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魔導世界の不適合者 作者:真中文々

第三話『光と影の歌声』  (Episode03 『DREAMING・SINGER』)

第三話 第二章  シンパシー 5

         5

 一部始終。
 呻き声を発する事さえ許されず、淡雪はただ戦闘を見守っていただけであった。
 戦闘は終わっている。
 傍目には引き分け。あるいは撤退に成功した暗殺者の優勢。しかし――セーラー服タイプの女子高生姿の少女が魔術を温存していた点を考慮すれば、おそらく大筋は少女の意図に沿った結末であり、場当たり的な勝利よりも深い意味がある結果なのだろう。
 むろん暗殺者の光学魔術も、ほんの一端だけの披露であったのは、淡雪にも分かる。
 いや。
 そういった事柄は今の淡雪にとって些事に近い。意識は別に飛んでいた。
「……ぁ、」
 恐る恐る淡雪がオルタナティヴに声を掛けようとした、その直後。

「思い出した! ケイネスのPCモニタで喧嘩していた人だ!」

 優季の声が淡雪の言葉をかき消した。
 オルタナティヴは「ケイネス? 喧嘩?」と眉を潜める。
「そうです。Dr.ケイネスっていう悪い女科学者が盗撮していたっぽい、貴女と革ジャンの大男との殴り合いを、前に視たことがあるんですよ」
「ああ、合点がいったわ。おそらく業司朗との一戦かしらね。軌道衛星の観測カメラが捉えた記録画像でしょう。……となると、そのケイネスって女は相当なくせ者ね」
「はい! 悪者で、凄いくせ者でした」
 頷き、優季はオルタナティヴの顔をマジマジと見つめる。
「それだけじゃなく、オルタナティヴさんって、以前どこかでお会いしてません?」
「と、いうと?」
「いえ。顔の造形っていうか、鋳型っていうべきか、雰囲気とか……。それにその目ですけれど、なんだか記憶にあるっていうか」
 その言葉を、オルタナティヴは涼しげな態で聞き流す。
 一歩引いた位置に立つ淡雪は、オルタナティヴの貌から視線を外せない。
 相手はこちらを見ていないというのに。
 映像データでならば、少女の姿は堂桜の一族会議で見ていた。あの時は【エルメ・サイア】からの堂桜へのテロという衝撃から、ほとんど意識しなかった。気が付く余裕はなかった。
 過日の【隠れ姫君】事件が終わり、『何でも屋』としての任務で動いていた彼女の嫌疑が晴れてから、ようやくその顔立ちにまで意識がいき、ずっと心の片隅に引っかかっていた。
 不可思議までに何処か似通っている――と。
 男装していた優季との風呂で、まさか、という気持ちが閃いた。
 しかし確かめる術はなかった。
 だが。

 こうして間近で実物を目にすると、別人かもしれないという疑念など――露と消えた。

 受ける印象は、映像データとはまるで違う。
 喋り方の特徴。目鼻立ちというよりも、その双眸。纏っている空気。
 疑いようがない。自分には判る。他の誰もが判らなくとも、自分だけには……
(そのお姿。いえお体が、姿を消した理由)
 何も云わずに去っていった。
 苦しみを打ち明けて貰えなかった。
 そして、統護とコンタクトを取れたという事は、自分ともコンタクトが取れるという事。
 それなのに、消息を絶ったまま逢いに来なかったという事実。
 何よりも彼ではなく『彼女』の気持ちを物語っている。
「ね? ひょっとして前にお会いしてません?」
「――気のせいでしょう。アタシの顔って割と何処にでも転がっているタイプだから」
 オルタナティヴは演技めいた表情で苦笑する。
 優季は首を傾げはしたが、それ以上は追及しなかった。
 納得と解釈したのか、オルタナティヴは優季と淡雪に挨拶した。

