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2005年03月18日
水道橋博士の「本、邪魔か?」(7)アル北郷
誰にとっても日常でやらかす、誤字、誤読とはバカ話の基本である。
さて、その集大成とも言える本が、糸井重里監修の新刊『言いまつがい』である。身近に起こった様々な「いい間違い」について、HP「ほぼ日」に投稿される、間抜けな類例を集めた本である。
日本全国、場所も時間も違う不特定多数の「言い間違い」の集積ぶりは壮観であり、笑いの強度とすればユルいながらも微笑ましいものである。
この手の話なら、誰もが持ちネタがあるだろう。
俺自身の体験で個人的に記憶に残るのは、たけし軍団の芸人仲間であった、佐竹チョイナチョイナが、居酒屋に入って、メニューの「茄子味噌和え(あえ)」を見て、「茄子味噌かずゆき、下さい」と言ったのはクリーンヒットであった。
また、有名人では、あの全盛期の吉田栄作が日本の芸能界を離れ海外修行に向かう際に、「俺はアメリカで、もっとジャンボになって帰ってくる!」と言い残したと言う、「ビッグ」と「ジャンボ」をいい間違えた逸話が大好きである。
しかし、我が家には、たった一人で、日々、イイ当たりの「言いまつがい」をイチローの如くコツコツと飛ばし続ける、ジャンボな「言いまつがい王」がいるのである。
その人こそ、今回、紹介する、アル北郷なのである。
あまりに無名すぎるので紹介すれば、たけし軍団の後輩芸人であり、我が家に住み込む居候でもある。
殿(ビートたけし)命名による芸名の由来は、アル・カポネから来ているのだが、30年代のシカゴに君臨したマフィアの大親分の名前を引くにも関わらず、本人は根っからの子分肌で、たけし軍団に入ってからの芸暦8年を泣かず飛ばずのまま過ごし、現在33歳になっても、「芸人になってから一度も家賃を払ったことがない!」と自慢する無責任極まりないヤドカリ人生を歩む、憎みきれないロクデナシでもある。
たけし軍団入門直後に俺の部屋に住み込み、その後しばらく離れたが、ここ2年、再び舞い戻り、我が家に居座った。
しかも、住み込み始めたのは、俺が結婚し、第一子である子供が生まれる直前からである。ある意味、新婚家庭であり、乳児がいる家に平気で上がりこむわけだから、その面の皮の厚さは並ではない。
古来、人の家にやっかいになるには『居候3杯目にはそっと出し』などと言う川柳があるほど肩身の狭い思いをするものだが、奴の場合、我が家のロフト(屋根裏部屋)の一室を占拠し、起床、帰宅、就寝時間は自由気まま、冬は暖房、夏は冷房を最強目盛りで24時間付けっぱなし。(しかも窓は開けたまま)冷蔵庫の食品は断わりもなく食べ放題、酒は飲み放題、深夜、家族が寝静まると、居間にある大型プラズマテレビを独占し、5・1チャンネルの大音量で俺のDVDコレクションを見放題という、芸能人2世のドラ息子もビックリのデタラメな生活態度なのである。
そんな、はた迷惑極まりない彼氏ではあるが、唯一の取り柄は、たけし軍団には珍しく読書家であること。
仕事絡みで義務的な読書の多い俺にとって、決して仕事や必要に迫られることなく、我が家のソファーに寝そべって文庫を手に取り、「現の世は夢」を決め込み、呆けたまま活字の世界に誘われ別世界を遊覧している様は羨ましくもあり、また、その至福の表情は美しくもある。
「人生で最も至極な瞬間は、好きな作家の新刊を手にしている時ですねぇ」と言い切るような活字中毒者なのであるから、当然、トリビアの泉沸く、博識、物知りであると思うだろうが、これが……。
読書で得た知識が実に成らないだけならともかく、コイツの場合、病的なほどの、誤字、誤読、言い間違いの連続で、特に漢字の読めない度合いは、日本に着いたばかりの帰国子女以下、「在日日本人」と言われるほどなのである。
今回、そのいくつかを、「ボウロ」したい。
あえて、「バクロ」を「ボウロ」と書いたのは、最近、チェッカーズの高杢禎彦がワイドショーで「暴露本」を「ぼうろぼん」と発言したのを、俺がチェックしていると、
