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魔導世界の不適合者 作者:真中文々

第二話『二人目のデヴァイスクラッシャー』  (Episode02 『SECOND・IRREGULAR』)

第二話 第四章  破壊と再生 8

         8

 統護は駆けた。
 締里の眼前に【パワードスーツ】の魔の手が迫る。
 甘かった。
 ここまであからさまに憎悪と敵意を剥き出しにして、即座に攻撃するとは予想外だった。
(間に合え――)
 少女としても、やや小柄な締里の背中に到達し、彼女を抱いて横っ飛びしようとした、その直前であった。
 空間を走る白いナニカが、縦横無尽に交叉し――黒い機体が高々と宙を舞っていた。
 それは一瞬の早業。
 そして達人の神業。
 統護が認識した次の瞬間には、白いナニカは一人の少女へと収束していた。
 見慣れた学園制服を着ている少女の背中が発する独特の佇まいは、統護が知るものであった。
「――委員長」

 長い黒髪を三つ編みおさげにしている少女の名は――累丘みみ架。

 黒い【パワードスーツ】の落下音に合わせるように、みみ架は忌々しげに言い捨てる。
「ったく……。世界が違うって、この【イグニアス】はたった一つじゃないの……ッ!」
 統護が庇い損ねた締里は、生気の抜けた顔でみみ架を見つめていた。
「お前は……どうして?」
「最後まで面倒みないと後味が悪すぎだからよ。よって――この状況に介入するわ」
 決然と宣言したみみ架に対し、残り二機の【パワードスーツ】が左右のアームを向ける。
 ゥイン、という微かなモーター音。
 拳部のマニュピレーターではなく、袖部が外側へと展開し、三つの銃口が伸びた。
 三銃身×二腕×二体=十二銃口。
 それらが一斉に火を噴いた。
 ガガガガガガガガガガガガガガガッ!
 6.8×43mm SPC弾に酷似しているオリジナルの専用弾丸が、間断なく連続射出される。
 みみ架は懐の特別製ホルダに収めている本――【ワイズワード】の頁を開く。
 本型【AMP】から頁が飛び出し、みみ架を中心とした半ドーム状の障壁を形成した。
 障壁――魔術による【結界】により、弾丸は全てシャットアウトされた。
 紙の障壁はビクリともしない。
 いかに物理的な火力と貫通力があろうと、物理法則を超越した魔術の壁は破れないのだ。
 弾丸の雨を防ぐみみ架に、統護は困惑気味に問いかけた。
「どうして来たんだよ?」
「迷惑だったかしら」
「違う。だってお前いってたじゃないかッ」
 立場が違うと。
 だから一般人としての人生を壊してまで、事件に直接的な介入はできないと。
 それは統護にとって痛いほどの正論であった。
「気が変わったから、じゃダメかしら」
「そんな単純な問題かよ」
 統護の声が苦渋に染まった。
 ニホン国内だけではなく、この事件は世界各国に注目されている。そんな中で、こんな形で事件に乱入してしまえば、これから先のみみ架は――
 みみ架の実力自体は折り紙付きだ。
 ルシアですら、封印解除――『スーパーユーザー』認定状態でなければ、みみ架と真っ向から戦って勝利する確率は五割を切るという戦闘シミュレーションの結果が出ていた。
 だが、逆にいってしまえば、それだけの実力をこの場で披露するという意味は……
「バトルは嫌いで、【ソーサラー】にはならないんじゃなかったのかよ」
「諦めたわ」
「いいのか? 本当にそれでいいのかよ……委員長」
「もう手遅れでしょう。間違いなく【ソーサラー】になる道しか残らないでしょうけれど、別に私の読書中毒は治るわけじゃないし、本を読むのを諦めるわけでもないから」
 みみ架の声は、悲しげに震えていた。
 やるせなかった。
 しかし現状では、統護一人の力では、どうにもならなかった。
 状況を打破するには、みみ架の力が必要だった。
 自分の力が足りないばかりに、結果として、みみ架の人生設計と将来を破壊してしまった。
 銃撃が止んだ。
 弾切れか、と統護は思った。そう長時間連射できないのは、最初から分かっていた。
 開発黎明期にある【パワードスーツ】という機動兵器は、単騎毎での性能ならば最新の鋼鉄ゴーレムを遥かに上回る。ゆえに将来を見越して開発が継続されている。
 その反面、運用コストや稼働時間、そして装弾数といった物理面での制約も大きい。外装として武器と弾数を強化すると機動性や俊敏性を大きく損なうといったジレンマもある。
 統護は勇んだが、みみ架は微塵も動じなかった。
「チャンスじゃないわよ。銃撃はおそらくは時間稼ぎだから」
 障壁の外へ飛び出そうとした統護を、冷静な声で諫めた。
「時間稼ぎ?」
「気配を感じ取れないかしら? 投げ飛ばした機体の復帰と、もう一機が揃うまでの場繋ぎってわけよ。フォーメーションの立て直し。二対が二組――理由は分かるわよね?」

