- >>38441
それでは一方通行の宣伝で、中立性がないんじゃないでしょうか?
その点は中華人民共和国や朝鮮民主主義共和国と一緒でしょ?
余りにも中立性がないから 反対の意見を書いているんです
それでなくても ここの掲示板の重要性を考えれば
政治利用にはもってこいの場所ですから 尚更です。
また『とんでもない錯誤』と言う、抽象的かつ曖昧な言葉を述べておりましたが
では、マグマグさん等に伺いますが、その『とんでもない錯誤』と言うのは
どの部分なのでしょうか? 感情論ではなく きちんと回答していただけませんか
まず、ここから伺いましょう
次に マグマグさんも、管理者さんも、阿部日氏も
人間革命3巻の宣告の章の感想文を ここに書いていただけませんか
あそこにはパール判事の事も述べられていましたよね
その点も含めてNHKの役員さんの一連の発言と
戸田先生が述べていた発言が如何違うのか?
その点も含めてきちんと書いてください。
あと・・・
管理者さまにお願いした筈なのですが、中立性を保つ意味も含めて
政治決着がつくまでですが、一時的に、中華人民共和国・朝鮮に関する話題は
喧嘩や対立の要素になるため 削除を要請します。
- はじめまして阿部日ケ~ンさん、マグマグさん、名無しのecoさん。
私は宗教のことはあまり詳しく存じません。
変なことを書くかもしれませんが、ご辛抱ください。
皆様に伺いたいことがあります。
「永遠の生命」たどか「過去世」などという言葉は
生命は繰り返されるという意味でしょうか。
簡単に言うと「生まれ変わる」
肉体は朽ち果てても、生命は永遠に終わることがないということでしょうか?
そうであったなら、
「どうして人口はどんどん増え続けているのでしょうか。」
世界の人口は、1分に137人、1日で20万人、1年で7千万人、増えています。
世界中で、1年に6千万人が亡くなり、1億3千万人が産まれます。
現在71.68億人です。
毎年死ぬ人より7千万人も生まれる人が多いのです。
何が人間に生まれ変わっているのでしょうか。
- 今日のラジオ(昼の憩い)で『うれしい・ひなまつり』ながれちょった。
歌い手は「みわ・あきひろ」さん。
なんか…スゴク良かった。 ジンときたわい。
…ところで…。
もう随分昔になるが、ワシも『うれしい・ひなまつり』の替え歌を「当掲示板」に書いた。
あれは我ながら、佳作じゃった。
( 今ならサシズメ 著作権とやらで 五月蠅い事じゃろう )
実は、あの歌は。
ワシの心の奥底に、別の意味で刻印されておる「三曲」の中の一曲じゃ。
それは、今から三十四年も昔の事じゃった。
ん?
残りの二曲かね。
それは『厚田村』と『熱原の三烈士』じゃよ。
いつもご迷惑をおかけするが管理人様にお願いがある。昨夜(3月3日)の名無しの三つの連投(№38438~38440)を削除願いたい。思考法として当板富士宮に合わないのと、とんでもない錯誤がある。こんなのは雑学としても無用の長物だ。
更に削除の最大の理由は、投稿者のオツムがまともじゃないこと。使っていい語彙や表現と言った基本事項、常識を弁えない論者に、ここはいつも門戸を開いているわけじゃない。まあ、自由よりも言論の責任を噛みしめるべきだろう。
俗に「己の欲せざるところ、人に施すこと勿れ」と言うが、投稿者からすると、欲するものと欲せざるものが、普通の人と違うのだろう。で、我々がその違いに合せるべきかは自明のこと。よそへ行って書けと言ってから時間も久しく経った。
ともかくも、歓迎されていないのに執拗に投稿する、その神経とは?単なる寂しがり屋じゃなかろう。で、他人に合わせろとは言わない。が、自分の言いたいことを本当に伝えたいのならば、先ずは普通の言葉、表現で書けばいい。
とまれ常識や良識がなく、価値観を共有出来ない人は、この板ではお断り。いや、この板だけでない。多くの板やブログに向いていない。意見や趣味が合うところへ行けと言うのみだ。また自分で持っているならばそこで頑張れヨ。マグマグo(*^▽^*)o~♪
抗日戦勝記念、南京大虐殺追悼の日が制定された。一部報道で、これは安倍さんの靖国参拝に対抗するものとされているが、本当にそうだろうか。戦勝の誇示と犠牲者追悼がどう結びつくかを考える方が、先決だろう。
――国破山河在、城春草木深。感時花濺涙、恨別鳥驚心。烽火連三月、家書抵万金。白頭掻更短、渾欲不勝簪。(杜甫「春望」)――
読み下しや解釈を書く必要はあるまい。中国でも教科書に出て来る名詩だ。松尾芭蕉はこの詩から想像をふくらませ、夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡と詠み、季節こそ違うが、俳人、世捨て人の感慨を淡々と述べている。
戦(いくさ)は首都を壊滅させるものだった。しかもそこに杜甫の栄耀の人生の頂点があり、その後、彼は荒廃した国土や政治、民心に疲れてか官を辞し、漂泊の旅に出る。芭蕉の感性、感慨はそれに連なっていたとも思われる。
