魔導世界の不適合者
作者:真中文々
第一話『隠れ姫』 (Episode01 『INVISIBLE・PRINCESS』)
第一話 第二章 王位継承権 2
2
朝の四時に、統護は目が覚めていた。
窓越しから差し込む光は、まだ弱々しい。
枕元の小型目覚まし時計は沈黙したままだ。まだアリーシアに教えられていた起床時間には余裕がある。
二度寝はしない。あてがわれた部屋の、見慣れない天井を統護はぼんやりと眺めていた。
就寝初日とはいえ、安っぽい板張り風の天井は、堂桜本家屋敷にある自室の天井よりも落ち着いた。
「……もともと『お兄様』なんて柄じゃないんだよな、俺」
順応する振りで自分を誤魔化してきた。
安月給サラリーマン家庭から、世界的大富豪の御曹司へ。
凡人に毛が生えた程度の隠し芸持ちから、世界最強の超人へ。
そして――一人っ子から妹との二人兄妹へ。
変化が大きすぎる。
目を瞑れば、日本人形のような大和撫子の、綺麗で上品なはにかみが思い浮かぶ。
「お兄ちゃんならともかく、まあ、兄貴って線もあるか」
けれど妹を名乗る美しい少女は『お兄様』と上品な声色で涼やかに呼ぶ。
最初は呼ばれる度にドキリとした。
単語には慣れた。単語というか、音には。
兄弟が欲しい、と願ったことは記憶にない。だから妹ができたらなんて夢想やシミュレーションはした経験がない。
正直、淡雪をただの女の子として意識している自分を否定できなかった。
そもそも妹というモノが、どういったモノかも理解していない。
妹とは、あんな風に特別な好意を兄へと向ける存在なのか。
それとも淡雪が特別なのか。
「アイツにとって兄貴は既存であっても、俺にとって妹は未曾有で未知なんだよな」
御曹司は受け入れるしかなかった。
世界最強のチカラを得たことは、現状の立場ではむしろ救いであった。
けれど――妹は、受け入れるとか受け入れないとかいう話ではない。
「俺はちゃんとアイツの兄貴になれるんだろうか?」
淡雪との約束を果たせないのは、もう分かっていた。
この世界での『堂桜統護という存在』は、すでに自分一人に集積されている。それを知るイベントがあった。だから淡雪の願いはもう永遠に叶わない。
流石に今は打ち明けられる心境ではない。
元の堂桜統護として代わりになればいいのか。
今の堂桜統護として代わりになればいいのか。
それとも……兄というラベルを放棄するしかないのか。
せめて血縁があるのならば無理にでも割り切れる。けれど血縁どころか、産まれてきた世界が異なる異世界の人間だ。いっそ血が繋がっていれば、母親の延長と解釈できるのに。
俺は――淡雪を……
「あ~~! いま考えるのは、それじゃないだろ」
ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしった。
統護は身悶えた。これではまるで、任務の為ではなく、淡雪から逃げ出してきたみたいだ。
事実、少し距離を置きたかったのだが、統護は認められない。
「姫皇路さんを護らなきゃいけないのに」
統護は思考を切り替えた。
姫皇路アリーシア。本当の名は、アリーシア・ファン・姫皇路。
出自は、ファン王国の現国王ファン・ファリアストロⅧ世の妾腹の姫君である。
母親であるニホン人はアリーシアを出産した時に亡くなっており、その存在自体が秘匿されている。ファリアストロⅧ世しか名を知らないという。アリーシアの姓である姫皇路も、実母から継いだ名ではないのだ。アリーシア一代の唯一の姓であった。
その母親の願いで、アリーシアは出自を隠され、孤児としてファン王国の王位継承権とは無縁の生活を送っていた。
そんな彼女に「万が一」が及ばないようにとの、保険として堂桜家次期当主であり天才魔術師であった統護が、影ながら護衛についていた。
護衛は保険である――はずだった。
(それが、俺がこの【イグニアス】世界に転生してから、激動した)
消えた【イグニアス】の統護と、元の世界の統護の存在が入れ替わった頃から、ファン王国の内乱が勃発した。
元々燻っていた火種はあったのだろうが、一気に顕在化したのは、自分がこの世界に転生した事と、なにか関係や影響があるのか。
アリーシアとは元の世界では知り合いではなかった。
そもそもファン王国という国も、元の世界には存在していない。
元の世界では、ソビエト連邦は一九九一年十二月に崩壊している。【イグニアス】では若干名称が異なるがソヴィエルとして存在し続けている。ただ、元の世界のような社会主義共和国連邦とも毛色が違う。
つまるところ――此処はやはり異世界だった。
技術形態が異なるだけではなく政治形態や宗教・思想にも明白な差異はみられた。
アリーシア護衛についても、政治的な裏がある可能性を否定できない。
ひょっとしたら元の統護は承知していたのかもしれないが、同一人物だが異世界からの別人であるこの統護には、まったく分からない。
