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魔導世界の不適合者 作者:真中文々

第三話『光と影の歌声』  (Episode03 『DREAMING・SINGER』)

第三話 第二章  シンパシー 2

         2

 一行は目的の部屋――榊乃原ユリの控え室に到着した。
 ドアの前で控えていたユリのマネージャーを務めている青年が、淡雪と優季に腰を折る。
 淡雪はたおやかな笑みと共に、軽く手を上げて返礼した。
 優季も慌ててペコペコと頭を下げる。
 案内を終えたお偉方は、淡雪の謝辞とお役御免の言葉を受け、それぞれの業務へと戻っていった。彼等にとって淡雪達の来場は予想外だったらしく、全員小走りであった。
 慌ただしく遠ざかる背中を見て、淡雪は小さく息を吐く。
「悪い事をしましたわね。これならば事前連絡するべきでした」
「ボク達が来るって思ってなかった様子だったね。もしも淡雪がチケットを他人に横流ししたらどうなっていたんだろう?」
「チケットの識別コードだけではなく、入場口に設置されている防犯カメラで確認したのでしょう。実際、彼等も堂桜に配ったチケットで一般客が来ると思っていたようですし」
 淡雪にしても、興行サイドのお偉方がすっ飛んでくる事までは、予想していなかった。
 ライブ終了後に改めて挨拶を――と、考えていたのだ。
 二人の会話が一息ついた絶妙のタイミングで、マネージャーが恭しくドアを開けた。
「それでは、どうぞ中へ」
 二人は目礼で応え、彼の促しに従って室内に入る。
 横長の間取りになっているドレッシングルームは、白を基調とした清潔な空間である。
 八つ並んでいる化粧台の前に貼られている姿鏡は、壁一面を占有している特注品だ。
 中央の化粧台に座っている一人の女性。
 赤と白が基調、アクセントに黒ラインが入っている、フリルがふんだんに使われている雅なステージ衣装に身を包んでいる彼女を見て――