日本は敗戦国、これを認めるかどうかは自由で、但し歴史は、後世の人々の認識の差異で変わらない。逆に、何を事実とするかで歴史認識に違いが出るのだろう。かつての日系移民の勝ち組、負け組みのような話しでも決してなくて。
この十年、中国や韓国は日本が右傾化していると主張する。矛盾するが、個人的にうなづく一方、実は違うと思う。右傾化でなく「無力化」ではないか、現代的な諦観(ていかん)なのではないかと、私は想像する。
先日の都知事選にも現われていて、神母田さんは落選したが、若い世代からの集票が多かったと聞く。彼らにとって、現代の軍人の存在感が大きいのも何となく分かるが、一票を投じる魅力や価値があったかどうかはとても疑問だ。
強いおとながいて、無気力ながら言うことを聞く若者が増えているのではないか。思想信条なんかでなく、生き甲斐のない社会が若者を悪循環へいざない、諦めから生まれる空虚な観念だけがあるんじゃないかと、思えて仕方ない。
――つまり、本人が前進しやすいようにしてあげることであって、あくまでも進むのは本人次第です。本人が乗り越えなければならないことを肩代わりしたりするのでもありません。/略/仏法も同じです。その人自身が、自分の力で運命を切り開いていく。強い人間を築くための宗教です。/宿命転換の原理も同じです。宿命には、どこまでも本人が自らの力で立ち向かっていかなければならない。自身の中に、あらゆる宿命を転換する力があると気づけば、直面している逆境に意味を見いだしていくことができます。「宿命」を「使命」に変えていくことができるのです。(大白2013年12月号34~35頁)――
先生は続けて、指導とは、相手の幸せのために弱い心、臆病の心を誡めて行くことと教えられている。戦争がいい悪いでなく、人々の弱い心の総和、臆病者の最後の逃げ道と定義すると、断固それと徹底して戦うべきだと思う。
世界広布新時代に、日本だけが正しいと思い、時代に逆行するようなことをしていていいはずない。真っ直ぐで明るく、勤勉で豊かな感性を誇る国民性はどこへ行ったのか。現在の虚無が右傾化だと海外から誤解される今の日本は、本当の日本なんだろうか。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 大勝利氏の代弁など要りません。
反論はご本人がすべき事。
仮に討論相手に矛盾点があっても、
そこをどう気づいてどう反論するか?
そこも含め閲覧者は興味津々に見ています。
あなたの横槍など、ゲーム観戦の邪魔でしかありません。
引っ込んでなさいませ。
- また論点ずらしですね。
※貴方は大聖人が曼荼羅御本尊を拝んでいたとする文証に
「今一乗妙法蓮華経の御宝前に備へ奉りて南無妙法蓮華経と只一遍唱えまいらせ
候い畢んぬ」を出し、「法蓮華経の御宝前」は曼荼羅御本尊の前であると主張
されましたね
その通りです。
この新池殿御消息が書かれた時期は「弘安二年五月」熱原の法難のある直前です。
そして大勝利さんの提示された御文は文永・・つまり佐渡流罪前の御文です。
そし妙・法・蓮・華・経の・・つまり「五字」の宝前に・・とあるのですから
御本尊様ではないのでしょうか。
大勝利さんの提示した御文には 「法華経の御宝前」 とあります。
学会版御書の「妙法蓮華経の御宝前」との表記は二箇所。
提示させていただいた「新池殿御消息」(弘安二年五月)と
「中興入道消息」(弘安二年十一月)です。
対して大勝利さんの提示された御書を含めて八箇所。
年代が不明なものもありますが、「大豆御書」以外はおおむね弘安元年~三年
ほぼ身延での御執筆のようです。
繰り返しになりますが、文永の頃の「法華経の御宝前」をもって佐渡における
曼荼羅御図顕以後の「法華経の御宝前」または「妙法蓮華経の御宝前」は意味合い
が異なります。
松葉が谷つまり初期鎌倉滞在期には日蓮大聖人も経巻(または釈尊像)をもって
御宝前とされていたことは否定はしませんが、それがそのまま、御本尊様を顕されて以後
御入滅まででそうであったとは、とうてい私には考えられません。
大勝利さん。詭弁を弄するのはやめましょう。
- 下記38432は秋晴れです。
投稿者の欄を書くのを忘れて投稿してしまいましたら、
投稿者が名無しのボーイとなってました。
- ecoだけにエコエコアザラク
し、失礼しました〜
- はて? およびでないのは、あなたのほうだと思ったのですが。
少なくともROMした立場の感想です。
いわば、customer-voiceです。
悦に浸るKYはあなた。
- 黙って大勝利氏と阿部日氏のやりとりを見届けなさいませない。
- はじめまして皆様。
私は宗教のことはあまり詳しく存じません。
変なことを書くかもしれませんが、ご辛抱ください。
皆様に伺いたいことがあります。
「永遠の生命」たどか「過去世」などという言葉は
生命は繰り返されるという意味でしょうか。
簡単に言うと「生まれ変わる」
肉体は朽ち果てても、生命は永遠に終わることがないということでしょうか?
