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魔導世界の不適合者 作者:真中文々

第二話『二人目のデヴァイスクラッシャー』  (Episode02 『SECOND・IRREGULAR』)

第二話 第二章  錯綜 5

         5

 夕食を待つしばしの時間。
 最近の統護は決まって自室での読書に予定を割り当てていた。
 今夜も例外ではない。
 ただし自室といってもメインである西洋風の十五畳間ではなく、サブとしての和室に本邸内の図書室から蔵書を持ち込んで読み耽っていた。
 畳の上にあぐらをかいて、リラックスした姿勢で読んでいた。
 やはり和室の方が落ち着いた。
 それに十五畳は広すぎて、統護にとってはこの部屋の八畳がちょうどいい。
 ジャンルは小説等のフィクションではなく、この【イグニアス】世界についての歴史や資料が主流であった。また堂桜財閥関係の非売品の冊子にも目を通していた。
 知らない事が多すぎた。
 ネットによる情報検索では見つからない、別視点からの資料も数多くあった。
 いつまでも『元の世界』の常識や経験と比較して、この世界を考えるわけにはいかない。
 この【イグニアス】の常識や経験で、この世界を捉えなくてはならない。
「……俺さえ、もっとしっかりしていればな」
 比良栄・フェリエール・優樹の存在をもっと早くに知る事ができていた。
 知っていたからといって、異世界転生した当時の統護の状況からして、どれだけのリアクションが起こせたのかは定かではないが、それでも初めて逢った時のような間抜けを晒す事はなかった。優樹に対しても、もっと上手く事を運べたのではないか――
 ドアはなく敷居が襖だからか、ノックはなかった。

「……統護、いる?」

 恐る恐るといった感じの弱々しい声色は、優樹のものであった。
 襖越しのシルエットも彼である。
 優樹の呼びかけで、統護はいつの間にか本の内容を忘れて、優樹の事ばかり考えていたと、我に返った。苦笑いして本を閉じた。
「どうした? 飯か?」
「もうちょっと。ええと……」
「入れよ。そこで突っ立っていないでさ」
「うん」と、優樹は襖を開けて、そそくさと部屋に入ってきた。
 行儀良く正座した優樹は、統護を真っ直ぐに見つめると、「ごめん」と頭を下げた。
 統護はあえて分からない振りをした。
「ごめんって何がだよ?」
「だから、その、楯四万さんとの件。ちょっとやり過ぎたっていうか」
「それは仕方がなかっただろ。委員長の話じゃ締里から仕掛けたって話だし。その原因を作ったのは、締里にお前の事を話した俺だ」
 優樹は統護ではなく、正座している膝元を見ながら言った。
「統護はやっぱりボクを疑っている?」
「疑うって?」
「ボクの【デヴァイスクラッシャー】について、だよ」
 統護は黙って頷いた。
 優樹は悲しそうに笑顔を作った。
「本当はもっと統護と親しくなってから色々と探りを入れる予定だったんだ。でも楯四万さんとの件でバレバレみたいだから、率直に言うね。ボクは統護の【デヴァイスクラッシャー】の秘密が知りたいんだ。交換条件としてボクもこの右手の秘密を教えるから」
 優樹は右手を掲げた。
 その手に統護は視線をやらなかった。
「俺の【デヴァイスクラッシャー】の秘密を知ってどうする?」
「この世界――【イグニアス】を元の姿に戻す。魔術のない昔の頃へと」
 即答だったが、統護は信じなかった。
 この【イグニアス】は、もう【魔導機術】なしの社会には戻れない。この世界の人間は、元の世界の人間よりもはるかに多くの魔力を標準的に秘めており、そして【魔導機術】――魔術を行使する術を得た。現状では、資質によって魔術師と定義できる者は限られているが、それでも魔術師でない者であっても己の魔力によって、様々な恩恵を受けている。
 今さらそれを棄てられない。
「馬鹿げてるぜ。極端な事を言うとさ……。お前の言っている元の世界って、突き詰めていくと原始時代にまで技術レベルを下げるって結果になるぜ」
「それこそ極論だよ。今の【魔導機術】は間違っている。魔術犯罪だって、堂桜財閥が使用者の判断と制限を掛けたり、悪用されたIDを警察に提供するとかで、激減するはずだよ」
「確かに理屈の上ではそうだろうけどよ」
 元の世界でのサイバー犯罪の取り調べを思い出す。インターネットの悪用程度でさえ、警察側は常に後手を強いられていた。IPアドレスから割り出した犯人が、実は誤認逮捕だった事さえあった。
「技術的な問題として、使用者の適性をアクセスの都度、堂桜側で判別したり、使用されている魔術の結果まで判断して、使用者を洗い出して個人情報を警察にとはいえ、提供――ってのは、口でいうほど簡単じゃないと思うぜ?」
 素人感覚でも、システムに掛かる負荷は倍増程度では済まないだろう。
 魔術の利便性が少しでも損なわれるのならば、市井の人々が猛反発するのは必至だ。
「だったら、ちゃんとした運用態勢――魔術犯罪対策がシステムに組み込まれるまで、いったん【魔導機術】は封印すべきだよ」
「規制法案の否決に、世論。今の【イグニアス】から【魔導機術】は無くせない」
 資料に書かれていた内容以前に、統護が実感した現実だ。
 対魔術犯罪にしても、魔術には魔術で対抗し、他は従来の犯罪と同じ走査手法で犯人を追い詰めて、逮捕し、裁判にかける。人々のほとんどがそれで納得していた。
 魔術犯罪が無くなったところで、凶器が他のモノに換わるだけなのが現実だ。よって人々は己の魔術をなくさない為に、魔術犯罪の存在を容認、あるいは黙認した。
 統護はため息混じりに告げた。

