魔導世界の不適合者
作者:真中文々
第一話『隠れ姫』 (Episode01 『INVISIBLE・PRINCESS』)
第一話 第四章 解放されし真のチカラ 4
4
外に出ると夜であった。
脱出したのは、海外の賓客をメインターゲットとしている超高級マンションだった。
そしてエルビスはオルタナティヴが呼んだタクシーで、遠くに連れられた。
今のところ追っ手はこない。
夜明けが近そうな街中が流れていく窓を、彼は茫洋と眺めているだけだった。
心細かった。
金銭は所持していない。常にカード払いで、しかも手続きは従者任せだった。助けられた、そして逃走しているという事実を差し置いても、エルビスはオルタナティヴに従う以外の選択肢はなかった。あのままフレアに掴まっているよりはマシ、と自分に言い聞かせる。
妹の無事を祈るが、冷静に考えると自分の身の方が危険だ。
人気のない住宅街でタクシーから降りた。
すでに朝方になっていた。
「……ここから徒歩なのかい?」
「車両が多い道路なら車が狙われるリスクは少ないけど、開けた場所だと車ごと狙われる可能性が高くなるわ。それに探知されやすいし。だから此処からは徒歩で移動するわ」
「車が狙われるって、狙撃?」
「銃弾じゃなくて小型ミサイルもしくは魔術兵器。そこまでやれば痕跡を消すのは困難だから、可能性は低いでしょうが考慮しないわけにもいかないから」
運転手に聞かれないようにオルタナティヴはトーンを抑えて言った。
少女が歩き出し、青年は慌てて後を追った。その様は、まるで女王と飼い犬のようだった。
「徒歩だと安全か」
流石に世界でも屈指の治安を誇る国だ、とエルビスは安堵した。
そんなお坊ちゃんに、オルタナティヴは冷たい視線を向けた。
「徒歩の方がマシというだけ」
オルタナティヴはわざわざ説明しなかったが、タクシーの運転手に追加料金を支払って料金メーターを回したままで走行してもらっている。小細工だが、やらないよりはやるべきだ。
エルビスは噛み締めるように言い漏らした。
「そうか……。やはり甘くはないよね」
「とにかく細かく人目を避けて移動し続けるわよ」
「逃げ込む先の当てはあるのかい?」
VIPとはいえ密入国で、なおかつ外国の政治問題の渦中にある身の上では、警察や大使館に保護を求める事はできなかった。そもそも警察や大使館で追っ手が待ち構えている可能性も軽視できない。この異国で、今や彼は独りであった。
「――ないわ」
キッパリと断言するオルタナティヴに、エルビスは絶句した。
足を止めたエルビスを、オルタナティヴは振り返る。
「逆にいえば『ない状況』だからこそ、強引に動いて貴方を連れ出したの」
「え」
「あのフレアって偽名の女は、間違いなく早々に国外に逃げるつもりでしょう。貴方の立ち回りに見切りをつけたって事はそういう事よ。そして王子の側近としての顔を棄てる代わりに、別の土産を【エルメ・サイア】に持ち帰る――それが《隠れ姫君》ってわけ」
理解できた? とオルタナティヴは視線で問う。
エルビスは曖昧な笑みを返した。
軽く嘆息し、オルタナティヴは説明を続ける。
「いい? スパイの可能性が高いあの女に《隠れ姫君》を奪取させる決断を下した時点で、いくつかの筋書きはできあがっているに違いないわ。おそらくはアタシが貴方を奪取するという可能性も込みでね」
「それなんだけどさ。何の目的で、誰の依頼で僕を助け出した?」
答えを期待せずにエルビスは訊いた。
どうせ碌でもないオチが待っているに違いない、と無力感が彼を嘖む。何かしらの利用価値を自分に見いだした物好きが、身柄を確保して運搬しろと黒髪の少女に依頼したのだ。
つまりエルビスを利用する者が代わるだけで、状況は何も変わらない。
「連れ出す時に言ったでしょう。ビジネスよ。ビジネスには守秘義務があるのよ」
