上野氏の記事について
2014年 03月 02日
上野千鶴子氏のネット上の記事(インタビュー?)が一部で話題になっているようだ。上野氏がツイッターなどネット上で批判されていることは今までもよくあったが、私はスルーするようにしていた。というのは、上野氏はネットが普及する以前から(文章や発言に対して)毀誉褒貶の大きい人で、また言動自体が極論をあえて言うことで注目を浴び、批判も込みで騒がれることをねらっているようなところがあるから、わたしはあえて言及することでその戦略に乗りたくなかったのだ。10年ほど前に論文上で彼女のスタンスを批判したことはあったし、まあもういいかという気持ちもあった。何よりフェミニズム内部で対立するように見えれば、フェミニズムの戦略上良くないだろうという判断もあった。
だが、ここ近年のフェミニズムの凋落(?)ぶりを見ると、かえってそういう内部批判による変革の欠如がフェミニズムの後退に一役買ったのだろうかという疑念が強くなってきた。
改めて、フェミニズムの名の下にされる上野氏のような影響力のあるだろう言説をきちんと公的に評価していくことも必要なのかもしれないと思う。というわけで今回の文章を見てみたい。
元ネタはコレ↓
「『女子力を磨くより、稼ぐ力を身に付けなさい!』上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図」
何度か読み返して思ったのは、ジェンダー研究者というよりは経営者目線だな、ということ。
上野氏の文章は大抵そうなのですが、いろんな人の言っていることやデータを器用に切り貼りして分かりやすくまとめちゃいます。その器用さがこのかたの売りで、ある場面では役に立ちますが、じっくりとそのテーマについて理解したり味わったりするには不向きなタイプの文章です。まあじっくり論じるタイプの文章は一般の読者には向かないと考えれば、こういうタイプの文章は別に悪くない。ですが、この記事はインタビュー形式のためか、よりその欠点が目立っていますね。
ネット上での批判の多くは後半の、「鍋を食べてユニクロ着て100円DVDウンヌン」のあたりに集中しています。前半で女性労働の問題を論じているため、後半でそういうご提案かよ!と驚いている人が多い。ユニクロがいわゆるブラック企業で、労働者の使い捨ての上に成り立っているという最近の批判を上野氏は知った上でこう言ったとすればかなりの問題だと思いますが、その点や、そういうライフスタイルをパッケージ化して「これも幸せでしょ?」と差し出してしまう姿勢等が批判を浴びています。
わたしもそれらの批判には同感ですが、その上で前半部分も考えてみたい。ここは、労働とジェンダーについて勉強しているひとならだいたい知っているだろう、一般的な知識です。とくに大きな特徴もないし、問題もない。ただ、あれ?と思うところもあります。
引用
「男女雇用機会均等法が成立したのが1985年。女性の雇用・労働問題に取り組む女性ユニオン東京の伊藤みどりさんは、この年を「女の分断元年」と呼んでいます。これ以降、働く女性は「正規雇用か、非正規雇用か」という大きな分断線で2つに分けられてしまったからです。」
大きく間違ってはいないのですが、85年を問題化する論調が出てきたのはジェンダー論の中でもここしばらくで、多くの場合は均等法というよりは、それと同年にできた派遣労働法のほうを批判します。これまでは均等法はまだしも派遣法の方はあまり注目されてこなかったのですが、99年の派遣先業種拡大以来、どんどん改悪されていき、この10年くらいの間にその問題性が理解されてきました。
上野氏は85年以降女性労働者が「非正規か正規か」に分断されたと言っていますが、というよりは、均等法はそれまで男女別に労働者を採用・雇用管理していたシステムから総合職と一般職に分ける「コース別雇用」を企業に導入させたことが問題です。実質は男女別に雇用管理しているのに、それを「コース別」という隠れ蓑を持ってきて見えなくしてしまったわけです。いわゆる「間接差別」です。
女性が「正規か非正規か」で分断されるのは85年以前からあったこと(パートという女性の代表的な働き方は高度成長時代に増加したもの)で、均等法によって発生した問題と言えるかは疑問です。