「……とどのつまりお前の右手の力じゃ、この世界から魔術を淘汰できないってわけか」

 優樹は瞳を揺らして、首肯した。
「うん。ボクの右手の力は、生憎とボクだけの特別なんだ。これを普及させるのは技術的に不可能なんだよ」
 泣き声のように震える台詞。
 縋るような視線を向けられたが、統護は突き放すように言った。
「同じく、俺の【デヴァイスクラッシャー】も量産可能とは思えないぜ」
 堂桜財閥も統護の【デヴァイスクラッシャー】について総力を挙げて検査・研究している。原因さえ突き止められれば、【魔導機術】に対【デヴァイスクラッシャー】機能を付加できるからだ。あるいは、統護を元に戻したいという研究者もいる。
「俺に接近するくらいなら、堂桜側が握っている俺の研究データを入手した方が早いかもな」
「そっちも、間違いなくやっているよ」
「そうか……。そうだろうな」
 先端技術産業にとって、産業スパイ程度は日常茶飯事だ。
「でも堂桜側のセキュリティーだって固いだろうし、なによりボクが知りたいのは、技術的な原因じゃないんだな、これが」
「――というと?」
 統護の顔が微かに引き攣った。
 その表情に、優樹はニヤリと頬を緩めた。

「君は【デヴァイスクラッシャー】になったから豹変したんじゃない。きっと逆なんだ。君が豹変したから【デヴァイスクラッシャー】になったんだ」

 統護は大きく息を吸い込んだ。
 その言葉で、全身から力が抜けていく。
「どうしたの?」
 予想外の反応だったのか、優樹が心配そうに身を乗り出してきた。
 統護は優樹を右手で制した。
「なんでもない」
 そうか。やっぱり、そうなのか……
 自分の中の淡い期待が、水泡と化していく落胆を統護はどうにか堪えた。
 統護は無理矢理に不敵な表情を演出した。
「もしも俺が豹変した結果が【デヴァイスクラッシャー】だとして、そいつを再現できる保証はないぜ。お前の【デヴァイスクラッシャー】の量産化の方が早いぜ、きっと」
「それは統護の秘密を知った上での判断だよ」
 会話は平行線のままだ。
 しかし、統護の優樹への懐疑はほぼ晴れていた。
 少しの無言の後、優樹は不安げな表情で念を押すように訊く。

