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魔導世界の不適合者 作者:真中文々

第一話『隠れ姫』  (Episode01 『INVISIBLE・PRINCESS』)

第一話 第三章  それぞれの選択 4

         4

 学校の屋上での、異母兄との邂逅から三日が過ぎていた。
 アリーシアは一日一度ずつ【黒服】を装備した【ソーサラー】達の襲撃を受けた。
 時間帯は決まっていた。放課後の訓練の時間だ。
 エルビスとフレアは姿をみせず、相似形のような黒い男性達だけだった。
 淡雪と締里が撃退した。
 校庭では羽狩が彼等と戦っていた。
 形の上では退けている。
 しかしアリーシアにさえ分かっていた。彼等は本気でアリーシアを捉えにきたのではなく、自分達に損害がでない範囲で牽制しにきているだけだと。
 精神的に追い詰めにきているのだ。
 そしてアリーシアの心境は確実に変化していた。
 また後日、というエルビスの言葉が、アリーシアの脳内でリフレインしていた。
「はぁ……」
 湯船の中で膝を抱え、鼻先まで沈み込んだ。水面にぶくぶくと泡が浮かぶ。
 会いたかった。
 もう一度、異母兄に会って、色々と話をしたかった。
 のぼせそうになったので、アリーシアは風呂から上がることにした。
【光の里】の風呂場はそれほど広くはない。一般家庭の三倍ほどで、一度に入れるのは五人が限界といったところか。
 時刻は午後九時。それが利用時間のリミットだ。今日はアリーシアが最後なので、この後、風呂掃除当番の子に報せる必要があった。

「――どうぞ、ご主人様」

 聞き覚えのある声――ルシアの声色が、脱衣所から聞こえた。
 そういえば今日はまだ帰っていなかったな、とアリーシアは思い出す。と、同時に。
(ご主人様?)
 アリーシアの頬が引き攣った。
 ストップの声は間に合わず、風呂場と脱衣所を仕切る曇りガラスのドアがスライドした。
 タオルを腰に巻いた統護と濃紺のスクール水着をきたルシアが入ってきた。

 なぜ……スクール水着?

 思わずアリーシアの意識がそちらにもっていかれる。豊満な胸に引っ張られている布地には平仮名で『るしあ』と記された名札が縫い付けられていた。
「おい、ルシア。先客がいるぞ」
 と、冷静に言いつつ回れ右をしない統護に、アリーシアは突っ込みを入れた。
「いやいやいや。その前にどうして統護はルシアとお風呂に?」
「どうしても背中を流したいっていうから、その、断れなくてさ。水着を着用するという条件で妥協したんだよ」
「凄いマニアックな水着なんだけど」
「俺もビックリした」
「……で、私も入浴中なですけど」
「悪かった。目を瞑るから出て行ってくれ」
 言葉通りに統護は目を閉じた。
 そんな統護と、さも当然といった態で横にいるルシアを、アリーシアは半白眼で見比べた。
「どうした? 覗いたりしないから早くしてくれ。ぶっちゃけ寒い」
 かちん、ときた。
「私まだ入っているから、よかったらご一緒にどうぞ」
「いや、どうぞっていわれても」
 統護は目を瞑ったまま戸惑っていた。
「仕方ありません。一緒に入りましょう、ご主人様」
「おい! どうしてそうなる!?」
「って、どうしてスク水を脱ぎ始めるのよ!?」
「脱いでいるのか!?」
「嬉しそうよ!? 統護!」
「ワタシだけ衣類を着用しての入浴は不公平ですので」
 紺色の布地を取り去り、雪のように白い肌を全て晒したルシアは、依然として目を瞑ったままの統護の手をとった。統護を誘導して、共に湯船に入った。
 瞬時にアリーシアはルシアのプロボーションを吟味する。グラマラスでメリハリのある肢体であるが、自分とて決して劣っているわけではない、と判断した。
「ちょっと。身体を洗ってから入りなさい」
 不思議と真ん中がルシアなのが気に入らなかった。
「そうだな」
 統護は湯船から出て、手探りで風呂桶を探して、腰をおろした。
「危ないから目を開けたら? 足下滑るし」
「遠慮しておく。色々と大惨事になりそうだから」
 統護は股間を隠していた。ついアリーシアの視線もソコに行きがちになる。
「ご主人様。お背中を流しましょう」
「いいわよ。私がやるから。ルシアはそのまま温まっていなさい」
 二人の反応を待たずに、アリーシアは湯船から出た。のぼせそうだったので、湯船から出るだけで随分と楽になった。
 アリーシアは統護の背中を流し始めた。
「こういった場面だと、淡雪さんが乱入してきそうだけど」
「俺もありそうなオチだと思うが、生憎とアイツは本家の召集されている」
「統護はいいの?」
「今の俺は次期当主じゃないし、アリーシアの護衛もある」
「そうね」と、アリーシアは声色を落とした。
 再び思い出した。一時でも忘れたかった現実を。
 服の上からでは判らなかった、想像よりも筋肉がのっている逞しい背中を、スポンジで擦りながらアリーシアは訊いた。
「統護はさ、……堂桜財閥の跡取りって立場を、どう受け止めているの?」
 目の前の背中が、ピクリと動いた。
 馬鹿げた事を口にした、とアリーシアは後悔した。
 堂桜統護はサラブレッドだ。産まれた時からその環境に身を置き、それが当然で立場に相応しい能力と才能を誇っていた。
 今の統護は【DVIS】を扱えない状態だが、それも一過性でいずれは元に戻るだろう。
 なによりも魔術を失っても、代替的に超人的な肉体能力を得て、そして美弥子との戦闘で、彼の才覚がいささかも輝きを失っていない事を証明してみせた。
 校舎の屋上で、ただ護られているだけの自分とは、根本的に違うのだ――

