バーミヤン 大仏の“足”から見えるもの3月3日 10時31分
かつて、アフガニスタンは、緑豊かな美しい国だったといいます。
文明の十字路として知られ、人々は歴史的な文化遺産とも共存して暮らしていました。
旧ソビエトの侵攻、部族間の内戦、過激派の台頭、そして同時多発テロとアメリカの軍事作戦。
その後も治安は改善せずに貧富の差は広がり、人々の間には政府に対する反発が生まれています。
そうしたなか、世界遺産・バーミヤン遺跡で起きた出来事が波紋を呼んでいます。
大仏の“足”から、もう一度、日本とアフガニスタンの関係を見つめました。
戦争が変えたアフガニスタンの姿
アフガニスタン南部のカンダハルに生まれ、40年余り前に来日して現在は静岡県島田市で地域医療に取り組んでいる医師のレシャード・カレッドさん(64)は、首都カブールに続く道路沿いに野生のチューリップが咲き乱れる美しい風景を覚えています。
日本人が春に花見をするように、アフガニスタンでは、地域ごとにさまざまな花をめでる行事が行われ、パシュトゥン人やタジク人、ハザラ人などの多種多様な人々が、自然と共生しながら暮らしていたといいます。
アフガニスタンの文化にひかれ、幾度となく現地を訪れた文化遺産国際協力コンソーシアムの前田耕作副会長(81)は、青く澄んだ空を覚えています。
アフガニスタンでは、ペルシャやローマ、インドなどの異なる文化が融合し、貴重な文化遺産が生み出されました。
また、バーミヤンでは仏教が栄え、西暦630年には中国の唐から訪れた玄奘三蔵(=三蔵法師)が巨大な大仏を目にしています。
その後、偶像崇拝を禁じるイスラム教を受け入れてからも、アフガニスタンの人々は2体の大仏を「お父さん」、「お母さん」と呼び、親しみを持って接していました。
しかし、戦争はすべてを変えました。
1979年の旧ソビエト軍の侵攻。
それに対抗したムジャヒディン(イスラム戦士)と、彼らによる内戦。
戦いを終息させてくれる「救世主」のはずだったタリバンの登場。
過激派組織・アルカイダの台頭とバーミヤンの大仏破壊。
そして同時多発テロ事件とアメリカの軍事作戦。
2001年に暫定政権が発足し、その3年後にカルザイ氏が大統領に就任したあとも、アフガニスタンではテロの発生が続いています。
日本の文化面での協力と、大仏の“足”
大仏が破壊されたあと、2003年から、日本の研究グループはドイツやイタリア、フランス、そしてユネスコと連携しながらバーミヤン遺跡の保護活動に当たってきました。
地道な文化面での支援こそが、アフガニスタンの復興を後押しできるのではないかと考えたからです。
しかし、治安の悪化で現地への渡航ができなくなり、日本のグループの現地活動は中断。
去年9月になって、ようやく3年ぶりにバーミヤンでの調査が実現しました。
中東のドバイを経由して現地を訪れた文化遺産国際協力コンソーシアムの前田さんや、東京文化財研究所の山内和也室長たちを待っていたのは、不思議な構造物でした。
破壊された2体の大仏のうち、「東大仏(高さ38メートル)」があった場所に、“足(のようなもの)”が造られていたのです。
2本の円筒形の“足”は、高さが4メートルほど。
セメントや鉄筋、レンガで造られ、かつての「東大仏」と同じように、“右足”を少し前に踏み出していました。
構造物を造ったのは日本とも連携してきたはずのドイツの研究グループです。
彼らは「爆破でもろくなった壁から落下する石を防ぐための屋根を支える『支柱』として造った」としたうえで、「将来的には、破片を組み立て、大仏を再建する際の基礎にもなる」と説明しました。
意見が定まらない「大仏再建」の是非
実は、破壊された大仏を再建するかどうか、専門家の間では意見が定まっていません。
ドイツのグループが積極的な一方で、日本などは慎重です。
東京文化財研究所によりますと、そもそもバーミヤンで、こうした工事を実施する場合には、前もって世界遺産委員会に報告書などを提出する必要があるにもかかわらず、ドイツのグループは、それを怠っていました。
また、しっかりした学術的な裏付けがないままにセメントや鉄筋で出来た構造物が造られてしまえば、貴重な文化的景観が損なわれることにもなります。
さらに日本側が危惧するのは、安易に再建された大仏が、「偶像崇拝」を認めない過激派の新たな標的になってしまうのではないかという点です。