ただ、上野氏は以前から均等法について批判してきており、それは重要な指摘です。ただ、派遣労働の問題は均等法と別の法律から直接には発生しているわけですし、おおざっぱにまとめ過ぎるのは「ジェンダー研究者」の公的発言としてはどうなのかなと思います。わたしもおおざっぱとよく周りから言われるほうなので口幅ったいですが。。。自戒をこめて。
その後はとくに専門的な内容でもないですし、とくに批判することもないのですが、ただ特徴として安倍政権の女性活用策を「間違い」だとしているところに違和感がありました。これは実は他のジェンダー研究者にも最近増えているスタンスなのですが、ある政策を誤りや間違いだとするスタンス。わたしは違和感があって、というのはそのスタンスは政権や政治家、あるいは大企業経営者の立場を代弁してしまうのではないかと思うからです。政治家や経営者視点から「女性の活用」とやらを正しいとか間違っているとか言っても、そこから本当に女性や労働者のためになる判断が出てくるとは思えない。
もちろんいろんな場面で、そういうレトリックを使うことの有益さはあると思います。何しろ世間では労働者目線というより、経営者目線で誰もが世の中を見てしまっていますから。ただわたしは、あえて、そういう目線ではなく、本当に自分の置かれた立場、あるいはより弱い立場から社会を見ていけるようにすることが、ジェンダー論やフェミニズム、あるいは社会科学の役割だと思っています。上野氏と学問観、あるいはフェミニズム観が違うのかもしれません。
あと、次の部分。
「それ以外に「育児を外注する」というオプションがあるはずですが、北欧のように国や社会が責任を持って保育所などのインフラを整備する「公共化オプション」も、アメリカのように移民労働力を格安の賃金で雇って育児を任せるという「市場化オプション」も、日本では極めて限られている。」
ここですが、北欧の公共化オプションはともかく、アメリカの「市場化オプション」を並べてしまうのは危険です。「市場化オプション」とやらは、アメリカの収入の高い仕事に就いているカップルの家庭で、移民の女性をメイドとして私的に雇うことを指していると思われますが、これをひとつのオプションとして提示してしまうのは、わたしは怖いです。
移民の女性は正規の滞在資格を持っていることもあればそうでないこともある、非常に弱い立場です。そのため雇い主からのハラスメントに遭いやすいことがジェンダー研究、移民研究では指摘されている。背景にはアメリカ等富裕国とメキシコや南米などの貧しい国の間の大きな構造的格差があるわけで、そういうことを考えれば、安易にオプションとして提示できるものではありません。
このあたりが経営者目線だなーと思うゆえんです。
前半の最後あたりで、多様性を持たない日本企業は沈没するだろう、ということを言っていますが、これもジェンダー論関係で最近多い論調です。日本経済のためには女性を活用しろ、ダイバーシティを推進しろというレトリック。このレトリックを正面から否定する気はありませんが、わたしが言いたいのは、これまで日本経済が「発展」してきたとすれば、それは女性の労働力を酷使してきたからではないか、ということ。
日本の企業は女性を「一般職」やパート、派遣として安く使ってきました。でも女性たちは社会的発言力が弱いですから、この差別を問題視しにくく、あきらめて働かざるを得なかった。家庭内の家事労働も含めて。そんな女性たちの我慢とあきらめの上に日本経済は安住してきたことにみな気づかなくてはいけないと思っています。そして、「女性活用」というならば、皮肉に言えば、日本企業はこの差別構造を利用してきたのですから、狡猾にやってきたのです。それを間違っていると言って、同じ土俵で争っても仕方ない。
気づかなくてはいけないのは、女性活用の成功云々ではなく、女性や労働者たちが経営者や政治家目線でものを考えるのをやめて、本当に自分たちのために社会を変える視点を持つことです。
それから、後半の年収300万円同士で結婚してユニクロで幸せに、というところも大企業の会長が週刊誌等で、あるいは飲み屋でしゃべっていると考えれば納得がいく。上野氏は以前は結婚制度を批判していましたが、その問題意識はどこにいってしまったのか。
年収300万円で幸せに、というのは、前半で批判していた現状の「女性活用策」にもろに適合しているように思えますが。。。