「分からないよ、俺にも」

 想像もできなかった、統護の弱々しい声色だった。
 いや、困った声というべきか。
「参った。まさか統護がそんな事を言うなんて」
「俺は、かつての俺とは違う。色々と違うんだ。けれど、どうしていいのか、迷っている」
 スポンジを擦る手が止まった。
 同じだ。
 唐突にアリーシアは直感した。
 彼が自分を見る目が変わったと感じた原因は――きっと、自分と同じ弱さと戦っているからなんだ。そして、きっとそれがスタートライン。
「同じだよ。私も、迷っている」
 気が緩んだ。
 そして意識が遠のいていく。

 ああ、かんぜんに、のぼせているな、わたし。

 統護の背に倒れ込んでいくアリーシアは、せめてものアピールに胸を押し当てた。
 将来に対する答えは、まだ出ていないけれども。
 統護への気持ちに対する答えは、出ていた。

         …

 淡雪はここ一番という時には、白地に銀色の雪兎が描かれている着物を選んでいた。
 いま彼女はその紬を纏っている。
 午後の八時。彼女は堂桜財閥後継者候補筆頭として、一族会議に出席していた。
 場所は【堂桜エンジニアリング・グループ】を統括している中枢企業【堂桜コンツェルン】の本社ビルの最上階――ではく、最下層の地下五階であった。
 此処は地下シェルターでもあり、世界で最も安全な場所だと、一族は自負していた。
 一般には地下四階までしかないとされているが、堂桜の姓をもつ者でも限られた者しかその存在を知らない、選ばれし者達――総勢四十三名の為の場所であった。
 三十分前までは、和やかな食事会であった。
 振るわれた懐石料理に、内壁を覆っているスクリーンに映し出される美しい景色。
 血族の絆を深める為の極上の刻だった。
 しかし今、テーブルに載っているのは美味な料理ではなく、後に焼却処理される紙の資料の束であり、スクリーンに表示されているのはグラフと数値と顔写真と――戦闘映像だ。

「……以上の経緯をもちまして、《隠れ姫君》は自身の出生を知る事となりました」

 淡雪は報告を終え、深々と頭を下げた。
 この場にいる者ならば、とうに得ている情報であるが、それでも改めて嘆息する者も少なからずいた。
 アリーシア・ファン・姫皇路を指す隠語である《隠れ姫君》は、転じてそのままファン王国王族との契約を果たす為のプロジェクト名にもなっている。
 分家序列四位の堂桜定充が、淡雪に質問した。
「今日も含めて都合四度、【エルメ・サイア】との戦闘を行っているが、その事に関して姫様の精神状態は大丈夫なのか?」
「お兄様が傍についていますので、大丈夫かと」
「ヤツのような冷血な人間嫌いに人の心のケアなど務まるのか?」
 五十路を越えた貫禄のある大叔父に対し、淡雪は声を荒げた。
「今のお兄様は、冷血でも人間嫌いでもありません! それにっ」
 それに――以前の元のお兄様だって、という言葉は辛うじて飲み込んだ。
「落ち着け、淡雪」
 本家当主として宗護が次期当主を窘めた。
「統護に対する再評価は、一族内でも真っ二つに分かれている。だが今はそれが重要な時ではない。《隠れ姫君》計画に予想外のファクターが加わり、一族にとっても危機なのだ」
 スクリーンの映像が切り替わった。

