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魔導世界の不適合者 作者:真中文々

第三話『光と影の歌声』  (Episode03 『DREAMING・SINGER』)

第三話 第二章  シンパシー 3

         3

 本気の一撃――すなわち必殺を期した蹴りであった。
 オルタナティヴは暗殺者の手がユリに迫る寸前まで、あえて気が付かないふりをし、一気に静から動へと転じた。虚を突いて、右の足刀部を槍のごとく電光石火で放った。
 だが、余裕をもって右前腕部でガードされた。
 たとえガードされても骨ごと腕を破壊し尽くすはずのキックであったが、手応えならぬ足応えからして、ほぼノーダメージに近いだろう。
(どうやら新型の【黒服】で武装しているようね)
 灰色を基調としている事務員用のシンプルなデザインの女子制服だ。名称通り『黒い衣服』ではない。彼女が暗殺者の衣服を【黒服】の新型と判断したのは、事務員用制服の外観にカスタマイズされている既存のタイプではないからだ。一回だけの使用を前提に【黒服】をカスタムして携帯してくるとは、いくらなんでも考え難い。従って、事務員用制服の下に着込める超薄型となり、それは従来にないタイプ――新型としか考えられない。
 ちなみに【黒服】とは、服の裏地にプロテクターや強化外層骨格、補助人工筋肉等の仕掛けが施されている戦闘装束の総称である。
 黒の背広姿がスタンダードなタイプであり、また【ブラック・メンズ】という裏社会の戦闘系魔術師集団が、好んでこの戦闘装束を使用している点からも【黒服】と呼ばれる。
「――横田さん。開演が十分ほど遅れるとスタッフに連絡を」
 オルタナティヴはマネージャーに告げた。
 横田宏忠は背広の内ポケットから、仕事用のスマートフォンを取り出す。
「通信は無駄よ。電話用のジャミングが局地的に入っているはず。だから走って行って」
 この通路は関係者にしか入れない場所。
 相手はそれを逆手にとってきた。一般客が立ち入れない空間ならば、通信障害を起こしても短時間ならば怪しまれない。まして携帯機器は一時預かりのライヴ会場として使用中だ。
「だけどユリを置いては……!!」
「彼女はアタシの傍が一番安全よ。いい? ステージに行って開始を十分伸ばしなさい。同時に警備の警戒レヴェルも最大限まで引き上げて。十分はその為にも使いなさい」
「君一人に任せて大丈夫なのか!?」
「侵入と襲撃を許した時点で、他の戦力は当てにしていないわ。早くッ!!」
 最後の一喝で、横田は弾かれたように走り出した。
 二人目の侵入者の可能性が極めて低いのは分かっている。もう一名いるのならば、同時に襲ってこない道理はないからだ。あるいは居たとしても退路の確保に回るだろう。よって横田を一人で向かわせても大丈夫、とオルタナティヴは判断した。
 暗殺者が言った。
「流石にいい状況判断能力をしている。しかし十分は少々見積もり過ぎよ」
「ええ。実際は五分、いや三分でケリが着くでしょうね」
 このケースにおいて、長時間の戦闘はありえない。
 暗殺者は短期間でオルタナティヴを斃せず、ユリを殺せないのならば、次回の機会の為にも迅速に撤収するからだ。
 会話の必要はない。
 呼吸を読んで両者はほぼ同時に動く。ダイナミックに、一刀足にステップインした。
 ごぉうぅ、と空気が拳によって切り裂かれる。
 先制の拳は――暗殺者であった。
 左ジャブをヘッドスリップでやり過ごし、刹那の遅れでオルタナティヴも左ジャブを打つ。
 ヒュゴウっ、と空気を切り裂く音が、追って重なった。
(迅い――ッ!!)
 先手を取れなかった。相手の踏み込みと拳撃の速度に、オルタナティヴは舌を巻く。
 彼女の身体能力は『とある事情』によって超人化している。
 魔術的な身体機能の上乗せや、サイバネティクス強化やドーピングといった外的要因・後天的手段には一切頼らずに、ナチュラルに常人を遙かに凌ぐ身体機能を得ている。
 そんなオルタナティヴに劣らない速度と力感を、暗殺者は披露している。

