「当事者全員がハッピーでない」骨董品でも、世の中には触らない方が良いモノもあるのです。


(文責:広瀬隆雄、Editor in Chief、Market Hack

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