魔導世界の不適合者
作者:真中文々
第三話『光と影の歌声』 (Episode03 『DREAMING・SINGER』)
第三話 第二章 シンパシー 4
4
オルタナティヴは女兇手の先手を待つ。
逆にいえば、先手『しか』待たない。
(さあ。打ってくるのは最善手か、あるいは悪手かしら?)
敵の魔術特性は間違いなく――迷彩。
それならば一般客に対するセキュリティは突破できなくとも、派遣スタッフの末端――孫請け以下等の作業員として紛れ込む事ならば、実のところ充分に可能。そこまでリスクマネージメントを徹底できないのは、コストカットの意義をはき違えているエコノミックアニマル、と諸外国に揶揄されるニホンでは、最初から警備シフトの穴として織り込み済みであった。
ゆらり、と女兇手の身体が不気味に揺れた。
その様は、オルタナティヴの目には、さながら陽炎めいて映る。
「……では思い知りなさい。己が過信を慢心だったと」
その一言を残し、女兇手が残像を残して、掻き消えた。
一瞬とはいえ、オルタナティヴの網膜に焼き付ける残影ではなく、実像のコピーを光粒子の塊によって演出する――本物の残像をその場に創成し、フェイクとしたのだ。
初見の残像魔術に、オルタナティヴは反応が追いつかない。
女兇手の攻撃は――こない。
宙返りしてオルタナティヴを飛び越えた女兇手は、呆然と戦闘をみているユリの前にいた。
薄笑みを浮かべ、ユリの喉元へと毒爪つきの手刀を突き入れようとする女兇手。
目の前に突如として姿をみせた賊に、ユリは無反応だ。
細い首へ手刀の先端が届く寸前。
ズぅボォン!!
横薙ぎに旋回してきたオルタナティヴの右踵が、女兇手の胴体に深々とヒットする。
背中越しに放たれた右の後ろ回し蹴りだ。
ぐるん。
ユリの方へ吹っ飛ばす蹴り方ではなく、相手の胴体を踵に乗せる要領で、キックのバックスピンによって、女兇手を強引に元の位置へと振り戻した。キックの運動エネルギーの大半を、相手の移動に割り振っている為に、肉体的にダメージを与えられる蹴り方ではない。
オルタナティヴはつまらなげに言った。
「どうやら貴女に保証されていた貴重な先手は……悪手だったようね」
あまりに予想通りであり、拍子抜けですらあった。
女兇手の顔が歪む。
肉体的なダメージは軽微であっても、精神的なダメージは甚大であった。
「その手品。一度目にすれば、おおよその感覚は掴めるわ」
「くそっ!」
これで相手の選択肢は、残り時間的な猶予からして、オルタナティヴに可能な限りのダメージを与えて、用意しているであろう逃走経路を使用しての脱出しかなくなった。
オルタナティヴは間合いを詰めにいく。
ヴゥン。
女兇手は魔術による残影を発生させて己の輪郭をぼやけさせた。
身体にフィットしている発光スーツは一種の【AMP】――『アームド・モデリング・パーツ』と呼ばれる魔導兵器――いやこの場合は魔導装具――なのだろう。魔術師単体では、光学迷彩現象のみで人間の視覚を騙す事は困難であっても、このスーツによる補助があれば、瞬間的ならば、残像や残影が可能となる。加えて、新型【黒服】の運動機能サポートもある。
「秘技・百烈蛇蝎ッ!」
女兇手の手刀が幾重にも分裂し、オルタナティヴに襲いかかった。
その動きは蛇のごとく。狙う毒爪はサソリの毒針だ。
だが、オルタナティヴには当たらない。
左ジャブの差し合いで、すでに女兇手の打撃技は見切っていた。
目線と肩の動きのみで先読みができる。
いくら光学魔術によって偽の打撃をミラージュしようとも、肩とステップワークから『生物的かつ物理的に不可能な』打撃は瞬時に判別できる。視覚のみでは騙されない。
ぱぁん! という甲高い打撃音と共に、女兇手の顔面が後方に弾かれた。
百烈蛇蝎は躱されても残像は残る。その残像に紛れて、本物の手刀を引いて二撃目を繰り出すはずであったが、その引き手に合わせてオルタナティヴがジャブでカウンターをとった。
パワーショットによる攻撃ではない。攻防の繋ぎに使う軽いカウンターだ。
しかし打撃をもらい、女兇手の残影魔術が消えた。
光学系の魔術は、レーザー攻撃を主体とするロングレンジ型を除けば、ショートレンジによる格闘戦の補助にしか用途が見いだせないのが通説だ。よって光学系魔術の使い手は、高度な近接格闘能力を有すのが前提となるが、その格闘能力で劣った場合――苦戦は必至となる。
オルタナティヴは再びスタンスをサウスポーにスイッチして、右足を相手の左足の外側へと踏み込んだ。
女兇手の顔色が変わる。次、また左ミドルをもらえば――終わりだ。右ガードを下げた。
ドォン!
