第6話 スノーとの夜
商人のマルトンと話したその日の夜。
オレは男子部屋で、同じ孤児院の男の子達に挟まれながら床に敷いた布団で眠っていた。
(……ト……くん)
「ふがぁ」
ペチペチと頬を叩かれる感覚や耳元に聞こえてくる微かな声音。
どれも夢にしてはリアルな感触だ。
(リ……リュート、ん……リュートくん)
「ん……がぁ!?」
(しぃー! 大きな声出さないで。みんな起きちゃうでしょ)
夢ではなかった。
まぶたを開くと、スノーが顔を覗きこんでいる。
彼女の手は、オレが声を出さないように口元を押さえていた。
孤児院にはいくつか規則がある。
その中でもっとも重い罪のひとつが、男子・女子が夜互いの部屋に忍び込むことだ。
違反した場合、1日ご飯抜きになる。
なのに優等生であるスノーが規則を破って、男子部屋に侵入してくるなんて!
オレは彼女がなぜ男部屋に侵入してまで会いに来たのか考える。
(……まさかスノーが夜ばい!?)
オレはアニメやラノベの鈍感系主人公ではない。
生きた人間だ。
確かに最近、彼女から憎からず想われているのを節々で感じていた。
例えば頭を撫でると喜んだり、午後の仕事は大抵オレと一緒だったり……。
オレだってスノーに惹かれる想いはあるが、異性に対するものではない。
妹や娘に対する愛情に近い。
だが将来的に大きくなり、それでもまだ互いに想い合っていたら……恋人や夫婦関係になるのも有りなのかも、とは思っている。
しかしいくら何でも5歳で夜ばいは早すぎる! しかも女の子が、男の子を襲うなんて!
この歳で既成事実を作ろうとするなんて、スノー恐ろしい子!
肉体は同じ5歳だが、精神年齢は32歳の年長者として『びしッ!』とお説教をしなければいけないようだ。
スノーは顔を近づけ耳元に囁いてくる。
(うるさくしたらみんな起きちゃうから静かにしてね。分かった?)
コクコク。
頷くと、スノーはオレの口元からゆっくり手を離した。
(あのなスノー、オマエの気持ちは――)
(しぃー! ここでお話ししたらみんな起きちゃうでしょ。付いて来て)
オレはスノーの指示に従い、静かに男部屋を抜け出す。
この世界に電気はない。ガス、水道などのインフラも存在しない。
だから、夜になると目隠しされたように世界は暗くなる。
オレはスノーと手を繋ぎ、彼女に導かれるまま歩き続ける。
感覚として彼女が向かっている先が食堂だと分かった。
窓から差し込む星明かり。
光を求めて、オレ達は食堂の窓の側に座る。
体育座りだ。
昼間は暖かいが、夜はさすがに肌寒い。
互いの温もりで暖を取るように肩を触れ合わせる。
こちらの方が小声を聞き取り易いというのもあるが。
「それでどうして規則を破ってまでこんな所に連れてきたんだ」
「……うん、あのねどうしてもリュートくんに聞きたいことがあって」
この程度の声量なら、まず部屋で眠る人達は起きないだろう。
しかし、女子は男子に比べて成長が早いというが、まさかこの歳でオレの気持ちを知りたがるとは……。
他にも歳の近い少女達がオレの側にいるから焦る気持ちは分かるが、太陽が昇る頃まで待って欲しかった。
(もてる男が辛いっていうのは本当だな)
オレは胸中で冗談っぽく前髪を弾くマネをする。
スノーは暗い表情で尋ねてきた。
「あのね、リュートくんはお母さんやお父さんに会いたいと思う?」
「……え?」
「だから、リュートくんは自分を捨てたお母さんやお父さんに会いたいと思う?」
あれ、これ、告白や『大好きなリュートくんの気持ちを知りたい!』とかの甘酸っぱいイベントじゃなくね?