【パワードスーツ】から、世間を騒がせた【結界破りの爆弾】が射出された。

 揃った四機ではなく、半数の二機からだ。
 その数、全部で三十だ。
 搭乗者のフルフェース型のヘルメットに、射出された小型爆弾の座標データが送信される。座標データは搭乗者の脳神経へとリンクされ、搭乗者は爆弾ではなく、爆弾の座標へと意識をトレースしていく。人間の脳のみでは不可能な、精緻な空間認識を可能にしていた。
 そして搭乗者は魔力を注ぎ込むタイミングを計る。
 通常――人が魔力を使用するのは、魔術使用時に限定され、己の体内のみか、あるいは【DVIS】に注ぎ込むか、あるいは使用した魔術に注ぎ込むかの三パターンである。
 それ以外の方法で魔力を発揮しても、何も効果が得られない故だ。
 だから先入観によって、魔術使用時以外にも魔力を放出可能であるという事実を、多くの者が失念している。
 しかし実際には、人は魔力を自在に放出可能だ。手足といった末端からの放出のみならず、遠くへ波動として伝播させられる。
 さらには、目的の空間座標値さえ精確に認識できていれば、離れた地点から魔力を送る事も可能なのである。
 逆説的にいえば、離れた地点へ魔力を転送できないのならば、己から存在を切り離した魔術のコントロールや魔力供給も不可であるはずなので、魔力のみの転送は可能でなければ多くの魔術が成り立たなくなってしまう。
 この【結界破りの爆弾】は、先入観からくる盲点を突いたトリックでもあった。
 円盤型爆弾が【結界】に張り付いた瞬間、一名がその座標目掛けて魔力を送り、ペアとなっている一名が、円盤内に仕込んである『炎系』魔術を瞬間的に起動させ、魔術的スパーク現象を誘発する。同時に、爆薬によって物理爆発をフェイクも兼ねてフォローする。
 これが【結界破りの爆弾】の全容だ。

