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魔導世界の不適合者 作者:真中文々

第三話『光と影の歌声』  (Episode03 『DREAMING・SINGER』)

第三話 第二章  シンパシー 1

  第二章  シンパシー

         1

 いよいよ開演が迫っていた。
 通しで行った最後のリハーサルを終えたユリは、なおも練習を繰り返しているバックバンドや、進行状況のチェックに余念がない演出スタッフをステージに残し、控え室にいる。
 衣装の確認とメイクは済んでいる。スタイリストはお役御免だ。
 目を閉じて、鏡面台の前に座っていた。
 休息も立派な仕事であり、こうして徐々に集中力とテンションを高めていく。
 幾度となく繰り返してきた、本番前の大切な儀式でもある――が。
「……ふぅ」
 重々しいため息をつくユリ。
 これで八度目だ。広い室内の隅でユリを眺めている漆黒のビジネススーツ姿の少女は、ユリが明らかに平常ではないと勘づいている。
 ライブ本番を目前に、昂揚しているのではない。
 まるでステージ初体験を迎えて緊張に固まる素人のようだ。
 いや、緊張というよりも逃亡したがっている様に見えた。
 ニホン武道館という大きなハコで、万来のファンとマスコミを前に単独ステージを行えるという事は、ニホンのアーティストにとってある種の夢であり到達点であるはずだ。この舞台に立つことが叶わず、ひっそりと去る者のなんと多いことか――
 ユリの表情は固い。
 本来ならばライブの主役である榊乃原ユリ一人であるはずの八名定員のドレッシング・ルームに同室している、『何でも屋』――オルタナティヴが声を掛けた。
「邪魔のようだから席を外しましょうか?」
 このままでは、ライブが失敗しかねない。
「同意なしに一人にしないって契約でしょう」
 ユリは批難げな視線を、豊かな黒髪をポニーテールにしている護衛に向ける。
 ストーカーから命を狙われているユリにとって、凄腕の【ソーサラー】と評判にして、同姓のオルタナティヴの存在が、決断しかねていたニホン凱旋の決定打になったのだ。
 壁から背中を離し、組んでいた両腕を解くと、オルタナティヴは語気を強めて言い重ねる。
「でもアタシがいると、精神集中の邪魔みたいじゃない?」
「貴女がいなくても関係ないわ。……このザマなのは」
 苦み走った口調。ユリはニヒルに顔を歪めた。
 露骨に弱みを見せられ、オルタナティヴは困惑する。
 元々虚勢を張る傾向が顕著であったユリだが、ここまで本性が脆くて繊細だったとは。
「確かに、何度もライブを経験しているプロとはとても信じられない様子ね」
「そりゃぁ……ね」
 理由を訊かれたわけでもないのに、ユリは訥々と独白し始める。
 ライヴ成功の為に聞くのも仕事――と判断したオルタナティヴは黙して耳を傾けた。

「――恐いのよ。このニホンで歌うのが」

 微かに噛み合わない歯の根。双眸には明白な怯えの色。
 独白は本心の吐露から幕を開けた。
 榊乃原ユリは芸名であり、本名を大宮和子という。十八歳という年齢も公称だ。ファンならば公然の秘密であるが、本当は二十一歳で三つさばを読んでいる。
 デビューは母国であった。一流プロダクションが開催した一般公募オーディションで特別賞を獲り、歌手としてのチャンスを掴んだ。
 最初は本格的シンガーソングライターとして勝負した。
 詞と唄。共に自信があり、専門家筋からの評価も上々。
 しかし……売れなかった。
 高く評価された実力は、販売実績には直結せず、レコード会社から契約を打ち切られる。
 所属プロダクションを移籍して『榊乃原ユリ』と芸名を改め、再デューする事となる。
 ニホンを離れ、親日国でニホン語が公用語並に通用する――ファン王国にて。
 徹底してニホン時代の自分を捨てて、そして変えた。
 新しい方向性の歌の模索だけではなく、『ゆりにゃん』キャラを作りだした。
 最初こそ上手くはいかなかったが――

