魔導世界の不適合者
作者:真中文々
第二話『二人目のデヴァイスクラッシャー』 (Episode02 『SECOND・IRREGULAR』)
第二話 第三章 終わりへのカウントダウン 3
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金縛りに近い感覚で、締里の意識は覚醒していた。
今は昼食後の休眠だったはずだ。
脳は起きている――けれども、まだ夢の続きを視ているという中途半端な知覚状態。手足を動かそうとしても、間違いなく動かないだろう、とさえ理解していた。
原因は分かっていた。
昼食時に報道されていた【パワードスーツ】によるテロ事件だ。
彼等は【ネオジャパン=エルメ・サイア】と名乗っており、使用されていた機体は六体。
締里が所属している特務機関から知らされている情報――過日の【隠れ姫君】事件において政府が捕獲し損ねている【エルメ・サイア】ニホン支部の人数が六名。
名乗っている名称と、機体数の一致から偶然という可能性は低いだろう。
そして強力なジャミングの為に、ノイズ混じりの映像であったが、六機のうち一機だけ挙動がぎこちない機体があった。
他の機体がスムーズな動きで連携している中、不自然な加速と減速を繰り返し、どうにか付いていこうともがいている様は――間違いなく『彼女』だ。
不器用で、どんくさい、それでも一生懸命なあの子に間違いない。
忘れたつもりでいた。
任務による裏切りなので今さら思うところなど、締里にはあるはずもなかった。
なのに思い出していた。
そう……たった一人だけ心残りがあった。
それは笠縞陽流という少女。
小柄で細身。ショートボブの薄い黒髪に、小ぶりな鼻立ち。気弱そうで柔和な外見。
いかにも優しそうで、とても過激なテロ活動に身を投じるようには見えない、小さな女の子。
彼女だけは潜入した【エルメ・サイア】ニホン支部において、異彩を放つ存在だった。
気が強そうで自己主張が激しいメンバーの中で、陽流は正反対だった。
他のメンバーとは異なり、理念や理想、野心もなかった。
陽流は新入りの締里に「友達になって」と懐いてきた。
どこにでもいそうな、ちょっと可愛い容姿の中学生の少女は、居場所と愛情に餓えていた。
同胞意識・仲間意識はあっても友情とは無縁な、【エルメ・サイア】ニホン支部で、たった一人だけ友情をモチベーションとエネルギーにしていたメンバーだった。
締里はそんな陽流を利用した。
その任務ゆえ、特殊メイクで変装をしていたとはいえ、写真を残してはならなかったのに、陽流に涙ぐまれてしまい、つい一度だけ情に流されてツーショット写真を撮った。
不思議とその致命的ともいえるミスに、後悔はなかった。
後悔は――陽流を切り捨てた事。
陽流を救えなかった事。
(あぁ、だから私は今さらこんな夢を視ているのか――)
締里が【エルメ・サイア】ニホン支部の潜入に成功して二ヶ月が過ぎていた。
一週間ぶりに秘密の会合で顔を合わせた陽流は、一緒に食事をしようとせがんできた。
「分かったわよ。それで店は?」
あまりのしつこさに辟易を通り越して観念した締里は、陽流にリクエストを訊いた。
陽流は「えへへ」と照れくさそうに笑って、おにぎりを差し出してきた。
御世辞にも形が良いといえないそれは、銀紙で包まれており、要するに手作りであった。