 三十もの小型爆弾が、紙の障壁に取り付いた――刹那。

 鋭い呼気と共に、みみ架は【結界】の内壁へ右の掌打を叩き込んだ。
 発頸――と云われるエネルギーの共振現象によって、【結界】の外壁へと力場が形成されて、張り付いていた小型爆弾を弾き返した。
 爆弾群は、剥がされた瞬間、一つ残らず爆発した。
【結界】は無傷だった。
「この通り――タネが分かっていれば対応は至極簡単よ」
 みみ架は紙の障壁を解除し、頁の群を【AMP】へと戻した。
 統護へ向き合い、自虐的な笑みを作った。
「心配してくれて嬉しいけれど、ご覧の通りにもう色々と手遅れよ。こうなった以上、私には平穏な技能系魔術師としての将来は許されないでしょうね。力ある者は力なき者の為に戦わねばならない。それがこの【イグニアス】という魔導世界の理よ」
「委員長……」
 統護は泣きたい気分になる。否定したいが、否定できない。
 虎の子の爆弾を防がれた【パワードスーツ】は、動揺も露わに次のリアクションを躊躇っている様子であった。それだけ、みみ架の手際と技巧は洗練されていた。
「私が【ソーサラー】として戦うのは、運命として受け入れるしかないけれど……、今回の件で黒鳳凰の血と業が私の代で途絶えてしまうのが残念かしらね」
「途絶えるって、縁起でもない事いうな」
 みみ架は大きく首を横に振る。
「そうじゃなくて、こんな場所で大立ち回りをする女なんて、男は誰も相手にしてくれないでしょう。寄ってくるのは、私の眼鏡に適う男どころか、身体目当てのような輩だけ。いいえ、それすらも、もう近づいてこなくなるかも」
「何言ってるんだよ」
「恋愛や結婚に興味はないけれど、子種さえ授けて貰えない『女としての死』が私の運命よ」
 その時。
 四機の内の一機が動こうとした。
 みみ架は【ワイズワード】から、紙を圧縮して束ねた疑似ワイヤを飛ばし、【パワードスーツ】の足下へと搦め、引き倒した。ワイヤは即座に【ワイズワード】へと還った。
 ごくり、と締里は喉を鳴らした。
 一瞬の早業に驚愕する統護に、みみ架は声を震わせた。
「こんな乱暴な女、男は嫌よね……」
「莫迦。絶対に委員長の眼鏡に適う男が現れるって。お前みたいないい女、男が放っておくはずがないだろうが!」
 本心だった。自分の将来を犠牲にしても友人を助けるという女の価値を分からないヤツは、男として失格だと思った。
「無責任な事を言わないで。私を拒絶した当の堂桜くんが」
「俺がいつ委員長を――」
 みみ架は半白眼で統護を睨んだ。
「子作りしてくれないって言ったじゃない。私なんか抱きたくないって」
「あ」
「無責任な慰めって、女にとって一番惨めなのよ」
「いや、そうじゃなくて。ええと……」
 締里は【パワードスーツ】四機と、会話する二人を見比べて焦躁を抑える。
 敵側も次の一手を迷っているのは理解できるが、それでも次の瞬間に総攻撃を仕掛けてきても不思議ではない。しかし現状の締里では、何もできなかった。
 緊急事態に面した統護は、思考能力と判断能力を普段よりも大きく落としており、対して、みみ架は至極冷静であった。エージェントとして訓練されている締里でさえ、この一触即発の状況に肝を冷やしている。みみ架の胆力は尋常ではない、と締里は畏怖すら覚えた。
 しどろもどろになる統護に、みみ架は冷徹に告げた。
「状況が状況ですし、時間がないから手短にまとめるわよ。甲。堂桜くんは無責任な慰めで煙に巻こうとしたのではなく、責任感をもって発言、すなわち私の眼鏡に適う男性が現れなかった場合、堂桜くんが責任をもって私に子供を授けてくれる。次に乙。堂桜くんの発言は無責任なもので、私の眼鏡に適う男性が現れなくとも知ったことではなく、同情する程度で実際には何もする気はなく、私は堂桜くんの言葉を自分に都合がいいように曲解した、惨めでおめでたい痛い女である。――さあ、甲乙どっち? 即答して」
 有無を言わさぬ、機関銃のような早口であった。
「え? その二択なのか?」
 両極端な二択に、統護の頭が真っ白になる。
 みみ架は統護に軽蔑の視線を突き刺した。
「やっぱり乙なのね。まあ、そうでしょうね。御免なさい。私、痛い女だったわ」
 統護から背を向けて、みみ架は【パワードスーツ】四機と対峙した。
 女性らしいラインの肩は、微かにだが震えている。
 思わず統護は、みみ架の肩を掴んでいた。
「違う! 乙じゃないッ!」
 みみ架には、彼女に相応しい男がきっと現れる。そう信じたかった。そうに決まっている。

 振り返ったみみ架は――ビジネスライクな笑顔であった。

 統護の右手をとり、強引に握手する。
「つまりは甲ね。よって契約成立となったわ。これからよろしくお願いね」
 締里が絶望的な言葉を洩らした。
「統護、お前まんまと言いくるめられているぞ……」
 契約云々を理解しきれない統護は、みみ架と締里、そして【パワードスーツ】を見比べた。
 頼りない統護の様子に、締里は項垂れた。
 一転して表情を引き締めたみみ架が、統護に言った。