バーミヤンを舞台にテロが発生すれば、これまで積み重ねてきた世界遺産保護への努力が水泡に帰するだけでなく、新たな戦いの火種をまくことにもなりかねません。
ユネスコは、いったん工事を中止させましたが、その後の方針はまだ固まっておらず、予断を許さない状態です。
「貧富の差が広がり政府への反発も」
大仏の再建に疑問の声を上げるのは、文化財の専門家だけではありません。
医師のレシャード・カレッドさんは、アメリカ軍による空爆が行われたあとの2002年にNGO「カレーズの会」を立ち上げ、現地での医療や教育支援に当たっています。
レシャードさんは、アフガニスタンの困難な現状について次のように指摘します。
「派閥争いが続き、治安は悪化しています。多額の費用を投入して国際的な援助が行われていますが、必要とする市民にまでは行き渡らず、貧富の差が広がる一方です。そのため、現在の政府への反発も強まり、タリバンのほうがましだったと考える人が増えています。食料や医療、それに電気や水道、道路といったインフラの状況が改善される前に大仏の再建を進めようとすることが果たして妥当なのか、冷静に考えてみれば分かるはずではないでしょうか」。
文化を通じてアフガニスタンへの関心を
レシャードさんの話を聞いているうちに、私(記者)の中に1つの疑問が浮かんできました。
多くの人々が貧富の差に苦しみ、治安が悪化しているのであれば、大仏の再建はもちろん、バーミヤンの遺跡保護からも、日本は手を引いたほうがよいのではないだろうか。
「文化」よりも、ほかに優先させるべきことがあるのではないかと思ったのです。
そうした疑問をぶつけると、コンソーシアムの前田さんは次のようなエピソードを紹介してくれました。
「去年、3年ぶりにバーミヤンを訪れて現地の状況を確認していると、バーミヤンの大学に通う学生たちに、地元の文化について話をしてほしいという依頼を受けました。中には女性もいて、熱心に話を聞いてくれました。イスラム教を信じながらも、歴史の重要性を理解し、自分たちの文化として受容していく。かつて大仏と共存していたアフガニスタンの人たちの知恵と寛容さを、そこに見たように思いました。現地ではそうした動きも出始めているのです」。
また、東京文化財研究所の山内さんは、次のように話します。
「私たちがやっていることは、文化財の保護という分野の話にすぎないかもしれません。しかし、日本には明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を乗り越えて貴重な文化財を守り、そこから観光や地域の活性化につなげていったという経験があります。かつて、シルクロードを通じて日本と関わりのあったアフガニスタンのことを忘れず、関心を持ち続けていくことは、決して間違ったことだとは思いません」。
文化遺産国際協力コンソーシアムと東京文化財研究所は今月7日、東京で、文化を通じた国際協力をテーマにした研究会を開くことにしました。
「文化を通じた貢献」がむだではないことを確認し、改めてアフガニスタン支援の在り方を考える機会にしたい。
アフガニスタンに芽生えた文化の若葉に水をやり、育てていくことこそが自分たちの役割の1つではないか。
前田さんと山内さんは考えています。
「日本だからこそできることがある」
レシャードさんもまた、文化の果たす役割について否定しているわけではありません。
日本だからこそ果たせる役割があるのではないかと、訴えています。
「戦争から復興を遂げた日本のことを、同じアジアの仲間として、アフガニスタンの人たちは好意的に見ています。戦後の日本は、武力でほかの国を攻撃することなく、カンボジアの和平などにも大きな役割を果たしてきました。日本こそが、平和的な手段でアフガニスタンの人たちの派閥争いを終わらせ、生活基盤の改善にも寄与することができる可能性を持っていると、私は考えています。将来、アフガニスタンの人々が自立した生活を送れるようになり、文化財の観光への活用や地域の活性化が進む。そこに文化への理解が生まれるのであれば、こんなにすばらしいことはないでしょう」。
遠く離れているように思えるアフガニスタンと日本。
2つの国はシルクロードでつながっています。
いったい私たちは何をできるのか。
もう一度、考えるためのきっかけが今、示されています。
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