「女たちが生き抜く術を聞く」というこの記事のスタイル自体に問題があると思いますが、なんだか迷える女性たちが上野氏に群がって救いを求めているみたいな・・・ツイッターでも書きましたが、フェミニズムというものは女性自身がエンパワーして、社会に働きかけていくためにあると思うので、誰かえらいひとにすがるものではないのではないかと。
長くなったのでとりあえず筆を置きます。
だが、ここ近年のフェミニズムの凋落(?)ぶりを見ると、かえってそういう内部批判による変革の欠如がフェミニズムの後退に一役買ったのだろうかという疑念が強くなってきた。
改めて、フェミニズムの名の下にされる上野氏のような影響力のあるだろう言説をきちんと公的に評価していくことも必要なのかもしれないと思う。というわけで今回の文章を見てみたい。
元ネタはコレ↓
「『女子力を磨くより、稼ぐ力を身に付けなさい!』上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図」
何度か読み返して思ったのは、ジェンダー研究者というよりは経営者目線だな、ということ。
上野氏の文章は大抵そうなのですが、いろんな人の言っていることやデータを器用に切り貼りして分かりやすくまとめちゃいます。その器用さがこのかたの売りで、ある場面では役に立ちますが、じっくりとそのテーマについて理解したり味わったりするには不向きなタイプの文章です。まあじっくり論じるタイプの文章は一般の読者には向かないと考えれば、こういうタイプの文章は別に悪くない。ですが、この記事はインタビュー形式のためか、よりその欠点が目立っていますね。
ネット上での批判の多くは後半の、「鍋を食べてユニクロ着て100円DVDウンヌン」のあたりに集中しています。前半で女性労働の問題を論じているため、後半でそういうご提案かよ!と驚いている人が多い。ユニクロがいわゆるブラック企業で、労働者の使い捨ての上に成り立っているという最近の批判を上野氏は知った上でこう言ったとすればかなりの問題だと思いますが、その点や、そういうライフスタイルをパッケージ化して「これも幸せでしょ?」と差し出してしまう姿勢等が批判を浴びています。
わたしもそれらの批判には同感ですが、その上で前半部分も考えてみたい。ここは、労働とジェンダーについて勉強しているひとならだいたい知っているだろう、一般的な知識です。とくに大きな特徴もないし、問題もない。ただ、あれ?と思うところもあります。
引用
「男女雇用機会均等法が成立したのが1985年。女性の雇用・労働問題に取り組む女性ユニオン東京の伊藤みどりさんは、この年を「女の分断元年」と呼んでいます。これ以降、働く女性は「正規雇用か、非正規雇用か」という大きな分断線で2つに分けられてしまったからです。」
大きく間違ってはいないのですが、85年を問題化する論調が出てきたのはジェンダー論の中でもここしばらくで、多くの場合は均等法というよりは、それと同年にできた派遣労働法のほうを批判します。これまでは均等法はまだしも派遣法の方はあまり注目されてこなかったのですが、99年の派遣先業種拡大以来、どんどん改悪されていき、この10年くらいの間にその問題性が理解されてきました。
上野氏は85年以降女性労働者が「非正規か正規か」に分断されたと言っていますが、というよりは、均等法はそれまで男女別に労働者を採用・雇用管理していたシステムから総合職と一般職に分ける「コース別雇用」を企業に導入させたことが問題です。実質は男女別に雇用管理しているのに、それを「コース別」という隠れ蓑を持ってきて見えなくしてしまったわけです。いわゆる「間接差別」です。
女性が「正規か非正規か」で分断されるのは85年以前からあったこと(パートという女性の代表的な働き方は高度成長時代に増加したもの)で、均等法によって発生した問題と言えるかは疑問です。
ただ、上野氏は以前から均等法について批判してきており、それは重要な指摘です。ただ、派遣労働の問題は均等法と別の法律から直接には発生しているわけですし、おおざっぱにまとめ過ぎるのは「ジェンダー研究者」の公的発言としてはどうなのかなと思います。わたしもおおざっぱとよく周りから言われるほうなので口幅ったいですが。。。自戒をこめて。