むしろ、シリアスな相談だ。
オレはスノーに対する邪な想像の謝罪を胸中でした後、気持ちを切り替え彼女に問う。
「どうしてスノーはそんなことを訊くんだ?」
「……今日、先生にリュートくんは『別に今更、会いたいと思っていない』って言ったでしょ?」
スノーは俯き、ぽつぽつと心情を告げる。
「スノーはお父さんとお母さんに会いたいよ。会って、どうしてスノーを捨てちゃったのか聞きたい。お父さんとお母さんと一緒に暮らしたい……そう思うスノーは変なの?」
スノーとオレの境遇は似ている。
同じ日に、一緒に孤児院に置き去りにされた。
そのオレが『今更、両親と会いたいとは思っていない』と断言。
自分が『会いたい』『できれば一緒に暮らしたい』という感情を持つ方が間違いなのかと悩んでしまったのだろう。
スノーには経験しなくていい悲しみを味わわせてしまった。
オレが両親に会いたいと思わないのは、前世の記憶を引き継いだ転生者だからだ。
捨てた両親に会って理由を知り、仲直りして一緒に暮らすのは変ではない。正常だ。むしろ異常なのはオレの方だ――と説明するわけにもいかない。逆に心配させてしまうだろうから。
ならば言葉ではなく、態度で示そう。
オレは体育座りから足を崩し、胡座をかく。
「スノーちょっとこっちに来て」
「どうして?」
「いいから」
やや強引にうながし、彼女を膝の上に座らせる。
体格が近いためスノーに窮屈な思いをさせるが、オレの左胸に彼女の耳を押し付けさせた。
「心臓の音、聞こえる?」
「……うん、聞こえる。とくん、とくん、とくんって」
「人は心臓の音を聞くと安心するんだ。赤ちゃんの時にお母さんの心臓音を聞いて育つからだって」
奇しくも今のスノーは胎児のように丸まる。
彼女は目をつぶり、体をオレに預けた。
「スノーが両親に会いたいって思うのは変じゃないよ。だから、気にする必要はない」
「ほんとう?」
「ああ、本当だ。僕が両親に会いたいと思わないのは、探す手段がないからだ」
人種族は5種族の中でもっとも人口が多い。
「唯一、手がかりがあるとしたら右肩の背にある星型の痣だけど、まさかこれから会う人全員に見せて聞くわけにもいかないからな。それに僕には魔術師としての才能はない。だから捨てた両親が引き取りに戻ってくるとは考え辛い。だから、僕が生きているうちに両親と再会することはないと割り切ってたんだ」
オレはスノーを抱き締め頭を撫でながら話を続けた。
彼女も拒絶する素振りを見せず耳を傾ける。
「でも、スノーは違う。僕と違って、スノーには魔術師としての才能がある。それに白狼族は北大陸の雪山に住む少数種族。北へ行けば何か手がかりがあるかもしれない。なのに『今更、両親と会いたいとは思っていない』なんて無神経に言っちゃってごめんな」
子供を黙って捨てるのは珍しい。
それがさらに魔術師の才能を持つ子供なら、よっぽどの理由があったのだろう。
嫌な言い方だが、魔術師になれば多額のお金が手に入る。
例え貧しくても金の卵を手放す理由はない。
どうしてもすぐにお金が欲しかったなら、子供のいない上流階級に養女として出せばいいはずだ。
例えば魔術師の才能があって孤児院に引き取られる理由のひとつとして――両親が死亡、親戚達の奪い合いが起き、結果子供は心に傷を負ってしまいリハビリも兼ねてエル先生の元に引き取られた――という例などがある。
他にも様々な理由で、魔術師の才能を持ちながら孤児院へ引き取られる子供たちがいる。
「……スノーの方こそごめんね。リュートくんの気持ちも考えずに無神経なこと訊いちゃって」
「スノーが謝る必要はないよ。僕が悪いんだから」
「だったらスノーとリュートくん、どっちも悪いんだよ。おあいこだね」
「そうだな。おあいこかもな」
「お詫びにリュートくんにだけ、スノーの夢を教えてあげる」