「――というワケで、堂桜くんは比良栄さんを救いに行きなさい」

 その一言で、統護は我に返った。
 みみ架は吹っ切れた、爽やかな顔をしていた。
「私についてはもう気にしなくていいわ。結局は自分で選んだ道なのだから」
「だけど」
「比良栄さんの状態からして猶予は少ないわよ。それに彼女がケイネスの脅迫で奪取した堂桜のVIPも危ないわ。特定できたマーカーの追跡は、他の堂桜派閥が行っていないという保証はない。つまりケイネスとの引き渡しを防いでも、先んじた他の派閥が保護と称して確保してしまう危険性があるという事よ。この場は私に任せて一刻を惜しんで急ぎなさい」
 みみ架の説得に、統護は揺らいだ。
 心情としては、今すぐにでも優樹を追いかけたい。
 けれども、この場を放棄するなどとは――
「大切なんでしょう? 比良栄さんが。守りたい、助けたいのでしょう、比良栄さんを」
「ああ。俺は――アイツが」
「それに私、比良栄さんに約束したのよね。貴方と比良栄さんの関係に片が付くまで、楯四万さんを預かるって。だからこれは私と比良栄さんとの約束でもあるの」
 みみ架は柔らかく微笑んだ。
 その目が云っている。

 まだ、堂桜くんと比良栄さんの関係、決着がついていないんでしょう?

 統護はみみ架の瞳を見つめて、しっかりと頷いた。
 そうだ。自分は優樹に対して――優季に対しても、決着をつけていない。
 心はまだ、優季との最後の時から一歩も進んでいない。
 だから決着をつける為にも、絶対に助けるのだ。
「いい目になったわね。それじゃ行きなさい。私は堂桜くんを信じるわ。だから――堂桜くんも、お願いだから私を信じて」
 優樹の事情を飲み込んだ締里も、負けじと言い添えた。
「私も大丈夫だ。今回の件では比良栄に貸しがある。その貸しを利息付きで回収する為にも、統護が彼女を救ってきて」
「それから、堂桜くんが比良栄さんを救えなかったのなら、契約は破棄させてもらうわ。そんな男の子供は産むつもりないから」
 みみ架と締里は声を揃えた。
 大切な人を助けに行ってきなさい、と。
 統護は会話を捉えているはずのメイへ命令した。
「一部始終を聞いていたな? 俺はこれから優樹を助けに向かう。お前達三人は以後、委員長の指示に従って人質を救出してくれ」
 メイからの返事を待たずに、統護は駆け出していた。
 背中を押して送り出してくれた二人の為にも、と決意を新たに固めて。

         …

 統護が走り去ったのを見送り、みみ架は改めて【パワードスーツ】四機を見据えた。
 まだ敵は動かない。
 この状況にあって統護と契約できたのは、幸運な流れかつ僥倖であった。
 最初から統護を優樹の元へ行かせるつもりだった。堂桜統護の特別な人だと、警察の包囲網を強引に抜けたので、仮に統護の言質を得られなければ、事後に、一度は公務執行妨害で逮捕される覚悟だった。
 思い返せば、平常時ならば絶対に相手にされない、無茶な会話であった。
【パワードスーツ】には聴覚センサが標準装備されている。自分と統護の会話は聞こえていたはずだ。
 みみ架はクスリと笑みを零した。
「単純に私と彼に遠慮していたのか……。それとも想定外に対応できずに固まっているだけなのか……。ひょっとして楯四万さんの情報を聞き出せるかもと静観していたのか……」
 会話を阻害して強襲してくるのならば、別にそれでも構わなかった。