「他は?」
「え?」
「……なんでもないわ。ただ炭水化物に偏りすぎって思っただけ」
どうせ後で指定されているサプリメントを摂取するので栄養価的には問題なかった。それに形こそ悪いが、添加物や防腐剤が使用されていないので、そう悪い食事でもない。
キョトン、としていた陽流だったが、締里が銀紙包みを剥がし始めたので、嬉しそうに自分の分のおにぎりを食べ始めた。
「……美味しいかな? 夕ちゃん」
ちなみに締里は潜入の際、山根夕という偽名と組織が用意したプロフィールを使用していた。
「固いわね。もっと空気を含ませた方がいいわ。それから……具がないのね」
「どんな具が好きか分からなかったから」
「無難に梅干しで構わなかったわ」
「うん! 次は梅干しと、それからもっと柔らかく握るね」
どうやら次があると、勝手に解釈した様子だ。
締里はため息をついて、こう言った。
「できれば、梅干しよりもおかかがいいから」
その日――、別れ際に陽流は訊いてきた。
「普段、夕ちゃんてお友達、いる?」
それは怯えを含んだ声だった。
締里は嘘をついた。
「いるわよ。沢山ね」
本当はゼロだった。少なくとも締里が友人だと認識している者は。
陽流の顔がくしゃりと歪んだ。
そして慌てて取り繕った。きっと笑顔のつもりの表情で。
「あたしは……夕ちゃんだけだから」
友達、と悲しそうに囁いた。
縋るような瞳で、締里を見つめてくる。
「貴女の過去に何があったのかは知らないけれども……、私達は仲間であり同志よ」
あえて陽流が欲しかった単語を避けた。
それは――締里にとって、よく分かっていないモノだったから。
陽流から目を逸らしていたから、彼女がどんな顔をしたのか分からなかった。
……――夢は、そこで途切れた。
枕元の時計では、午後十六時過ぎである。
締里は手足の感覚を確認した。気だるく力が入らないが、金縛り状態ではなかった。
目を瞑っても、再び過去の映像は再現されずに、瞼の闇だけだった。
その闇は、心の帳のように思えた。
「だって、あの時は本当に分からなかったから」
友達、というモノが。
少し前の自分にあったのは、祖国と組織に対する忠義と、生きていく為の割り切りだった。
しかし、今なら少しは理解できていると思っていた。
心の主君と決めたアリーシアは、締里を臣下としてだけではなく、友人として接してくれる。
そして――淡雪に、史基に……
「――統護。お前のせいだぞ、私が変わったのは」
噛み締めるように締里は呟いた。
気が付けば、弱くなっていた。
任務にあたり冷徹かつ冷酷に情を切り捨てていた、戦闘機械人形だったはずの自分が、統護とアリーシア(ついでに淡雪)に出逢って、心に触れて、こんなにも変わっていた。
孤児院【光の里】での新生活も、心理状態に大きな影響を及ぼしていた。
アリーシアが大切な場所、というのも共感できた。
つまりは優しさ。
特殊工作員として欠陥であると理解してはいても、自分の変化が嫌いじゃなかった。
「統護のせいで、私はこんなにも悔いている」
夢に視るほどに。
陽流に「友達だ」と告げてあげられなかった事が。
二度目のおにぎりを味わえなかった事が。
本当の名を教えられなかった事が。
「ねえ、ハルル。……お前は今どうしている?」
また逢えたのなら、私を許してくれるか?