説明の腰を折られて、オルタナティヴの声に険が混じった。
「筋書きは、もういい?」
「いいよ。だってフレアの筋書きを覆すのが、君と君の雇い主の筋書きなんだろう?」
「正解。そして貴方はこちらの筋書きに乗ったのでしょう?」
エルビスは無言で頷いた。どの道、逃げるしかないのだから。
会話は終わり、とオルタナティヴは歩みを再開した。
エルビスも黙って横に並ぶ。
三十分ほどで、広大な自然公園に着いていた。
公園とはいっても、必要最低限の施設や遊具しか設置されていない山の中といった趣だ。
空腹が限界だとエルビスは訴えた。
「お腹が空いたよ」
「近くにコンビニがあるから、何か買いましょうか」
二人は公園の外周道路沿いにあるコンビニエンスストアに入った。
エルビスにとってコンビニエンスストアは初めてであった。
見回すと、様々な種類の品物が、棚を仕切りにして所狭しと詰め込まれている。
「どうしたの?」
「食べ物ってどれなのか……」
困り顔になるエルビスの襟首を掴み、オルタナティヴは弁当・総菜コーナーへと引っ張った。
プラスティック容器に入れられた加工済み食品が、冷やされている状態で並んでいた。
「ほら、ここよ。後ろにはカップ麺類が置いてあるわ」
「どれでも好きな物を買っていいかい?」
正直いって美味そうな物はなかったが、数を買えば当たりがあるかも、と思った。カップ麺とというインスタント食品に挑戦するのも良い機会だ、と前向きに考えた。
すまし顔のオルタナティヴは突き放すように言った。
「ご自分のお金で、どうぞ」
二人は公園に戻っていた。
オルタナティヴは総菜パン数点と、コーヒー牛乳を二パック買っただけであった。
不満げなエルビスに、彼女は言った。
「弁当やカップ麺だとゴミがかさばるから」
「またコンビニに戻ればいいじゃないか」
「戻らないわよ。少しでもリスクを避けたいから。食べたら出発するわよ」
また歩くのか、とエルビスはうんざりした。
いつまでこんな逃亡が続くのか――とは、恐くて訊けなかった。
エルビスは焼きそばパンとコロッケパンを、オルタナティヴは揚げパンとあんパンを選んだ。
空腹だったので味わう余裕もなく、エルビスはあっという間に平らげた。
コーヒー牛乳を飲みながら、オルタナティヴを見る。
黒髪をポニーテールにまとめた少女は、幸せそうに揚げパンをかじっていた。こんな危険な状態だというのに、どうしてそんな表情ができるのだろうか、と疑問に思った。
「なによ?」
「いや、なんだか美味しそうに食べているな、って」
「王子様にはこんな食事では不満かしらね」
「こんな食事……か」
「高級レストランで最高のシェフが腕を振るったコース料理。給仕する使用人達。それが貴方にとっての食事なんでしょう?」
どこか挑発的な言葉。エルビスは否定できなかった。
よもや、こんな場所でこんな風にこんな物を食する――など、つい半日前には想像もしていなかった。このニホンに来てからも、食事については妥協しなかった。
彼女は再び揚げパンに集中した。
こんな形で会話が終わるのも寂しかったので、エルビスは訊いてみた。
「君にとっての食事は、これが常なのかい?」
オルタナティヴというコードネーム以外に、何も知らされていなかった。
一流のネゴシエーターであり凄腕の『何でも屋』だと、フレアに紹介されただけだ。
問いに対し、オルタナティヴは揚げパンを小ぶりの唇から離した。
少女は目を細めて遠くを――のぼり始めている朝日を、眩しそうに眺めた。
「時には自炊。時には外食。そして今みたいに、パンとコーヒー牛乳って時もある」
「それって、ずっと?」
それはエルビスの知らない世界だ。今までは少しの関心すら払わなかった他人事だった。
彼女はいつから『何でも屋』をやっているのだろうか。そして家族は?