 統護が去っても、未だ事態は膠着している。

 元より長期戦を覚悟の様相だ。
 こちらは人質を見張ってる最後の一機をどうにかせねばならない。
 相手方は、切り札ともいえる【結界破りの爆弾】を破られた心理的ダメージから、立ち直っていない。加えて、目的だった締里を前にして、手が出せない状況に戸惑っている。
 警察側は、遠巻きに状況を見極めている、あるいはリスクを恐れてあえて後手に回っている。堂桜側の結果待ちかもしれない。
 ただし、時間経過と共に突撃の準備は着々と整えられていた。精鋭の【ソーサラー】部隊だけではなく、通常時には使用されない暴徒鎮圧用の鋼鉄ゴーレム部隊も召集されている。
 みみ架の知識にもあった、警視庁が試験的に導入している【パワードスーツ】も三機ある。シャープなデザインの大型に分類される機体で、名称を【ピースメイカー】という。【堂桜防衛産機】が警察用に開発した物だ。記憶が正しければ実戦投入はこれが初となるはずだ。
 見立てでは、ゴーレム部隊と【ピースメイカー】三機では、眼前の【パワードスーツ】には短期戦では勝てない。ニュース映像で目にした動きは、それだけの性能であった。
 とはいえ……
(やはり基本的に素人なのでしょうね)
 彼等【ネオジャパン=エルメ・サイア】は、明らかに想定しているパターンが不足しており、かつ柔軟さに欠けていた。
 時間にして二分近くも会話していた統護とみみ架を前に、臨機応変で連携をとれず、結果として観察するだけという失態は、熟練のプロならばあり得ない。
 みみ架は締里へアイコンタクトした。
 締里は人質を確保している建物内の【パワードスーツ】を目指して歩き出した。
 その足取りは先ほどよりも力強かった。
「人質交換といきましょう。私がみんなの身代わりになるわ。その後は好きにするといい」
 正面のリーダー機からスピーカー音が響いた。
『ま、待て! 解放するにしても全員というわけにはいかない!』
 そして他の三機も当惑が露わだった。
 みみ架は眉をひそめた。
(この反応。おかしい……。いや、ひょっとして?)
 一つの仮定を閃いた。
 自分と統護の会話に対して、間抜けにも指を咥えて眺めていただけという本当の理由――
 先に独りごちた三つの仮定は全て外れであった。
 そして、会話の最中に一機が動いたのは、こちらの隙を狙っての攻撃ではなかった。

「なるほど……。けれど自業自得ね、これは」

 思わず頬が緩んだ。
 踏み込むには、今が契機だ。
 否、彼等の硬直状態が解けた後に予想し得うる最悪の状況を考えれば、今しかない。
 みみ架は、三つ編みおさげを解いた。
 縛めから解放された長い黒髪が涼風にたなびいた。
 その顔つきと纏っている雰囲気から、彼女を文学少女と思う者は皆無であろう。
 解放の時が来た――
 祖父が鬼神と揶揄した、みみ架が己の裡に飼っている衝動を。偽ってきた本能を。
 大きく息を吸い込み、大音声で名乗り上げた。

「【不破鳳凰流】継承者――黒鳳凰みみ架、いざ参るッ!」

         …

 ケイネスはノートPCのモニタを、キーボード側へ折り畳んだ。
 自動的に視聴していたライブ映像が遮断された。
 ケイネスの後ろから無言のままモニタを凝視していたミランダが、つい質問した。
「どうして見るのを止めたのですか?」
「決着はついたわ」
「あの武術家らしき娘の勝ち、ですか?」
 肩を竦めてみせただけで、ケイネスは明言しなかった。
 ケイネスがノートPCに接続していた動画は、明らかに現在報道中の【光の里】襲撃事件のものではなかった。
 何故ならば、堂桜関係の秘匿事項として情報統制されているはずの特殊部隊【ブラッディ・キャット】の姿が映っていた。先ほどの映像はいったい何処からのデータなのか。
(この女は、本当に何者?)
 ミランダは執事を装っているが、実体はロイドと同じく裏家業のボディガードである。
 表世界の執事とは異なり、法を犯すことに躊躇いはない。雇い主の素性や法令遵守よりも、雇用契約が守られるかどうかだけが重要だ。相手に対しての個人的感情や印象もビジネスには関係ない。リスクに見合うだけの法外な報酬を要求してもいた。
 しかし、いくらなんでもケイネスという女科学者は怪しすぎた。
「先ほどの通信ですが、マスターが会話している最中、あの連中は不自然に動きを止めていました。何か関係あるのでしょうか」
「ええ。……だって私は彼等と通信していたのだから」
 ミランダは表情を険しくした。
「では、やはり彼等の逃走をサポートする方向で、米軍【暗部】は指示を?」
 ケイネスは肩越しにミランダを見た。冷めた視線であった。