重い打撃音が鳴る。穿たれたのは、反対の左脇腹であった。
サウスポースタイルから打ち込まれた、オルタナティヴの右ボディフックが直撃したのだ。
女兇手の身体が、くの字に折れた。
迷わず全力でバックステップする――が、当然ながら壁を背にする羽目になる。
追い詰めたオルタナティヴは追撃にいく。
「百烈蛇蝎ッ!」
追い詰められた女兇手は、再び光学幻影による連続打突技を繰り出す。
貫手が幾重にも残像する。
それは最早、オルタナティヴには通用しない――はずだったが。
ごき、という鈍い音と共に、オルタナティヴが退いた。
オルタナティヴの上着の右袖が切れている。女兇手の付け爪によって斬られたのだ。
間合いが、変わっていた。
「本当に大した小娘。私にここまでやらせるとは」
再び「ごき」という音が鳴る。
鈍音は、女兇手の肩関節と肘関節が外れる音であった。右腕に続いて、左腕の肩と肘も意図的に自ら脱臼させたのだ。
外層骨格として装着している【黒服】によって、関節を引っ張って外した。
肩と肘の可動域から打撃を予測されるのならば――その制限を解除すればいい。脱臼しようとも、【黒服】の補助によって四肢はより自在に動く。激痛さえ無視すれば問題ない。
「つまらない手品、第二弾かしらね」
斬られた袖口を一瞥し、黒髪の少女はファイティングポーズを取り直す。
一太刀浴びても魔術は起動しない。自信の表情は揺るがない。
女兇手は激痛を誤魔化すように笑みを作る。
「その服、防刃処置をしていないとは。プロとしてはお粗末ね」
「これってイタリーブランドの最高級品なのよ。貧乏なアタシにとっては一張羅で防刃処置なんて無粋な事はできなくて。……とはいえ、斬られるなんて予想外の出費になるわね」
「あら、ひょっとして修繕にだすつもり? そんな必要なくってよ。その背広、リサイクル用の布地になるだけだから」
壁際からの脱出。
女兇手は警戒から間合いに踏み込んでこないオルタナティヴへ、逆に踏み込んでいく。
「秘奥義・千手観音ッ!」
外層骨格の制御プログラムによる、変幻自在の両手刀による打突と斬撃。加えて光学魔術による多重残像によるフェイク。
それらが一斉にオルタナティヴに降り注いだ。
巧みかつ高速・高度な防御技術で、触れる事を許さないオルタナティヴであった――が。
「殺ったぁ!」
ズン、と女兇手の右手刀が――オルタナティヴの左脇に突き刺さった。
二人の動きが止まる。
その光景に、ユリの悲鳴が通路に響く。
ニィ――、とオルタナティヴが不敵に笑み、女兇手の顔が強ばる。
ばき、という骨が割れる音。即効性の毒刃を穿たれたはずのオルタナティヴは、女兇手の右手首を掴み、躊躇せずに手首の関節を捻って破壊した。
オルタナティヴは四肢を包んでいたイタリーブランドの黒背広を剥ぎ取る。
その下は下着姿ではなく、クラシックなセーラー服タイプの女子学生用制服であった。
デザインこそ平凡であるが、黒に近い濃紺色地には幾何学的な紅いラインが描かれている。
「この制服には防刃・防炎処理を施しているわ」
「ぐぁああッ!」
諦めずに右の上段蹴りを放つ女兇手。その蹴りを、オルタナティヴはダッキングで避ける。
躱し際に、背広の背中に畳んであった黒マントを手にして、女兇手に被せた。
これで光学系魔術は封じた。
同時に、オルタナティヴは飛んだ。壁と天井の境目へと。
三角飛びの要領で壁面上部を蹴って、標的へと一直線に落下していく。
壁を蹴った反動を乗せて身体全体を三回転させて――捻り上げた。
若々しくも艶然とした肢体がしなやかに舞い、ミニスカートから覗く眩しい健康美を誇る右の生足が――魂の緒を刈る死に神の鎌と化して、豪快に振り下ろされた。
フライング・ニールキックだ。
華麗かつ豪快な大技が、マントにくるまれた女兇手に炸裂――
せずに、マントのみが大きく凹んだ。
マントを人型に膨らませていたのは、パージした【黒服】の一部である。
オルタナティヴは決め技である十八番の不発にも、冷静に体勢を立て直す。漆黒のマントを手にし、姿を消した女兇手の行方を予測する。
逃した標的は、淡雪と優季の方へ後退していた。
最後の悪足掻きとばかりに、ユリを狙ってスローイングナイフを投擲したが、オルタナティヴは易々と防刃処理が施されているマントを拡げてユリをブラインドし、ナイフを防いだ。
次の手の予測は、明日の天気予報よりも容易だ。
撤退――しか残されていない。
女兇手は何故、淡雪と優季を殺めなかったのか?
