魔導世界の不適合者
作者:真中文々
第三話『光と影の歌声』 (Episode03 『DREAMING・SINGER』)
第三話 第三章 姉の想い、妹の気持ち 3
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放課後になり、統護は優季と逢っていた。
頭上は雲のない蒼穹だ。
場所は定番となりつつある高等部校舎の屋上である。優季の専属執事であるロイド・クロフォードが学園側から屋上の鍵を借用していた。黒の燕尾服を生涯のユニフォームにすると決意した元・裏世界の傭兵は、普段通りのすまし顔で主人と統護の逢瀬を見守っている。
会話を聞かない様にと命じられているので、充分に距離を保っていた。
そんな金髪の執事を遠目に確認しながら、優季は慎重に昨日の出来事を統護に話した。
ロイドの緑色の双眼に、読唇されないように気を遣った。会話の内容が、統護の秘密――異世界関係――に抵触しているからだ。
ひと通り話を聞き終えた統護は重いため息をついた。
「……そうか。そんな事があったのか」
納得がいった。統護が危惧していた事が現実となっていた。
二人の少女の顔が脳裏を過ぎる。
造形としての共通点は少ないはずなのに、きっと並べば瞭然なのだろう、二人の貌を。
淡雪とオルタナティヴ。
この【イグニアス】世界に転生した時、彼は『妹を名乗る』少女――淡雪と出逢った。
統護の元の世界に、妹はいない。一人っ子である。
元の世界の堂桜一族は、ある『特別な技法と血脈』を世を忍んで一子相伝する核家族だ。
対して、この異世界の堂桜一族は【魔導機術】を世界中に広めている一大血族だ。
父と母は同じであったが、この世界には『妹』が存在している。
異世界人であるという自分の秘密を一番最初に知ったのも淡雪だった。
兄妹であり、兄妹ではない、不可解で不思議な少女。異世界人の統護を堂桜財閥の堂桜統護として生活できるように、手助けしてくれているのも淡雪である。
対価として統護は淡雪に約束した。姿を消した『彼女の兄』を探し出すのを手伝うと。
けれど、その約束はうやむやになっている。
統護の様子に、優季が訊いた。
「どうやら統護はオルタナティヴさんについて、何か心当たりがあるみたいだね」
自分を覗き込む優季の目に、統護は素直に頷いた。
優季もまた、統護が異世界人だという秘密を知っている。だから隠す意味はなかった。
「ああ。オルタナティヴについて教えるよ」
確証はなかった。
統護とオルタナティヴは一度しか会っていない。いや、正確には元の世界にいた時、高校の廊下の窓ガラス越しに、一瞬だけ、世界を超えて邂逅していた。
オルタナティヴとは会話らしい会話はない。
肉弾戦をおこない、殴り倒しただけだ。
あえてルシアにオルタナティヴの情報を教えてもらおうともしなかった。
いや、明白に結論を避けていた。
結論に達してしまうと――淡雪に告げなければならなくなる。
約束を果たさなくてはならなくなる。
できる事ならば、淡雪はオルタナティヴと会わないままで終わってくれれば、と思った。
しかし二人は再会してしまった。
「――オルタナティヴは、もう一人の『俺』だ」
あくまで推論だが、と前置きして統護は自分とオルタナティヴの関係を話す。
オルタナティヴが『存在そのもの』を別人の少女に置換して再誕した、この世界の『本来の』堂桜統護であるという内容に、優季は真剣に耳を傾ける。奇想天外に過ぎる荒唐無稽な仮説を、しかし統護と同じ異世界人としての記憶を有する彼女は理解した。
優季は実感を込めて呟く。
「道理で彼女に会っていた気がしたわけだ。顔立ちにあの目――統護そのものだもの」
「やっぱり淡雪も気が付いたんだな」
過日の【隠れ姫君】事件において、オルタナティヴはミッションの都合上、堂桜一族に【エルメ・サイア】を騙りテロを敢行していた。その際の映像データは淡雪も目にしている。
