たしかに、日本が本格的な空襲を受け始めたのは昭和19年6月の北九州空襲以降です(本書p.125)。
しかし、日本はもっと早くから中国への空爆を行っていました。昭和6年10月には錦州、昭和13年12月からは重慶を空襲しており、空襲の威力を知っていました。昭和18年2月には、アメリカ製の焼夷弾(中国に投下された不発弾)を入手して爆発させる演習を行い、約100メートル四方に火焔を噴射する焼夷弾の威力が確認されています(本書p.101)。
さらに科学者は、焼夷弾の消火はほぼ不可能だと指摘していました(本書p.90)。 政府は科学者の指摘も無視して、「空襲など怖くない。逃げずに火を消せ」と国民に指示したのです。
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