 左拳での差し合いは全くの互角だ。

 クリーンヒットどころか、双方、擦らせもしない。
 足を止めたミドルレンジでの制空権争いだ。
 全ての格闘技術の中で、最も速度があり、最もモーションが小さいのが左ジャブだ。
 ゆえに技術とセンスが凝縮される技ともいえる。
 そして最速の技ゆえに小細工が入り込む余地はない。ナイフ等を握れば、余計な筋力の負荷により速度とキレが落ちる。暗器と呼ばれる小型隠し武器を拳に仕込む余裕すらない。極限のハンドスピードを出す為には、無手である必要がある。
 純粋に互いの最速を競い合う。
 蹴りやタックルといった他の選択肢、ましてや小細工など許さない領域だ。
 左拳が超速で放たれ、そして瞬時に元の位置へと引かれる。
 最小限の頭部のアクションで無駄なく躱して、躱した瞬間に相手へ拳を返す。それを互いに超速度と超反応で繰り返している。コンマ数秒でターンを譲り合う。
 攻防の最中、オルタナティヴは暗殺者の拳を査定する。
 単にスピードがあるというだけではなく、充分なパワーが窺える風切り音である。
 多種多様に軌道とタイミングに変化をつけたリードジャブは、牽制のみに留まらず、頭部の急所を捉えれば一発で意識を根こそぎ刈り取れるだけの破壊力だ。
 力任せではなく、研鑽された技術と経験に裏打ちされたタイミングとスピード、コントロールによって、的確かつ精緻に急所を狙ってきている。
(なるほど……強敵ね)
 魔術を起動している気配は感じ取れない。つまり、それだけ新型【黒服】と相手の身体能力が優れているという証左である。あるいはドーピングやサイバネティクス強化にまで手を染めているのかもしれない。
 左拳の差し合いで、もうじき三十秒が経過――
 ギラリ、と黒髪の少女の双眸が凶悪な光を帯びた。

