魔導世界の不適合者
作者:真中文々
第一話『隠れ姫』 (Episode01 『INVISIBLE・PRINCESS』)
第一話 第三章 それぞれの選択 7
7
アリーシアは孤児院【光の里】の庭に出ていた。
隣には淡雪と締里がいる。
仰ぐと、雲による濁りのない綺麗な星空だ。
「……あと二十分でリミットの二時間になりますね」
淡雪の心配を、アリーシアは静かに否定した。
「大丈夫。ちゃんと統護は帰ってくる」
「当たり前です」
アリーシアの誤解を、淡雪は不本意そうに否定しかえす。
「お兄様は誰にも負けません。わたしが案じているのは、お兄様が黎八さんと和解した後に、約束の時間を忘れて遊び回っているのでは。という事です」
「そっか。なら私は遅刻を許す」
「もちろんわたしだって。わたしは不寛容な女のつもりはありません」
二人の言い合いに、締里はため息をついた。
締里としては『お腹一杯のやり取り』であり『いつ飽きるのだろう』と疑問が絶えない。
淡雪とアリーシアの言葉が止まり、締里はアリーシアの横顔を注視する。
アリーシアの目は、孤児院に釘付けであった。
「ファンの若き姫君よ。貴女様はなにを想い、その景色を目に焼き付けているのか」
問われ、アリーシアは締里を見る。
締里の顔はどこか悲壮であった。
硬い口調で彼女は語り始める。
「私と弟は、ニホン人ではなく日系ロシア人なのです。連邦内の某共和国で起こった紛争で親を失い――流れ流れて少年兵士となり、連邦内の闘いに身を置いている内、ファン王家の特務部隊にスカウトされた。いや、拾ってもらったといっていい。ファン王家のお陰でニホン国籍を有す事も叶った。むろんファン王国の民としての誇りも棄ててはいない」
「国籍……か」
「私の祖国の国籍はすでに死亡扱いされている。だから私の国籍はファン王国とニホンとの二つになるが、すでに成人後はニホン国籍を選択することを決めている」
「私は……」
アリーシアはすでに聞かされている。
彼女も『姫皇路アリーシア』というニホン国籍だけではなく、ファン王家の『アリーシア・ファン・姫皇路』としてのファン国籍も所有していると。
ニホンとファン王国は互いに親善国として認識している。異国人の血が混じっているとはいえど、その血がヤマト由来のものならば、ファン国民の大半は歓迎するだろう。
淡雪は静かな瞳で、アリーシアと締里の会話を聞いていた。
「王家に忠義を誓ったファンの国民として、私は貴女様に確認したい。異母兄君に面談して、貴女様はなにを伝えるつもりなのか」
即答せずに、アリーシアは大きく伸びをした。
その仕草を締里は真剣な目で見守り、返答を待った。
充分に間をとってから、アリーシアは晴れやかな笑顔を締里へ向けた。
「……うん。兄さんが王位に就けないのなら、将来は私がファン王国を継ぐからって」
その言葉に、締里は息を飲み、淡雪は悲しそうに口元を緩めた。
アリーシアは淡々と決意を語った。
「どうして私が孤児としてニホンに託されたんだろうって、ずっと考えていた。本当の安寧を与えたいんだったら、お父さん――いえ、父王は育ての親を与えて普通の家庭に入れていたと、そう思った。そういう一般家庭の女の子だったら、きっと今までがいいと泣き喚いていただけか、それともお姫様という立場と権利だけに目がいっていただけだと思う。おそらくは、あの異母兄と同じようになっていた」
「姫様」
「私は幼い頃から戦ってきた。ずっと戦っていた。身寄りのない孤児という立場じゃなくて、いわれのない差別と理不尽に対して。そして守り合ってきたの。この孤児院【光の里】という大切な居場所――家族と一緒に。でもね、この孤児院だって、誰かが私たち孤児に与えてくれたものだから。ゼロから孤児だけで作れたわけじゃないから。だから――」
アリーシアは締里に誓った。
「我が臣下、楯四万締里。この時より私は姫皇路アリーシアではなく、アリーシア・ファン・姫皇路と名乗ります。ファン王家の血を受けた義務を果たし、今度は私がこのニホンとファン王国、あるいはもっと広い世界に対し、孤児院を与える側になります。そして理不尽をなくす為の戦いも始めます。我が人生を賭して」