「うわぁっ! 本物のゆりにゃんだ」

 優季は驚声を上げて駆け寄った。
 ユリは不敵な笑顔で、優季にピースサインを突きつける。
「そうでっす! なんと本物のあたしだよぉ~~ん! こんちわ、こんちわ」
「お邪魔します。って、サインもらってもいいですか!? サイン!」
「おっけ。色紙はある?」
 ユリはサイン用に携帯している愛用サインペンを、小物入れから取り出す。
「ないからコレにお願いします」
 優季はパーカーを脱いでユリに差し出した。
 パーカーを手に取り、ユリの顔が微かに強ばった。
「え? ええと。これって凄く高そうなんだけど……。油性で書いちゃっていいの?」
 真剣な口調で確認する。服飾品をみる目が多少なりともある者にとって、優季のパーカーが二十万円を下らない高級品だというのは瞭然であった。
「もちろんお願いしますっ!!」
 勢いよくお辞儀する優季。
 それでも躊躇するユリに、マネージャーが口を挟んだ。
「そのお嬢様は【HEH】のご令嬢だ。余計な心配はいらない。ちなみにこちらの方が、堂桜財閥の本家令嬢にして次期当主であられる、淡雪様だ」
 淡雪と優季を紹介されて、ユリの顔が一瞬だけ固まり――次の瞬間、笑顔に戻る。
「そっか。【HEH】と堂桜グループはよくCMで目にしているから知っているよん! 了解したした! つまりは超超チョーお金持ちって事だね! おっけ。じゃあ遠慮なく……」
 流暢な筆捌きを披露した。
 パーカーを拡げて背中のサインを見た優季は、感激で表情を輝かせる。
「やったぁ! これ家宝にします。ありがとう御座いました」
「ま、まぁね~~。末代まで誇るといいよっ!」
「次はツーショット写真、いいですか?」
「もち! 餅の突きだよ。お正月の鏡餅だよっ」
 テンションMAXの優季に、ユリはやや押され気味である。
「はい、チーズ!」
「いぇいっ」
 二人は肩を並べて、優季が掲げたスマートフォンのフレーム内に収まった。通常ならば入場ゲートで、【DVIS】も含めた携帯機器類は、退館するまで一時預けなければならないが、淡雪と優季は特別に荷物検査を免除されていた。
 カメラ機能で撮影した画像データの出来映えを確認した優季は、「よしよし。さっそく智志に写メしなきゃ」と、弟へ写真付きメールを送信する為に、テキストを打ちこみ始める。
 ユリはそんな優季から、そっと半歩ほど離れた。
 淡雪が静かな足取りでユリの前まできた。
「ええっと。キミもあたしのサインが欲しい?」
「いえ。本番前の大事な時にこのような形でお邪魔してしまい、大変申し訳ありません。手短に済ませますので、どうかご容赦を。堂桜淡雪です。堂桜一族および堂桜グループ一同を代表して挨拶させて頂きます」
「問題ないない! 今回のニホンツアーの最大スポンサー様だからね! 本当だったらあたしの方から挨拶回りしなきゃならないのに、気を遣ってもらってこっちが感謝してるって」
 淡雪とユリは軽く握手を交わす。
 これで形式的とはいえ、淡雪の堂桜代表としての役目は終わりである。
 写メールを送信し終わった優季に声を掛けた。
「優季さん。用事は終わりです。これ以上はユリさんの邪魔をしないで、わたし達は観覧席へ向かいますよ」
「観覧席って? まさか上にあるっていう賓客用ブース? ステージ下の客席じゃないの?」
 武道館には一般非公開の賓客用スペースが隠されているのだ。
「え。貴女は立ったまま音楽を聴くというのですか!?」
「うっわぁ。分かっていないね。ダメダメ。全然調査がなってないよ淡雪。アーティストのライヴってのはね、ファンも一緒に参加してなんぼだよ」
「……」
「もしかして統護と一緒に賓客ブースで高みの見物のつもりだったのなら、ボクと二人になって淡雪はラッキーだったね。統護だってボクと同じリアクションだったと思うよ?」
「分かりました。是非とも貴女と一緒にライヴの勉強をさせてもらいます」
 憮然となる淡雪。
「いや、そんな不機嫌にならなくても……」
 優季は苦笑した。
 その時。
 見計らった様なタイミングで、ユリを呼ぶ為のノックがドア板から鳴った。
 一同、ドアへ視線を向ける。
 自信満々の表情でユリはバチンと右拳を左掌へ叩きつけた。
「ぃよっし! じゃあ二人に、サイッコウのあったしの歌を聴かせようかなぁ~~!!」


 控え室の前には、出番を伝えたプロダクション所属の女性世話係の他に、もう一名いた。
 標準的な女性事務員用デザインの武道館勤務員の制服を着ている若い女性だ。
「あれれ~~!? そっちの人は?」
 ユリの問いに女性は会釈を添えて答える。
「淡雪様と優季様を特等ブースまでご案内する様にと」
「その件ですが、申し訳ありませんが不要になりました。キャンセルしますので、担当の方々に謝っておいて下さい」
「え? つまりこのままお帰りになられるという事でしょうか?」
「違う違う。淡雪はボクと一緒に最前列でサイリウム振りながら『ゆりにゃんコール』を爆発させるって事だよ。それから、これから先はボク達も一般客と同じに扱ってよ」
「え、ええと……、優季様?」
 理解が及ばない案内係に、淡雪が重ねて説明した。
「ライヴにおいて特別扱いは興が削がれる、と解釈してください。帰る時の出迎え等も結構ですので、どうかその様にお伝え願います。お気持ちだけありがたく受け取っておくと」
「う、承りました!」
 案内係と会話する淡雪と優季に、ユリが言った。
「じゃ、あたし達はもう行くからね~~。ステージ下での応援、よっろしくぅ!」
 マネージャー、世話係、そして護衛であろう黒い背広姿の女性を従え、ユリはヒールを鳴らしながら颯爽と歩き始める。
 優季がエールを送った。
「頑張って下さい! 精一杯応援させてもらいますから!」
「おっけ! 声援期待しているよっ」
 淡雪と優季は視線を合わせ、案内係に一般客席までの経路を教えてもらおうと――