 ――だいたい学習し終えたわ。

(頃合いだから、引き出しを一つ開けましょうか)
 オルタナティヴは身体能力のギアをMAXまで引き上げた。
 眼前まで肉薄する暗殺者の左拳。
 脳内麻薬の分泌により感覚が研ぎ澄まされているオルタナティヴには、止まって視える。
 意図して相手の拳を引きつける。
 これまでのパターンだと、すでにヘッドスリップの初動に入っている。しかし頭部は動かさない。代わりに右拳でアウトサイド・パーリング(=内から外へ払う)した。
 パターンの変化だけではなく、反応速度のギアアップに相手は対応が遅れる。
 払った動作をそのまま右拳のテイクバックに繋げる――というフェイントを刹那、アクセントに加えてから、オルタナティヴの左拳が閃光のよう打ち込まれた。
 綺麗な直線軌道を描く左ストレート。
 ズガッ!
 初めて響く打撃音。オープニングヒットだ。浅くではあるが、初めて相手の顔面を捉えた。
 辛うじて打点をずらす事ができた暗殺者であったが、防御体勢が完全に崩れる。
 次いで、オルタナティヴの右ストレートが唸る。
 繋ぎにおけるタイムラグがゼロに近い、美しいフォームのワンツー・ストレートだ。
 ガゴッン!!
 クリーンヒットした。しかし暗殺者も咄嗟に首を捻って、直撃だけは免れた。
 体重が乗りフォロースルーの利いた一撃に、暗殺者の両踵が浮き上がる。
 返しの左フックか左アッパーを想定し、暗殺者は両手のガードを変化させた。
 だがオルタナティヴは返しの左を放たずに、蹴り足であった右足の慣性を解放して、そのまま前に踏み込んで軸足へと移行する。振り切った右腕を全力で脇へと引き絞る。
 オーソドックスからサウスポーへとスタンスをスイッチして、後方に置かれた蹴り足である左足が、そのまま蹴り――つまりキックとして弧を描いた。
 教科書通りの左ミドルキックである。
 ぐぅギャァっ!!
 左パンチを予測した相手の裏をかいて、オルタナティヴの左臑が、敵の右脇腹を薙いだ。
 拳とは異なる打撃音。肋骨をヘシ折る感触。
「がハッ!」
 微かに喀血し、暗殺者は通路の壁に叩きつけられた。
 内臓破裂とまではいかなくとも、それなりに臓器にダメージを与えられたようである。
 しかし暗殺者はダウンしない。倒れるどころか、なお戦闘態勢を維持している。
 オルタナティヴのパフォーマンスに、淡雪と優季が目を見張った。
「やはり頭を打ち抜かないと一撃KOは難しいわね」
「強い……。事前情報よりも全然上だ」
「その情報は古過ぎるわ。過去のデータは、今のアタシには当て嵌まらない」
 オルタナティヴは実感する。ようやく身体感覚の違和感が解消されて、馴染んできたと。
 違和感の原因は超人化ではない。
 彼女は元の躯から直接超人化したのではなかった。身長・体重・骨格・筋肉量と付き方、とあらゆる要素において劇的な変化を遂げていた。
 車両に例えるのならば、国産スポーツカーからF1マシンへと性能が向上しても、運転感覚がまるで違っており、ドライバーとしてマシン性能を引き出せていなかった。
 しかし――その差異における身体操作のズレを、彼女は克服した。
 睫毛の長い双眸を眇め、少女は言う。
「今のアタシならば、堂桜統護と真正面から打ち合っても無様は晒さない。乱条業司朗と格闘戦をしても苦戦などしない」
 もう以前のように身体操作に苦心し、性能をセーブする事はない。
 戦闘開始から――四十五秒。
 オルタナティヴは淡雪と優季の状態を一瞥する。……まだ回復していない。
 マネージャーがステージに着くのは、もう少し先か。
 この戦闘で女暗殺者を倒せばミッション完了――であるのならば【魔導機術】を立ち上げて一気に勝敗を決しにいく。しかし先は長い。ユリからの依頼を果たすのには、それでは不十分であり、彼女が『狙われる心配がなくなる』まで護り通さなければならない。
 ゆえに魔術という手の内は、温存の一手だ。
 当然、相手側も事前情報としてオルタナティヴの魔術を把握はしていはずだが、格闘能力とは違い、次回以降の為にも実際に体感させてやる必要性など皆無である。
 そして逆に、オルタナティヴは相手の魔術を待つ。
 さあ、格闘戦で後手を踏んだのだから、先に魔術をみせなさい――と。
 恐くはない。時間制限のある戦闘だ。手の内を隠したまま制圧できればベストだが、勝てなくとも、敵は撤収せざるを得ないのだから。逃げられても、上手くすれば警備網によって捕獲できる可能性もある。対してこちら側は、ユリを護りながら防御するだけでいい。
「……ち。小賢しい小娘ね」
 暗殺者は舌打ちした。
 待ちの姿勢をみせるオルタナティヴを睨む。奇襲、そしてファーストコンタクトで負けて、暗殺者は己の不利を認めた。手札を晒す――と決めた暗殺者は【ワード】を口ずさんだ。
「――ACT」
 現時点で、軌道衛星【ウルティマ】との通信を阻害できるジャミングは存在しない。
 その起動呪文に呼応して、暗殺者の衣装――正確にはその内側が、不気味に鳴震した。
 魔力の流れから、オルタナティヴは敵の専用【DVIS】を察知した。胸ポケットに入れている小物だ。それが何か詳細は分からないが、位置は把握した。
 暗殺者が事務員用制服を、剥ぎ取るように脱ぎ捨てる。
 露わになったのは、蜘蛛の巣状に四肢に絡みついているマニピュレーターと、複雑な色調で燐光している、身体にフィットしてるスーツだ。【DVIS】と思われる蝶を象ったブローチは、スーツに縫い付けてある。
 剥き出しになっているマニピュレーター群が新型の【黒服】であろう。もはや『服』と形容できる形態ではないが。先程のミドルキックで、右脇腹の一部が損傷している。
(光学系の魔術か……)
 女が纏っている燐光はあまりに不自然で、スーツに備わっている科学的な発光機能でないのは瞭然である。
 一見して分かる。使用エレメントは――【光】であろう。
 戦闘系魔術師として起動した女の、特徴に乏しかったニホン人顔が一変した。ハンカチで軽く顔を拭って化粧を落としたのだ。いや、化粧というよりも特殊メイクというべきか。
 顕れたのは、目鼻立ちのメリハリが乏しく、目が糸のように細い、東洋系の顔。
 イメージはまさしく、獲物を狙う毒蛇である。
(中国人の暗殺者)
「いわゆる兇手ってヤツね」
「フフフフ。これが私の【基本形態】よ。その名も……

 ……【カメレオン・ミラージュ】」

 女兇手は拳ではなく手刀を構えた。刃物でもあるつけ爪を、人差し指と中指に嵌めている。
 むろん即効性の毒が塗られていないはずがない。
 オルタナティヴは、毒手と化した女兇手の両手を見つめて、笑みを深める。
「ジャブが擦らなかったというのに、毒爪つきの手刀……ねえ?」
 手刀による突きは、ジャブと比較するとあまりに打突角が制限され過ぎる。加えてスナップを利かせられないので、キレも劣る。
「つまりは、それだけ光学系魔術に自信があるという事かしら」
「ええ。自信あるわよ。貴女の過信を打ち砕く程度には。だから貴女も使いなさい、魔術を」
「自信があるのよ。このまま貴女を倒せる程度には。いいから掛かってきなさい」
 女兇手の糸目が更に細まる。チロリ、と長い舌を出して、上唇を舐めた。
「その過信が命取りよ」
「ならば、どちらの自信が過信なのかハッキリさせましょうか」
 男装の麗人に近い美貌から笑みが消え、鋭利に引き締まる。
 ポニーテールの少女は再び両拳を構えた。
 この第二ラウンドが、第一試合のファイナルラウンドになる――と覚悟を決めて。
+注意+
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