 場面は、オルタナティヴと名乗る少女を中心とした、堂桜一族への強襲シーンの数々だ。

 都合、三度もグループ企業がテロに遭っていた。
 万全の防衛体制を敷いていたはずだが、オルタナティヴの前には通用しなかった。
 いや、万全というよりも、高をくくって油断していた分家がピンポイントで狙われていた。
 死者はゼロだ。
 しかし軽傷者もゼロで、重傷者と重体者の山であった。
 幸運でも奇蹟でもなくオルタナティヴは、狙ってそういった結果を演出したのは明白だ。
「――我が一族は【エルメ・サイア】にテロを受けている」
 損害は莫大であった。
 経済的な損害ならば【堂桜エンジニアリング・グループ】の規模からすれば、微々たるものといっていい段階だ。
 莫大な損害といえるのは、人材的な意味合いであった。
 なまじ重要人物が死亡していないだけに、次の人事体制が各企業内のパワーゲームによって揺られ、不安定な暫定処置を強いられていた。
 次々とさざ波のように怯えた声色があがっていく。
「このオルタナティヴと名乗る少女が、【エルメ・サイア】の幹部なのか?」
「コードネーム持ちだというから、妥当なのでは」
「いや。こちらの情報網によると『コードネーム持ち』は、雷に関するものらしいぞ」
「その情報、隠していたな」
「違う。この場で公表する予定だった。なにしろ一族内に伝達するには不確かな情報なんだ」
「オルタナティヴは魔術を使用せずに属性を隠している。当たりではないか」
 統制が取れなくなった言葉の数々に、宗護が鋭く一喝した。
「一同、静かに!」
 威厳ある一言が響き、場の雑音は綺麗に一掃された。
「みっともなく狼狽えるな。それこそが【エルメ・サイア】の狙いだとなぜ分からん」
 静まり返った場は、秩序を取り戻した――かのように思えた。
 それを否定する怒声が轟いた。
「果たしてそうかな!」
 その声の主は、堂桜一族のナンバー2にして、宗護の兄である栄護であった。
 現当主の双子の兄にして、後継者争いに敗れ二番手に甘んじている壮年の男は、顔を赫怒に染めて、双子の弟を糾弾した。
「お前がオルタナティヴとかいう女に極秘接触した、という情報も入っているのだぞ!? それだけではなく、ファン王国の王と密約を交わしている、という可能性さえも」
「何が言いたい、兄者」
 双子とはいっても二卵性双生児であり、見る者に与える印象は正反対である。
 その二人が、鋭い視線をぶつけ合った。
「簡単だ。お前が【エルメ・サイア】と繋がり、堂桜財閥のライバルを【エルメ・サイア】のテロという名目によって消し、ファン王家との密約によってレアメタルの利権を独占しようと、そう目論んでいるに他ならない。――つまり、一族に対する裏切りだ」
 おぉぉ、という呻きが、あちこちから上がった。
 オルタナティヴという少女と【黒服】を装備した一個兵団が示した力は、それほどの脅威と衝撃を重鎮達に植え付けていた。なにしろ財閥と血族がここまでの危機に面した事は、今までなかったのだ。
 なんて莫迦な、と淡雪は歯噛みした。
 道理が通っていない叔父の言い分は、単に感情的に父を陥れたいが為にしか聞こえない。
 だが、場の者の目は、宗護への嫌疑の色を含んでいた。
「くだらない戯言だ」
 宗護は双子の兄を相手にできない、とばかりに苦笑を浮かべた。
 その表情に栄護は激昂する。
「貴様が! ファン王家との関係を独占し! 此度の内乱に一枚噛んでいるのは、一族の誰もが知っている事実だろうがぁ! その証拠にアリーシア姫の件を、貴様の息子と娘が独占しているッ! 否定はさせぬぞ宗護ぉ」
「否定はしないよ、兄者。しかしアリーシア姫の件を淡雪達に任せただだけではなく、一族のファン家への責務として《隠れ姫君》計画として支援体制を整えた」
「しかし手柄は貴様の手中だ。ファン王国のレアメタルの利権と共にな」
 ガン、と栄護は拳を机に叩きつけた。
 そのパフォーマンスを、宗護は冷ややかに見つめていた。
「利権を独占しているのは我が一族の為であり、利益は【堂桜エンジニアリング・グループ】に全て還元している。ファン王家は堂桜本家と懇意であって、企業体としての我が社に対しては、それほど心を許しているわけではないからな」
「詭弁だ、弟よっ!」
 もはや一族会議ではなく、現当主と後継者争いに敗れた男による、双子の兄弟喧嘩の様相を呈していた。
 額に血管を浮かべながら、栄護は弟を睨んでいた。
 双子の弟以外の誰も、その血走った目には入っていなかった。
「いいか。いつまでもお前の好き勝手にはさせないぞ」
 場の空気が緊迫していく。
「ならば、どうするというのだ、兄貴。俺は一族の長として引くつもりはないぞ」
 耳目が、反目する兄弟に集まる――