その後はとくに専門的な内容でもないですし、とくに批判することもないのですが、ただ特徴として安倍政権の女性活用策を「間違い」だとしているところに違和感がありました。これは実は他のジェンダー研究者にも最近増えているスタンスなのですが、ある政策を誤りや間違いだとするスタンス。わたしは違和感があって、というのはそのスタンスは政権や政治家、あるいは大企業経営者の立場を代弁してしまうのではないかと思うからです。政治家や経営者視点から「女性の活用」とやらを正しいとか間違っているとか言っても、そこから本当に女性や労働者のためになる判断が出てくるとは思えない。
もちろんいろんな場面で、そういうレトリックを使うことの有益さはあると思います。何しろ世間では労働者目線というより、経営者目線で誰もが世の中を見てしまっていますから。ただわたしは、あえて、そういう目線ではなく、本当に自分の置かれた立場、あるいはより弱い立場から社会を見ていけるようにすることが、ジェンダー論やフェミニズム、あるいは社会科学の役割だと思っています。上野氏と学問観、あるいはフェミニズム観が違うのかもしれません。
あと、次の部分。
「それ以外に「育児を外注する」というオプションがあるはずですが、北欧のように国や社会が責任を持って保育所などのインフラを整備する「公共化オプション」も、アメリカのように移民労働力を格安の賃金で雇って育児を任せるという「市場化オプション」も、日本では極めて限られている。」
ここですが、北欧の公共化オプションはともかく、アメリカの「市場化オプション」を並べてしまうのは危険です。「市場化オプション」とやらは、アメリカの収入の高い仕事に就いているカップルの家庭で、移民の女性をメイドとして私的に雇うことを指していると思われますが、これをひとつのオプションとして提示してしまうのは、わたしは怖いです。
移民の女性は正規の滞在資格を持っていることもあればそうでないこともある、非常に弱い立場です。そのため雇い主からのハラスメントに遭いやすいことがジェンダー研究、移民研究では指摘されている。背景にはアメリカ等富裕国とメキシコや南米などの貧しい国の間の大きな構造的格差があるわけで、そういうことを考えれば、安易にオプションとして提示できるものではありません。
このあたりが経営者目線だなーと思うゆえんです。
前半の最後あたりで、多様性を持たない日本企業は沈没するだろう、ということを言っていますが、これもジェンダー論関係で最近多い論調です。日本経済のためには女性を活用しろ、ダイバーシティを推進しろというレトリック。このレトリックを正面から否定する気はありませんが、わたしが言いたいのは、これまで日本経済が「発展」してきたとすれば、それは女性の労働力を酷使してきたからではないか、ということ。
日本の企業は女性を「一般職」やパート、派遣として安く使ってきました。でも女性たちは社会的発言力が弱いですから、この差別を問題視しにくく、あきらめて働かざるを得なかった。家庭内の家事労働も含めて。そんな女性たちの我慢とあきらめの上に日本経済は安住してきたことにみな気づかなくてはいけないと思っています。そして、「女性活用」というならば、皮肉に言えば、日本企業はこの差別構造を利用してきたのですから、狡猾にやってきたのです。それを間違っていると言って、同じ土俵で争っても仕方ない。
気づかなくてはいけないのは、女性活用の成功云々ではなく、女性や労働者たちが経営者や政治家目線でものを考えるのをやめて、本当に自分たちのために社会を変える視点を持つことです。
それから、後半の年収300万円同士で結婚してユニクロで幸せに、というところも大企業の会長が週刊誌等で、あるいは飲み屋でしゃべっていると考えれば納得がいく。上野氏は以前は結婚制度を批判していましたが、その問題意識はどこにいってしまったのか。
年収300万円で幸せに、というのは、前半で批判していた現状の「女性活用策」にもろに適合しているように思えますが。。。
「女たちが生き抜く術を聞く」というこの記事のスタイル自体に問題があると思いますが、なんだか迷える女性たちが上野氏に群がって救いを求めているみたいな・・・ツイッターでも書きましたが、フェミニズムというものは女性自身がエンパワーして、社会に働きかけていくためにあると思うので、誰かえらいひとにすがるものではないのではないかと。
長くなったのでとりあえず筆を置きます。
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by anti-phallus | 2014-03-02 22:00 | フェミニズム | Trackback | Comments(0)