与えられる側の無力さと、虐げられても抗う強さを知る少女は、いま与える側の力と義務をその手に選択した。
締里はアリーシアの足下に片膝をついて、頭を垂れた。
「もとよりこの命と運命――姫様に捧げるようにと命じられていました。しかし、この瞬間から、自分自身の意志で貴女様を主とします。我が君主、アリーシア姫」
厳かな主従の誓いが、満天の星空の下で果たされた。
…
今日も放課後はペナルティーとしての教室掃除であった。
統護、史基、美弥子の三人は魔術を用いない手作業で掃除を行っていく。
明日は土曜日。ようやく休日になり二日ばかり掃除をしなくても済むわけだが、期間はカレンダーの月が変わるまで、と正式決定されていた。つまりまだ先は長い。
「……なあ、統護」
せっせと机を運ぶ統護に、珍しく史基が話し掛けてきた。とはいっても、以前とは違い手は止めていない。
「なんだ?」
「お前、やっぱ変わったわ」
思わず統護は足を止めて、史基を見た。
史基は統護を見ておらず、黒板を拭いていた。
「前のお前は、なんつーか全てを拒絶していたっていうか……、あれだ、俺達だけじゃなくて自分自身を否定していたっていうか、ホント、張っている壁がムカついた。家柄とか才能とかそれを壁に使っていたって感じか? 俺はお前等とは違うんだ、って」
「そうか」
心当たりはあった。
「でも今のお前は、前とは違う方向性でムカついても、まあ、前よりはマシだ」
「ありがとな、史基」
史基がもの凄い勢いで振り返った。
「そういうところ、お前、本当に変わったっての!」
「ああ。俺もそう思う」
統護はしみじみと自分の言葉を噛み締めた。だからこそ『元の堂桜統護』はどうなのだろうか――と、気にもなっていた。自分は変わり始めている。じゃあ、換わったお前は?
ぱんぱん、と手を叩く音。
いつの間にか掃除の手が止まっていた二人に、美弥子が注意した。
「二人とも、センセばっかり働かせないでください」
急かされて二人は掃除を再開した。
美弥子は言った。
「この学園の教師としては、以前の堂桜統護の方を評価せざるを得ませんけど、センセ個人としては、今の統護くんの方が好ましいですよ」
ちょっと頬が染まっていた。
遠慮がちの声だったせいか統護には届いていなかったようで、反応はなかった。
美弥子は頬を膨らませた。
…
今日の戦闘訓練は中止であった。
アリーシアは、異母兄がけしかけてくる【黒服】集団と交渉にのぞむつもりだ。
「交渉のテーブルとしては、ちょっと大き過ぎかも」
そう言って校舎の屋上を見回す。
初日以外では異母兄と側近の女性【ソーサラー】は姿をみせていない。
校舎の影に控えている羽狩にも、アリーシアの意図は伝えてある。今日は戦闘にはならないはずだ。そのことを、羽狩は悔しがっていた。彼なりに経験値を積んでいたのだろう。
そして今日も、昨日と同じ時刻だった。
戦闘装束――【黒服】を装備した魔術師の一個部隊――五名が現れた。
裏社会ではその装備から【ブラック・メンズ】とも通称されている、魔術戦闘のプロフェッショナル集団。
彼等は【エルメ・サイア】とは異なり、基本的に金銭でのみ契約を果たす傭兵だ。
臆すことなくアリーシアは声を張り上げた。
「今日は抵抗する意志はありません。貴方達の中で、隊長格は誰?」
扇状に並んでいる五名の外見は酷似しており、個別での認識が困難なほどだ。
しかし、一名の【ブラック・メンズ】が一歩前に出た。
「私が部隊長だ。話を聞こうか《インビジブル・プリンセス》」
「兄の要望に従い、話し合いの場を持とうと決意しました」
「その場とは?」
「そちらが指定する場ならば、私は護衛を連れて行きます。こちらが指定する場に応じるのならば、フレアと名乗った側近の帯同を認めます」
「……会談の趣旨は?」
「兄に、直接話します」
リーダー格の【ブラック・メンズ】は言った。
「つまり、貴女は王子に代わってファン王国を継承する覚悟を固めた――のですね」
その言葉と同時に、【黒服】部隊は一斉に襲撃を開始した。
予想外の展開にアリーシアは固まった。
アリーシアに【ブラック・メンズ】達の攻撃用【魔導機術】――雷の閃光が襲いかかる。
ガガガガガッガガアアッ、ン!