ひょっとして気が付くのではと恐れていたが――
「ボクもDr.ケイネスの映像データでオルタナティヴを視た事あったけれど、やっぱり映像と実物じゃ全然違うよ。ホントに一目で違うっていうか、ピンときた。昔に会った事があるだけのボクでこれだからね。淡雪なら一発だったと思う」
「参ったな」
統護は苦々しい顔になる。
優季に打ち明けられても、どう対処してよいのか見当もつかない。
半白眼になる優季。
「なぁ~~んか、その顔じゃ統護に言ってもどうにもならないみたいだね」
「だってよ。お前だったら分かるだろ? 兄妹っていっても、俺にはサッパリなんだよ」
この異世界の両親でさえ、本当の父と母とは思えないのが本音だ。
「実際のところ妹ってさ。兄貴を盗聴したり、過剰に干渉したり、焼き餅焼いたりするものなのかな? 俺の知る限りじゃ兄妹ってそういうモンじゃない気もするんだ」
「それは正解だよ。統護の世界の『もう一人のボク』の記憶があるボクから見ても、普通じゃない兄妹だ。逆に統護を本物の兄そのものとして扱うってのも、逆に恐いと思うし」
「だよなぁ。だったら兄妹ってか――今は姉妹か。二人の関係は二人に任せるしかないよな」
「うっわ無責任な。統護だって一応は淡雪の兄なのに」
「実際、本当に一応だしな」
統護と淡雪に血縁はない。元の世界とこの異世界において『堂桜統護』という同一ラベルを保有する別人に過ぎず、淡雪とも『兄妹というラベル』が残っているだけの間柄なのだ。
統護と淡雪はそのラベルに縋っているだけの関係ともいえる。
お手上げといった態の統護に、優季は苦笑する。
「――まあ、ボクは疑問が晴れて、こうして統護に相談した甲斐はあったよ」
「俺も淡雪が落ち込んでいる原因が知れてよかった」
これで話は終わり、と思った統護であったが、今度は優季の方から質問してきた。
「じゃ次。七條サヤカとの一件。ちゃんと話してもらうよ」
統護は目を丸くする。
次の瞬間には、呆れ顔になって肩を落とした。
「お前まで盗聴癖があるとは」
「違うってば。淡雪を元気付ける為に、淡雪と一緒に盗聴したんだよ」
理解不能の弁解であったがそこはスルーして、統護は七條サヤカ――本名・宇多宵晄との事を打ち明けた。話の流れ上、深那実との契約も教える。
次は優季が呆れ顔になる番であった。
「相変わらず余計なトラブルに巻き込まれているね、統護」
「今では余計だって思ってないけどな」
深那実との関係はともかく、晄の歌手への夢を叶えたい――と本気で思い始めている。
「ってなワケで、淡雪へのフォローを頼む。お前にしか頼めない」
「もちろんオッケーだけど……。ねえ? 気にならない?」
「何が?」
腑に落ちない、という目で優季は統護を見つめる。
「ゆりにゃん――榊乃原ユリって歌手が、元の世界にはいないって事」
統護は一笑に付した。
その点に気が付いていないわけではない。
「考え過ぎだろ。あの七條サヤカでさえ、この【イグニアス】じゃストリート・シンガーなんだぜ? 榊乃原ユリだって元の世界じゃきっと無名の歌手か未デビューなんだよ。二つの世界には一致している箇所と不一致の箇所が幾つもあるんだ」
そもそもファン王国自体、元の世界にはない。
幾つかの主要国家の名称も微妙に変化しているし、政治形態にも差はみられる。
当然、歴史においては最も差が激しい。
国家レヴェルでの差異。文化・思想・技術での差異。数多な違いが存在している。
ゆえの『異』世界ともいえる。
それなのに一人のアーティストの存在の差異が、どうして気になるのか。
眉根を寄せた優季は深刻な表情で言った。
「ボクは二つの世界の優季の記憶を持っているけれど、元の日本とこのニホン――、表立っている政治家とか芸能人、スポーツ選手って、ボクの記憶の限りではほぼ一致しているんだ」
「――え?」
統護はそういった方面の知識は明るくない。
今はこの世界に適応しようと勉強しているが、元の世界の知識はどうにもならない。