「改めて初めまして。オルタナティヴと名乗っているわ。職業は『何でも屋』よ」

 自己紹介の最中、オルタナティヴは一瞬だけ、優季から淡雪へと視線を移動した。
 切れ長の双眸と淡雪の円らな黒瞳が、合わさった。
 淡雪は大きく息を吸い込む。
(やっぱり、この目、間違いなく……)
 初めまして、という言葉が胸に突き刺さって――痛い。淡雪は奥歯を必死に噛み締める。
 朗らかに挨拶を返す優季。
「こちらこそ初めまして! 比良栄優季です」
「知っているわ。【HEH】のお嬢様でしょう。そして隣の子は、あの堂桜財閥の直系一族のご令嬢――淡雪さん。こうしてお会いできて光栄ね。是非とも、お見知り置きを」
 自分も挨拶を返そうと思うが、喉が引き攣り声が出ない。
 淡雪は笑顔を作り、ぎこちなく会釈を返す。それが精一杯であった。
 オルタナティヴは踵を翻すと、立ち尽くしているユリへと駆け寄り、声を掛けた。
「大丈夫かしら? これからライヴだけど――、いける?」
「あの敵ってナニ? まさか私を狙うストーカーがあんなのまで差し向けたっていうの?」
「ゆりにゃんってストーカーに狙われているんですか!?」
 優季の言葉に、ユリは固い表情で頷く。
 オルタナティヴは冷静な口調で言う。
「著名人がストーキングや逆恨みされるなんて珍しい話じゃないわ。けれど今回のは、間違いなくプロの手際と戦闘能力だった。ユリを狙うストーカーが雇った可能性もあるけれど、当然、他の可能性だって考えられるわね」
「それってやっぱり、MMフェスタ関係への妨害?」
「どうかしらね? それだったら優季さんと淡雪さんが無事っていうのは、少し腑に落ちないとは思わない?」
「言われてみればそうですね。あ、そうそう。ボクの事は呼び捨てでいいですから。さん付けって慣れていなくて」
「承知したわ。――で、もう一度訊くけれど、ライヴはできる?」
「こんな事があったんだし、無理しないで下さい!!」
 ユリは優季を見る。
 恐怖と驚愕で血の気が引いていた顔が、みるみる覇気を帯びていく。
 榊乃原ユリから――ゆりにゃんへとキャラが変わる。
「あたしの歌、聴きたい?」
「で、でも……」
「も一回訊くよ? あたしの歌を聴っきたいかなぁ~~!?」
 生気が蘇ったユリの表情に、優季が笑顔で答えた。
「聴きたいです!」
「おっけ。オルタナティヴ。あたしはアンタを信じる。アイツや他のヤツが襲ってきても、ちゃんとあたしを護ってくれるってね。だから優季ちゃんもアンタも――あたしを信じて」
 ユリはスカートの裾をなびかせて、颯爽と歩き出す。
 じゃあサヨウナラ、と言い残してオルタナティヴもユリの後を追った。
 その際の視線が憂いていたのが、優季の印象に残る。
 ユリ、オルタナティヴ、そして世話係の女性の三名がステージに向かう背を見送りながら、優季は隣の淡雪に声を掛けた。
「じゃあボク達も……って、淡雪!?」
 淡雪はか細い声で絞り出す。
「御免なさい。客席へは優季さんお一人でお願いします。今はちょっと気分が優れなくて」
「き、気分がって、いや、だって……」
 優季は言葉を失う。

 ――淡雪は唇を噛み締め、泣いていた。

         …

 凱旋ライヴの初日は大成功で幕を閉じた。
 二度目の襲撃はなかった。
 ユリではなく『ゆりにゃん』の強さを、オルタナティヴは舞台袖で確認した。
 やはり榊乃原ユリには『ゆりにゃん』が必要なのだろう。
 今は深夜の一時半過ぎ。
 場所は、今回の凱旋ツアーのメイン住居である『堂桜ネオ東京ホテル』の最上階だ。
 二百平米を超えるスイートルームの寝室で、ユリは寝静まっている。
 ライヴ初日の緊張と疲労。
 そして女兇手の襲撃事件。
 撃退と護衛には成功したが、予想通りに撤収した女兇手を取り逃がしていた。光学魔術による幻影効果で、監視カメラの記録も参考にはならない。物証は多く残されているが、そこから女兇手に辿り着けるか――と考えると、否である。残しても構わないレヴェルの物証しか残さないであろう。
(それに……あの女兇手はメインの敵じゃない)
 濡れた黒髪が背中に張り付いている。
 白い湯気に裸体のラインが隠されている。
 熱いシャワーに打たれながら、オルタナティヴは今日一日を反芻していた。
 厳戒態勢を敷いているこのスイートルームでなければ、ユリから目を離して入浴を行うのは困難である。とはいえ、イザという時は即時対応可能なように心掛けている。
 まずはユリを狙うストーカーの正体を暴く。
 その暁には、ユリの本当の敵を――斃す。
「約束したもの。ユリを、いいえ、大宮和子という歌い手を救ってみせると……」
 共感したモノがあったから、このミッションを受けた。
 本音をいえば、堂桜関係のイベントに近づくリスクは避けたかった。そして危惧は現実になり、再会してしまった。二度と会わないと誓ったはずだったのに。

 涙まみれの淡雪の双眸。

 ギリ、とオルタナティヴは奥歯を摺り合わせる。
 どうしても脳裏から離れない。
 自分はずっと淡雪にあんな表情をさせてきたというのか。
 本当は名乗りたい。本当はずっと逢いたかった。

 契約――なのだ。

 元の自分を棄て去るのが、この身に生まれ変われる条件だった。
 自分の正体を知っている父とも、表立って、父娘としては振る舞えない。振る舞うことが許されない制約が掛かっている。心では父と呼んでも、口では言えない。
「――棄てたんだよ、淡雪」
 もう口に出して、面と向かったお前を妹とは呼べない。
 その資格を棄てて、アタシはオルタナティヴになった。それを赦された。
 ばん! と浴室の壁に両手をついた。
 項垂れて、頭からシャワーを浴び続ける。
 止めどなく両目から流れ出る液体を、顔面を伝うシャワーよりも熱く感じた。