「――あんまり面倒くさい話は勘弁して欲しいんだがな」
そういった意味では、堂桜一族のパワーゲームから弾き出された現状はむしろ僥倖だ。
とにかく今は――アリーシアの身を護るだけだ。
シンプルにその役だけを全うすればいい。
元の統護にとっては堂桜財閥後継者となる為の課題であったのだろうが、今の統護にとってはこの異世界でも『堂桜統護として生きていく』ための、最初のハードルだ。
枕元の目覚まし時計を見ると、まだ四時半であった。
喉の渇きを覚えた統護は、潔く起きて、厨房へと喉を潤しに向かった。
…
古いけれども、清潔な厨房には先客がいた。
アリーシアだ。
彼女は制服の上に赤地のエプロンを着け、癖のある長い赤毛を頭巾で後ろにまとめていた。
楽しそうに厨房内を忙しなく動いている。
「どうしたの、こんなに早く」
目を丸くするアリーシアに、統護は喉が渇いたから水を飲みに来たと言った。
アリーシアは冷蔵庫を指さした。
「浄水器からのを冷やしたののでよければ。あと麦茶もあるわ」
「サンキュ」
「ふぅん。高級なミネラルウォーターじゃなくてもいいのね」
「偏見だよ」
確かに堂桜本邸で出される水は高級な品のようだった。しかし統護にはあまり関係ない。喉の乾きを癒やせれば充分だ。
コップに注いだ水道水を旨そうに一気飲みする統護に、アリーシアは複雑な表情になった。
統護はそんな彼女の様子に気が付かない。
「姫皇路さんはこんな時間から食事の準備をしているんだ」
「御飯もお味噌汁も焼き魚もタイマーで仕上がるようにしておいたけど、どうせだったら最後まで自分で仕上げようと思って。やっぱり味が違うから」
「そっか。楽しみだ」
「あ。でも味には期待しないでよ。一流のプロの味には程遠いんだから」
「だからそういうのはあまり拘らない――っと」
統護は言葉を止めた。
アリーシアが自分で朝食を仕上げようとした本当に理由に気が付いたからだ。量を調整して新たに一人分を作り出さねばならない、という。
「俺、手伝うよ」
「却下。今朝だけ特別、だなんて調子狂うし。それともこれから毎朝手伝ってくれる?」
挑発するような目で睨みを効かされ、統護は大人しく引き下がった。
「よろしい。大人しく部屋に戻りなさい」
アリーシアは「うんうん」と頷く。
此処はきっと彼女の聖域だ――と、統護は納得した。
「時間、中途半端だから此処で暇を潰しているよ」
「はいはい。だったら邪魔にならないようにゲームでもしていなさい」
そう言われて、統護はスマートフォンを弄るふりをした。なにしろゲームは何一つとしてダウンロードされていない。
実際は、厨狭しと動き回るアリーシアを覗き見ていた。
料理とは、こんなにも女の子らしいのか。
手慣れた動きと、効率的な手際は一種の魔法のようで、いくら眺めていても飽きなかった。
楽しそうで踊るようだった。
綺麗だな、と統護はつい見惚れていた。
「――なにジロジロと見ているのよ」
トリップから醒めた。半白眼のアリーシアがアップで迫っていた。
いつの間にか、統護のスマートフォンを持っている手は、膝の上から動いていなかった。
腰に手を当てたアリーシアは怒り顔を演出していたが、明らかに照れていた。
統護も彼女の顔が間近に迫り、頬を赤くした。
二人は慌てて、顔を離した。
…
統護とアリーシアは並んで通学路を歩いている。
初めての道順に、統護は落ち着かない。統護は目的地まで到達できる道があれば、常にその道を利用して他の道に逸れるといった事をしない性格だ。
チラチラと横目で自分を窺うアリーシアの視線に、統護は問いかけた。
「どうした?」
「いや。堂桜くんって、やっぱり女子と二人で歩くのって慣れている?」
そんな風に話題を振られ、統護は噴き出しそうになった。
女子で二人きり――
淡雪の姿がちらついたが、淡雪は妹で、アリーシアのいう女子にカウントしては駄目だろう。
視線を合わせられずに、統護は訊き返す。
「なあ姫皇路さんの俺に対するイメージって、どんなんだ?」
「えっと」と、アリーシアの返事に困惑が滲んだ。
気安い淡雪とは勝手が違い、統護も手探り状態で会話する。
とにかく任務に支障がないように最低限でも打ち解ける必要があるので必死でもあった。
「以前の俺に問題があったのは自覚しているけど、女好きって感じだったか?」
「そうじゃ、ないけど、さ」
「そういう姫皇路さんは――」
そこで頬を軽く抓られた。
視線を向けると、アリーシアはふくれっ面になっていた。
今朝の厨房での件もあり、統護は可愛い、と思ってしまった。
「いい加減に、姫皇路さんって他人行儀やめてくれないかな」
「へ?」
「ひめおうじ、って大仰な名前、実はあんまり好きじゃないの」
「……」
「この名字って世界で私だけだって、とっくに分かっている便宜上の名だしね……」
アリーシアは寂しげな目になった。
