幕間 保護者面談会
ジルの出番がなかったために幕間としました。
この日、あらゆる権限と人脈とを総動員して、配下の騎士団の他、街に駐留する正規軍(と言っても分隊程度の気休めの人数しかいないが)、さらには従軍経験のある民兵や冒険者ギルドにも連絡を取り、北の開拓村で勃発した難事に対応する部隊を編成しようとしていた彼女、旧ドミツィアーノ領(現帝国直轄テネブラエ・ネムス方面領)の代官役である統治官クリスティアーネ・リタ・ブラントミュラーの元へ、思いがけない……そして、たとえいかなる場合であろうと、逢わない訳にはいかない最重要人物が来客として訪ねてきた。
「し、師匠――?! なぜここに!?」
軽くソファーの上で飛び上がるクリスティ。
およそ数ヶ月ぶりの再会――と言っても前回は皇帝の葬儀で、あちらは臨時皇帝、こちらは末端の宮廷魔術師として出席したため、言葉を交わす機会や立場などではなかったわけだが――に際しても、普段通りの偏屈そうな仏頂面のまま、まるで自分がこの館の主人であるかのような傲岸不遜な態度で、使用人にあれこれ文句をつけ、応接室のソファーにふんぞり返って、紅茶とジルの手作りの茶菓子であるシュークリームを遠慮なく口に放り込んでいるレジーナ。
隣に座る随員らしき少女が苦笑していた。
ちなみにレジーナがいま着ているものは、煌びやかな皇帝の装束やドレスではなく、草臥れた黒のローブに黒のワンピース、それと曲がった木製の魔術長杖(実は世界樹の天辺付近の枝を使った最上級のもの)を無造作にソファーに立て掛けている。
その傍らに控える巨大な黒猫は、彼女の使い魔で〈黒暴猫〉のマーヤであることから、ここにいるのは帝国の最高位に位置する太祖帝ではなく、『闇の森』に隠遁する一介の魔女である……と、その恰好が雄弁に自己主張していた。
「馬鹿弟子の顔を見に、師匠が訪ねて来たってのに、随分な態度だねえ」
本来であれば、帝都コンワルリスの文字通り中心部、宮殿の奥の奥で玉座に座っている筈の人物が、当然のような顔でお供を一人だけ連れて、先触れもなくまるで嫁の粗探しにきた姑のように……もとい一般人のような顔で訪問してきたのである。仰天しない方がおかしいというものだろう。
「……いえ、その、お忙しい立場でしょうし、生憎といまジルは留守にしているのですが?」
「知ってるよ。だから来たんじゃないか。相変わらず中途半端に賢しい試験秀才だね」
ずずずーっと豪快に紅茶を啜りながら、レジーナが面倒臭そうにそう毒舌を吐き捨てた。
「それでは、出来の悪い不肖の弟子に教えていただきたいのですが、何しに来たんですか弟子を見捨てた薄情な師匠が?」
「やだねえ。今度は逆切れかい。婚期を逃して乾き切った干物女はこれだから……」
弟子の嫌味に対して、師匠が当て擦りで対抗する。
殺伐とした師弟関係にさしもの家令のロイスや家政婦長のベアトリスも、そっと目を伏せて嵐が過ぎ去るのを待つのだった。
「まあまあ、久々の心温まる交流を満喫しているのはわかるけど、そろそろ用件を話したほうが良いんじゃないかな? なんかここっていま鉄火場みたいに慌しそうだし」
当然のような顔でレジーナの隣に腰を下ろして、紅茶とシュークリームのご相伴に預かって――一口食べたところで「70点」とかなり辛口の評価をして――いた随員の少女が、苦笑いをして話の先を促す。
口添えしてくれるのはありがたいが、太祖帝様相手に気後れせず、まるで友人に対するかのような気さくな口調で話しかける少女の態度を訝しみ、軽く表情を鋭くしたクリスティの変化を感じ取ったのか、カップをソーサーに戻した少女が「ん?」と可愛らしく小首を傾げて、俯いていた顔を上げた。
「――っ!」
改めてその客人の顔を正面から見たクリスティは、そのあまりの美しさに気圧されて絶句した。
漆黒の黒髪、緋色の不思議な輝きを放つ瞳、完璧なバランスで配置された神の手になる芸術品のような造作。
美少女というモノにはジルで随分と耐性があるつもりでいたクリスティだが、この娘のそれは人間の域を遥かに逸脱している。美神というものがいれば……もしくは傾国の美姫というものがいれば、斯くあるべしとでも言うような、神秘さと魔性の魅力を併せ持つ超越的な美しさであった。
(……これは人間ではないわね)
美形で知られたエルフであっても、これには遠く及ばないであろう。人間など言わずもがなだ。
続いて、彼女が纏っている白と金糸をふんだんに使用した装束――天上紅華教か聖女教団の女性神官が着る衣装に相通じるデザインをそこに見て、クリスティは内心呻き声をあげた。
(聖職者、それも相当に高位の……? たった一人連れて来た随員が高位聖職者ってことは、まさか師匠の健康に不安でもあるのかい?!)