「なんだかんだで、君はボクの右手の秘密が知りたいんだろう?」

 不敵な貌を引っ込め、統護は苦しげに首を横に振った。
「いや。もうどうでもよくなった」
「――え」
 優樹は目を丸くする。
 愕然となった優樹をフォローするように統護は取り繕った。
「あ、いや。腹の探り合いはもういいっていうか、無駄っていうか。それにお前は【エルメ・サイア】の関係者ってわけじゃないんだろ?」
「ボクをあんなテロリストなんかと一緒にするな!」
 激昂した優樹は、勢いよく立ち上がった。
 慌てて統護は謝った。
「悪い。そんなつもりで言ったんじゃない」
「そりゃボクの主張が【エルメ・サイア】の言い分と共通しているのは分かっているさ。でも、ボクの、いや【HEH】はテロ行為によって【魔導機術】をなくそうだなんて考えていない」
「ああ。承知しているって。悪かった」
 テロ行為など必要ない。
 アンチ魔術アイテムとして、【HEH】が【デヴァイスクラッシャー】機能を備えた機器を販売すれば、おそらく【魔導機術】の発展は阻害され、その勢力も衰退するだろう。
 感情を抑えられずに洩らした失言を、統護は反省した。
 深く頭を下げた。
「お前が【エルメ・サイア】かもとは、ちょっと言い過ぎた。すまん」
「分かれば、いいんだよ」
 だが、優樹は再び座ろうとはしなかった。
 部屋の外へと歩み寄って、襖に手を掛けた。
「やっぱり、昔みたいに仲良くはなれないのかな、ボク達……」
 昔みたいという言葉に、統護は唇を噛んだ。
 優樹はそっと襖を開けた。
 統護は何も言わず、動かなかった。
 襖が静かに閉まる。
 部屋には、統護だけが残されていた。

         …

 優樹は夕食を終えると、人目を盗んで浴場に来ていた。
「――よし。誰もいないな」
 脱衣所で手早く衣服を脱ぎ、籠へと放り込む。
 統護の部屋に押しかけているが、優樹用の客間も用意されている。その中に簡易シャワー室は設置されていた。しかし二日続けてのシャワーのみは我慢ならなかった。
 基本的に使用人は此処は使わない。
 統護と淡雪は入浴済みを確認している。堂桜夫妻は今日も不在だ。
 つまり今ならば誰にも知られずに使用可能だった。
 裸になるとホッとする。
 胸の苦しみから解放される――と、優樹は軽い足取りで浴室へと入った。


 高級老舗旅館の大浴場を彷彿とさせる光景に、優樹はご満悦になっていた。
 思わず泳ぎたくなってくる広さの浴槽で、存分に手足を伸ばす。
「はぁ~~。極楽極楽」
 リラックスして、ささくれ立っていた気分が和らぐと、統護への罪悪感を思い出した。
 悪いのは統護ではなく――自分なのだ。
 優樹は自分の右手をジッと見つめる。
「……結局。統護が興味を示していたのは、この右手のカラクリじゃなかったのか」
 ならば、この右手をケイネスとかいう怪しげな女科学者に施術させて、疑似【デヴァイスクラッシャー】にした意味は、ほとんどなかったという事だ。
 右手をこんな風など、本当ならばしたくなかった。
「それに統護は昔の事を忘れているようだし」
 強盗団の情報をあらかじめ掴んでいたので、街中で実戦による【デヴァイスクラッシャー】の起動実験を行った時、偶然にも統護と再会した。当初の計画では、実験成功を確認してから彼に接近して【デヴァイスクラッシャー】を見せるはずだった。
 しかし偶然、再会した。
 だが再会した時の彼のリアクションは、明らかに自分を知っていた。
 それなのに、自分に探りを入れる統護は、過去の関係をまるで覚えていない様子だ。
 過去の話題を振ろうとしても、意図してはぐらかされる。

 ――知っているのに、覚えていない。

 ――覚えているはずなのに、知らない。

 その奇妙な矛盾は、こうして振り返ってみると【DVIS】を扱えなくなる前の統護と、扱えなくなった統護の関係に相似している矛盾であった。
「統護。君はいったい何者なんだい?」
 優樹は湯船の中で体育座りをして丸まった。
「知りたいな。任務とか関係なしに」
 統護の顔が脳裏に浮かぶ。
 子供の頃とは違い、男の貌になっていた。そして情報よりも気さくで優しかった。
 本当は全てを打ち明けて、謝って、そして昔みたいに戻りたかった。
 けれど、それは今の優樹には許されない。