「ある時を境に、それこそ突然、爆発的に成功し始めたのよ」

 自分でも理由は分からない、とユリは顔を翳らせた。
 オルタナティヴは沈黙を破り、口を開く。
「成功例というか、ブレイクスルーって大抵そうじゃないかしら」
「他人事ならそう思えるでしょうね。けれど自分の身に起こるとあまりに現実離れしていて」
「喜ばしい事じゃない? やっと才能が開花して、認められたのよ」
 答えず、ユリは強く唇を結んだ。
 その様子に、さてどうしたものか……とオルタナティヴは思案する。
 契約内容は単純に彼女の護衛というだけではなく、心のケアも含まれていた。心のケア云々もそうだが、凱旋ライブ初日で失敗してしまうと、今後のスケジュールに影響しかねない。
 もうすぐ――ライブが始まる。
 後数分で、ドアがノックされ呼び声が掛かる。
 それまでには、どうにかして――
 コンコン、とドアが鳴った。
 もう来た。オルタナティヴはドアとユリの間で、視線を交互させる。
 メンタルの準備ができていないユリは、あろう事か顔面から血の気が引いていた。
(引き延ばせるか?)
 開始時刻から考えると、まだ猶予はあるはずである。
 オルタナティヴはドアノブを掴み、外から回せないように握力を込める。
「ミーティングで言い忘れていたが少し時間いいか?」
 マネージャーの声だった。
 返事をしあぐねた一瞬の後に、更にマネージャーの言葉が続く。
「五分で済ませる。本番前に悪いが、どうしても挨拶して欲しいVIPが来場していてね」
 お偉いさんの接待か。オルタナティヴは眉根を寄せた。
 本番直前だ。通常ならば、プロダクションやレコード会社の責任者、中継・配信するTV局の局長クラスなどが接待に当たり、ユリを保護するはずである。このタイミングでユリに面通しさせろ、となると芸能界のVIP程度ではなく、政財界の大物クラスに違いない。
「急遽、だったのね?」
「チケットは配っていたのだが、まさか本当に来場するとは……。正直いってコンサートといってもクラシック等じゃないと来ないだろうと思っていた。すまない計算外だった」
「分かったわ」
 ドアノブから手を放す。
 オルタナティヴは忌々しげに下唇を噛んで、大きめのサングラスをかけた。

         …

 開演が近づき、淡雪と優季はウィンドーショッピングを切り上げ、武道館に到着した。
 人という人で溢れかえっている。
 若年層を中心に『ゆりにゃんハッピー』とロゴされた公式法被を着ているファンが、それぞれの陣地で集団を形成して、応援コールの練習をしている。
 長蛇の列ができあがっていた。数名の警備員がメガホン片手に整列活動を行っている。
 会場前の広場や通路でさえ、大量の露店で『ゆりにゃんグッズ』が売られていた。
 待つこと二十分。
 ようやくゲートに到達した二人は、入場口で切符係にチケットを差し出す。
 偽造・コピー防止も兼ねた薄型識別チップが埋め込まれているチケットを、係員は判定機器のスリットに通過させた。異常があれば、ブザー音と共にゲートが自動で閉まる。
 また通過するゲートは【魔導機術】による身体検査機能を備えており、録音・録画機能を備えた機器や、刃物・薬物・爆発物といった危険物の携帯を検知できるのだ。
 チケットに異常はなかった。
 しかし係員は二人をゲート内へと通さず、イヤホンマイクの音声に注意する。
「……申し訳ありません、お客様方。少々お待ち下さい」
 丁重にそう断られ、列の横で待機させられた。
 入場拒否されて怪訝な顔になる優季。
 対して、若干表情を曇らせながらも、淡雪は理解している様子であった。
 五分ほど経った頃。
 背広姿の男達――下は三十代から上は七十代までの合計八名が、駆け足でやって来た。
 よほど急いだのか、彼等の中の年配者は大量の汗をかき、息を切らしている。
 お待たせして申し訳ありません、と口を揃えて前置きしてから、全員深々と頭を下げる。

「ようこそお越し頂きました! 淡雪お嬢様っ! そして優季お嬢様っ!」

 優季は目を丸くする。
 周囲の耳目が一斉に集まった。
 淡雪と優季を直々に出迎えに来たのは、TV局プロデューサー、イベント責任者や会場オーナー等をはじめとした、この武道館ライブ関係者のお偉いさん方であった。