「この続きは僕に任せてくれるかな?」

 そんな飄々とした声が、会合ホールの入口から聞こえてきた。
 一同の視線が、その声の方向へと移る。
 ただ一人を除き、誰もが驚愕した。
 この場には、堂桜の姓をもつ選ばれし者しか踏み入れる事は許されない――という、不文律が、一族の歴史で初めて破られた瞬間であった。
「アレステア王子……」
 宗護が口にした名は、すでに国民によって王位継承権を事実上剥奪されていた。
 ゆえに彼は、このニホンでエルビスという偽名を使っている。
 反乱の王子の横には、彼と同じくフレアという偽名を使う家庭教師然とした女性がいる。
「やあ。こうして直接顔を合わせるのは、何年振りだろうね、宗護」
「王子とはいえ、どうして此処に?」
 答えは明白であった。
 現体制に反旗を翻して内乱を起こした彼等を、この場に手引きした者は――驚愕の顔の中、得意げににやついているたった一人の男だ。
 その男――栄護は勝ち誇り、言った。
「王子は俺が招いた。お前が現体制派と裏から手を組み、堂桜一族に仇をなすというのならば、俺はアレステア王子と協調する。反体制派が勝利した暁には、お前が独占しているレアメタルの利権、俺がそのまま頂こう。当主の座と一緒にな」
 堂桜へのテロと父は無関係だ、淡雪は叫ぼうとした。
 しかし。
 その寸前に、栄護は宗護とオルタナティヴが共にいる数多の写真を、机上にばらまいた。
 合成画像であるかもと疑ったが、魔術に精通している叔父がそんな小細工をするはずもない。実際に、淡雪は【魔導機術】でアナライズしたが本物だった。
 そんな――と、淡雪の顔が凍りついた。
「俺は堂桜一族を代表して当主の貴様に要求する。現時刻を以て《隠れ姫君》計画を破棄し、アリーシア姫と兄であるアレステア王子に正式な会談の場を提供する事を」
 一族の誰もが、栄護に何も言えなかった。

 助けて、お兄様――

 淡雪の心の叫びは、どちらの兄へのものか、本人にも分からなかった。

         …

 同時刻。
 強化コンクリートのビルの外壁が、まるで発砲スチロールのように砕かれた。
 長い黒髪をポニーテールにまとめた少女――オルタナティヴの一撃によって破壊された。
 この社屋ビルも堂桜財閥が権利を所有している。
【堂桜エンジニアリング・グループ】の傘下企業であったが、堂桜一族が経営する同族会社ではなく、株式の過半数を握っている子会社であった。
「まったく他愛ない」
 この場には、【黒服】を装備した【ソーサラー】達はいなかった。
 警戒されている部下達を引き連れず、少女は身軽な単騎で乗り込んできたのだ。
 まさかテロの標的が堂桜一族以外にも及ぶまい――という裏をかいた。
 まんまと策が嵌まった形だ。
「これで子会社や孫会社との関係もガタガタになるかな」
 彼女の周囲には、瓦礫の山とガラクタになったガードロボと、そして意識を失っている警官と警備員が無秩序に積み重なっていた。
 すでに警備システムは役に立たず、勤務している者は逃げ出していた。
 後は、彼女が好きに破壊し尽くすだけだ。
 死者も負傷者も要らない。ただ彼等の無力さを天下に示してやれば、それで事は足りる。
 もうオルタナティヴを止められる者など此処にはいない――はずだった。

「――君がオルタナティヴか」

 冷静な声と共に、半壊したビルの中から一人の少年が歩み寄ってきた。
 学生制服姿の、堅物そうな雰囲気の男だった。
 彼の姿に、オルタナティヴは切れ長の両目を細めた。
「どうしてお前が此処に?」
 少年――東雲黎八は、眼鏡の眉間の蔓を押し上げながら、さも当然と答えた。
「自主警邏の途中で出くわしただけだ」
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