満足に女の子らしくできなかったり同性とうまい距離感で接することができなかったり、あるいは女の子にボロクソにされたりした過去にいつまでもとらわれて、そんな自分に悩んでなにもできないまま悶々とする。
そのうちに女の子という存在に対して攻撃的な感情を持ち始めて、さらに女の子とうまく仲良くなれない感覚をこじらせていく。
そのこじらせた感情を、たとえば女の子がレイプされたり人格や清純を破壊するような媒体や妄想を通して満たそうとするけど満たしきれず、同じ女という生物に対してなんでこんな無意味な感情を持っているのだろうと自虐的になる。その繰り返し。
小中高の頃こそはいじめられていたり馴染めなかったりしていたけれど、大学に入ってから先は周りの女の子ともそれなりに話せるようになった。
それでもまだ、根底にある女の子という生物への憎しみでうまく心を開いて接することができなかった。
可愛くて性格のいい子のこと、調子乗ってる女のことを、犯されて一生トラウマになるような傷を背負って心が歪めばいいとしばしばおもっていた。
こうやって、消えない感情を女の子コンプレックスと名づけてみた。
とても納得がいった。
処女レイプモノをおかずにオナニーする自分はレズなのかあるいは気違いなのか、とおっていたけど、女の子コンプレックスだと置き換えるととても納得いく。
女の子とワイワイしたり、部活動に励んだり、好きな男の子と初めてエッヂことをすることを想像して赤面したり、そういう自分ができなかったことをやってきた女の子が妬ましくて悶々とする。
いつまでもこうしてもいられない。
わたしをいじめたり見下したりする女の子はもうとうの過去にいなくなっているのだから。
わたしひとりがいつまでも女の子コンプレックスをこじらせて卑屈で塞いだ人間でいる必要なんて、もうないんだ。
だけど、まだ、足りない。
埋められない心の隙間は、いまだ深い。