音が鳴り終わっても、アリーシアは無事であった。
半透明な白い壁に雷撃は遮断されていた。
淡雪が誇る【雪】の防御魔術――《ダイヤモンド・インターセプト》だ。
「貴方達、どうして」
轟々と唸る雪を操る黒髪の少女の怒りに、リーダー格の男はビジネスライクに答えた。
「王位継承権を放棄するのならば応じる。それ以外の場合は抹殺して欲しい、との依頼だ」
愕然となるアリーシア。
五名の【ブラック・メンズ】は意識をリンクさせると、屋上全体をドーム状に覆う【結界】を形成した。
今までは【結界】など使用しなかった。
つまり――前回まではあくまで牽制で、今回は本気で殺しにくる、という事だ。
「逃げ場はありません。貴女が王位継承権を放棄して兄君の意志に従うというのならば、命は助けるように、との依頼も受けています。さて、どうしますか?」
その脅迫にアリーシアは……
「――《ショットガン・フレイム》!」
ズガガガガガガガガガガガ!
数日前とは桁違いの精度と威力を誇る炎の散弾をもって、回答とした。
赤毛の少女の成長を証明する【魔導機術】は、しかしプロの戦闘集団には通じなかった。
以前のアリーシアならば、それで気勢を削がれていただろう。だが――今の彼女は違った。
敵陣形と自身の相対位置を考慮しながら駆け出し、二撃目の準備に入っていた。
緋色に煌めく炎の爆撃と、黄金色に輝く雷の轟きが交差した。
ほんの一時とはいえ、どうにかアリーシアは戦っている。
均衡が崩れ【ブラック・メンズ】に屈するまでに、そう時間はかからないだろう。
淡雪はアリーシアの奮闘を目にし、感嘆し、自身がフリーになったこの時間を有用する決意を固めた。
封印を――解除する。
すなわち、堂桜一族のみに可能な特権――【スーパーユーザー】認証で魔術を行使する。
通常、魔術師が専用【DVIS】によって【魔導機術】を行使する時、【DVIS】を介して軌道衛星【ウルティマ】へとログインして高次元電脳世界へと精神接続する。
だが、魔術師の意識内に電脳世界を展開させる事が可能なのは、実は【ウルティマ】だけではないのだ。
魔術師がオリジナルの【魔導機術】を使用する際に必要となる外部演算領域が、【ウルティマ】に搭載されている超次元量子スーパーコンピュータ【アルテミス】というだけなので、仮に同等の演算機能とプラットフォームを備えている機構ならば、理論上は代替可能だ。
とはいっても、現実として基本的に一般ユーザーは【ウルティマ】へのIDしか専用【DVIS】に登録されていない。
しかし【魔導機術】の起動を可能とする演算機能とプラットフォームを備えている機構は、【ウルティマ】に搭載されている【アルテミス】だけではない。
少なくとも他に五つは存在が確認されている。
うち三つは違法ログインによって行使される【アンノゥン】と呼ばれてる接続経路。この三つの接続先となる軌道衛星は、未だに特定されていない。
残りの二つは堂桜財閥が管理しているサブ経路。
当然ながらシステム運用として必須となる、【ウルティマ】がダウンした時や、【ウルティマ】のメンテナンス時に代用する七つのサブ衛星群――【スターアース】が一つ。
そして――
「スーパーACT」