「逆よ。米軍【暗部】の指示で、逃走・補給といったサポートをしないと通告したの」

 つまりは容赦なく切り捨てたという事だった。
 驚きに、ミランダは結んでいた唇を開いた。
 彼等【ネオジャパン=エルメ・サイア】が敵を目の前にして硬直している理由は、当てにしていた逃走と補給のサポートを拒否されたショックだ。要するに途方に暮れているのだ。
 ミランダは疑問を口にした。
「けれども、それではあの機体が警察の手に落ちますよ」
「そうね。それだけは避けるだろうと彼等は、独断で出撃しても逃走可能と高をくくっていた。正直いって私も、彼等が楯四万締里を確保した後、逃走をサポートすると踏んでいたわ」
「なぜ? 米軍【暗部】は……」
「単純に機体が警察の手に渡っても、米軍【暗部】に火の粉がかからないように、あえてババを引いてくれた仲介者がいたって事でしょうね。つまり米軍【暗部】に貸しを作った交渉人が存在しているわ」
 その言葉に、ミランダは顔色を変えた。
「貴女も気が付いた? だからのんびり事件の顛末を視聴している場合じゃないのよ。私としても今回の失態のツケを払わされるのは必至よ。単純に監督不行き届き。優樹ちゃんのモニタリングに夢中で、連中を舐めてほったらかしでした――なんて正直に言えないし」
 くくく、とケイネスは肩を揺らした。
 ケイネスは気持ちを切り替えた。
「貴女が米軍【暗部】に支払うツケとやらに、私は関係ありますか?」
「大ありよ。その為に貴女と契約しているといっても過言ではないくらい。年俸二億円プラス出来高の実力、見せてもらうわよ」
「分かりました」
 ミランダは革靴の踵を返し、【ネオジャパン=エルメ・サイア】を匿っていたコンテナから出ようとした。
 ドアノブに手を掛けたところで、背中からケイネスの声が追加される。
「時間稼ぎがノルマよ。もしも相手の生死に関わらずに撃退できるのならば、出来高で八千万を支払うわ」
「それだけの相手、という事ですか」
 偽装コンテナから出たミランダは、敷地の正門へと歩いて行く。
 正門にはガードマンがいない。企業として死んでいるこの会社に検問など要らない。
 社屋に勤務していた残務整理者も、すでにケイネスが強権を発揮して早退させていた。
 よって、この地を意図をもって訪れる者は、必然として限られる。
 夏前だというのに、季節外れの肌寒さを感じた。
 ともすれば、粉雪さえ幻視しそうな、不思議な感覚がミランダを襲った。
 訪問者は一人きりだった。

 ニホン人形のような、雅な少女が正門を抜けて歩いてくる。

 上品かつ清楚。なによりも気高さに溢れた美貌の娘だ。
 凛とした歩き姿が美しい。
 彼女はたおやかな笑みを湛えているが、同等に激しい闘志を滲ませていた。
 名門校【聖イビリアル学園】中等部の女子用制服を着ている少女を、ミランダは知っている。
 確かに強敵中の強敵だ、と昂揚する気持ちを抑えた。
 もしも勝利できれば、決して長くはない自身のキャリアで、最高の経歴となろう。
 少女はミランダを見て、丁寧に挨拶してきた。
「ごきげんよう。ケイネスという方とお話をしに参りました」
「それは、この私を倒してからにしてもらおうか」
 ミランダは油断なく訪問者を睥睨した。
 冷たい死を妖しく誘う雪女のような敵の名は……

 堂桜――淡雪。
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