彼女はゆっくりと自身の夢を語り出す。
「スノーはね。大きくなったら魔術師になるの。そして、お父さんとお母さんを捜しに北大陸に行くんだ。2人を見付けたら、どうしてスノーを捨てたのか訊くの。もし仲直りできたら一緒のお家に3人で住むんだ。これがスノーの夢」
「いい夢だな。スノーなら絶対に叶えられるよ」
オレは一呼吸置いて、さらに続ける。
「……でももし見付からなくても、両親と仲直りできなくてもスノーには僕がいるし、エル先生や孤児院の子供達がいる。それだけは忘れないでくれ」
「……うん、ありがとうリュートくん」
彼女を抱きしめる。スノーがこの世界で1人っきりではないと、言葉だけではなく温もりで伝わるように。
「もうちょっとだけリュートくんの胸の音聞いてていい?」
「ああ、好きなだけ聞くといいよ」
スノーはさらに心臓音を聞くため、胸に耳をこすりつけてくる。
思いの外、こそばゆい。
オレとスノーは星々の光を浴びながら、暫くのあいだ体を寄せ合い続けた。
――どれぐらい経っただろう。
スノーの方から体を離す。
彼女と一緒に部屋に戻る際、尋ねた。
「どうせなら今夜は一緒に寝てあげようか?」
「リュートくんのエッチ――っ」
ええっ、1年前まで一緒の布団で寝てたじゃないですかー。
彼女は以後、振り向きもせず女子部屋へと戻る。
「やっぱり女の子はませてるな」
精神年齢30路過ぎのおっさんの呟きは暗い廊下に溶けて消えた。
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リュート、5歳。
魔術道具を専門に扱う商人、マルトンは商業都市ツベルに店を構えている。
ツベルから防衛都市トルカス(昔の大戦の名残で高い防壁を持つ為そう呼ばれており、この辺りではツベルの次に栄えている都市だ)まで行き来するには幾つかのルートがある。
一番人気の中央街道だと、片道10日ほどで辿り着く。
もっとも人気がないのは、孤児院があるアルジオ領ホードという町を通る街道だ。
商業都市ツベルと防衛都市トルカスのほぼ中間地点にあるにもかかわらず、森を迂回しないとホードにたどり着けない。
さらにホードに行くとなると、迂回路を通るため余計に10日かかる。つまりホードを通り都市から都市へ移動しようとすると20日かかる計算だ。
中央街道なら半分で辿り着くのに、わざわざここホードを通る人々は多くない。
だから町の人口は少なく、寂れているのだ。
オレは商人のマルトンと会った初日に、急いで契約書を作らせサインした。
出来るだけ早く魔術液体金属が欲しかったからだ。
彼曰く、今から店に戻るまで約10日。
準備に1日、運ぶの10日で計21日かかる。
さらに不測の事態が起きるかもしれないから、プラス1~2日は様子をみて欲しいと頼まれた。
前世のように注文すれば翌日に届くという世界ではない。
オレは急かしたことを謝罪し、お礼を言った。
マルトンと別れて21日、午後、昼過ぎ。
彼の部下が魔術液体金属を孤児院に届けてくれる。
角馬(額が盛り上がっており角の様に見える馬で、力がある為馬車などに良く使われる)が2頭引く馬車の中に中樽ひとつが運ばれて来た。
それでもひとつ約250キロある。
本当はあるだけの魔術液体金属が欲しかったが、本当にこの素材でハンドガンが作れるかまだ分からない。
それに高価なものである為、中樽ひとつ分だけ売ってもらった。
それでも締めて金貨25枚程の価値があるらしい。
エル先生の授業で貨幣の勉強もした。
こちらの生活した体感を含めて、現代貨幣に置き換えると『1金貨(10万)=10銀貨=100大銅貨=1000銅貨』ぐらいだ。
1銅貨=100円の感覚だ。
1日に必要な小麦の値段は、2銅貨(1人1日分の小麦量:約1kgとして)。