「あくまでマスコミとかで報道される表立って超有名なって話。裏側の事情なんかは、やっぱり全然違うと思うよ? でも『ゆりにゃん』ほどのビッグネームが片方の世界だけって不自然だよ。他の超有名人ってボクの知る限りで一致している。で、逆に欠落していたのが……
――七條サヤカ『だけ』なんだよ」
この世界で存在していないのが、七條サヤカ。
元の世界で存在していないのが、榊乃原ユリ。
存在する歌姫と存在していない歌姫。
「単なる偶然だろ。それだったら淡雪とかどうするんだよ? アイツは俺の元の世界には存在していない妹なんだぜ? 堂桜財閥の親類だってそうだ」
「うん。だからボクは淡雪、そして堂桜一族という存在にも何か理由があると思う。あくまで統護の元の世界を基準に考えたら、だけど」
「優季……お前……」
「それから比良栄家の違いとか、会長の違いとかも同じだよ。きっと堂桜一族と【魔導機術】に引っ張られて違いが生じているんだ。この異世界そのものも。ファン王国にしてもアリーシア姫は統護と婚約した。二つの世界の差異の源は――堂桜一族と統護、そして淡雪だ」
「乱暴な推理だな」
笑い飛ばそうとして、統護は笑えなかった。
優季は統護から視線を逸らす。
「統護だけじゃなくてボクも目にしているからね。統護のチカラによって蘇生する前。生と死の狭間で、二つの世界のボクを『統合』させた――あの光と闇の堕天使を」
光と闇の堕天使の貌は、淡雪と瓜二つであった。
統護にも偶然の相似とは思えない。
全ては――淡雪が起点となっている?
気を取り直すように、優季は統護に視線を戻す。
「話が逸れたね。今は榊乃原ユリについてだったよね。ボク自身、ゆりにゃんの熱狂的ファンだったけれど、昨日は淡雪の様子が気になって全然乗れなかったんだ。加えて今は、もう一人のボクの視点も思い出している。だから思い返せば、昨日のライヴは――」
浮かない表情で、優季はライヴの感想を語り出した。
◆
武道館のステージは沸騰していた。
周囲の人間は絶叫に近い声で「ゆりにゃん!」と連呼し続けている。
「みぃんなぁぁああ! あったしの新曲、聴っきたいかぁあぁぁ~~~~~ッ!?」
三度目の衣装替えをしたユリは、妖精を思わせる衣装を身に纏っている。
ユリのハイテンションな問いかけに、ファン達も「ききたぁぁああい!」と大合唱で返す。
ぉぉおおぉおおおぉおおおッ!!
数万人のファンの歓声が、音波という名の凶器めいて会場を揺さぶる。
そんな中、優季だけが取り残されていた。
楽しく――ない。
暗殺者からの襲撃を引きずっていないといえば嘘になるが、それよりも淡雪が気がかりで、やはり彼女に付き添うべきだったと後悔している。
ユリの新曲が始まった。
夢と希望を恋心に乗せて、ポップに歌い上げている。
振り付けもシンプルながら軽やかだ。
同時に【魔導機術】――魔術が発動した。
魔術師はユリだ。
彼女が握るマイクが専用【DVIS】であり、この舞台および観衆に様々なイルミネーション効果を幻影として提供する。
舞台に仕込まれた数百の【AMP】がユリの魔術を補助し、【ドリーミング・ステージ】と命名されている大規模【結界】を形成していた。
これこそユリの真骨頂だ。
ショーステージや舞台芸術に魔術を組み込む、という試みは多いが、榊乃原ユリほど高度かつ大規模に魔術とライヴを融合できるエンターテイナーは、皆無といっていい。一部では邪道と批判されてはいるが、新世代の歌としてマスコミに絶賛されている。
夢と幻想へのトリップ。
さながら享楽の異世界。
誰もが熱狂的に、ユリの歌――『彼女のセカイ』へとのめり込んでいく。
本当ならば、優季もこれを一番の楽しみにしていた。
しかし優季はユリの魔術を拒絶した。気分的に受け入れられない。
「――ACT」
特例として一時預かりにならなかった専用【DVIS】――左耳のピアスに魔力を注ぎ、抗魔術性を上げる。魔術戦闘においては微々たる付属効果であるが、この場では充分だ。