そうであったなら、
「どうして人口はどんどん増え続けているのでしょうか。」
世界の人口は、1分に137人、1日で20万人、1年で7千万人、増えています。
世界中で、1年に6千万人が亡くなり、1億3千万人が産まれます。
現在71.68億人です。
毎年死ぬ人より7千万人も生まれる人が多いのです。
何が人間に生まれ変わっているのでしょうか。
大勝利さん。もうすこし丁寧に返答ねがえませんか?
※文永七年って言ってるんですよ!
相貌とか関係ないでしょ
(大勝利さん 談 2014/3/1)
再度、大勝利さん論を聞き直しますね。
-----------------
問い
文永七年以前に、現在創価学会員さんが「御本尊」としている曼荼羅を
日蓮大聖人が顕されていないからといって
「大聖人は御自分で書かれた御本尊を拝んでいたとは考えられません」(大勝利談)
という 結論になるのですか?
この大勝利さんの主張では終生、日蓮大聖人が曼荼羅には唱題行をおこなって
いないことになってしまいます。
大勝利さんの主張は佐渡流罪後の頃までの、限定的なお話だったのでしょうか。
----------------
ご自分の主張を肯定すべく極力「御書」を引用して、丁寧に反論して
いただけませんか。
- 日蓮「曼荼羅非唱題説」を掲げておられる大勝利さんが
こういった反論をされていました。
※私は「大聖人が御自分で書かれた御本尊を拝んでいたとは考えられません。」
と言ったのですよ
※「新池殿御消息」が文証にならない理由として、私は文永七年十月の大豆御書を
挙げましたね。
「大豆一石かしこまつて拝領し畢んぬ法華経の御宝前に申し上候」文永七年十月
法華経の御宝前とは曼荼羅本尊ではないですよね?なぜなら文永七年にはまだ
曼荼羅御本尊は顕されてないですから
(大勝利さん談 2014年2月28日)
///////////////////////////
大勝利さんは再度「日蓮は書写された曼荼羅には唱題していない」と念を押して
おられます。
その論去は「勧心本尊抄」以前(佐渡流罪以前)に、現在私たちが唱題している
相貌をもった御本尊が顕されていないから・・という理由のようです。
しかしこれは完全にミスリードです。
創価学会員が下付している形の相貌になった御本尊でないから、佐渡流罪以前の
鎌倉期には曼荼羅を本尊とされていなかったかどうかといった「期限的」本尊論を
論点にしているのではないことは明白なのです。
この主張は、日顕宗が「創価学会はかつて法主を尊んでいたではないか」という
強弁と同じです。
外交問題においても、韓国が「河野談話」を用いて、慰安婦問題を事実として
いるようなもので歴史問題は常に「あたらしい発見」があれば、その解釈も変遷
していくものです。
日蓮大聖人とて、「基本理念」はもたれていましたが、それを曼荼羅に顕される
まで試行錯誤をされていたであろうことは、残存している真筆本尊の変遷をみれば
理解出来るでしょう。
ロム男さんも指摘されていましたが、明らかにそれまでとは違う相貌の曼荼羅を顕し
、弟子に「本尊」として下付されているのですから、それ以前がどうだったという
理由で否定をするのは詭弁です。
いわゆる「伝統論証」
http://ronri2.web.fc2.com/kiben02.html
しかし反論している我々もまた、伝統論証に陥ってしまう傾向があるので
要注意です。