 ずん、という衝撃が二人の鳩尾――正確には横隔膜を貫いた。

「かはっ!」
 二人は強制的に肺内の空気を排出させられる。
 中指を立てて拳を握る――一指拳を同時に喰らったのだ。繰り出したのは、案内係であるはずの女であった。
 右拳で淡雪を、左拳で優季を同時に穿ち、即座に二人の口へガムテープを貼り付けた。
 呼吸が――できない。
 驚愕に、淡雪の両目が見開かれる。
(油断した、とはいっても、この鮮やか過ぎる手際は!)
 魔術を立ち上げる為の【ワード】どころか、警句、いや悲鳴さえ封じられた。
 殺気どころか、闘気、いや隙を窺う気配すらなかった。淡雪だけではなく優季も戦闘系魔術師としての厳しい訓練を受けているのに、攻撃の予兆を一切感知できなかった。
 間違いなくプロの暗殺者である。
 二人がターゲットならば、先程の一瞬で音もなく殺せるのは確実だ。
 しかし、それをせずにあえて二人の声と動きだけを封じたという事は――

 ――ターゲットは、無防備な背中を晒してるユリ。

 女性の案内先は、館内の客席ではなく、黄泉の国への入口である。
 足音がない。
 ユリのハイヒールが甲高く鳴っているだけに、その無音さはさながら影だ。
 暗殺者はまるで幽鬼のようにユリの背後に忍び寄る。
 淡雪と優季は、その様子を絶望の目で眺める事しか許されない。先程の一撃で手足が痺れて、二人とも動けない。倒れ込んで音を立てる事さえ無理であった。意識があるというだけで完璧に無力化されていた。
 淡雪は優季に縋るような目を向ける。優季ならば――【ナノマシン・ブーステッド】と定義される一種の超人である彼女ならば――と、思ったが優季も動きを封じられている。躰の損傷は融合しているナノマシン集合体の働きによって復元・再生可能な彼女であるが、生体機能の弱点を突かれると、どうやら常人と同じ反応を示すようだ。
 暗殺者の手には極細の針。
 針先が、ユリの首筋へと伸びていく。ユリは気が付いていない。
 淡雪と優季は目を瞑った。

 ドゴォ! という撃音が、ユリを死へと誘う静寂を破壊した。

 その音に再び目を開ける淡雪と優季。
 ユリの脇下から、すらりとした足が伸びている。
 それは突き蹴りの姿勢のまま、軸足で一本立ちしている護衛役の女性の右足である。
 襲撃されたと理解したユリ、マネージャー、そして世話係は固まっていた。
 サイドキックで弾き返された暗殺者は、すでに体勢を立て直している。
「ノーダメージか。手加減しなかったのに。その服、どうやら【黒服】の新型のようね」
 護衛役の台詞を聞き、淡雪は息を飲んだ。
 声音こそ違っているけれど、このイントネーションは間違いなく……ッ!!
 護衛役はゆっくりと右足を下ろし、ユリを庇う立ち位置を確保する。
 暗殺者はニヤリと笑い、言った。
「ニホンの常識離れといえるシビアな警備態勢だけではなく、この私に気が付くとは、噂以上の手練れようね。――オルタナティヴ」
 抑揚と特徴を殺した平坦な口調である。
 オルタナティヴ、という名に淡雪の視線が、大きめのサングラスで覆われている護衛役の顔に釘付けになった。ああ、確かにこの貌の造形は。どうして気が付かなかったのか。
 ずっと会いたかった。逢いたかった。
 声を出したい。

 叫んで、呼び掛けたいのに――

 潤む淡雪の視線に気が付いたのか、オルタナティヴはサングラスを外し、懐にしまった。
 中性的で美しい顔が露わになる。さらり、と長めの前髪が怜悧な双眸にかかった。
 彼女は一瞬だけ淡雪を見やり、そして視界を襲撃者へとロックオンした。
 切れ長の瞳を冷淡に細め、黒髪をポニーテールにまとめている黒衣装の少女が告げる。
「それじゃあ早速、ビジネスを始めるとしましょうか」
 両拳を肩口まで掲げ、ファイティングポーズをとった。
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