東日本大震災

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伝える未来へ(上) 続く放射線との闘い もつれた糸解きほぐす

内閣府が昨年3月に公表した資料。避難基準の根拠などが記されている。年間20㍉シーベルトの基準をめぐり事故直後は混乱した

■福島民報社 社会部 斎藤直幸記者 34

 東京電力福島第一原発事故によって県民は放射線被ばくという経験したことのない事態に直面した。3年近くが経過し、放射性物質の自然減衰や除染で空間の放射線量は事故直後に比べ大幅に低下した。ただ、依然として低線量被ばくのリスクが多くの人を悩ませている。
 「あなたはなぜ避難しなかったの?」。事故から2年目の冬、夫を残し、子どもと県外に避難した母親を取材し、語気に圧倒された。避難の理由を尋ねると「福島で空気を吸うのも、食材を口にするのも嫌になった」と胸の内を吐露した。
 人体への影響は被ばく量によって違うことを彼女は知っている。だが、額面通りには受け取らない。「何を信じていいのか分からない」。ちまたにあふれたさまざまな「専門家」の意見や、二転三転した国の「基準」に対する拭い切れない不信が背景にあった。
 放射線が厄介なのは目に見えない上に、低線量被ばくの健康影響について科学的知見が定まっていない点にある。人によって「危険、安全」「逃げる、逃げない」「食べる、食べない」などの判断が分かれ、友人・知人や地域、さらには家族の分断までも引き起こす恐れがある。健康影響以前に深刻な問題だ。
 1度まき散らされた放射性物質は除染をしても消えず、放射線はゼロにならない。こうした環境の中で県民の絆を守るにはどうしたらいいのか。事故直後の混乱でもつれた糸を解きほぐさなければ、放射線のリスクと正面から向き合えないのではないか。昨年1月から1年間連載した「ベクレルの嘆き」の狙いはそこにあった。
 副題は「放射線との戦い」。出産を控えた女性の思い、避難が遅れた親子の苦悩をはじめ、危機に直面した際の医師や専門家の対応、国の判断、放射性物質対策の現状などを丹念に追い続けた。95回全てが原発事故に伴う放射線問題をめぐる記録だ。同時に、連載を通して混乱の原因はどこにあったのか、放射線の問題をどのように考えればいいのかを提示したかった。
 避難先と古里との二重生活に疲れた母子は福島に戻った。食品中に放射性物質が含まれていないか注意を払いながらの生活だが、家族全員で食卓を囲む喜びをかみしめている。リスクと冷静に向き合った先に見つけた彼女なりの結論だ。
 地元紙として事故発生当初、即座に混乱をただせなかった悔しさを忘れない。県民の放射線との闘いはまだまだ終わらない。これからも伝え続ける。

■国の基準をめぐる混乱
 文部科学省は校庭を利用する際の空間放射線量を毎時3.8マイクロシーベルトとし、それを下回る場合は使用を認めた。計画的避難区域の設定基準である年間被ばく線量20ミリシーベルトからはじき出した数字だったが、政府内部から「高過ぎる」との反発が起き、専門家が役職を辞任する事態に。独自に除染する学校も出始めた。このため、文科省は長期目標として年間被ばく線量1ミリシーベルトを掲げたが、2つの基準は混乱に拍車を掛けた。

カテゴリー:記者たちの3年

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