(例:今、創価学会が曼荼羅を拝んでいるのだから、日蓮大聖人もそうであった)
宿坊殿やロム男さんも指摘されているように、「これが本尊だから“唱題”しましょう」
といった教導的表現をされている御文はありません。
日蓮大聖人自らが「末法の本仏」と宣言されていないのと同じです。
両論併記状態ですが、共通しているのは「本尊に対して唱題(拝する)」をするという
形は何れの方も否定されていないのですから、じゃぁどんな形が「一尊四士」であり、
具体的にどのようなものが「末法に流布すべき本尊」として拝されていたのかを
言及せねばならないでしょう。
大勝利さんは私の
『ど・の・よ・う・な・形が一尊四士なのか、具体的にご教授願えませんか?』
の問いには答えられていません。
曼荼羅ではない、随身仏ではない・・・といったような謎かけで終始すれば
言葉遊びの範疇を超えられません。
現在の創価学会においては、日寛上人書写の御本尊を下付していますが、それ以前の
日達書写、もっと前の日淳書写のものを本尊とされている方もおられるでしょう。
もちろん日顕書写の御本尊を拝されていた方もおられますが、今はまずお見かけしません。
日寛書写の御本尊を創価学会が下付しはじめたころ、取り替えは「本人の意志」でされた
ものです。
全国の学会員さんに対して一斉に強要した訳ではありません。
どの法主が書写した御曼荼羅を本尊とするか、会員さんの自らが選択したのです。
当時の創価学会が「大聖人様が書写されたもの」を選択していない事からも、御本尊様
は師弟の儀と「信心」とを両立して「受ける」ものだといえるでしょう。
- 全く主義主張の違う沖浦さん、阿部日けーんさん、大勝利さん、
マグマグさん、太ちゃんさん、河内平野さん、ecoさん。
斧さんに、京都の鬼さんに、んっ?さんや その他大勢。
全く意見が合わない。バラバラ。
でも全員に功徳がある。
何故かわかりますか????
わかっているのは斧不一さんだけだろうな。
- 会員の主張に統一性が全くない。
本仏も定まらない。
本尊も定まらない。
遺文の真偽の認定も出来ていない。
富士総本山として本尊を敬っていたのに
破門されたら富士は悪の寺だという。
二代目の会長の思想を現在では完全否定しているのに
二代会長を師と敬う。
他にも山ほどの矛盾がある。
どうして信者が離れないのか不思議でしょうがない。
- >>38408
>>
>>和歌山の田辺市でネット通販業も営んでいる、桐本氏がこんなツブヤキをされていました。
>>
>>※創価学会は昭和になって出来た宗教団体であるのに、大聖人直結の信心をしている
>> という。鎌倉時代からの空白期間がある。これについての説明もない。学会が出来た
>> 当時、富士大石寺の信徒がいて、信心の仕方を教えていただいた。
>> 例えば勤行唱題や折伏、教学を教えてもらっている。
>> それを現在、日蓮正宗でないのに真似ているのが学会なのだ。。
>> 厳しく対応して行きたい。
>>(正宗をまねる創価)
>>
私は創価学会や日蓮正宗の関係者ではありませんが、世間一般の意見は桐本さんと同じだと思います。
破門したほうが悪なのだという理論はお笑いです。
会社を首になった社員が恨みつらみを吐き出しているに等しい行為です。
日蓮直結???
直結を証明できるような書面があるんですか?
鎌倉の時代に、昭和に創価学会が発生すると予言した書面でもあるんですか?