淡雪がスーパーユーザーとしての認証ワードを呟き、彼女の専用【DVIS】であるペンダントの飾り部が、声紋認識を行い、堂桜一族でもごく限られた者にしか経由できない接続先へとアクセスを試みる。
アクセス先は通常時の【ウルティマ】ではなく、堂桜那々呼の血脈が開発・管理しているステルス型軌道衛星――【ラグナローク】だ。
世界中から【魔導機術】使用のログインによって、常時、約二億五千万以上アクセスされている【ウルティマ】とは異なり、この【ラグナローク】は堂桜家の人間が【魔導機術】を行使する為だけに存在している。
封印解除の為に、淡雪は現在の状況をコード化して転送した。
アリーシア姫を護る必要性。
封印解除して戦っても【結界】があるので、周囲への存在が少ない事。
最後に【ブラック・メンズ】達という強敵の存在。
これらを総合判断し、勝利条件を得る為には封印解除が必要だと申請する。
瞬時に認証がおり、淡雪の封印が解除された。
二つの軌道衛星【ウルティマ】と【ラグナローク】が、淡雪の為に一般ユーザーが通常時に使用可能な領域の、実に二百五十五倍という演算リソースを臨時確保し、かつ量子的に同調してサポートしつつ並列演算を開始した。
「――《シャイニング・ブリザード》」
淡雪が呟いた瞬間が皮切りだった。
っごぉぉおおぉおおおぉおぉおおおおぉおぉおおおお。
空間を蹂躙するように空気がうねった。
白銀の輝きがランダムに乱舞する。
絶対零度に近い雪結晶の吹雪が、淡雪を中心として爆発的に発生した。
その冷気の余波を受け、ドーム状の【結界】がギシギシと音を立てずに軋みあがる。
アリーシアと締里は無事だが、【ブラック・メンズ】達は物質の分子運動を押さえつける超低温により、その動きを縫い止められた。彼等の戦闘装束に備わっている耐魔機能と、雷による防御コーディング、なにより淡雪の手加減がなければ、瞬時に氷付けになって砕けていただろう。
これが、淡雪が封印解除した時の【基本形態】だ。
攻撃魔術ではない。
しかし顕現させただけで、彼女がその気になれば半径二キロ以内を絶対零度と化して、耐魔性能を持たない物質の分子運動を停止させる事さえ可能な、禁断の力であった。
幻想的かつ圧倒的な光景にアリーシアは目を丸くし、呆然となっていた。
雪女と化した美しき少女は、ゆっくりと右の掌を標的へと向けた。
「これでとどめです」
淡雪の前に、氷の槍が八本、創り出された。
殺しはしない。ただ【ソーサラー】としては再起不能になってもらう、と淡雪はつき出している右腕を振り下ろそうと――
ガン、という銃声がそれを遮った。
淡雪の身体が、前のめりに倒れ込んだ。
背中から彼女を撃ったのは――締里であった。
施術者が倒れ、【結界】を軋ませていた幻想的な猛吹雪は、幻のように消えた。
「悪いわね、淡雪。貴女のそれは予定外だから」
淡雪を見下ろし、締里は冷酷に言った。
倒れたまま動かない淡雪を見て、アリーシアが絶叫した。
「あ、、あぁ、あわゆきぃいいいいいぃいいいいいい~~~~~~~~~~~っ!」
涙に塗れたその声は【結界】に阻まれ、統護には届かない――
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