「つい最近からよ。この仕事も実は二軒目だし」
「二軒目?」
「初仕事は師事した相手についていっただけだから、今回が事実上の初仕事ね。色々と試行錯誤しているし、まだ不安定な部分も多い。完全に心の整理もついていない」
思いがけない告白に、エルビスは唖然となった。
彼女のキャリアもそうだが、なによりも……
「その前は?」
「いわゆる大金持ちのお坊ちゃんってヤツかしらね」
「じゃあ君はその生活を棄てたのか」
「ええ。何もかも。人生どころか、この世界においての存在そのものさえ」
「どうして――」
「だって」と、オルタナティヴは強めの口調でエルビスの言葉を遮り、
「――夢だった。こうして自由気ままに、揚げパンとコーヒー牛乳で食事を摂るのが」
謳うような台詞だった。
彼女は最後の一切れを口に放り込んだ。そして紙パックの中身を一気に吸い込む。
「無駄話が過ぎたようね」
「ねえ、君が棄てた生活って、やっぱり不満だったから?」
エルビスもそうだった。
だから変えようとしたのだ。しかしそれを自力ではなく、他人のお膳立てに乗るという最低の手段で行おうとした。そして現状を招いた。
「しがらみだらけで自由のない生活だった。食事は、そう、高級レストランで最高のシェフが腕を振るったコース料理か、厳格な両親と大人しい妹と食する和食だけ。周囲にも取り巻きが群がろうして、容易に一人になる事さえできない。欲しくもない義務や期待だらけ。こんな風に揚げパンやジャンクフードを公園で食べることが許されない、そんな人生だった」
少女の声には苦渋が滲んでいた。
自分とは正反対の望みに、エルビスは不思議と胸を打たれた。
そして気が付いた。オルタナティヴのように自由を望むという夢を持たなかったという事は、すなわち自分は周囲に自由を与えられていたのだと。
「本来の心の在り方と、実在していたアタシは全てが乖離していた。それは――地獄だった」
そこでオルタナティヴは慌てて言葉を止めた。
しまった、とその表情が物語っている。
エルビスは追及するのを止めた。
「僕にはよく分からないけれど、こうして食べるパンも美味しいって、それは分かったよ」
オルタナティヴは微笑んだ。
「そう。ならば個人的にお前を助けた甲斐があったというものだわ」
透明で、どこか儚い綺麗な表情。
これがエルビスが初めて目にした彼女の笑顔だった。
頬が熱を持つのを誤魔化すために、顔を逸らした。
…
夜が明けてから、アリーシアはフレアに連れられ、ある場所へ来訪していた。
現在、アリーシアが着ているのは学生制服ではない。フレアに「この国の通貨で百万程度の安物だけど今はこれで妥協しなさい」と、押しつけられたドレスを着ている。
血のような鮮烈な赤地に黒と金のラインが入っている、豪奢なドレスだ。
これからはTPOによっては、王女としての正装が求められるから、と云われていた。王家としての礼式も一夜漬けで叩き込まれていた。
従者として帯同しているフレアは、新品のビジネススーツ姿だ。
「いい? ちょっとでも台本から外れたら――」
「分かってるわ」
念を押すフレアに、アリーシアは神妙に頷いた。
締里を人質にとられていた。
意識を回復していない彼女の安否は、スマートフォンでのライブ映像を信じるしかない。
それにこうなったらファン王国の姫として振る舞うしかない。自分自身も政治的判断を下す必要性に迫られている、という自覚はあった。一国の姫という立場である以上、ただの人質ではなく、これからの発言と態度には相応の影響と責任が降りかかってくる。
二人は、広々とした応接間に丁重に通された。
そしてアポイントをとりつけてある相手がやってきた。
「お初にお目に掛かります、アリーシア姫様」
やや恰幅が良すぎる感のある中年男性が、朗らかな笑顔を携えて歩み寄ってきた。
彼の名は――堂桜栄護。
堂桜財閥のナンバー2、と評されている重鎮だった。
挨拶と即席で仕込まれた型式通りの礼を終えたアリーシアは、黙しているしかなかった。
目の前のお茶に口をつける気にもならない。
対面に座ったフレアと栄護は今後についての約束事を交わしていく。
栄護に救援を求めたいが、それは締里の命と引き替えになる。決断を下せないでいた。
約束事を要約すると。
基本的にこの会談はアレステア王子不在の為に、非公式とする。
この会談はアレステア王子の為である。
オルタナティヴと名乗る【エルメ・サイア】の幹部が王子を奪取したので、栄護が追っ手を差し伸べて、始末する。なおフレアも【黒服】部隊を戦力として提供する。
最後に【エルメ・サイア】の脅威からアリーシア姫を護る為、フレアと共に国外脱出するので、その手続きを極秘に行う。
「……救出した王子については【黒服】部隊に身柄を預けて下さい」
「全力を尽くさせて頂きます。アリーシア姫と王子の為に」
二人は握手を交わした。
アリーシアは絶望的な気分になった。
騙されている。栄護は【エルメ・サイア】の幹部の手の平で踊らされている――