がっぱがっぱと馬のように紅茶と大皿一杯に山になっていたシュークリームを、胃の中に収めている当人を目の前にすると、心配するのも阿呆らしくなってくるが……考えてみれば彼女もとっくに130歳を越えている筈である。いつポックリ逝ってもおかしくはないだろう。
「……なんだい、その目付きは? 何か胡乱なこと考えてないかい?」
一瞬、ちらりと気遣わしげな視線を向けただけだが、勘の鋭い(もしくは疑り深い)レジーナは即座にその意図するところを察したようで、気難しい顔を更にしかめて問い質してきた。
「お弟子さんは私の素性を訝しんでるのではないのかな。そういえばまだ紹介もされてなかったし、この場合は勝手に自己紹介した方がいいかな?」
咄嗟に擁護してくれた少女に軽く目礼をすると、レジーナが投げ遣りに言葉を続けた。
「ふん。あんたの自己紹介だとややこしいこと言い出しそうだね。まだあたしから言ったほうが手っ取り早いさ。
クリスティ、このとんでもない美人はあたしの旧友で、スノウ。世間的には『薔薇の聖女』とか『放浪の美姫』とか呼ばれている、単なる阿婆擦れの暇人だよ。
んで、こっちの面倒臭そうな行き遅れが、あたしの弟子のクリスティ」
さらりと告げられた内容に、今度こそクリスティの思考がたっぷりと数十秒間止まった。
背後に立つロイスとベアトリスでさえも、息を詰めて戦慄く気配を感じた。
『薔薇の聖女』――大陸三大宗教のひとつ、聖女教団が崇める救世主であり、あらゆる病人、怪我人、果ては死者すら復活させるという、まさしく現人神である。
数百年に渡り大陸を放浪して、人間、亜人、魔物にすら分け隔てなく奇跡の技を行使する生ける伝説の存在……いや、大陸の大部分の神学者や宗教家が、そんなものは実体として存在せず、『聖女』という願望を記号化した、架空の人物であると主張している幻想の住人。
クリスティにしたところで、いまのいままで物語か、もしくは複数の過去の治癒術の使い手の逸話を統合して、都合の良い様に教団が作り上げた虚像であると認識していたほどだ。
だが、ここにいるのがその伝説の当人であると、口に出したのは他ならぬ彼女の師匠であり、大陸最古最強国家とも言われるグラウィオール帝国中興の祖である、レジーナ=オリアーナ・アイネアス・ミルン・グラウィオール太祖帝である。
普段の言動は悪趣味ではあるが、決してこの手のことで冗談を言ったりはしない。その師匠の性質を正しく知るクリスティは、その言葉を即座に信じた。とはいえ……。
「まさか、本当に実在するなんて……」
半ば反射的にそんな言葉が口からスルリと漏れてはいたが。
「まあ、流石に教団が言うように『数百年も人々を救って歩いている』というのは盛り過ぎだけどね。あと、『放浪の美姫』とかまるで敗戦国の零落したお姫様みたいだねぇ……ま、実体は意外とこの程度なんで、がっかりさせたかも知れないけど」
「ふん。あんたの場合は単に暇つぶしに大陸を歩いて、気が向いたら余計な手出しをするだけじゃないかい。はた迷惑な話さ。それを勝手に崇め立てやがってさ、馬鹿ばっかりだね」
誰に対して不満を言っているものか口の端を曲げるレジーナの顔を呆然と見据えるクリスティ。
「師匠は、聖女様と……その、どのようなご関係で?」
「「腐れ縁」」
間髪居れずに二人同時に口を開いて……お互いに嫌そうな顔でソッポを向いた。
「……なるほど」
いろいろと合点がいった顔で頷くクリスティ。
この一連の遣り取りで二人の大体の関係と、聖女様の人物像は掴めた。
明らかにレジーナの類友である。
つまり変人。
「それでは、師匠と聖女様のお二方がお揃いでおいでくださった理由を、そろそろお伺いしても宜しいでしょうか?」
どことなく疲れた顔で尋ねてくるクリスティに対して、再び顔を見合わせるレジーナとスノウ。
ただし今度は何かを示し合わせる合図のように感じて、訳もなくクリスティは背筋が寒くなった。
「なに、大したことじゃないけどさ。もしもあんたがウラノスの……北にあるエルフの里に、追加の兵を出そうとしてるようなら止めさせようと思っただけさ」
さらりと言われた内容に、サッとクリスティの顔色が蒼白になる。
「中央は……帝都はすでに状況を掴んでいるわけですか?」
「んなわきゃないよ。30年も気づかなかったボンクラ揃いだよ。エルフと戦争になるまで気付かないんじゃないかね」
忌々しげに吐き捨てるレジーナ。
「それではどうやってそれを……?」
それに応えたのはレジーナではなく、何個目かのシュークリームを頬張っていた聖女様の方だった。
「鬼灯……いや、こっちではバルトロメイって名乗ってるんだったかな。アレから念話で連絡があってねぇ。あそこの長は私たちも満更知らない仲ではないから、マズイ状況のようなら一肌脱ぐつもりだったんだけど」
「まあ、ジルが先行して行ってるようなら、あれに任せておけばいいさ。丁度良い経験になるだろうからね」
