盛り上がってますね、盛り上がってますねー。人に「イラッ」とさせる爆弾を定期的に投げ込める才能って、ある意味すごいことだと思います。私は嫌いじゃありません。正論だらだら述べたブログなんかより、ずっとムシャクシャする感じで楽しいです。
「女子力を磨くより、稼ぐ力を身に付けなさい!」上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図 - Woman type [ウーマンタイプ]
私もかつては社会学分野で博士課程までいたので、このお方は割と身近な人でした。東大の彼女のゼミと掛け持ちしている先輩(♂)もいましたが、その先輩は残念ながらあまり容姿端麗ではなかったせいか、彼女には嫌われていたそうです。まあいいや、なんでもいいや。
実は上野先生のこのコラムを読んで、自分が大学院まで行って研究を続けようと思った動機を思い出したのでした。
私、社会学のこの「弱者を社会問題として設定しましょう」という姿勢がどうしても受け付けなかったんですね。大学時代に社会学に興味を持ち、いろいろと文献をあさり始めたわけですが、論文の多くが「マイノリティ」と呼ばれる人々を「社会問題」として設定することが前提となっていました。「○○町における外国人労働者問題とその動向」とか、「2000年代における非正規雇用派遣労働者の問題」とか、そういうタイトルが多いこと多いこと。当然、研究のアプローチも、「いかに問題か」「どのように社会から抑圧されているか」という形を取っているものがかなりの分量を占めていて。それであれば、「社会問題」という設定自体を白紙に戻してみたら、人間に対して一体どういう研究ができるのだろう?と思い始めたのが大学院に入ったきっかけだったのです。
で、私が研究対象としたのは、平均年収200万円以下の移民コミュニティだったわけです。これまでの研究では「平均年収200万円以下の低所得ブルーカラー労働者」という一面ばかりが強調されていたわけですが、私は最初からそういう部分を取っ払って研究を進めていくことにしました。そこから見えてくる世界は、実に楽天的で毎日を面白おかしく、半径10mの面白いことを眺めながら眠りにつく、「社会問題」とはほど遠い世界だったのでした。
上野先生のコラムに話が戻ります。
マミートラックで塩漬けにされる女たちね。面白いこと言うね。『「評価は下がるけど、そこそこのお給料をもらえて、子どもとの時間を持てるなら、これはこれでいいわ」と納得してしまうこと。塩漬けになった女は、そのまま腐ってしまいがち。』本当に面白いこと言うね。相変わらず、遠慮なく楽しい爆弾を投下されてますね。
私は今の仕事の前は、派遣労働者でした。…と言っても、翻訳の派遣は、かなり時給が高いんですね。だから、世の中の人たちが言うところの「非正規労働者」の意味するところとは違うのかもしれない。でも、「大学院卒で年収300万以下の派遣労働者」とツイッターとかで言われたことありますよ。ははあ、なるほど、私の生き方は、このように定義されるんだね、と逆に新鮮でした。私は「大学院中退でも雇ってくれるところがあった」ということだけで職場には大感謝でしたし、とにかく研究生活でほとんど人間に触れずに部屋にこもりっきりの毎日を送ってきたこともあって、「会社で働く」ということの新鮮だったこと楽しかったこと。決まった時間に出社して、だれかに「おはようございます」と言える生活。これのありがたさは、誰もタイムスケジュールを決めてくれない、孤独な大学院生活を送ってみると、よく分かります(笑。さらに、学生時代のように、娘の保育園に毎年度いちゃもんをつけられることもない!正々堂々と「働いているから預かってください」と言うことができる。私にとって、派遣として働き始めたときは、「こんなに楽して、お金までもらっていいんだろうか?」という感じでした。
で、今は地方都市に移住してきて、給料は見事に半分になりました。時給が地方都市価格になったということももちろんありますが、週4日の一日5時間の仕事なので、社会学者が目の敵にしている「扶養内」に転落しました。転職でキャリアアップするならともかく、大幅ダウンです。
でも、実は私個人の感覚としては、今回の転職は「キャリアアップ」なのです。私が担当しているのは、研究者さんたちの論文翻訳です。以前はメーカーの技術翻訳でしたが、大学院でさんざ論文を書かされてきた私としては、自分の得意なものにかなり近づいた感があります。また、自分自身は研究者ではありませんが、職場では翻訳者は研究者さんたちと何度も議論をし、勉強をし、共に一つの訳を作り上げていきます。そういう意味では、研究者さんたちに一目置かれる存在ではあります。
今の職場もプロジェクト予算が終われば、いずれ雇止めとなります。非正規雇用ですから。だから常に先のことを考えていなければならないです。次の仕事で私が目指しているものは、多分、さらに収入がダウンするものです。下手すると、一か月に数万しかもらえないかもしれない(笑。それでも、それになれたら、私にとっては最高の「キャリアアップ」です。願ってもない!
年収とか、雇用形態とか、それだけで計れない、その人なりの「幸せの目安」ってあると思うんですよ。変な話、夫婦でどっちがどのぐらいの分量働くかなんて、その夫婦の幸せだと感じるところを擦り合わせて、自由に決めていけばいいと思うんです。それを「男だ」「女だ」という視点で、自分の「幸せの目安」を 捻じ曲げられてしまうから問題なのであって。そして、フェミニズムやジェンダーってのは、その「幸せの目安」に絡みついた、「男だ」「女だ」という強固な楔を叩ききってくれるものじゃなきゃいかんでしょう。
扶養内に転落した私ですが、いやはや、子どもと過ごす時間って結構楽しいもんでしたわ。息子が発達障害って分かったからなおのこと。私には子どもたちと一緒にいて、あれこれ試行錯誤する時間が楽しいんですわ。これを「塩漬けにされて腐っていく」と言う言葉の見当違いっぷりったらもう。人間って、悲惨にしたてあげようと思えば、いくらでも悲惨になっちゃうもんですねえ。
こういう「自分の立場を社会問題化する勢力」のことを視界に入れず、「自分の幸せの目安」をしっかり見つめていけるようになれば、割と間違った選択せずに、楽しく生きていけるってもんです。
余談ですが、私の友達で同じ大学院の博士課程を出て、同じく中退した人がいまして。彼女、今、有名な占い師になってます(笑。シングルマザーなので、占いの稼ぎで娘をしっかり食わせてます。昔、何度か彼女に手相を見てもらったことがあって。そのとき、私が「いつまでも非正規雇用じゃまずいから正社員になろうと思ってる…」と言ったら、「本当はやりたいって思ってないくせに(笑。『楽しい』と思えることを追及していけば?そうしたら、いつの間にか道が開けるから!」と言われたんですね。
あ、そうだ、私は自分は大学院で「人を社会問題として見るのをやめたら、毎日の小さなことを楽しむ人間模様が見えてきました」ってことをさんざ言ってたんだった、と思い出しました。彼女の「楽しいことを追及していきなよ」という言葉は、今でも私にとって宝物のような言葉です。
私は、自分の幸せのさじ加減は、自分で決めるからね。