…
フレアとアリーシアが退出し、栄護は肩を竦めて苦笑した。
「あちらさんも色々と大変そうだな」
葉巻に火を付け、大きく煙を吸い込んだ。
「……まあ、せいぜい手筈は整えてやるから、どうか無事に【エルメ・サイア】まで姫様を届けてくれよ、幹部サン」
栄護としても堂桜の血族として【エルメ・サイア】と繋がっているとアリーシアに知られる訳にはいかなかった。だからこそ、わざわざアリーシアの前で芝居を打ったのだ。約束を交わすだけならば、アリーシアが不在でも障害はない。だが、今後の布石としてアリーシアを噛ませておく意味は充分にあった。
利害は一致している。
今回の件で【エルメ・サイア】と栄護のコネクションは確固たるものになったが、可能ならば、そのままあの女を窓口にしたかった。
ノックを略して、ドアが乱暴に蹴り開けられた。
このように入室する者は記憶の限り一人しか該当しないので、栄護は誰何しなかった。
「――来たか、業司朗」
「おぅ。ワザワザ呼びつけに応じてやったぜ、叔父貴ぃ」
好戦的な笑みを浮かべる二十代後半の男性は、名を乱条業司朗という。
栄護が飼っている堂桜の傍系だ。
二メートル近い長身に、肩幅の広い逆三角形の体格。そして陰影のついた筋肉の塊。無駄に太くなく、ウェストが引き締まっている肉体の重量は百キロ前後。
筋骨逞しい上半身は裸で、素肌の上にファー付きの革ジャンを羽織っている。
炎のように逆立った髪型は、獣のような業司朗の顔つきにマッチしていた。
「例の女については知っているな?」
「それって【エルメ・サイア】の幹部だとかいう堂桜に喧嘩売っている女だろ」
「そうだ」
「魔術強化してないってのに、トンデモな身体能力だってな。ドーピングかサイバネティクス強化でもやっているんだろうな」
「お前と同様に――な」
両方ともに違法で、特にサイバネティクスによる肉体改造は、著しく寿命を縮める。職業戦闘者でもサイバネティクス強化を施行する者は皆無に近い。かの【ブラック・メンズ】であっても、サイバネティクス強化にまで手を染めている者は、ごく僅かであった。
業司郎は力こぶを作った自らの二の腕を自慢げに見つめた。
「まぁなぁ。統護の身体みたいにオカルトってわけじゃないだろうしな」
「その統護ともいずれは戦わせてやるが、今回は違う」
「ということは、今回は例の女と?」
ニヤニヤと笑む業司朗に、栄護は告げた。
「ああ。殺していいぞ。後始末はいつも通り俺が引き受ける」
その言葉に業司朗は目を輝かせた。
「マジかよ! 待っていたぜ、その言葉。でもいいのか、ホントにぶっ殺しちまって」
いくら戦闘狂とはいえ、殺人までは安易に行えない。証拠隠滅や遺族への示談に莫大な費用と手間がかかるからだ。
舌なめずりして興奮する業司朗に、おおよその情報を与えた。
「王子については【黒服】どもに任せてしまえばいい。そういう約束になっている」
彼は秘密裏に殺されるのだろうな、と栄護は予想していた。
【エルメ・サイア】とのコネができた以上、栄護にとってもアレステア王子は不必要だ。そして、それはアリーシア姫を手に入れたフレアにとっても同じはずだ。
栄護としては【ブラック・メンズ】にアレステア王子を譲渡した形跡を消すのに、全力を尽くすだけだ。
失敗した場合は――業司朗を切り捨てればいい。
それに、あくまで栄護はフレアに騙されている、という体裁をとっている。たとえ業司朗が敗北しようと大した損害はなかった。あくまで約束を守る事が肝要なのだ。
「くくくくく。感謝するぜぇ叔父貴。絶対に期待に応えてやるからよ!」
栄護は苦笑する。
扱いに手を焼いているが、この粗暴な男はこんな時の為に飼っているのだ。
オツムの出来は残念で、常識や品格も欠落しているが、戦闘能力だけは確かだ。堂桜一族が抱えている【ソーサラー】でも間違いなくトップクラスの実力だ。栄護が非公式に使用可能な戦力としては、現時点で随一でもある。
「うっし! それじゃあ、行ってくるぜ!」
「任せたぞ。すでに追跡済みだ」
栄護はほくそ笑む。
あのオルタナティヴという少女。
統護に比肩する驚異的な身体能力はドーピングやサイバネティクス強化ではない。そして、現在まで彼女が【魔導機術】を使用した記録もない。加えて、彼女が行った堂桜に対するテロ行為であるが――死者がゼロなのだ。偶然ではなく、間違いなく意図して殺していない。
集めた情報から推測すると、ひょっとしたら、ひょっとする。
意気揚々と大股で出発した業司朗の背中を見送りながら、栄護は考える。
あの少女に【エルメ・サイア】としての濡れ衣を被せ、テロ関連について双子の弟を糾弾する……というシナリオなど関係なかった。
オルタナティヴの死を報された時の宗護の表情を想像すると――
「ははははははははは!」
せり上がってくる哄笑を堪えることはできなかった。
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