豚猪の肉が約1kgで3銀貨(3万円)。
安い葡萄酒が約1リットルで1大銅貨2銅貨(1200円)。
金貨25枚は250万ぐらいの感覚だ。1リットルで約1銀貨(1万)。
さすが腐っても魔術道具。
但し不人気であまり流通していない品の為、不良在庫として長期保管されていたりした場合は、交渉すればもっと安くはなるだろう。希少な物なので、価格はその時の状況次第で変動するのだ。
ただこちらも提供したのは知識だけなのでその辺りには目をつぶる。
部下が馬車から樽を降ろし、オレを呼ぶ。
「念のため中身が間違っていないか、確認してもらってもいいですか?」
手早く樽蓋を取る。
中身は銀色の液体で満たされていた。
見た目は水銀っぽく、樽を叩くと波紋が広がる。
これが魔術液体金属か。
本当に液体なんだな。
「問題ありません。運んでくださってありがとうございました」
「いえいえ、これが仕事ですから。旦那さまから『よろしく』とお伝えするように、と」
「では、『我が儘を聞いてくださって誠にありがとうございます』とお伝え下さい」
「分かりました。自分はこれで」
部下は帽子を取り、頭を下げると馬車へと戻って行く。
彼を見送り終えると、オレは肉体強化術で身体能力を向上させ樽を男部屋へと運び込ぶ。
午後の仕事をスノーと一緒に手早く終わらせて、待ちに待った魔術液体金属の実験を開始する。
男子部屋の隅に置いてある中樽を野外へ運び出す。
実験場は魔術師基礎授業が終わって空いた裏庭だ。
まず魔術液体金属に触れてみる。
感触はひんやりしていた。
すくうと水のように手のひらからこぼれ落ちる。
水より重い感触。
水銀を手で触ったらこんな感じなのかもしれない。
早速、実験。
樽に手を入れて頭にイメージを思い浮かべる。
平べったい10センチの金属板だ。
イメージを保ったまま、魔力を両手に移動させ放出する。
手の中に感触が残る。
「おお、本当にできてる」
引き上げると、10センチほどの金属板ができていた。
ただし完成度が非常に悪い。
表面は平らではなくぼこぼこで、厚さも均一ではない。
形も長方形ではなく、歪んでしまっていた。
板を拳で軽く叩く。
強度は鉄ぐらいだろうか。
「確かに扱いが難しいな。もっと鮮明に感触や材質、厚さ、強度をイメージ――それこそ作りたい金属板が頭に存在するぐらい明確に描く必要があるだろうな」
イメージを明確化するトレーニングに時間をかけて武器や防具を作るより、お金を払って買ったほうが手っ取り早い。
不人気商品になるのも頷ける。
しかし自分は元金属加工工場で約7年間も工員として働いてきた。
「……昔を思い出せ。感覚を取り戻すんだ」
金属板を脇に置く。
息を吸い吐いて意識を集中し、再び魔術液体金属に両手を入れる。
前世の自分は指先の感触だけで金属板の傷を1μm単位で発見できた。
音を聞いただけでどこの金属部品に傷があるのか分かった。
全て当時務めていた工場の職人達に何度も指導され、迷惑をかけながら身に付けた技術だ。
例え一度死んで肉体を失っても、技術は魂に刻み込まれている。
再度、金属板を想像して魔力を流し込む。
漠然とした塊を作るのではない。
一度形を作り上げた後、削り、整え、表面を滑らかにするイメージ。それを強く思い描き、液体金属内に魔力として流し込む。
手の中に金属が生まれる感触。
魔術液体金属から引き上げる。
「――よっし! 成功だ!」
表面は滑らかで、厚さも均一、形もキレイな長方形な10センチの金属板。
「魔術液体金属があれば本当に銃――ハンドガンを作れるかもしれない!」
オレはこの世界に転生してから、一番胸がわくわくした。
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