 ガラ、という引き戸が滑る音で、優樹は思惟から覚めた。

 白いタオルを前腕から下げている黒髪の少女――淡雪が浴室に入ってきた。
 淡雪は当然ながら裸だ。
 ギョッとなった優樹は、反射的に背中を向けた。
「す、すまない! 勝手に入ってしまって」
 淡雪が悲鳴を上げたら全てが終わってしまう――と、優樹は絶望した。
 どうして風呂くらい我慢できなかったのだ。
 ……――悲鳴は上がらない。
 どころか、気配と微かな足音で淡雪が浴槽に近づいてくるのが分かる。
 恐る恐る優樹は背中ごしに振り返った。
 ざばっ。中腰になっている淡雪は洗面器でかけ湯した。
「あ、淡雪?」
「お隣、よろしいですか?」
 悲鳴をあげるどころか、淡雪は一緒に入浴しようとしていた。
 優樹は引き攣った笑顔で首を横に振る。
「いやいやいやいや。君って女の子でしょ? 男のボクと一緒っていうのは――」
 その言葉を淡雪は遮った。

「――いいえ。女の子同士なので、特に問題はないかと」

 優樹は固まった。
 頭が真っ白で、次の言葉を探そうにも、何も浮かばなかった。
 淡雪はそんな優樹の心境を余所に、湯船に入ると、優樹の隣まで移動してきた。
「胸を隠しても無駄です。脱衣所にサラシがありましたので。体型を誤魔化す為の矯正下着も。なによりも貴女の背中とうなじは完全に女性のそれでした」
 断言されて、優樹は諦めた。
 否、開き直った。
「あ~~、そうさ。ボクは生物学的にいえば女性に相当するね! けれど心は男性なんだ。だから登録した生体データを改竄してもらい、戸籍も男性になっている」
 湯船から立ち上がった優樹は、艶めかしいラインの肢体を晒し、そして胸を張った。
 豊かな双丘を形作っているDカップのバストを。
「こんな胸! 邪魔で邪魔でホントはすぐにでも除去したいんだけど、極秘に性転換手術をやる暇もなかなか見つけられなくってね!」
 淡雪は沈鬱な顔で優樹を見つめた。
 その顔に、優樹の作り笑顔は、あっけなく崩れた。
「わたしは今、お兄様の真相に辿り着けた、と確信しました」
「お兄様? って統護?」
「性同一性障害……でしたっけ。わたしは本物の症状を目にしていました。ゆえに貴女の嘘も簡単に分かってしまいます。貴女は身も心も――女性の方です」
 優樹は湯船の中にしゃがみ込んでしまった。
 乾いた半笑いは、自分に向けられた嘲笑であった。
「はは。そんな目で見ないでよ、淡雪……」
「貴女はどうして自身を男性と偽っているのですか?」
「そりゃ、ボクが妾の子で、父さんは精子が極端に少ない体質で、だから妾の子であろうとも、ボクが跡取りの長男にならなきゃいけなかったからだよ」
 人工授精や不妊治療も上手くいかなかった優樹の父親――比良栄忠哉が、まさか遊びで抱いた使用人を妊娠させるなど、まさに青天の霹靂であった。
 驚喜した忠哉は、しかし子供が女児であると知り喜びを半減させた。そして、方々に手を回して、優樹を男子に仕立て上げたのだ。戸籍に生体データの改竄。産婦人科医の抱き込み。
 こうして比良栄忠哉の長男である優樹が誕生した。
「母は大金を握らされて、何処かの外国で暮らしているよ。一度も会った事ないけどね」
「酷い……話ですね」
 嫌悪感も露わに、淡雪は眉根を寄せた。
 優樹は首を横に振った。乾いた声音で続ける。
「でもね。ボクがたった一人の息子であった時は、まだ良かったんだ……」
 淡雪は息を飲む。気が付いたのだ。

 ――優樹の弟の存在を。

「ご明察だよ。なんと父にまた一つの奇蹟が起こった。義母との間に正真正銘の息子――智志を授かったんだ。それで父の愛情は途切れ、義母の憎しみだけがボクに残った」
「弟さんは、真実を?」
「知らない。知られてはならない。ボクは智志のいいお兄ちゃんでなければならないんだ。そして、唯一ボクを慕ってくれる肉親の未来の為にも――【魔導機術】がなくなった、再び電子機器技術がメインの世界を創らなきゃならないんだ。たとえ捨て石になってでも」
 優樹は泣いていた。
 その泣き顔を、淡雪は泣きそうな目で見つめている。
「だからさ。お願いだよ淡雪。ボクの味方をしてとはいわない。だけどボクが女だって統護には秘密にしてよ。ボクと統護の互いの秘密に決着がつくまででいいから……」
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