和歌山の田辺市でネット通販業も営んでいる、桐本氏がこんなツブヤキをされていました。
※創価学会は昭和になって出来た宗教団体であるのに、大聖人直結の信心をしている
という。鎌倉時代からの空白期間がある。これについての説明もない。学会が出来た
当時、富士大石寺の信徒がいて、信心の仕方を教えていただいた。
例えば勤行唱題や折伏、教学を教えてもらっている。
それを現在、日蓮正宗でないのに真似ているのが学会なのだ。。
厳しく対応して行きたい。
(正宗をまねる創価)
http://white.ap.teacup.com/kirimoto/1833.html
日顕宗門徒のドロリとした高慢な心を感じざるをえませんね。
かつて日本を含めた帝国主義(列強国とも言います)が、アジアの
各地域を支配(植民地化)する際に、政治的、宗教的、経済的価値観を押しつけ、
「後進地域に文化と近代化をもたらしたのだ」と自画自賛し、支配する側を「恩人」だと
格付けする事で宗主国となる事を第一の目的としました。
大月天管理人にしても桐本氏にしても、その呪詛めいた破折の文言には、創価学会に
たいする“宗主国”日蓮正宗という発想がよくあらわれていると思います。
彼等は、日蓮正宗が創価学会によって、針金宗と揶揄された地方の一門派から、
日本国内のみならず、世界に知れ渡るまでになった「報恩」の広宣流布を貶めんがために
「だれが教えてやったんだ」と帰属意識を問うことしかできません。
一度没落した“宗主国”は近隣からも迷惑がられるだけです。
無謀な戦争を行い負けた日本が、どれだけ朝鮮・中国に対して
「日本が戦争しなくても、ロシアや他の列強が支配者になったんだ」と自己弁護しても
、直接被害を被った人々からみれば、「何様だ?」となることが理解できないのでしょう。
だからこそ、彼等の政治的な発想も折伏も、腹を割った対話ではなく「無批判の従属」を
求めることが第一義となってきます。
逆にいえば、彼等日顕宗の末端門徒はナチスドイツの「アイヒマン」のごとく、
大量殺人を指揮しても「そうするようにいわれたから」という他人まかせの思考原理
でしか、物事を処理できないのです。
これは顕正会の連中にも同じ事がいえるでしょう。
彼等の折伏は、だれかに与えられた「ノルマ」をこなす為にするものであり、苦痛で
しかなくやればやるほど、その身に増上慢の姿を顕してきます。
身内がみれば「有能な闘士」でしょうが、よそから見れば「哀れな下僕」でしかありません。
彼等は小さなプライドを日蓮大聖人の大慈悲をもって偽装することで、哀れさを自分で
慰める術を与えられているだけです。
そんな姿をみて「よかりけり」と思う人間は、ごく一部の右寄りな門徒。
みずから「権威」の奴隷となることを志願した、仏法を知らない無智の俗衆。
そして、門徒を支配し、楽して禄を食むことしか考えていない僭聖の坊主だけです。
そういった人が多くなればなるほど、自国を滅亡に追いやることになる。
歴史から学ぶことは大切だとおもいますね。
- (発行=14.02.27)
顕正会の会員二人を書類送検
暴力や暴言で強引に勧誘する危険な邪教
「入信を断れば罰」と強要の容疑 警視庁
顕正会(本部・さいたま市大宮区)への入信を強引に迫るなどしたとして警視庁
公安部は二十六日、強要と暴力行為処罰法違反容疑で、同会の会員(二十四歳、
横浜市在住)と元会員(二十五歳、川崎市在住)の男二人を書類送検した。
これはテレビニュースや一般紙で報じられ、特に、TBSは「六時間にわたって
執拗に勧誘」「強引に入信申込書を書かせた」と報道(写真)、顕正会の悪辣な
体質が広く知れ渡った。
時事通信、産経新聞などによると、元会員の男は容疑を認めているが、会員の男は
「勧誘はしたが、強要はしていない」と容疑を否認しているということだ。
送検容疑は、昨年三月二十日、東京・秋葉原のカードショップで二十代の男性に声を
掛けたうえ、板橋区内のファミリーレストランで「入会しなければ罰が当たるぞ。
五体満足ではいられなくなることもある」等と約六時間にもわたって脅迫し、執拗に
入信を迫って同会の東京会館に同行。入会の書類を作成させ、お祈りをさせるなど
したとしている。
また、同日深夜の帰り際には、東京メトロ池袋駅で「家族や友達に話したら、顕正会
の関係者が自宅に押しかけるぞ」等と脅して口止めしていたという。
警視庁公安部によると、顕正会員の二人は「カードゲームを一緒にしよう」と
アルバイトの男性に声を掛け、騙して呼び出した。公安部は顕正会のノルマが
あり、二人の会員が強引な勧誘をしたと判断したのだ。
趣味などを口実にして言葉巧みに近づいて入会を迫るなど顕正会の悪質な勧誘事件
が多発している。
警視庁には被害者からトラブルの相談が相次ぎ、昨年一年間に計百六十二件の被害相談
が寄せられたということである。公安部は昨年九月、顕正会本部や東京会館、神奈川
会館など計七ヶ所を家宅捜索していた。書類送検された元会員は捜索後に脱会したという。
根も葉もない妄言で会員を騙し続ける会長の浅井昭衛
(参照画像)
http://userimg.teacup.com/userimg/6239.teacup.com/574744/img/bbs/0000133.jpg
会長の浅井昭衛(写真)は家宅捜索の後、厚顔無恥にも「不当捜索だ」など
と〝不当発言〟を繰り返し、某日蓮系教団の陰謀という根も葉もない妄言を吐
いたうえ顕正新聞の「不当捜索特集号」まで出して無知な会員を騙すため躍起
になっている。愚かな会員が脅迫、監禁、強要、暴行など手段を選ばず、勧誘
に狂奔する元凶は浅井昭衛なのである。
- ※他人の本尊観をあげつらう阿部日け〜んさんへ
「妙法蓮華経」の一尊に四士が書き表されています。
書き表されてるというなら、
先に貴方が、観心本尊抄の執筆以前で四士が書かれた本尊を提示すれば
いいのではないでしょうか
(大勝利さん 談 2014/2/28)
また論点をずらされていますね。
勧心本尊抄以前の「曼荼羅」の存在を云々しているのではありません。
どこの本尊に唱題をされたとか、いつの書写本尊になどといった話題は
大勝利さんの
「曼荼羅本尊非唱題説」の条件には入っていません。
というか、大勝利さんも他人の本尊観や日蓮仏法観をあげつらっていたのでは
ないのですか?