理由は二つ考えられる。最たるであろう一番の理由は確証に欠ける推論でしかないが、二番目の理由は簡単に推理可能である。一番目の理由こそ肝要であるが、追い込まれた敵にとっては、そんな優先順位など構っていられないだろう。
カチン。女兇手は掌に握り込んでいた小型スイッチを押した。
ごゥぉおぉォおッ!!
淡雪と優季と真上の天井に、二人を中心とした円形の炎線が迸った。
一瞬後に、ゴガン! と轟音を鳴らして、円形に切り取られた天井が崩落してくる。
撤退用の仕掛けだ。確保していないはずがない。
本来ならば、マネージャーか世話係をこの位置に縫い止めておく策であったはず。この位置に縫い止めている人質は、ユリの護衛を最優先せざるを得ないオルタナティヴには、女兇手が撤退する時まで、救出する事は不可能に近い。
(やはりこれか――)
オルタナティヴは女兇手の挙措を見極める。
ほんの些細でもユリを狙う素振りが窺えたのならば、躊躇わずに【魔導機術】を立ち上げて落下してくる天井を支え、ユリへの攻撃を防ぐつもりだ。
とはいえ――成功する確証のないユリへの攻撃を、この状況での己の脱出よりも優先させる可能性などゼロだと、オルタナティヴは確信していた。敵にとっては、この機会がラストチャンスでありラストカードだと。
女兇手は天井の穴へと飛び込んでいく。
見棄てて追って来るか? という酷薄な笑みを、オルタナティヴへと残して。
それを視界の隅で確認したオルタナティヴは、全力でダッシュして淡雪と優季を両脇に抱えて、足下からスライディングした。
ゴゴォン、と重々しい音。細かく砕けたコンクリートの砂塵が舞う。
丸形に切り取られた天井が落下したその場から、間一髪であるが、確かな余裕をもってオルタナティヴは淡雪と優季を救出した。
この判断と行動には、秒を要していない。
少女の口元には微かな笑み。
今から追っても間に合わないだろうと、オルタナティヴは追跡を放棄した。
刺客の魔術特性からしても、警備網で捕縛できる期待は薄い。そもそも捕縛できるのならば侵入を許さないだろう。
今回の襲撃は大した問題ではない。
別段、失策とも思わない。
どの道、此度の襲撃はミッション達成に関しては、些事に近いイベントなのだから……
「……大丈夫かしら?」
四肢の自由の利かない二人の少女を両脇から解放し、オルタナティヴは起き上がった。
視線は優季に向けたままで、二人の口を塞いでいるガムテープを勢いよく剥がす。
次いで、二人の背中の経穴を押して、膠着状態から解放した。
「あ、ありがとうございます!」
身体の自由を取り戻し、礼を言う優季の隣の少女へと、オルタナティヴは視線をやれない。
優季へ「気にしないで」と素っ気なさを装いながら、苦渋の思いを噛み締める。
本当ならば、二度と会うつもりはなかった。
来ないと思っていた。来訪を事前に知っていれば、また違った対応を取れたものを。
そう決心していた。それなのに。
よりにもよって、こんなカタチで淡雪と再会するなんて――
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