負けじとシュークリームを手掴みしながら、レジーナが軽く言ってのける。
「し、しかし、それが原因で人間とエルフ間で今後深刻な摩擦が起きた場合、あの子がどれほど傷つくか……いえ、それ以前にあの子の身が心配ではないのですか、師匠?!」
「………」
黙り込んだレジーナを前に、クリスティが自分が言い過ぎた事を悟って唇を噛んだ。彼女が自分にとって妹弟子に当たるあの子をどれほど目に掛けているか、いまさら言うまでもないだろう。
「ふんっ。傷ついたくらいでへこたれるタマじゃないよ、あのブタクサは。あんたも余計な心配はしなくていいのさ!」
そう言って無造作に紅茶でシュークリームを口に流し込むレジーナ。
「まあ、あそこの長は話がわからないような石頭じゃないし、余程周りに頓馬な連中が揃っていない限り、そうそう武力衝突とかにはならないと思うから大丈夫だよ」
それでもまだ不安げに顔を曇らせるクリスティに向かって、ひらひらと片手を振って宥めるように言い添えるスノウ。
後に、実際に現場で何が起きていたのか知った後で、盛大に頭を抱えたそうだが……それは余談である。
「それでもどうしても、のっぴきならない状況になった場合には、そうだね、このシュークリーム分くらいは手を貸しても良いし、協力するのに吝かではないよ」
だいぶ残り少なくなってきたシュークリームの1個を手に取って、輝くような笑いを放ちながらそう嘯くスノウを前に、レジーナは軽く鼻を鳴らして、クリスティは脱力してソファーに身体を預けた。
「……それにしても、そのジルって子、あの1年くらい前の肥満児だよね? 見た感じ、あんまし賢そうには見えなかったけど、そんな評価できるものなの?」
首を傾げる彼女に対して、クリスティは遜りながらも、こればかりは断固とした口調で申し添えた。
「良い子ですよあれは。見た目も肥満どころか、非常に素晴らしい体型で、顔立ちもスノウ様ほどではありませんが、それに準じる程ですし、何より中身が素直で勤勉ですし……多少、自己評価が低すぎるきらいはありますが」
「あれはいまだに自分がデブで不細工な豚草だと思っているからねえ。面白いから黙っているけど、いい加減気が付いてもいいものだろうに。――どこら辺で気が付くか見ものだから、あんたも余計な口出しするんじゃないよ」
丈夫そうな歯を剥き出しにして嗤うレジーナを、咎めるように半眼で睨むクリスティ。
そんな二人の様子を見比べながら、人差し指を顎の下辺りに当てたスノウは、やや躊躇いがちに口を挟んだ。
「ふーん、私に準じる程度なら……まあ十人並みの美人位かな。とは言え確かに、美人の謙遜なんて、嫌味にしかならないから、止めさせた方がいいんじゃないかねぇ」
((((確かに……))))
その場にいた全員が深く納得したのだった。
◆◇◆◇
この後、一時的に臨戦態勢を解かれた館の住人たちが安堵している中で、人知れず巨大な黒猫とそれに乗った黒衣の魔女、そしてそれに涼しい顔で併走する白衣の聖女という組み合わせが、何処とも知れず走り去って行った。
その様子を館の窓から見送りながら、ため息を付いた女主人クリスティは、結局手をつけなかった自分の分の紅茶と、すっかり空っぽになったテーブルの上の茶菓子を眺めて眉を寄せた。
「……結局、ただ茶菓子を食べにきただけみたいじゃないのさ」
『余計な手出し無用』と、あの二人に釘を刺された以上、こちらは座して朗報を待つ以外にない。
妹弟子であり、ひょんなことから養女としたジルの事は信用しているが、それでも一抹の不安は拭い切れない。
「まったく、本当に過保護な親になった気分だねえ。親になるってこんな気持ちなのかね」
「然り」
独白のつもりだったのだが、家令のロイスが、謹厳な表情の目許に微かな笑みを浮かべて同意した。見ればや家政婦長のベアトリスも頷いている。ちなみに二人とも、お互いに実生活では子供や孫の居る家庭を持った親である。
「ですが、いつの間にか子供は大人になっているものでございます」
ロイスの言葉を背中で受け止め、クリスティは窓の外――遥か北方に視線を送って、憮然と呟いた。
「たく。どっちが過保護なんだか……」
裏口を出たあの二人が、途中から折り返して向かったその方角。そちらには峻厳な霊峰・熾天山脈が聳えていた。
本当はこの後に、ジルの話が続く予定でしたが、保護者達が好き勝手動き過ぎて行を取ってしまいました。
なお、スノウが「やぶさかではない」と言いましが、本来の意味は「喜んで~する」が正しいですが、現在は「まあ、 べつに嫌ではない」という誤用が一般的で、なおかつ話し言葉ですので、誤用の方を使いました。
なお、先に展開をばらしますが、スノウさんの出番はこの後ありません。あくまで裏方として登場です。
1/25 誤字訂正しました。
×要件→○用件
+注意+
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