その問いに答えられる者は、この場にはいなかった。
ドアの向こうで、みみ架はそっとため息をついた。
「お茶菓子って空気じゃないわね」
…
陽流は見慣れぬ街並みを散策していた。
二度目の出動を控えて、現場の視察に出て、余った時間を自由時間として使っていた。
ミッションにあたり、詳細な3D画像だけでは、現場の雰囲気は掴めない。したがって出動前に、メンバー六名は一日一人ずつ単独で現場の確認と視察に赴いていた。
これは作戦指示者であるDr.ケイネスの命令であり、また視察後にある程度の自由行動を許可してくれたのもDr.ケイネスであった。
ケイネス曰く、精神衛生管理の一貫として外出による気分転換は必要との事だ。
喜んで外出する者が半分。
残りの半分は、警察や防犯カメラの目が恐く、表には出たがらなかった。
陽流は後者だった。
いくら絶対に大丈夫と念を押された特殊メイクを施されてもだ。
逃亡生活はごく短時間であったが、陽流の心に大きな傷跡を残していた。
「……もうすぐ、夏か」
夕方の空を仰ぐ。
随分と日が長くなってきた。
春先の壊滅から今日まで、それほど日数が経っていないのに――もう昔のようだ。
「あたしの居場所ってあるんだろうか」
陽流の両親は、三年前に離婚した。
物心つく前から夫婦仲は険悪で、陽流という娘と世間体がストッパーとなり、辛うじて仮面夫婦を維持している家庭状態だった。
しかし忍耐という名のダムは決壊し、父と母は喧嘩別れした。
養育費と親権を裁判で勝ち取った母に、陽流は戦利品のトロフィーのように連れ去られた。
母は離婚後半年もしない内に新しい男を作り――陽流から興味を失った。
居場所を失った陽流は家を出た。
父の居場所を探したが、ついに突き止められなかった。
しかし、補導されなかっただけで幸運だったかもしれない。
途方にくれた夜の繁華街。
母の財布から抜き取った路銀が尽き、ついに身体を売るしかないと覚悟を決め、そして声をかけた紳士然とした三十代の男性が――
――【エルメ・サイア】ニホン支部のリーダーだった。
彼は陽流の境遇に同情し、そして憤り、身体という対価を求めることなく、陽流を新たなる同志として【エルメ・サイア】ニホン支部に迎え入れてくれた。
衣食住を提供してくれた。
縋る場所が其処しかなかった。
彼等がテロリストだと間もなく理解したが、そういった特殊な集団だからこそ、自分に対価を求めてこないと納得した。いや、対価ならば求められていた。肉体関係ではなく――陽流もテロリストになる事を。
陽流は少女娼婦よりも少女テロリストを選択した。
欲しかった場所は暖かい家族。
けれど手に入れた場所は、テロリストとしての同志。
無邪気に友達と笑い合いたかったけれど。
現実には、遠い理想を熱にうなされたように語りかける仲間。
それでも陽流は頑張った。
また捨てられたくはなかったから――
「……捨てられるのは、裏切られるのは、もう嫌」
友達だと信じていた、いや、一方的に友達だと思っていた子に――仲間ごと裏切られた。
本名を教えてくれなかったクールな彼女は、政府側の特殊工作員でスパイであった。
事情は理解できるし、他のメンバーように恨みはない。
きっとなるべくしてなっただけだから。
ただ彼女に捨てられたという現実だけが、どうしようもなく、純粋に悲しかった。
陽流に残された場所は――破滅への一本道だ。
他のメンバーは、投獄された同志の解放と【エルメ・サイア】との再度の関係構築を夢見ているが、一歩引いた立ち位置から俯瞰している陽流には明瞭だった。
間違いなく自分たちはケイネスにとっての捨て駒だ。
後腐れない使い捨てのテストパイロットだ。
(なにしろ、あたしみたいな下手くそにも操縦させるくらいだもの)
機体名称【リヴェリオン】と教えられた【パワードスーツ】であったが、陽流の機体だけ他のメンバーと形状が異なっていた。
扱いやすい試作機だと云われていたが、それでも扱いに四苦八苦している。
他のメンバーはフルフェースのヘルメットに、特殊なプラグが沢山付いている制式品のパイロットスーツだが、陽流はゴーグル型の試作品に、パイロットスーツも接続部が背中にしかない簡易品であった。
それだけダウンコンバートしても、足手まといの挙動しかできない陽流に、ケイネスは呆れ顔で、神経接続を促進する注射を施していた。
「最後まで戦おう」
望んだ友達ではないけれど、それでも大切な仲間なのだから。
そして最後の居場所なのだから。
きっと悲惨な終わりを迎えるだろうけれど、それでも最後の最後まで一緒にいよう。
陽流は足を止めた。
そして左手側にある白い建物を眺めた。
名称は――孤児院【光の里】。
ファン王国第一王女にして次期女王である、かのアリーシア姫の大切な場所として有名な、ある意味ニホンで一番の聖域だった。
自分たちを破滅に追いやった女がいた場所を、そう遠くない最後の時の前に、どうしても目にしておきたかった。
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