「わざわざ一般客の列に混じって入場ゲートからお越し頂かなくとも……」
 額に浮き出る汗をハンカチで拭いながら、会場オーナーである老人が困り顔で言った。
 事前に連絡すれば、裏口から特別招待客として入場できたのだ。
 淡雪はやや得意げに言った。
「ファンの列に並ぶのもアイドルコンサートの醍醐味だと、事前に調べましたの」
「ええぇ~~? ボクは並んで待つのって性に合わないな」
 優季は理解できない、と頭を振った。
 二人は重役達にエスコートされている。歩いているのは、一般開放されているイベントホールや客席から隔離されている関係者用通路だ。
「――で、ボク達って何処に連れて行かれるの? 何か悪い事でもした?」
 五十代のお偉方が慌てて弁解する。
「め、め、滅相も御座いません! 優季お嬢様のお気に障ったのならば謝らせてもらいます。あのですね、実は……」
「わたしが説明しますわ」
「知っていたのなら最初に説明しておいてよ、淡雪」
 渋面の優季に、淡雪が話して聞かせる。
「此度の榊乃原ユリさんの凱旋には、堂桜グループも大きく関わっています」
「知っているよ。MMフェスタにも特別出演するんでしょ」
「そうです。大口スポンサーの堂桜ですが、今回の彼女の帰国に対しては可能な限り彼女の精神的負担軽減を優先して、直接の挨拶は控えておりました。挨拶というか、立場上どうしても彼女側がこちらを接待するという事になってしまいますので。故に、堂桜関係者は榊乃原さんとの面会を控え、プロダクション側とだけのビジネス的なやり取りに終始しました」
「ふぅん。って事は、芸能人とかアスリートってスポンサーへの接待って大事なんだね」
 立場が弱い芸能人であると、大口スポンサーに枕接待を強要される、あるいは進んで枕営業するケースもある。それだけチャンスを得る事が難しく、また生存競争が激しい世界だ。
「ここまで言えば理解できるでしょう?」
「うん。淡雪は来場したからには、立場上ゆりにゃんに挨拶しなきゃならない」
「そうです」
 ここまでの対応は予想外でしたが、と小声で付け加えた。
「でも堂桜のお姫様である淡雪はともかく、ボクも一緒でいいわけ? 正直いってゆりにゃんに会いたいけれど、ボクなんかが一緒で迷惑じゃない?」
 優季の台詞に、彼女達をエスコートするお偉方は一様に困惑した顔になる。
 淡雪は優季をたしなめた。
「優季さん。貴女自身も【HEH】――【比良栄エレクトロ重工】という大企業にして堂桜の協力会社のオーナー一族の令嬢という事実を忘れないで下さい」
「もうそういうの気にしなくていいって、弟に云われているんだけどなぁ」
 優季は頭の後ろで手を組んでぼやいた。
 彼女の異母弟は姉に激甘であり、姉も異母弟を唯一の家族として誰よりも大切にしている。
 横目で優季を見る淡雪の視線が温度を下げた。
「【HEH】のオーナー殿がそう仰せられても、世間的には貴女は比良栄家の令嬢なのです。かつての虐げられた、形式上だけの立場とは違って今は正真正銘の令嬢でVIPです。世間は相応の立ち振る舞いを貴女に求めてきます。本来ならばその言葉使いも改めるべきよ」
 説教に、軽く頬を膨らませた優季はため息をつく。
「今さらっていうか、ボクはメンタル的には庶民なんだよ。女の子として振る舞えるのは嬉しいし幸せだけど、お嬢様とかお姫様みたいには振る舞えないって」
「そんな心構えで、よくもお兄様の恋人を詐称しますね」
「詐称はともかくとして、統護だったらボク以上に庶民メンタルだと思うけど?」
 その言葉に、淡雪は小さく首を竦める。
 統護の秘密を共有している仲間として、優季は訊いた。
「じゃあ淡雪は今の統護に、元の統護のように」
「いいえ」と、やや強い口調で淡雪は、優季の言葉を遮った。
 優季は頬を緩める。淡雪の横顔に。
「――お兄様は、この世界での堂桜統護は、今のままでいいと思っています」
 噛み締めるような言葉。
 だから淡雪は兄に代わって次期当主という重荷を背負っている――
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