ため息が漏れる。
周囲との温度差が、更に優季の気分を盛り下げる。完全に場違いだ。
無理矢理に押しつけられる幻影と歌が、とてつもなく陳腐に思えて仕方がなかった……
…
あとほんの数時間で――二日目のライヴが始まる。
昨日の熱狂が、ユリの目蓋の奥に蘇る。
最高の快感であった。
ユリはトイレの個室に籠もっていた。オルタナティヴは控え室で待機させている。
なぜ脅迫・襲撃されている身で、ほんの一時とはいえ護衛を遠ざけたのかというと――
呼び出されていたからだ。
マネージャーの横田宏忠と、専属世話係の聖沢伶子に。
横田がトイレの外で見張りを担当し、同姓である聖沢が個室に入ってきた。
「あの……どうして?」
ぱん、と乾いた音がトイレ内に響く。
ユリの問いに対しての聖沢の解答は、手加減なしの平手打ちであった。
むろん平手一発で頬が腫れたりはしない。肉体的ダメージではなく精神的ダメージを与える殴り方である。
「いつの間にかオルタナティヴに随分と入れ込んでいるみたいですね!?」
「そ、それは……」
「ニホンに戻った直後とは様子が違いすぎるわ。貴女まさか……昔に戻りたいわけ?」
その台詞に、ユリの表情がギクリと固まる。
聖沢はユリに顔を近付ける。鼻先が触れ合いそうだ。
「私と横田さん。二人がいなければ『ゆりにゃん』は生まれなかった。忘れたのかしら?」
「いえ。忘れていません」
そう。ゆりにゃんというキャラは、ユリが独力で造り上げたモノではない。
二人による指導と魔術と併用したメンタルトレーニング。
すなわち自己催眠に近い意識革命。
なによりも――聖沢伶子という【ソーサラー】による、影からの魔術支援。ユリの【結界】である【ドリーミング・ステージ】は聖沢伶子という魔術師の補助があってのものだ。
所属事務所に、オルタナティヴにも知られてはならない――秘密。
「あまり私と横田さんを困らせないで……。ゆりにゃん」
「はい」と、ユリは力なく項垂れた。
聖沢は個室から出て行った。
ずっと二人に見張られている。
気が付けば監視されている。
二人の視線に、時には狂ってしまいそうだ。
(ひょっとしたら、ストーカーって……)
ユリは個室から出て、洗面台の前に立つ。
横田と聖沢から逃げたい。しかし逃げられない。その選択肢はない。
昔に戻りたくない。
売れなかった、昔。
誰も歌を聴いてくれなかった昔。
思い出したくもない。
鏡に映っている女の貌は、とても胡乱だ。まるでデスマスクのよう。
「さっ! 切り替えなきゃ」
ユリは念じる。私じゃなくて「あたし」だ。ユリじゃなくて「ゆりにゃん」だ。
大合唱が耳朶の奥からせり上がってくる。
ゆーりにゃん!
ゆーりにゃん!
ゆーりにゃん!
ゆーりにゃん!
失いたくない……
この声援を。ファンの支持を。私はみんなに愛されている。みんなが私を褒めてくれる。
魔法の呪文を唱えよう。変身するんだ。
「――ゆーりにゃん。ゆーりにゃん。ゆーりにゃん。ゆーりにゃん。ゆーりにゃん」
歌を失いたくない。
セカイに歌を届けたい。
歌は自分にとって『全て』なのだ。
鏡に映る女の貌が――変わった。
「うっしぃ! じゃあ今夜もサイッコウのステージ見舞ってやりますかぁ!」
快活な笑顔を輝かせ、ユリは力強い足取りでトイレから出た。
「大丈夫。あたしは『ゆりにゃん』なんだ」
もう歌は失わない。
忌々しいストーカーさえどうにかすれば、後は全てが上手く運ぶ。
ストーカーの正体が――『誰』であっても。
急いで控え室に戻らなければ、オルタナティヴに勘ぐられてしまうかもしれない。
「期待しているわよ。オルタナティヴ」
私じゃなくて『あたし』を護って。
ふふふふ、とユリの唇から笑みが――悪魔的に零れた。
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