         …

 堂桜一族のナンバー2に君臨する男――堂桜栄護は、深夜の来訪に驚いていた。
 宿泊しているホテルの超高級スイートルームに、相手は唐突にやって来た。
 最初、栄護は不躾な相手に激昂しそうになった。
 出張という名目で、久方ぶりに愛人との逢瀬にこぎ着けたのだ。野心に溢れ、多忙な身である栄護にとって、今夜は楽しみなイベントであった。一戦が終わり、月額五十万円で囲っている相手が寝入ってしまっていても、しばしその余韻を味わっていた。
 それがブチ壊しである。
 世代的には初老の域でありながら壮年の隆盛を維持している鋼鉄の肉体を毛布からはだけ、栄護は頭髪をオールバックにしている額に掌を当てている。
 指の隙間から覗く目は――畏怖に染まっていた。
 栄護とて、前世代の堂桜一族において直系に系譜される、超一流の戦闘系魔術師である。
 その彼が【ソーサラー】として現役を退いているとはいえ、こうも露わに怯えている。
 震える声で、栄護が呟く。

「ど、ど、どうして……。セ、セイ、」

 無粋な闖入者は「黙れ」と、栄護の言葉を遮った。
 栄護は額に当てていた掌を口元へと移動した。
「あたしのコードネームを口にしていい者は、同格か、このあたしが認めた者のみよ」
「す、すいませんでした」
 小さい音量は、寝入っている愛人への配慮ではない。
「に、しても。……ぅふふふふ。なかなか面白い前哨戦だったわね」
 闖入者――いや、すでに誰なのかは、栄護には判っている。
 照明が点いていない暗闇の中、容姿の詳細までは判別できないが、このシルエットは――

【エルメ・サイア】から派遣されてきた幹部――それも『コードネーム持ち』である。

 今宵、初めて栄護の前に姿を現した。
 栄護が方々まで手を回し、このニホンへの密入国に尽力したのだ。とはいっても、どの幹部がニホンに赴いてくるのかまでは、当の栄護にも知らされていなかった。
 多層宗教連合体【エルメ・サイア】。
 多数の宗教団体の裏組織が手を組んでいる、世界的な魔術テロ集団――と定義されているが、実相としては、もはや教義など有名無実となっている。魔術が根幹技術となっている今の世界を改革する、という名目で世界的に活動している超巨大テロ組織である。
 現状の魔導世界を否定しながら、その魔術をテロに利用するという過激派だ。
 幹部をはじめとした有力者も【魔導機術】とは切っては切れない関係にある者が大半である。
 つい先日まで、このニホンにおいては【エルメ・サイア】への防衛ラインは完璧だった。
 しかし、この栄護の手引きによって『雷槍のユピテル』という『コードネーム持ち』――すなわち【エレメント・マスター】と呼ばれる究位の魔術師である幹部が、ニホン潜入に成功していた。
 だがユピテルは栄護の思惑に反して、かの【隠れ姫君】事件で堂桜統護に謎の敗北を喫し、ニホン政府の特務機関によって身柄を拘束されている。
 この幹部は、そのユピテルを解放するという命令の下、ニホンに潜入したのだ。
 栄護としてもユピテルに続く【エルメ・サイア】との直接的なコネクションの為に、協力は惜しまなかった。またコネクションのあるユピテルの解放は、栄護の望むところでもある。
 栄護は『コードネーム持ち』に窺い立てる。
「そ、それで今夜は何の用で?」
 本来ならば、栄護の方から挨拶を試みるべき相手である。それも相手の極秘性を考慮した上になる。もしも新たな協力要請ならば、惜しむつもりなど毛頭ない。
 その問いに対し、『コードネーム持ち』は小馬鹿にしたように答える。
「暇だったから、挨拶がてらにちょっとベッドの相手を……なんて、思ったけれど、どうやら先客とよろしくやった後みたいね」
「は、ははは……」
 冗談にしても笑えない。どんな状況であろうと、この相手に勃つはずがない。
 いかにその裸身が魅力的であろうと、ただ純粋に恐怖するだけだ。
「ま、そっちは最初から期待してなかったけれど、ちょっと言伝があってね」
「言伝、ですか?」
「余計な手回しは要らない。特に堂桜統護は泳がせなさい」
「いいのですか?」
「これは命令よ。それから――」
 暗がりにおいても、『コードネーム持ち』が嗤ったのが、感じ取れた。

「――MMフェスタで、邪魔な榊乃原ユリを消し去るついでに、お前が願っていた通りに、あのオルタナティヴって小癪な小娘も葬ってあげるから」
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