「えぇ、あれってボウロじゃないんですか!?」と自ら暴露してしまった。
北郷、この時、初めて気がついていたが、これなど、まだ誰にでもありがちな「言いまつがい」の定番である。
北郷の場合、本読みを自負しているから、本のタイトルに間違いが多い。
俺が、一番最初に、こいつの誤読ぶりを発見したのは、安部譲二が話題になった時である。
北郷の口から『ほりのうちの懲りない面々』と発音され、一瞬、川崎のソープ嬢の話かと思ったが、これは「塀の中(へいのなか)の懲りない面々」のことであり、あまりにも有名な作品なので耳を疑った。
その後も、奴の誤読の懲りない数々ったらない。
この間は、「博士、桐野夏生の新刊、『ざんにょうき』は読まれましたか?」
と聞かれた。一瞬、なんのことかわからなかったが、これは『残虐記』(ざんぎゃくき)のこと。
実に幼稚な『放尿記』『その女、淫乱につき』レベルの安物AVタイトル的思考だが、受けを狙っていないだけに性質が悪い。
おまけに、桐野夏生を、長いこと、「桐野夏至(げし)」だと思い込み、夏生(なつお)と分かっても、ずっと男性だと思っていたぐらいだから、北郷の漢字判読は、岡本夏生(なつき)の年齢以上の出鱈目であり、北郷の思い込みによる「言いまつがい」の残尿ぶりは、まだまだお漏らしするに決まっている。
「残尿」で思い出したが、本のタイトルで言えば、20年以上前のことだが、当時、東大生の友人に「おまえ、本田靖春の新刊の『へ』って読んだか?」と問われたことがある。本田靖春治氏は、先ごろ亡くなられた新聞記者であり、孤高のルポライターであったが、当時、『不当逮捕』が講談社ノンフィクション賞を受賞し、話題にもなっていた頃であった。
「へ?『へ』って、『屁』のこと?」
と俺も真面目に反応したが、後に、これは、『疵(きず)―花形敬とその時代』であることが判明した。
北郷ならぬ、文京区本郷の東大生ですら、こんな、濃(コク)のある、すかしっ屁を放つのである。
この話を思い出し、北郷に、本田氏の遺作である『我、拗ね者(すねもの)として生涯を閉ず』のタイトルを読ませたところ、「我、おたずねものとして……」とスクープを追う方ではなく、追われる方になってしまった。
北郷に話を戻す。
奴は自分が他の芸人に比べて本読みであることを少しは鼻にかけていて、当然、後輩には先輩風を吹かしているのだ。
ある日、楽屋で芸人仲間に、「宮部みゆきの『かや』は傑作だから、絶対、読んだほうがいい!」と北郷が偉そうに薦めていたのを見かねて、
「あれは『かしゃ』と読むんだろう」俺がと指摘すると、俄然、得意気に
「あれは『かしゃ』と書いて『かや』って読むんですよ、僕は、あの本大好きで2回読んでるんですよ!」とまでキッパリ言い切った。
そこまで、言うなら、俺の間違いだろうと、引き下がっていたが、丁度、次の日、中野ブロードウェイの本屋に一緒に行った。
そこで、平積みの文庫本のコーナーのところで、北郷が、こそこそと新刊本に違う本を重ねて、何か表紙を隠すかのような行動を取るので、不審に思って確かめると……。丁度、「火車」が文庫化されていたのである。
そして、その文庫のタイトルの「火車」の文字の後に、カッコして(かしゃ)と書かれてあった。
読み間違いだけならともかく、証拠を隠滅しようとするところが姑息であり、
あたふたと慌て、火の車でその場を取り繕おうとする姿が北郷らしかった。
その日、この書店の会話だけでも、スマッシュヒットを連発。
手始めに『キネマ旬報』を『キネマしゅんぽう』と読み、なにやら美味しそうな飲茶を連想させてくれると、お次はイエローキャブの佐藤江梨子が書いたタレント本、『気遣い喫茶』を、『きちがい喫茶』と読み、‘気遣い’を微塵も感じさせない誤読の固め打ちを見せた。
また、ある日のこと――。
映画化された『下妻物語』について北郷が話をしていた時、
「あの原作の獄中(ごくちゅう)ナントカって居ますよね〜」
って言うから、これまた安部譲二の話かと思ったら、作品名を『下妻物語』と言ったので、これは、嶽本野ばらだとわかった。
「あの作家は、抽象的ですよねぇ」と批評家ぶって北郷。
「そうかなぁ?」読んだことがないので曖昧な俺。