御本尊様の相貌の変遷に興味があるのでしたら下記サイトをおすすめします。
http://homepage3.nifty.com/juhoukai/mandara/mandaraitiran.html
佐渡以前は南無妙法蓮華経に釈迦・多宝、そして梵字のシンプルな相貌ですね。
一尊四士の基本型になるのは「阿仏房」に与えられたもののようです。
佐渡から赦免されて(文永11年)以後、弟子や門徒に与えられたものが
多くなる事からも、日蓮大聖人が唱題の対象となる「本尊」を顕されていたこと
が証明されているようなものでしょう。
逆にお聞きしますが、大勝利さんは「一体仏」そのものを拝むことはされていない
と主張はされていましたが、「釈迦立像(仏像)に四士」の形であれば
久遠実成の釈尊・・つまりインドの釈迦を教化された「無始の古仏」になるという
お考えですか?
曼荼羅では「本尊」の用をなさず、立像で一尊四士のほうが「本尊」だとおっしゃる
なら、実際に配置するとこういう形になります。
(参考リンク 仏像彫刻お店のサイト)
http://www.butuzo.jp/category/%E6%97%A5%E8%93%AE%E5%AE%97%E6%A7%98-%E6%B3%95%E8%8F%AF%E5%AE%97%E6%A7%98/%E4%B8%80%E5%B0%8A%E5%9B%9B%E5%A3%AB
もし「これは違う」とおっしゃるのでしたら、
ど・の・よ・う・な・形が一尊四士なのか、具体的にご教授願えませんか?
- 1.「住職解任」「日顕の体調不良」「建物が損傷」…止まらぬ凶事
山形・天童市の能成寺住職・鈴木雄遍が解任され、還俗することになった。
理由は不明だが、50歳で独り身の鈴木には、かねてより「女性問題」が囁かれ
ていた。
また、シンガポールの開妙院主管・野村信導もその任を解かれ、帰国して末寺の
在勤者になるという。野村はまだ43歳と若い。しかも赴任から3年足らずで解任
され、後釜には実弟の正通が充てられるとあって、宗内には「不祥事のもみ消しの
ために弟が送られるのではないか」との声も出ている。
明年に「日興上人御生誕770年」の慶事を控える日顕宗だが、おめでたくない
話題が続いている。昨年暮れ以降、折伏・登山のノルマ地獄に嫌気がさした坊主
たちが次々と隠居(札幌・高橋廣旭、宮城・下堀義行、熊本・佐久間法敬)。
一方、存在感を示そうと正月から連日、本山での唱題行等に顔を出していた日顕は、
今月中旬以降、急に姿を見せなくなった。「張り切り過ぎがたたって、体調を崩した」
という。さらには、過日の大雪で、奉安堂の屋根瓦や改修したばかりの御影堂の
装飾が損傷してしまった。供養をしぼり取られた信者たちは「雪ごときで壊れる
モノを作るな」と、担当した建設会社への恨み節を口にしている。
法主の日如は先日、最近の世情について「人心は極度に悪化し、騒然として喧噪
を極めるばかりであります」(1月29日、唱題行)と言っていたが、それはまさに
日顕宗の現状そのものである。