やはりアリーシアとて、自分の家族を捜さなかったわけではないのだ。しかし、まさか実の父親が国王だとは想像だにできなかっただろう。
「分かった。じゃあ、交換条件として俺の事も統護って呼んでくれ」
「へ?」
「なんだよその顔。まさか俺は名字で自分だけは名前で呼べっていうつもりかよ」
アリーシアは狼狽した。
「だ、だけど堂桜財閥の御曹司を呼び捨てにだなんて」
「俺の事を統護って呼び捨てにしているヤツ、結構多いだろうに」
「そ、それは――」
「堂桜財閥の御曹司じゃなくて、俺は俺だから」
その台詞が決め手になった。
アリーシアは大きく二回頷くと、
「えっと、じゃあ、――改めてよろしくね、統護」
「こっちこそな、アリーシア」
色々と氷解したと統護は感じた。
二人は足を止めて向き合い、そして自然に微笑み、見つめ合った。
「なにを甘酸っぱい青春ゴッコをしているんですか、お兄様!」
二人は揃って声の方を振り向く。
すぐ先の交差点で仁王立ちしている中等部の制服を着た少女――淡雪が視界にはいった。
たおやかで上品な笑顔なのだが、不思議と恐かった。
淡雪はらしくない大股で近づいてくると、二人の間に割り込むように統護の腕をとった。
「な、なんでお前、此処にいるんだ?」
「お兄様だけでは不安でしたので、極秘にサポートしていました」
「なんで極秘なんだよ」
「お兄様がいけないんです。わたしに断りもせずに勝手に家を出たりするから」
「それは謝るけど、だからって」
統護は押されっぱなしになる。
なにしろこんな淡雪は初めてであった。基本的に自分を立てて一歩後ろを歩くような、そんな出来た妹になにがあったのだろうか?
淡雪の不機嫌さは増していく。
「だいたいなにが『とうご(はぁと)』に、『ありーしあ(はぁと)』ですか!」
統護とアリーシアは真っ赤になった。
まさか聞かれていたとは――
「いや、ちょっと待てお前! まさか盗聴してたのか!?」
「昨夜からアリーシアさんの通学路をはじめとした行動範囲に、急遽、高性能の集音型の隠しマイクを三千個、突貫工事で設置しました。むろん行政と警察の許可は取っております。今回の件が終われば警察に使用権限を譲渡する約束になっております」
「マジか!」
「でもご安心ください。一般人へのプライバシーを考慮して、お兄様と姫皇路さんの声紋のみを探知し、無関係な方々の盗聴はしないように設定されていますので」
「高性能だな、おい」
流石に【魔導機術】が発展している世界だと感心する。
そんな無駄だらけの非効率的なやり方を押し通す堂桜家の財力もだ。
「だけどアリーシアに了解を得て、……って、もう幾つか超小型マーカーを仕込ませてもらっただろうが。いまさらマイクなんて意味なくないか?」
統護の疑問に、淡雪が目を白くした。
「いいえ。おおありでした。盗聴のお陰でお兄様の不埒な裏切りを発見できました」
「え? どういう事だ?」
その物言いだと、隠しマイクの目的がアリーシアの護衛ではなく……
これ以上は深く考えないことにした。
淡雪がこんな一面を隠し持っていたとは。大人しくて従順だと思っていたが、それは彼女の意図に沿う間だけだったようだ。
冷や汗を流す統護を押し退け、アリーシアが前に出た。
「ええと、淡雪さんって呼んでいい?」
「どうぞご自由に」
「それから私の事もアリーシアでいいから」
「分かりました、姫皇路さん」
「……」
カタチだけの作り笑顔を浮かべる二人の間に激しい火花が散るのを、統護は幻視した。
幻覚というか、双方敵意がすごい。
統護はなぜか全速力で逃げ去りたい衝動に襲われる。
「どうやら貴女、かなりのブラコンみたいね。お兄さんの恋愛事情にまで口を出しそうな勢いだけど、そういうのって感心しないな」
「わたしとお兄様の関係に、真っ赤な他人が口出ししないで下さい」
「友達だから、他人ってつもりはないんだけど」
遠慮がちだったアリーシアの中のナニかにも火がついた様子であった。
淡雪は噛んで含めるように言う。
「わたしとお兄様は『世界でただひとつの特別な兄妹』なのです。くり返します。友人が口を出していい問題ではないのです」
「そういう言い方って、誤解を招いて統護が迷惑するわよ?」
「誤解ですか」
「統護は妹にふしだらな感情を抱くような変態じゃないし。ね、統護?」
頼むから俺に振らないでくれ、と統護は泣きたくなった。
返事如何ではコロスと、淡雪の瞳が脅迫している。
緊張感が極限まで増す中。
「はははは! 朝から賑やかな漫才だね」
そんな哄笑が、場の空気に別の緊張感を呼び戻した。
そう。冷たく張り詰めた――昨日と同じ戦闘の雰囲気だ。
統護だけではなく、口げんかを始めそうだった二人も表情を引き締める。
楯四万姉弟が、すぐ其処にいた。
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