「どっか、自分が女性になりきっている部分あるでしょう? ちゅうしょう的な……」と続ける。
「おまえ、さっきから、『抽象的』って言ってるの、ひょっとして『中性的』ってこと?」
「ええ??『中性』って『ちゅうせい』って読むんですか?」
不思議なのは、「中性」って書いて「ちゅうしょう」と読むより「ちゅうせい」って読むほうが、簡単だと思うのだが…。「だいたい読めればいい」という北郷の漢字に対するアバウトなスタンスこそがまさに「抽象的」と言って然るべきだが、「火車」の読み方一つにしても、奴はどこか漢字を素直に読めない回路があるらしい。
そう言えば、北郷の母親は、「志女子」と書いて、「しめこ」と読む珍名さんであり、今まで離婚4回を繰り返してきた、波乱万丈の女傑なのである。
その「しめこ」の語感が面白いからか、本人の漫談にも度々、登場する。
北郷曰く、「子供の頃から母親の珍名でからかわれるし、離婚のたびに苗字が変わるから、俺の心の中で、漢字を正確に読んではいけないって言う潜在的なトラウマがあるんでしょうねぇ」と語るが、それもまた確実に間違った自己分析であろう。
この北郷、何故か、現在『アサヒパソコン』誌で新作映画評もやっているくらいだから、映画も大好きだが、当然、肝心のタイトルも憶え間違っている。
ある日、映画史上のベスト10の話をしていた時のことである。
「オールタイムのアンケートを取ると『てんじょうざいの人々』って必ず上位になりますよねぇ」と誤読界の殿上人である北郷がキッパリと断言。
これは『天井桟敷の人々』をオールタイムならぬ、オールアバウトに『てんじょうざいの人々』と読んでいたのだ。映画史に燦然と輝く名作を、京都で「おばんざい」を「おぜんざい」と間違えた東京人の如く、またしても威風堂々とやってくれた。
さらに、『愛しのロクサーヌ』は当然、『あいしのロクサーヌ』と読んだ。
「おまえ、それだけ言い間違ったら、それで失敗したことあるだろう?」
と聞くと、
「そうですねぇ、『失恋』って漢字を、23歳まで、『しつこい』と読んでましたねぇ。話をしている時に出てくる『しつれん』は『しつれん』なんですけど、それはあくまで、僕の中では、ひらがなで、僕が本を読む時に出てくる活字の『失恋』は『しつこい』とひらがな変換していましたねぇ」と語るのだ。
これには、「しつこい」ぐらいに薬に手を出した『失恋レストラン』のシミケンもビックリだろうが、いや、むしろ北郷も、「読めない漢字ぐらい事前に自分で調べてこい!」と秋吉久美子ともども、ショーケンに一喝してもらった方が良さそうだ。
もちろん、言い間違えるのは、漢字ばかりではない。
「僕って、付き合う女の子に村上龍の『69』を配るのが、自分の中の決まりだったりするんですけど、これも、ずーっと『シックスティーナイン』ではなく22ぐらいまで『シックスナイン』と読んでましたねぇ、これ作ってないです、マジです」と意味もなく威張る。
「でも決定的な失敗は、25歳の時、彼女とドライブ中に渋滞の情報をみながら『なんだよ、霞ヶ関まで、ずーっと“ていたい”かよ……』って呟いたら、隣に乗ってた6歳下の彼女に『あんた、それもしかして渋滞の事言ってんの……』と言われちゃって、あれは恥ずかしかったなぁ……」
「じゃあ、その彼女とは、『しつこい』したの?」と俺。
以上、思いつくままに書き連ねても、いやはやどおりで芸人としても「停滞」するはずである。
そんなアル北郷のベスト・オブ・ベストだが、著作もあろうはずもない。
とりあえず、俺のHPで日記( http://www.asakusakid.com/al-diary.html)を書かせているのだが、その持ち味を生かすため、文章上の誤字を正さず、原文のまま、あえて残すようにしている。
ぜひ、奴のでたらめな性格とダメ人間の日常を確認してもらいたい。
なにしろ、我が家のロフト(屋根裏)部屋に居を構える「天井ザイの人々」なのである。
本人は、日々、気楽な居候ライフを満喫しているのであろうが、俺からすれば、一言――。
「北郷! おまえ、本と邪魔だ!」
投稿者 davinci_blue : 12:58